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足柄城跡からの夕暮れの富士山
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「足柄山というは、四五日かねておそろしげにくらがりわたれり。やうやう入り立つ麓のほどだに、空のけしきはかばかしくも見えず、えもいわず茂りわたりていとおそろしげなり。」
これは千年ほど昔の平安時代に菅原孝標(すがわらのたかすえ)の娘が「更級日記」に記した足柄山の様子です。上総の国司として任期を終えた孝標に連れられて上京の旅の途中での足柄山を十三歳の少女は、四・五日の道中で、麓のほうでさえも木々が茂り薄暗く、空もはっきりと見えず不気味で恐ろしげなところであったと回想しています。 足柄峠は往古より西国からの関東への玄関口として知られたところでした。『延喜式』兵部省の項によれば、横走駅(推定御殿場市または小山町)と坂本駅(推定南足柄市)の間には峻険な足柄坂があったことがわかります。古代の官道、また中世の鎌倉街道といわれた足柄越の道は現在の足柄峠に残っているのでしょうか。「更級日記」の作者が越えて行った足柄山の道はいったいどこを通っていたのでしょう。ここではその足柄の古道で、峠の西坂を探索した内容を紹介します。 一般の方々が踏み込めない山岳地を探索しているところもあります。かなり危険を伴う場所もあり、このホームページを見て同じ場所に出掛けてみたいという人は十分に気を付けてください。くれぐれも無理のないようお願いします。 |
足柄峠付近 直路ヶ尾ルート 大曲ルート 竹之下一里塚から馬喰坂 地蔵堂川林道に沿って |
地蔵堂川源流ルート 虎御石ルート 向方ルート 金太郎冨士見ラインに沿って 御殿場線足柄駅周辺 |
参考文献
あるく・見る 万葉集「足柄・箱根歌」 田代道彌 かなしん出版 1996 |