質問、意見等はこちらへどうぞ。[kyou4-a●ルナドットEメイルドットエヌイードットジェイピー(luna.email.ne.jp)](●を@に)天野 貴司
ミステリアス・プレスということで、なんの気もなしにレジに向ったのがいけなかった。ジョン・ラッツということあったのだが、、、、、、、、、、、、。
「同居人求む」は、まあ私自身好みではないながらも、サスペンスとして決して悪い作品では無いと感じたが、本作では、ひとつとして目を引く新しさが無かった気がする。題名、そして読みはじめた最初の十数ページで先が見えてしまったものの、そこは作者の力量で読者を驚かせる何かを見せてくれると期待しつつページをめくっていったのだが、これがあっさりと裏切られてしまった。所詮は男と女の関係なのだが、ちょっとワンパターンでしたね。
主人公(?)の女性の偏執、恐さというものが主題なのかもしれないが、それに対する男性のあまりのろくでもなさばかりが目立つので、逆になんでこんな男に執着してるの? という疑問ばかり感じてしまった。
「氷の戒律」(1986)、「聖と俗と」(1987)、「豊饒の地」(1990)
、そして本作(1991)と間が空きながらもコンスタントに出版されているシリーズ(訳出は1993から)。
シリーズ物の場合、徐々に円熟味を増して、という常套句があるが、本シリーズについては、最初の一作目からひとつの完成された世界が築き上げられているといっても過言ではないだろう。物語として短すぎずもせず、また長すぎもせず、読んでいる間は残りページの事を忘れて作品に没頭できる、読者にとっては非常にありがたい作品でもある。
さて、今回は家族の物語である。宗教的なことは門外漢としてちょっと脇に置いておくとして兄弟姉妹の話となると、私自身に兄弟姉妹が沢山いるからという理由だけなのだが(正確な数はともかく、片手では足りない人数)、妙に気になる。最近もそうだろうが、私自身が幼い頃でも兄弟が3人以上という家庭はそんなにはなく、逆に自分の家と較べて一人っ子で両親と三人だけの家など、学校から帰ってどういう会話、生活を送っているのだろうか? などとよく考えたものである。逆に同級生などからは兄弟が多いと楽しいでしょう、などとよく言われたものだが、仮に想像は出来ても、こればかりはもう一度生まれ変わりでもしないと理解できないことであろう。
一つの家に一緒に住んで居た頃は、とりわけ兄弟が周りにいることを当たり前と感じていたが、やがて家を出、それぞれの家庭を持ち、ばらばらになっていく。でも、何かあるとまた一つの家に集まって来る。別にそれが兄弟という関係だけに限らないのだろうが、こういう絆、家族という絆というものは年を経てみて初めて理解出来るものなのかもしれない、そんなことを感じさせてくれた一冊。ラストシーンは涙ものでしたね、恥ずかしながら。
女性を主人公にすえたミステリー作品というは確実に増えてきているのだろうが、物語世界のバリエーションもその増え方と比例どころか指数的に増大しているのではないだろうか。別に、私立探偵や刑事といった男性を主人公とした作品がワンパターンだというわけではないが、さまざまな世界での物語を味わえるという点で非常にありがたいことだと思う。
さて、本作、自らの育った土地の人々、そして自然保護団体の確執にはさまれながら事件に立ち向かってゆく女性レンジャーが主人公。揺れ動く主人公の心情と共に、舞台であるネヴァダの風景が鮮やかに描かれており、久々に映画を観ているような印象を残してくれた作品。
ふむ、デイナ・スタベノウの三作目が地元を離れた作品であったが、本作デボラ・ノットシリーズも何故か、三作目にして主人公の地元を離れた場所を舞台としている。
初登場の「密造人の娘」では主人公とそれを取り巻く周囲の人々、特に父親との関係が興味深く描かれていて非常に好印象を与えてくれたものだが、どうもその後はぱっとしない気がする。それとも調理人は疲れてくると味覚が麻痺してくるというのと同様に、私の感覚が最近鈍化してきているのだろうか? いろいろと疲れている時ほど良質の作品でほっとしたいのだが、、、、、。
P・コーンウェルの作品を読み進めてゆくうちに感じたことだが、主人公が公的に法を護る立場の人間でありながら、素人探偵よろしく事件に巻込まれていくというパターンが逆に鼻につき、シリーズを重ねるにしたがって作品の輝きをじょじょに失わせていく結果になっているのではないかという気がしてならない。
交通事故でピアノを弾くことが出来なくなった男。消えることないジャズへの思いを胸に秘めながらも現実と折り合いをつけようとしているさま、いや折り合いをつけたくなくあがく姿が妙に哀しい。もっとも、物語自体はそれほど暗いものではなく、軽快なリズムで描かれている。私はジャズをほとんど聞かないが、おそらくジャズファンにはストーリーそのものより、音楽を中心にすえた作品として結構楽しめるのではないか、と思う。
短く、ストーリーもオーソドックスでシンプルな作品であるがなかなか余韻を残してくれる一冊。
プリジット・オベールもようやく三冊目。今回は果してどんな仕掛けを用意してくれているのか非常に興味があったのだが、ちょっと外されてしまったか。いや、別につまらないという訳ではない。テンポよく目まぐるしく変わる展開、そして主人公をはじめとする登場人物、それらがうまく絡み合ってエンターティメントとしてはよくできた作品だと思う。
しかし、思い込みなのかもしれないが「マーチ博士と四人の息子」で味わった印象、それがこの作家の持ち味だと私は感じていたので本作では、ちょっとがっかりしてしまったのが本心である。知人と話していた時に出た話だが、読者の裏をかこうかこうとひねってひねってひねった挙げ句に、普通の物語になってしまったのではないか、と。
物語的にどうか、と問われればそれほど面白いとは思わないが、何かを感じさせてくれる作品である。それが何なのか表現するのは非常に難しいのであるが。
ニューヨークのチャイナタウン、そしてそこで産まれた中国人の主人公リディアという設定。リディアのけなげさというか、ひたむきさがそう思わせる要因なのかもしれない。また、相棒というか先輩探偵である白人のビルが混ざること、そしてそのビルとリディアのコンビの行動が、アメリカの中の中国人社会という設定だけに終わらせず、物語にひと味加えていることもそのひとつかもしれない。
答えは簡単には見つからない気もする。シリーズを読み進めていくことで見つかるのかもしれない、と思いつつ次回作に期待。
前作もこんなにコメディ・タッチだったろうか? ステファニーの活躍というよりも、家族ぐるみ、特にメイザおばあちゃんの大活躍って感じ。
読んでいて楽しいことは楽しいのだが、バーグという場所、ひとつの村社会内のどたばたを傍から眺めている(実際に眺めているのだが)印象で、作品の中にとけ込むということが出来ないのは、読者としては少し寂しさを感じてしまう。最近、こういった設定の作品が多くなってきているように思える。どちらかといえば寂しさを背中に背負っているって設定の方が好きなんですがね、私は。
解説にも書かれていたシリーズ三作目"Three To Get Deadly"は、1997年のシルバーダガー受賞ということで、期待して訳出を待つことにしましょうか。
「碧血剣」がまだ積読なのだが、外出中に手元の本が切れたので本屋さんに入ったら売っていたので先に読みはじめてしまった。でも、二冊目、三冊目が出版されるのが非常に待ち遠しく困ったものであったが。読者を物語の中に惹きつける力というのを強く感じた作品。
本書の一番の魅力はやはり、主人公「狗雑種(のらいぬ)」のキャラクターであろう。本人の好むと好まぬに関わりなく周囲の様々な出来事、陰謀などに巻込まれてゆくが、純朴であるがゆえに真実を見通してゆく姿。それにより周囲の策を巡らしている人々の滑稽さが、よりいっそうくっきりと浮き彫りになっているのではないだろうか。
今更ながら、やっと読み終えた一冊。
作者は「不夜城」の次の作品は、劉健一じゃない別の人間を主人公にして描く、と言っていたのをどこかで読んだ記憶がある。しかし、本作を読んで、主人公が誰であるかなどということは、物語のなかではまったく意味を持っていないことに気がつく。
表立って登場し、動いているのは秋生であり滝沢なのかもしれない、だが物語の奥から漂ってくるのは健一の情念でしかない。物語全体が健一の呪縛にとらわれている。まるで健一の見る悪夢そのままに、全てが健一のインナースペースかのように思えててくる。
さて、常套句かもしれないが、次の作品は? である。悪い意味ではなく、読者の期待を裏切る物語を描いて欲しいものである。
年が明けて、更に掟破りの三月分合併号となってしまいました。(その割りには内容が無いという)
本ページもなんとか一年続けて来ましたが、更新ペースがあがらず、せっかく時間を使って見にきて頂いている方には非常に申し訳なく思っております。
本年は、もちょっと意欲的に本を読んで毎月更新を目指していきたいと考えておりますので、見捨てずになんとかお付き合いをして頂ければと思っております。
では、また次号で。
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