書きました 折々に


(省エネに関する疑義)

 電気を使うことが即、省エネだと言わんばかりの風潮には疑問を感じざるを得ない。ガソリンより電気の方が本当に環境に対しても省エネになっているのだろうか。電化住宅は電気が止まれば不便でしようがない。電化生活に慣れた人間の性根は元には戻れない。ならば、ちまちまと電気の節約を考えるより、もっと根本的に電気などの化石燃料に頼らない生活を目指す方向にシフトしなくてはならないのではないだろうか。(2012.8.22)
 テレビばかり見ないで、ラジオにしよう。パソコンは体に悪いから、あまり使うまい。夜更かしはやめて、太陽とともに起きよう。マイカーなんて贅沢の塊だから、足腰を鍛えよう。森の生活はできないけれど、せめて土の香りのする家に住もう。(2012.9.14)



(私ふてています)

 仕事上で、私がわがままを言うのは、許されないことなのでしょうか。今の上司Aとは感覚も手法も考え方も違うので、ヤル気が失せるばかりです。自分の至らないところは指導してもらいたいのに、否定して突き放すだけ。全否定される感じで気分が悪い。救いがない。上司Aは職場Bにとって、なくてはならない人なので、ならば私をどこかに異動させてもらいたい。出来得るだけ補佐し、協力しているつもりなのに、甲斐がない。上司Aの元では人は育たないし、そもそも人を育てようとしていない。突き放すような命令のし方は止めてもらいたい。周りの人がしてくれて当たり前、と思うのは間違っている。判断を下すのが遅すぎる。まるで何も考えていないかのようだ。(2011.10.28)



(介護保険は不幸な制度)

 先日、老母がグループホームを退所した。退所後は、自宅へではなく隣の市の別の兄弟のところへ引っ越した。後日、施設から連絡があったところによると、「退所の日の一日分は介護給付が受けられないので、全額自己負担になります」との連絡が入った。どうやら、正直に転出届を出したためこんなことになったらしい。同じ日に重複して介護サービスを受けられないのは、そうかもしれない。日にちごとに介護給付を計算しているのも、そうかもしれない。地域密着サービスを他の市町村の人が受けられないのも、釈然としないが、そうかもしれない。グループホームを退所して自宅に帰ればいいものを、家族の事情で隣の市に出て行ったら、その日はもう関係のない人、サービスを受けられない人になってしまうとは、介護保険ってなんて不幸な制度なんだろう。厚生労働省のお役人が作った決め事では、こうとしかならないのだそうだ。役所では取り決め通りにしかできないと言うのだ。これではサービス業ではなく、やくざなぼったくり業としか思えない。騙されているとしか思えない。我々は本当に不幸な国に生きているのだ。人の善意も、官僚の賢さもまったく悲しい世の中だ。(2011.07.08)



(原発事故の教訓)

 太陽の恵みを!
 大地の恵みを!
 化石燃料に頼る生活はおかしい。
 もっとエネルギーに依存しない生活でもいいのではないか。
 人はそれを不便と言う。
 便利に飼いならされた現代人に、エコ生活を標榜することなど片腹痛い。
 限りある資源のことを考えよう。
 他人を犠牲にした安楽を疑おう。
 情報過多のネット社会を疑おう。
 会社を儲けさせているだけの保険を疑おう。
 政治や行政が助けてくれるであろうことを疑おう。
 自らを守るとは、他人に苦痛を与えることであってはならないはずだから。
                               (2011.04.10)



(もらってはいけない)

 物を貰って対価を払わないのであれば、お布施を貰っていることになる。組織が布施を受けるのは構わないけれど、個人が貰ってはいけない。そもそも会員間の貸し借りは禁止されている。どんな個人であっても、幹部であればあるほど、厳密にしなくてはいけない。ノート1冊、衣服の一着でもお金を払わなくてはならない。払えないのであれば、貰ってはいけない。あめ玉1個を貰うのとは意味が違う。指導を受けたからといって、個人に喜捨するようにはなっていない。会員同士は励ましあうものであって、そこに金銭の授受にあたるものがあってはならない。年寄りに対する近頃のことは物々交換にあたらないので、お布施になっている。これは会員間の貸し借りになるので、会員としての不適格事項に抵触する。貰ったものに対しては対価(お金)を払わせてもらうこと。払えない人に恵んであげるのは、相手のことを思っているようでいて、その実、与える方の人の自己満足でしかない。 (2011.02.12)



(謝辞)

 サイト開設以来,一部の個人的な友人のみにお知らせしましたが,それぞれにいろいろなご意見・ご感想を頂戴しました。ある人からは「たくさんの美術館に行ったのですね。」とか,ある人からは「こんな面白いところもあるよ。行ってみられたら。」とか,またある人からは「イタリアの思い出話を語り合いましょう。」などなどと励ましの言葉に添えてくださいました。皆さんにありがとうございますと感謝の意を表します。 (2007.11.11)



(読後感1)

  『一角獣』小池真理子著
(角川書店刊)を読んで 2004.1.2

 ホラーでもサスペンスでもない小説集である。恋愛とも幻想とも形容されない小説群であろう。寡黙を多くの言葉で表現することは難しい。個人の体験や感性で時代の空気を醸し出すことも難しい。実用性はなくとも、読む者の情緒を豊かにすることも難しい現代である。それでもなお、時代の感性や、語られない想いを小説の技巧をもって豊かに表現されている。女は変わった、だが男の感性は旧態依然としたものなのかも知れない。女は進化している、男がいつまでも取り残されているとしたら、老後はますます不安な要素が増すばかりだ。目先の電脳生活などの便利さに惑わされることなく、人生のふくよかさを、侘びしさと歓びを、心底感じ取れる一人の人間でいたいものである。




次へ

variousへ戻る
dead line