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「森に生きる人―アフリカ熱帯雨林とピグミー (自然とともに)」寺嶋 秀明(著)(小峰書店 2002年10月)

→目次など

■社会を営みながら森に生きること=人の原点■

本書は、「君」という呼びかけの言葉が使用されていることからもわかるように、中学生くらいの若い人が読むことを前提として書かれている。 そのため、専門的な内容に深入りすることなく、中央アフリカの熱帯林に住む狩猟採集民ピグミーの生活全般を知ることができるように構成されている。 したがって、いくぶん、事実の網羅に偏って読み物としての面白さを損なっている感はあるが、他の書物を読むだけではつかみにくいピグミーの生活の全体像をつかみやすくなっている。

たとえば、食料事情がある。

男性が担いおいしい肉が手に入るが不安定な狩猟と、女性が担いおいしさでは負けるが安定的な採集。ハチミツの採れる季節、シロアリの飛ぶ季節、キノコの季節。人は飢えることなく、マンネリもない食を楽しむ。

絶対的な権力を持つリーダーがいないことも明確に記されている(「酋長」という言葉を選んだ酒井傳六とは対照的)。

農耕社会とは異なり狩猟採集社会では女性の発言力が大きいことや、平等性を保つための食料分配や結婚制度など、狩猟採集社会がどれほどすぐれた社会であるのかを本書からうかがい知ることができるのである。

このような本を若い時期に読んで、狩猟採集生活が人のあり方の原点であることを知る人が増えれば、人類の未来に希望が生まれてくるのではないだろうか。

ちなみに、本書のピグミーはコリン・M・ターンブルが住みこんだムブティとは異なるエフェと呼ばれる人びとであり、狩猟の方法も異なっている。また、ピグミーが古代エジプト王朝の時代から知られていたことも明記されている。

内容の紹介


狩りの獲物はみんなで分けるんだ。猟に行かなかった人たちの家にもだれかが肉を分けてくれる。だから、お年寄りの家やお父さんがいない家にも肉が分配される。肉を食べるときはみんないっしょなんだ。一人だけで肉を食べることなんて聞いたことがない。 - 47ページ


ぼくたちは、いくら好きでも、おなかいっぱいになるほど蜂蜜を食べることはできない。でもピグミーたちは平気だ。蝋でできている巣ごと、ぱくぱくと食べてしまう。市川光雄さんの調査によると(『森の狩猟民』人文書院、一九八二)、あるキャンプでは一二日間に、一人平均六二〇グラムもの蜜を食べたという。 - 81-82ページ


毎日安心して暮らすためには、狩猟にたよった生活ではなく、植物性の食物を採集して食べるほうがずっとよい。ヤムイモやナッツ類、くだものなどである。イモ虫や蜂蜜などもこれに含めてよいだろう。狩猟では動物に逃げられると収穫はゼロだが、採集の対象物は逃げることはないので、必要なだけとればよい。じっさい、世界各地の狩猟採集民のほとんどは、狩猟よりも採集による食べものを生活の基盤としていることがわかってきた。 - 86ページ


肉と植物性の食物を比較すると、肉はやはりおいしい。肉こそ自分たちのほんとうの食物だ、と狩猟採集民たちは言う。肉はおなかばっかりではなく、心も満たしてくれる。カラハリのサンたちは「植物性の食物は、必要なだけ食べる。肉は、食べられるだけ食べる」と言う。
ナッツなどの植物性の食物は栄養価が高く、おいしい食べ物なのだが肉にはかなわない。それほど肉の価値が高いから、男たちは、失敗も多いけど、毎日猟をするのだ。そして女たちが採集によって、その失敗をカバーする。狩猟採集民は、男と女の二人三脚、つまり、狩猟と採集のバランスをうまく保ちながら生活している。 - 97ページ


「なんとかなるさ」というのがピグミーたちの考えだ。肉や蜂蜜などのごちそうは、とれる日もとれない日もある。しかしヤムイモやナッツなどはいつも森のなかにある。病気になって狩猟や採集に行けなかったとしても、おなじキャンプの仲間が助けてくれる。
このような考えがあるから、ピグミーたちは明日のことは心配しない。 - 87-88ページ


ピグミーの男性は、みな優秀なハンターである。なかには槍でゾウを倒すほどの腕前の人もいる。しかし家庭のなかでは、どうも奥さんのほうが強そうだ。ぼくがしばらく滞在していたキャンプでは、とくにその傾向があった。パノという男性はぼくの良き友だちで、そのキャンプのカピタ(代表)であったが、奥さんのサコペワには頭があがらなかった。たとえば、ぼくが焚き火でお湯をわかそうと苦労していると、それを見ていたサコペワが「おーい、父さん、テラシマの手伝いをしてやんなさいな」と声をかけてくれるのである。近くに夫の姿が見えないと、森の方にむかって「パノーッ、パノー、早く戻っておいでよ」と大きな声で呼ぶのであった。 - 93-94ページ


ピグミーたちは病気にかかると、森のなかから薬になる植物を探してきて、自分たちで薬を作って飲んだり、塗ったりする。いろいろな薬草が知られている。ぼくたちが調査したところでは二〇〇種類以上の植物が薬として使われることがわかった。 - 103ページ


つまりピグミーたちは、ぼくたちがレクリエーションとして休日に楽しんでいることを、毎日やっている人たちなのである。狩猟採集民には、ピグミーのように心やさしい、おだやかな心の持ち主が多い。これは、かれらの仕事である狩猟や採集が、食物を得るのと同時にレクリエーションとなり、ストレス発散になっているからではないだろうか。 - 113ページ


キャンプとは、そのように、自然に食物を分かち合う人びとの集まりなのである。ひとつの大きな家族のようなものだ。家族のなかでは食物を分かち合うのは当たり前だ。ものをやりとりしても、いちいちお礼をいわなくてもかまわない。なにも言わなくても、みんな、おたがいに助け合って生きていることはわかっている。家のなかのもの、そしてキャンプのものは、みんなの共有財産なのだ。 - 116-117ページ


ぼくたちが学校で習ったのはこんな平等の歴史であった。平等はやっと実現するようになったばかりだ。では、狩猟採集民たちの社会はどうなのだろうか。おどろいたことに、狩猟採集民社会ではすでにりっぱな平等社会ができているのである。 - 118ページ


今、世界中の熱帯林の約一パーセントが毎年消失しつづけているという。森の消失は、そこにすむさまざまな生き物の消滅を意味する。そしてそのなかには人間も含まれる。数千年、数万年もつづいてきた森の文化が滅びるのである。いや、たぶん、森のなかの人間が消滅するだけではないだろう。森の外の人間たちにもその被害は遅かれ早かれやってくるだろう。 - 122ページ


平等で楽しくのんびりとしており、将来を心配しない暮らしを捨てて、不平等で、苦しく、せわしなく、将来を心配する暮らしを手に入れたあげくに、その生活さえ危険にさらしている農耕牧畜と文明の暮らしという図式が、本書を読んだ人びとの頭には浮かんでくるはずなのである。

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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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