イソップの宙返り・98
               
旅人と運の女神
旅人が長い旅を終え、疲れて井戸端に倒れていました。
今にも、井戸に落ちそうになった時、運の女神が現れ、旅人を起こしてこう言いましたとサ。
「もし、井戸に落ちていたら、自分の不注意を棚に上げて、運の女神をとがめるであろう」と
寓意・人は自分のせいで不運に遭いながら、神々を非難する。
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極東の凡俗といたしましては・・・
日本の神様は八百万(やおよろず)ですから、たくさんいらっしゃいます。
ここにでてくる運命の神も、運命をつかさどるっていうんですから、運命専門の神ですねぇ。
これからすると、イソップ物語のここの部分はギリシアで作られたように思えますね。
ギリシア神話は日本の記紀神話と同じで、神々は多数。
         
ところで、農耕民は、みんな多神教だそうです。
山川草木すべてに神宿るって信仰ですよね。
           
唯一絶対神というキリスト教でも、農耕民の社会に入ると、神以外に聖人を認めましたね。
ええ、サンタクロースとか、バレンタインとかね。
            
ところで、天皇は神であるなんて喧伝された時代がありましてね。
で、これをキリスト教でいう唯一絶対神ととる人があります。
ゴッド(god)って。
         
多神教の日本では、豊臣秀吉は豊国神社の神。徳川家康も日光の権現さんですよね。
ああ、大物では菅原道真さんがおられますねぇ。
天満宮の神さん。
        
で、何で八百万(やおよろず)もいらっしゃる神の一人が、唯一絶対神のゴッド(god)と誤解されたか、って言うと、カミに当て字した「神」がそもそもの問題だったらしい。
漢字の「神(しん)」は、「示」は祭壇を表し、つくりの「申」は電光の形の象形。
この「申」は天の神とか天帝を意味するらしい。
ええ、地上の神である祇(ぎ)とか鬼(き)ではなくて。
             
カミの語源はハッキリしないらしいのですが、例のエライ人の本居宣長(もとおりのりなが)はカミの古字「迦微」の講釈として、「鳥獣木草にも海山にも、世の常(尋常)でないかしこ(可畏)き物総てがカミ」だと喝破しています。
そして、「すぐれたるとは、尊きこと善きことなどの優れたるのみだけでなく、悪しきもの奇(あや)しきものなども、カミと云ふ」って古事記伝では書いています。
そう言われれば、そんな気がする。
          
日本のカミ様には、何々神って言う以外にイカヅチ(雷)ミズチ(水)ってカミ様がいらっしゃいます。
あれは雷の威力、水の威力のカミって意味で、イカヅチ(雷)の「チ」、ミズチ(水)の「チ」は威力のこだそうです。
タマシヒ(霊魂の威力)などの「ヒ」も同じで、呪力(じゅりょく)を意味するものらしい。
モノノケ(物怪)、モノイミ(物忌)などの「モノ」、ヤマツミ(山津見)、ワタツミ(海津見)などの「ミ」、コタマ(木魂)、イナダマ(稲魂)などの「タマ」もありますね。
まあ、西洋風に言うと精霊(spirit)ですか?
それに誰でも死ぬとホトケになり、33回忌(き)や50年祭の弔上(とむらいあ)げが済むとセンゾって名前のカミになるしね。
           
ですから、優れた人間と考えられた天神さんだけでなく、雷電風雨などの自然現象、山川草木岩石などの自然物にもカミは宿っていているとするのが、日本人の信仰ですよね。
この信仰は農耕民共通の信仰のようですね。
だから、八百万(やおよろず)のカミには、聖人とか精霊とかの別の用語を当てればよかったものを、よりもよって唯一絶対神のゴッド(god)と誤解される漢字の「神」を当て字したのが混乱の始まりらしい。
          
まあ、混乱もうまく習合するとメキシコの守護聖母「グアダルーペの聖母」みたいにハッキリしてよかったのかもしれませんね。
「グアダルーペの聖母」はアステカの母神トナンツィンとキリスト教の聖母マリアとの習合だそうですね。
で、お祭りには、聖母マリア像を母神トナンツィン風に担いで町中を練り歩きます。
あれは、いい。
          
カミといっても、内容はさまざまだから、意味、内容を吟味して使いたいものですねぇ。
そうしないと、ボクみたいな宗教オンチは混乱してしまう。