縄文後期土器の使用痕について



西田泰民

はじめに

 ここでは主として粗製土器の観察をもとに土器の使用痕について報告する。

 出土土器の過半数を占める加曾利B期の土器のうち、いわゆる粗製土器では粗縄文と押圧のある貼付隆帯が施されるのが特徴である。その大まかな変遷過程はすでに明らかにされており、隆帯の位置、口縁内面の沈線、縄文上に付加される斜沈線、隆帯刻みの手法が変化を見せる。その変化は手抜きの方向ではなく、たとえば沈線の密な施文などむしろ手間のかかる方へ向かう。隆帯貼付の粗製土器は原則が守られる保守性を感じさせる。たとえば隆帯の押圧が右手によるものが大多数であるなかで、ごく少数左手で押さえたと見られる個体があるが(B2-325,D3-237)、縄文地上に施文される沈線の方向は一定である。粗製という名称がふさわしくないのは既に指摘のあるところであるが、雑器として日常の用途に消耗品のように扱われたとするには手が込みすぎている。これまで精製土器・粗製土器という名称と分類を縄文土器全体に等価に扱っているきらいがあるが時期や地域による意味合いの差を再度考慮する必要がある。単に紋様の精緻・粗雑というだけならば、熟練者と未熟練者の製品の差と考えて差しつかえない。また祭りの土器と日常の土器という考え方はなお十分な検証を受けた仮説とは言い難い。これらの土器の製作者や製作地が異なる可能性が高いことは胎土の検討から筆者が指摘している(西田 1998)。もし土器の変化の原因を嫁入り婚による他系統の技法や紋様の流入とするならば、なぜより多く作られたはずの、しかも規制の厳しい必要がないはずの粗製土器に変化が乏しいのか、そして明らかに粗製土器の方が地域性が強いとされることの説明ができない。土器製作システムが現在の想定と異なっていたならば型式論自体も大きく再構築しなければならなくなるであろう。このように精製土器と粗製土器の分化の問題は縄文時代研究全体にとっても大きな課題なのである。

 その再検討の基礎となる視点の一つは用途論である。だが、器形からの類推にもとずく常識的な用途論は有意義ではなく、遺物観察に基づいた使用痕の研究がもっと進められなければならない。



使用痕について

 祇園原貝塚出土の縄文土器表面には粗製、精製を問わずススや炭化物の付着がほとんど見られない。その原因はさだかでない。器面自体の状態は良好であり、摩耗のために付着物が残っていないというわけではないし、全く未使用で土器が破棄されているわけでもなさそうである。たとえば深鉢の器面をよく観察すると胴下半部外面に帯状に赤変や器面の荒れが認められる。実験で確かめたわけではないのであるが、部位から見て加熱の痕跡と見て差し支えないであろう。観察ではこのほか口縁部、底部、内面の状態を記録した。口縁部についてはスレの有無を見た。たとえば伏せた状態で繰り返しおかれたならば、そのためのスレが生じるはずである。また器具との接触も起こりやすい部位である。底部も同様に繰り返し据える動作を繰り返すことによって摩耗が生じやすい。ことに使用の頻度を反映する部分と見て良いであろう。内面の状態は内容物と器具に関わる痕跡を示す可能性がある。

 本来ならば、こうした観察データは1個体について各部分の記録が揃わなければ考察の材料とすることができない。しかし膨大な量の出土土器に対して整理期間が限られたため、包含層出土の土器については十分な接合作業が行うことができなかった。したがって表に見るように口縁部から底部までのデータが取れた個体はごく一部である。GN113号住居についてはほぼ全ての土器をチェックしたが、包含層の土器については粗製土器の大型破片を中心にデータをとることで対応せざるをえなかった。



観察結果

 結果を一覧表に示す()。特筆すべきなのは内面に著しい剥離がある個体である(写真)。単なる器面の劣化とは考えられないのは表面に劣化が認められないこと、ある程度部位が定まっていて、時には帯状に剥離が集中することからである。接合には固定のために布テープが使用されていたので、当初はそのためかとも考えたが、接合部位と剥離部位が一致せず、そもそも接合のない個体にも認められたので使用痕と判断した。興味深いのはこの剥離のある土器にはほとんど加熱痕が認められないことで、むしろ内面剥離と外面加熱痕は排他的な関係にある。フィリピン・カリンガでの観察をもとに熱せられた土器内の水蒸気が土器外へ逃れるときに器面のハジケを起こすことが指摘されているが(Skibo 1992)、この事例はそのような原因によるものではないことになる。また内面剥離の目立つ土器のうち底部の残るものでは、底部側縁が摩滅している個体がある(写真)。このことからすると、土器内面に物理的な力が加わり、剥離が生じたと考えることができるのではないか。さらに加熱痕がないことから調理中の器具のかき回しが原因なのではなく、土器の内容物をすりつぶすような行為を想定してもよさそうである。粗製土器だけに見られるのではないことは注意する必要がある。ただ問題なのはこのような剥離痕がある土器がどこにでもあるわけではないらしいことで、土器の一般的な使用痕と考えて良いか確言できない。また斑状に剥離が見られる個体と帯状の剥離が見られる個体があり、使用程度の差であるのか、使用方法の差であるのか今後検討の余地がある。

 もう一つ注意を引いたのは口縁上端から数センチ下の内面に器面の荒れがある個体が複数見られたことである。平滑に仕上げられた内面がほぼ一定の高さから下の部分で変色したり、ざらついたりする。特に斜格子目文の土器に多い傾向が見られた。これも実験を行っていないので想像でしかないが、内容物に関わる使用痕と想定できそうである。単に煮沸を繰り返しただけでこのような変化が生じるのか、あるいは内容物の成分が作用するのか興味深い。なお内面のよごれを砂で落とした場合にも器面に劣化が生じる可能性はある。

 また安行期のひさご形の土器の口縁端内側がすれている個体が目立った(D3-92,98など、写真4)。頂部ではなく内側部分が摩耗していることから、伏せた状態で据えたための摩耗ではない。また全周に及ぶことを考慮すると、内容物を何らかの器具で繰り返しかき混ぜた行為を行ったものであろう。あるいは柄杓のような器具が常時入れてあり、それが長期間使われることで全周に摩耗が及んだのかも知れない。他の容器などを入れ子にして重ねた可能性もあるが、そうならばもう少し接触面が小さいように思われる。



まとめにかえて

 この報告では、気のついた数点についてのみ指摘した。使用痕自体の記述はこれまでも報告書上で行われており、近年弥生土器については小林正史氏がデータを蓄積している(小林 1993など)。これまで縄文土器については、すすや炭化物の付着に注意は払われており、加熱に関する阿部芳郎氏の論考もあるが(阿部 1995)、その他の使用痕跡を含めて使用の程度の基準や各部位の使用痕の関係、どのような場面でどの土器が使われているか、また一括出土としてまとめられる土器それぞれの使用痕に差が見られるのかといった視点の用途論研究はあまり実施されていない。1個体の土器が複数の用途に使われることが少なくなかったり、遺跡の立地条件などにより土器の遺存状態が一定でないという困難はあるが、使用実験を繰り返し、使用痕の記述についての基準を示すことができるようになれば、用途論に寄与できるデータが蓄積されるであろう。その中で縄文土器の器形の多様性についてもまた新たな見通しが生まれるものと考えられる。



阿部芳郎 1995 「土器焼きの火・料理の火 縄文土器にみられる使用痕跡と器体の劣化構造」 考古学研究42-3 75-97頁

小林正史 1993 「土器の使用痕について」 石川県立埋蔵文化財センター編 『野本遺跡』 85-125頁

西田泰民 1998 「虫内I遺跡出土縄文土器・土製品の胎土」、榮一郎他『虫内I遺跡 本文編

−東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書XXIII−』  秋田県文化財調査報告書第274集 238−256頁

Skibo J.M., 1992 Pottery Function, Plenum Press

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