むすび

T634 橿原市北八木町1-3-3-307
中田方 むすび発行所

予防法特集第10号コンテンツ:
  •  「人間性を取り戻す闘い」 (国本 衛)
  •  「人権の復権のために」  (神美知宏)
  •  「社会復帰・自立の道のり」(柴田良平)
  •  「いまだに続く排除の構造」(松浦武夫)

  • 「人間性を取り戻す闘い」 (国本 衛)<李衛>

     国本衛ほか著となっている『はじめに差別があった「らい予防法」と在日コリアン』(清瀬・教育ってなんだろう会編 現代企画室)を読み、早速多摩全生園の国本氏と連絡をとった。「らい予防法」は廃止されましたが、残された課題は療養所の将来も含め、まだ数多くあります。そして過去の事柄も未だに整理できていない面が多々あり、その一つに在日韓国・朝鮮人入所者の問題もあります。これは療養所だけでなく、この国全体が未だに抱える大きな問題でもあります。(編集部)


     (以下本文)

     「らい予防法」が廃止されて、どのようにお感じでしょうか

     本当に良かったなと。積年の恨みつらみというのか、やっと晴れて・・・


     患者運動が予防法を降ろさなかった理由の根本は何ですか

     やはり光田イズムによって私達は人間以下の扱いをされた。社会人ではない、要するに市民権を得て・・・


     国本さんから見て「光田イズム」を一言で言えば?

     彼は国粋主義者ですからね、これは日本のファシズムの体質と・・・


     在日韓国・朝鮮人の方が多くおられる歴史的背景があると思うのですが

     日本の植民地政策の中の一つの犠牲者ですね。私はこの病気は貧困・・・


     (以下続く)・・・



    「人権の復権のために」  (神美知宏)

     五月二十六日に、大阪精神障害者連絡会・ぼちぼちクラブの大会があり、全国ハンセン病患者橋議会の事務局長、神 見知宏(こうみちひろ)さんが記念講演をされました。テーマは「人権の復権のために」というものでした。神さんは五月四日の朝日新聞の「ひと」欄に紹介されているように、四月一日の「らい予防法」廃止と同時に、仮名からこの本名に戻されました。その講演の要約を紹介したいと思います。(講演録を神さん御自身に加筆修正いただいたものです)全国ハンセン病患者協議会も、現在では全国ハンセン病療養所入所者協議会に名称が変更になりました。以前、身体障害者の生活施設である養護施設が、「収容」を「入所」と法律的に変えました。しかし、実際は地域で生活する選択肢や、社会復帰とは程遠い現実が続いています。
     私達は法律が廃止された意味を、法律が生きていた時代を忘れてはならず、ハンセン病患者の歴史が意味するものを、今後も問い続けなければならないと思います。(編集部)


     (以下本文)

     実は私は四月一日から名前を変えました。「予防法」が廃止されたので戸籍名である・・・



    「社会復帰・自立の道のり」(柴田良平)

     三月三十一日に東京で「らい予防法の歴史的責任を考える集会〜その廃止にあたって私たちは何を問うか」という集まりがあり、会場から社会復帰されている柴田さんの発言がありました。社会復帰された方のお話しはなかなか聞く機会がありませんでしたが、今回のお話しは非常に前向きに問題提起をされており、私たちに大切な問題を示唆されていると思います。
     ここでは、その発言を元に柴田さんに再度まとめ直していただいたものをご紹介します(編集部)


     (以下本文)

     私は、東村山市に住んでいる柴田と申します。私は今から二八年前に、群馬県の草津高原にある国立療養所、草津楽泉園から退園して社会復帰をした者です。・・・



    「いまだに続く排除の構造」(松浦武夫)

     本日、O157が伝染病予防法の部分適用となった。一連の動きを見ていると、典型的な集団心理が作用し、当初は適用に消極的だった厚生省を、社会の側が適用に追い込んだように思う。この適用は患者・感染者の状況にどれだけの効果があり、逆に偏見・差別の問題に直結するのではないかと危惧される。問題はこのような社会に警笛を鳴らすべきシステムが不在であり、情報化社会ではハンセン病に対する予防法が何年もかかったものを、論議もなく一ヵ月で強権が発動するということだろう。「迅速」「徹底」という政策を求められれば、強制力をともなう国家レベルの社会防衛に陥るのは当然なのだ。そこでは個人の人権やプライバシーを「安全」「安心」と引き替えることになるのだ。
     病気で言うならば、致死率の高く感染力の強い病気は、O157と比較すれば、決して少なくないだろう。それが感染経路や感染源や治療法が未解明であると、病気そのものの不安から、患者・感染者へ不安の対象が集中する。HIVの場合は、まさに差別と偏見の烙印は一度貼られると是正できないかを示しているし、「らい予防法」の問題も、ここに大きな課題があった。なぜこのような社会の動きを止められないかだが、「絶対」という事を求める限り、問題は残り続ける。”絶対これで大丈夫か”や”絶対に感染は止まるか”など、不可能な問いに答えられなければ納得できない集団心理に、すぐに入ってしまう社会は、ハンセン病療養所で亡くなっていった人々、社会の中で公表できずに亡くなるHIV患者の人々の再考をできていない。以下は現在のこの国の姿を新聞より抜粋したものである。
     「らい予防法」が廃止されて三ヵ月後の対応がこれなのだ。廃止の意味を考える作業はこのような偏見・差別を生む対応を生じさせないことになる。ハンセン病の歴史を学ぶとは現在の社会に病気と病者を短絡に結び、患者・感染者を追い込むのは、個々の私の認識であり、その私の集団の社会にも大きな側面があると言えなければならない。(編集部)


      (新聞抜粋記事−略)


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    Updated, Sep. 23.'96