どしゃぶりトレッキング 2(アンナプルナ周辺)

1999/9/29〜1999/10/10

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(アンナプルナ・サウスも、ご覧のとおり、雲とガスに覆われ、あたりは雨が....)

10/2  (ダンプス〜ランドルン)

 ダンプスのキャンプ場を出発する頃は、微かに薄日もさしていたのだが、チェックポストを過ぎたあたりから、やはりガスりだす。もう山は見えない、一瞬雲が切れてアンナプルナ・サウスが見えたが、それも5分ばかり、後は再び雲に隠れてしまう。そうそう今年の7月からトレッキング・パミッションに関して、アンナプルナ、クーンブ、ランタンは、カトマンズで取得する必要がなくなった、あくまでもカトマンズでの取得が必要なくなっただけで、現地で、国立公園料金1000ルピーと共に届けを出す必要がある。ただ、このおかげでカトマンズに1日ステイしなくてすむ意味合いは、休みの少ない我々にとって大きい、ランタンなどのトレッキングの場合、この1日で、核心部に行くことができるからだ。

 さて、なんにも見えない霧の中を、黙々歩くのは、なんだか辛いものがある、嫁は、どうも昨日あたりからお腹の調子が悪いようだ、「ポカラで5ルピーのチャイを、飲んだからだ」と、しきりに言っているが、確かにレイクサイドの岸辺周辺の現地人用バッティは、衛生状態がよくない、今ごろ言っても、しかたがないのだがおまけに、いくら待ってもポーターが来ない!どうやらルクラから来た少年ポーターが、足をヒネッタらしくサーダーが、「薬を持ってないか?」ときたので、シップ薬や、消炎剤などを渡す、ドタバタしながら今日のねぐらランドルに着く、すでに多くのテントが張られており、我々は、町の隅のロッジの庭先にテントを幕営する。ここでムクチナートから降りてきた日本人の方に会うが、彼は29日間、ずっと雨だったそうだ、<ぞぉぉ〜>、この先の天気を思うと不安だ。私は、焼けで麦酒を飲みまくる。

 相当酔いがまわったころ、指から血を流した少年が母親と、「治療してくれ」とやってくる、「そんな事言ったて、あたしゃ医者じゃない!」指を良く見ると、出血は多いもの、傷は深くなさそうだったので、消毒液で、十分に消毒してから、薬をつけて、カットバンを張って、その上から、軽く包帯を巻いておいた。あれだけ消毒すれば、まあ大丈夫だろう、ふぅ、そういえば、我々の隊の<捻挫ルクラ少年>はどうしたろうか?よれよれになりながら、ルクラ少年の所に行くと、サーダーから、かなり叱られたらしくショゲテいる。「一人で、ルクラまで帰れ」と言われたらしいのだが、初めてルクラから来た少年が、一人で帰れるわけもないだろうから、まあ、怒りにまかせて、言われたのだろうが、本人は、マジで、ポカラ〜カトマンズ〜ジリ〜ルクラと、呟いている、可愛そうに!明日は良くなるからと言い聞かせた。ああ、明日は良くなるか?!、天気もそうであって欲しい!

(料理は最高に美味い、ミトツアァ〜、しかし嫁の顔色は悪く、食欲がない)

明日は晴れるだろうと思いながら寝たのだが、夜半より再び物凄い雷雨、地面が共鳴し揺れている。こんなに降って、地崩れしないのか、そっちの方が不安になる明日、モンディ・コーラを越せるだろうか?

10/3  (ランドルン〜ガンドルン)

朝、目覚めると、見事にショボジョボと雨が降っている。もう爆発だぁ〜雨に関する歌を、今日のトレック中全て大声で唄ってやる!1曲目、満州小唄「雨がしとしとふうっている〜」と..最後はCCRで決めるぞ!、あーあ、とほほほほ〜〜〜〜

ツルツル滑る石段を、モンディ・コーラまで、イッキに下る。川に架かる橋は、かなり丈夫な物だったので安心して渡るが、やはり水かさは増水していた。

ふと嫁の足を見ると、なにやら黒い泥のような物が着いている、良く見ると、遂に登場「ドゥガ」(蛭)だ!ザンブさんが、あわてて落してくれる。しかし、これからの道程、さらに蛭に苦しめられようとは、知るよしもなかった。

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