● 南大菩薩連嶺にロン!  1998.12.14 記● 森永チョコボールその後 他  1998.12.23 記
● 新しい登山靴  1998.12.28 記
● 3つの雁ヶ腹摺山 他  1998.12.31 記
● 今年の登山  1999.01.06 記
● 風邪でダウン  1999.01.11 記
前回の山の雑記帳にて公言させて頂いた通り、先週の土曜日に南大菩薩連嶺に行って来た。
天候も快晴と言ってよく、それ程寒い訳でもなかったから、登山としては最高のコンディションであったのだが、 結論から言うと 何となく不完全燃焼だった気がする。
コースは久々に鉄道を使ってのアプローチを行い、中央本線笹子駅から歩き始めて大鹿沢沿いを登り、滝子山の頂上を踏んでから 南大菩薩連嶺縦走路を北へと進み、 大谷ヶ丸、 破魔射場丸、 大蔵高丸から湯ノ沢峠を経て、 甲斐大泉駅まで戻ってくるというものである。
不完全燃焼だった原因はいろいろあるが、1つは期待していた奥秩父の明るい草原に出会えなかったこと、もう1つは 縦走路中にハッとさせられるようなハイライトがなかったこと、 そして最後は自身の体調があまりよくなかったことである。
この広々とした草原については、例えば小金沢連嶺にある狼平や、牛奥ノ雁ヶ腹摺山の賽ノ河原 (雁ヶ腹摺原) などのような、 これぞ奥秩父という雰囲気を見せる 明るい草原を期待していたのだが、 一応カヤトの原は広がっていたもの、 それらは皆手入れの悪い庭のようにボサボサとした感じで、 私の抱いていたイメージとは全く異なっており、 失望を禁じ得ない状況だったのである。
縦走路中のハイライトについて言えば、体力的にキツイコースを歩くことで肉体的な充実感を得るとともに、 上記の草原や 頂上からの景色、 普段見られないような自然の造形など、 目の保養というか 精神的充実感を求めていたのであるが、 何となく淡々と歩くだけに終わってしまい、 心ときめくものがなかったということなのである。
特に、このコースから得られる景色の中で主役とも言える富士山は、1日中雲に覆われており、滝子山でわずかに その頂上を覗かせてくれただけであった。
しかし、富士山は見えなくとも、何かキラリと光るものがあればそれはそれで良いのだが、後に述べる体調不良も手伝ってか、 どうも心に訴えてくるものがなく、 ただくたびれただけという感じなのである。
それに輪をかけたのが、最後の湯ノ沢峠から甲斐大泉駅までの歩きで、前回小金沢連嶺を登った時に犯した、 湯ノ沢峠からの下山道が分からずに 延々と遠回りの林道歩きを強いられたことに対する雪辱 ? は今回果たしたものの、 それでもかなり距離のある林道・車道歩きに辟易させられたのであった。
体調について言えば、この週は夜更かしが続いており、また風邪気味だったこともあって万全とは言えず、さらに尾籠な話であるが、 便意がずうっとつきまとっていたのがまずかったのである。
いつかは山での大キジの話を書きたいと思っているのだが、どうもテーマがテーマだけに気が進まず、今回も簡単に止めておくと (いつかは書かせて貰いたいと思います)、 この日は風邪からくるのか、 膨満感を伴いながらの歩きとなっており、 しかも途中、 幾度となく便意をもよおすようになって、 ルートからはずれて用を足してしまおうかと何回も思う状態であった。
しかし、私の場合、生来のものぐさなのか、よほど切羽詰まらないとルートからはずれて藪の中に駆け込むことに面倒臭さ・億劫さを覚えてしまうのであり (とはいってもこれまで何回もやっていますが・・・)、 従って今回もだましだましして、 結局用を足したのが湯ノ沢峠からの下山途中、 大和村のレジャーセンター・キャンプ場のトイレであった。
そういう意味では、縦走中はずうっと我慢していた状態で、景色などに心ときめかなかったというのも少々集中力を欠いていたからかもしれない。
ところで、 以前にこの雑記帳で、 このごろはあまり転ばなくなったと書いたことがあるが、 今回見事に2回も転んでしまった。
それも、ただ滑ったというのではなく、1回は顔から落ち、もう1回は見事柔道の出足払いをかけられたように空中に浮いてしまったのである。
どちらも全く怪我には至らず、 事なきを得たが、 何とも情けない話である。顔を打ったのは、日が当たり霜どけでぬかるんだ斜面を登っている時で、倒木が遮断機のように道を塞いでいたため、 腰をかがめて倒木の下をくぐろうとした際、 普通なら地面に手をついてバランスをとるところを、 手を汚したくなかったために 道の両側にある木を左右の手で掴んだことによって起こったのであった。
腰をかがめようとした途端、 肝腎の足の方がスリップし、 アッと思う間もなく両手を軸に回転してしまい、 ぬかるんだ斜面に 顔から突っ込む羽目に陥ったのであった。怪我はなかったものの顔は無論泥だらけで、慌てて水筒の水で顔を洗ったが、これまでの10年に登る登山歴の中で、 このような経験はなく、 周囲に誰もいないにも拘わらず赤面してしまった次第である。
もう一つは、大蔵高丸の北側の下り斜面でのことで、先ほどとは逆にこちらは日が当たらない場所であるため先日の雪が凍っており、 右足をついた途端にツルッと滑って空中を飛び、 最後は柔道の受け身のような形で半身になりながら 地面に落ちたのであった。
空中にいた時間などはほんの僅かなのであるが、明らかに空中にいることを感じることができ、 その瞬間にドスンと落ちたのである。
全面的に凍っていたわけではないので、着地した後滑り落ちることはなかったのだが、一瞬肝を冷やしたのであった。
今回のこの2回のスリップは、もちろん自分の不注意が原因であることは間違いないのであるが、履いていた靴がソールの摩耗の激しい マインドル・ラーサであったことから、 これは新しい靴を買え、 あるいはソールを貼り替えろ というシグナルではないか と思った次第である。
ということで、 今回は色々な不満が溜まり、 あまり満足できる山行ではなかった。
題名通り南大菩薩連嶺にロンをしたものの、 裏ドラおろか表ドラものらず、 ただリーチのみで上がってしまったといったところか ?
詳しくは 近日中にアップする登山記録の方をご覧頂きたい。
でも、 これでこれまで湯ノ沢峠で切れていたルートがつながり、 大菩薩嶺登山口である裂石から上日川峠を経て小金沢連嶺、 そして湯ノ川峠から南大菩薩嶺と続いて滝子山で終え、 中央線沿線に至る縦走路を踏破したことになったのは嬉しいことである。
年も押し詰まってくると何かと慌ただしく、また一方で忘年会などといった行事もあって、この時期ホームページを更新するのは なかなか難しいところがある。 そこで、 たわいもない話を少し。
前にこの山の雑記帳で書いた、森永チョコボールで金・銀のエンゼルマークを当てておもちゃのカンヅメをもらうという件は、 その後の3回の山行 ( 権現岳・編笠山、 唐松尾山・笠取山、 南大菩薩 ) で合計7箱のチョコボールを食する機会を得、 1箱だけ銀のエンゼルマークが付いたクチバシを得ることができた (この話が分からない方は、 ここをクリックして下さい)。
当たりの確率が7箱分の1箱、14.3%というのは過去の実績からみれば、上出来といったところであろう。
中でも、森永チョコボールのことを雑記帳に書いた後の最初の山、権現岳・編笠山の時は、張り切って3箱も購入したところ、 そのうちの1箱が当たり、 ホームページに話を載せた甲斐がある と一人ほくそ笑んだものである。 そして空き箱を全部家に持ち帰って、 当たった箱と 当たらなかった他の2箱との違いを研究することまでやってみた次第である。
しかし、生来それ程観察眼が鋭いわけでもないから、残念ながらほとんど違いを見つけることができなかったのだが、 1つだけ気が付いたのが、 箱の上部をぐるりと巻いている焦げ茶色の印刷部分の色が 微妙に違うということである。 当たった箱は焦げ茶色がやや濃かったということなのである。
確か、3箱とも1つのカートンから取り出して購入したことから、印刷会社が違うということも考えにくく、 「これが決め手」 と喜んだ訳であるが、 良く考えたらチョット問題がある。
私は家のそばのコンビニで仕入れることが多いのだが、店先でいちいちチョコボールの箱を吟味することなどできないではないか !!
昨今の毒入り飲料水や針の入ったパンなどの問題が起こっている中、中年男がチョコボールのある陳列棚の前で 1つ1つチョコボールの箱を手にとって調べ、 基準に適わない色の箱は また陳列棚へ戻すという行為を行うことは 大変問題がある。
店の人に怪しいと思われ、またビデオに撮られていることも間違いないのであるから、万が一その店で毒入りの商品が見つかったりしたら、 真っ先に疑われるのは私ということになるわけである。
気の小さい私としては、そんなことを想像するだけで選別する気が失せてしまう訳で、仕方がないので、 当たりを意識しない方が当たるのだ、 無の境地が必要だ などと屁理屈をつけて、 努めて無造作に買い物かごに入れることをやっている (そう考えること自体が意識しているということなのだが・・・)。
しかし前回の山行の時は、やはり1度は選別してみたいと考え、一遍に5箱のチョコボールを鷲掴みした上でサッと5箱のサイド部分を一瞥して色を比較し、 中から色が濃いように見える2箱を選んでみたのであった。
しかし何と言うことか、 慌てていたため箱の色の見方を間違ったのか、 あるいはもともと私の立てた 『印刷の色が濃いことが決め手』 という理論 ? が間違っていたのか、 2箱ともハズレという結果に終わってしまったのである。まあよく考えたら、そんなに簡単に見分けがつくのであれば、とっくに人口に膾炙 (かいしゃ) しているに違いない訳で、 私の理論 ? が間違っているという公算が大きい。
と、思いながらこの文を書くために、2箱購入してみたところ、 1箱が当たりであった。
2箱を比べてみると、 色の違いは全くなく、 私の理論がいい加減なものであることが証明された訳で、 結局、 無の心で何気なく選んだ方が当たるのかもしれない。
もう1つたわいもない話を。
登山用具で今気になっているのが、 何回かこの雑記帳で述べている登山靴の買い換えである。一時は、今のマインドルラーサのソール貼り替えということに決めたのであったが、今のラーサの外見は周囲に貼ってある皮のはがれが進み、 ますますみすぼらしくなってしまっていることから、 結局貼り替えはあきらめて 新しい軽登山靴を買うことにしたのである。
そう決心したところで、はたと気づいたのが登山靴に関する情報が全くないということである。
4年ほど前までは、 登山雑誌である 『山と渓谷』 を毎月購入していたから、 それとなく人気のある靴や 機能性の高い靴の情報を入手できていたのであるが、 今は全く分からない。それではと、インターネットにご登場願ったものの、パソコンパーツの通信販売情報に比べて登山用具の通信販売はまだまだ発展途上 といった形で、 『さかいや』 くらいしか見つからないのである。
無論、登山用具店のホームページはいくつか見受けられるのであるが、商品のカタログを載せている店は皆無に近い (私が知らないだけかも)。
結局店に出向いて店員と相談するしかないと納得したのだけれど、店によっては特定の靴メーカのものしか置いていないことも多いため、 やはり事前の情報は欲しいものである。
本屋で立ち読みでもして情報を入手しようかと思っている。ところで、 インターネット全盛期にも拘わらず、 何故登山店は ホームページを使ったオンラインショッピングに力を入れていないのであろうか。
もちろん、靴などのように履いてみなければ分からないというものもあるし、ウェアなどもサイズだけで選ぶのは危険な感じがあるが、 実際各店では立派なカタログを発行し、 通信販売を受け付けているのであるから、 「身につけてみて」 ということがオンラインショッピングを阻害している要因とは思えない。
無論、パソコンを持っていて、インターネットをやっており、しかも登山が好きで、オンラインショッピングに抵抗がない という人は極端に少なくて、 その数はパソコン自作派の比ではなく、 あまり商売にならないということなのかもしれない。 しかし何となく不可解である。 そう言えば、各店、ホームページもようやくといった感があり、これから目が向くといった状況なのかもしれない。
思い立った時にすぐ行動、というわけで登山靴を購入してしまった。
結局、どういう靴が良いかということも良く調べないまま、京浜東北線の鶴見にあるIBS石井スポーツに買いに行ったのだが、 案の定、 IBS石井スポーツの品揃えは、 オリジナルのIBS製重登山靴の他にはRaichle社、 お馴染みのZamberlan社、 Garmont社、 Dolomite社等に限られており、 選択の幅はかなり小さいものであった。
従って、迷うこともほとんどなく購入したのがRaichle社のマウンテントレッカーで、価格は30,600円、 この時期にこの出費は痛いのだが、 ソールの貼り替えも可能であるし、 1年間の保証も付いている ということだったので良しとしたい。
このRaichle社というのは100年近い歴史を持つスイスの登山靴メーカで、堅牢な製造法と皮革の吟味 (スイスガルサー社の天然皮革 等) で有名なメーカであるが、 この靴はどうであろうか (ちなみに、このマウンテントレッカーはハンガリー製でした)。
重量は、両足で1.8kgほど、前のMeindl社ラーサが1.6kgほどであったから、やや重くなったわけであるが、 履いた感じはそれほど変わらない気がする。
アッパーはヌバックレザーで、インナーにはゴアテックスを使用しており、ソールはビブラム社製、そしてソールのブロックパターンは どうやらオリジナルパターンのようである。
早速デビューの時期を考えねばならないのだが、今年一杯はラーサを使用して (今年中にあと1回は山に行きたいと思っている)、 このマウンテントレッカーのデビューは 1999年初頭ということにしたいと思っている。 どの山をデビューに当てるかを考えると結構楽しい。
ところで、 登山靴のソールについて昔些か勉強 ? した覚えがあるので、 もう薄れかけた記憶の中から少し蘊蓄を (うんちく) を傾けてみたい。
昔は登山靴の底には鋲が打たれており、その鋲にもクリンカーとかムガー、トリコニーなどといった種類があって、 先の2つが縦走用、 トリコニーは岩場登攀用ということであったらしい。
しかし、鋲は鉄製のために冬場は足が冷えることになり、何と言っても重いのが欠点であったのだが、その鋲打ち登山靴の世界に革命をもたらしたのが、 今もお世話になっている合成ゴム底の出現で、 その代表的なものがビブラム・ソールである。
このビブラム・ソールは、1935年にイタリアの登山家ビタレ・ブルマニ (あるいはブラマン) が考案したもので、 その画期的な性能の良さと、 軽さ、 断熱効果などで、 アッという間に世界中を席巻したのであった。
このビブラム・ソールも色々な種類があり、私が登山を始めた当時は、軽登山靴ではロッチャービブラム、重登山靴はモンタニアビブラム といった組み合わせが主流だった気がするが、 今はどうなのだろうか。
ちなみに、今私が持っている軽登山靴では、Zamberlan社イサルコがロッチャービブラム、ラーサがビブラム・スーパーマルチグリップ、 HI−TEC社ニューPCTがHI−TEC社オリジナルソール、 そして今度のマウンテントレッカーもビブラム社製のソールだが 名前は分からない。
ソールのブロック・パターンは、モンタニアビブラムやロッチャービブラムのように、昔の鋲打ち靴 (ナーゲル) の鋲の配列をまねたものが多いのであるが、 徐々に シューズメーカ各社がオリジナル・パターンを出し始めるようになり、 またビブラム社と共同開発するとしても オリジナルのブロック・パターンを出すようになるなどして、 結構個性に富んだものが出てきているようである。
よく登山道で泥濘 (ぬかるみ) や砂地、そして雪の上に人の足跡が残っている時があるが、いわゆるモンタニア (あるいはロッチャー) ビブラムタイプ以外のパターンを見つけると、 今でも興味を惹かれてしまう。
結構ユニークなブロック・パターンも見られのだが、 それが何という登山靴なのかはいつも分からず終いである。 しかし、 そうしたユニークなブロック・パターンが、 登っていく道のそこかしこで見られるようになると、 不思議と親近感が湧くようになるし、 一方で負けないぞ という対抗意識も出てくるから不思議である。私も、今まではラーサのスーパーマルチグリップの水玉模様 (ソールの中央部分に楕円形がいくつも並べられている) にて多くの山に足跡を残してきたのだが、 今度からはマウンテントレッカーの算盤 (そろばん) 模様 (ソールの中央部分に菱形が並べられており、 その菱形が上下に割れている) にて多くの足跡を残していきたいと思う。
来年は、 今年雨で登頂を断念した南アルプス聖岳頂上を 是非とも踏ませてやりたいものである。
全然話は変わるが、新年に向けて部屋を掃除していたら、森永チョコボールの銀のくちばしを5枚当てて入手した 「おもちゃのカンヅメ」 にだけ付いてくるキャラメル缶の応募用紙が見つかった。
随分前に入手した 「おもちゃのカンヅメ」 の中に入っていたのをすっかり忘れていたものらしいのであるが、 前にも書いたように 金のくちばしなら1枚、 銀のくちばしなら3枚をこの応募用紙に添付して送れば、 キャラメル缶 (噂ではオルゴールらしい) がもらえるのである。
応募締め切りを見ると、平成10年12月31日 (当日消印有効) ということだったので、貯めていた銀のくちばしを 慌てて貼り付けて送った次第である。
どんなものが届くかは 来てのお楽しみであるが、 一方で、 この歳になって こんなことに結構夢中になっている自分が情けない。
| この1年間、Tagawa's Homepage をご覧頂きましてありがとうございました。 来年も、本年に引き続き宜しくお願い申し上げます。 |
12月28日(月)、今年最後の登山と銘打って山に登ってきた。
私の場合、 昔からの癖で、ある山域に行くとそこに立て続けに行くことが結構多いのだが、 今回も例外ではなく、 登ったのは前回の南大菩薩に続いて中央本線笹子駅近辺の山域であった。登山コースは笹子駅から笹子雁ヶ腹摺山に登り、そのまま尾根伝いに米沢山、お坊山、大鹿峠、大鹿山、曲沢峠へと ガイドブックに紹介されているコースを縦走した後、 本来ガイドブックの紹介ではこの曲沢峠から笹子駅への下山となっているところを、 これまたいつもの悪い癖 ? が出て、 つい曲沢峠から滝子山まで足を延ばしてしまい、 最後は滝子山から初狩駅へと下ったのであった。
さすがに距離は長く、最後は足が棒のようになってしまったが、今年最後の登山ということで些か気負いがあったのかもしれない。 山バカというか、 モノ好きというか、 自分でもあきれてしまう。
この登山については、近いうちに登山記をUPするつもりなので、詳細はそちらをお読み頂きたい。
ところで、今回の山行によってささやかではあるが2つ程達成したことがある。
1つは、 今回の笹子雁ヶ腹摺山に登ったことで この近辺にある3つの 「雁ヶ腹摺山」 と名の付く山 (雁ヶ腹摺山、 牛奥ノ雁ヶ腹摺山、笹子雁ヶ腹摺山) は全て登ったことになり、 何となく心に引っかかっていたものがとれたということである。私がこの 「雁ヶ腹摺山」 という名を知ったのは、例の 「アルペンガイド別冊 東京周辺の山」 に 「金山鉱泉から雁ヶ腹摺山」 のコースが紹介されていたからで、 さらに 「旧500円札の裏に描かれた富士山の絵は、 雁ヶ腹摺山から撮影した富士山の写真 (昭和17年11月3日とのこと) を元にしたものである」 という情報が大変印象に残り、 いつか登りたいものだと思っていたのであった。
しかし一番初めに登ったのはこの雁ヶ腹摺山の方ではなく牛奥ノ雁ヶ腹摺山で、小金沢連嶺の縦走路途中に通過したものであり、 この時地図を眺めて、 「雁ヶ腹摺山」 と名の付く山がこの山域に3つあることを知ったのであった。
そして、憧れの雁ヶ腹摺山の方はそれから約1年後にようやく登ることができたのだが、この時は曇り空だったため 富士山が逆光にならず、 頂上から500円札の構図に似た 一応それらしい富士山の姿を見ることができたので、 大変ラッキーであった。
こうなると、笹子雁ヶ腹摺山も登って3つの 「雁ヶ腹摺山」 を登ってしまいたいと思うのは当然のことで、 最後の笹子雁ヶ腹摺山の登山を計画しようとしたのだが、 当時の昭文社の地図 (1991年発行) では 笹子雁ヶ腹摺山への登山路は破線の難路で表示されていたため、 どうも登る気になれず、 そうこうしているうちに宮崎へ転勤となってしまい、 このことはスッカリ頭から離れていたのであった。
しかし、前回南大菩薩を登ったことでこのことを思い出し、加えて笹子雁ヶ腹摺山への登山道は完全に整備されていることが分かったので、 ようやく今回登ることができたという次第である。
ところで、 この 「雁ヶ腹摺山」 というのは大変ユニークな名前だと思うが、 読んで字のごとく 雁の群がその腹を山に摺る位にして飛んでいく様子を思い起こさせてくれて大変楽しい。
そして、地図を広げてよく見てみると、この3つの 「雁ヶ腹摺山」 の他に、さらに北の方には雁峠があり、さらにその北西には雁坂峠、 雁坂嶺そして雁道場 (岩道場) と続き、 さらに両神山の西には雁掛峠なる名も見られることから、 この辺は雁が飛翔するコースとなっていることが良く分かる。
また昭文社の地図に付いていた解説書によれば、かつて大菩薩連嶺だけでも雁鴨に関連して名付けられたと思われる山名、 峠名などが8つあったそうで、 それからもこの辺が雁の飛翔コースであることが良く分かるのである (但し、今も一般的に名が残っているのは3、4つ程ということである)。
こうしてみると山名、地名の付け方というのは結構単純だということが分かるが、それにしても 「雁ヶ腹摺り」 とは直截的な名前を付けているもので、 秋に北の空から飛来し、 春には再び北へと帰っていく雁の群が 大菩薩嶺、小金沢連嶺、 南大菩薩の山並みの上を飛ぶ姿が目に浮かぶようである。
もう1つのささやかな達成事というのは、 大菩薩嶺、小金沢連嶺、南大菩薩とつながったこの山域も、 今回の山行で一応全部踏破したことになったということである。
さらに、以前富士急行の三ツ峠駅から三ツ峠山に登り、そこから清八峠を経由して笹子駅まで下ったことがあるから、 コースの順逆はあるものの、 一応塩山駅 (昔、大菩薩嶺下山後、登山口の裂石から塩山駅まで歩いてしまった) から三ツ峠駅まで歩いたことになる訳で、 さらにいつか三ツ峠山から天下茶屋方面に下ることがあれば、 黒岳・御坂山とも繋がり、 バラバラだった私の登山のルートが 徐々に繋がり出すことになる。 これも登山の新たな楽しみになるような気がするわけで、 今後ルート選びはその視点からも考えていきたいと思う。
話は全く変わるが、 この南大菩薩の山域には、山の名前に 「○○山」 とか 「○○岳」 という代わりに 「○○丸」 というものが多い。
西丹沢方面にも桧洞丸 (但し、甲州側の呼称は 「青ヶ岳」) や畦ヶ丸といった山も見られ、西丹沢近辺から南大菩薩近辺にかけて 「山」 を 「丸」 と呼ぶ場合があるということが分かるのであるが、 かといって全体が 「丸」 で統一されている訳でもなく、「山」 と混在していることが不思議である。
その区分はどうやって行われていたのかを知りたい気がする。このように 、山に登るだけでなく、こういった山の名の由来とか、 地域独特の山の呼び方 (例えばこの 「丸」 や、「山」 を 「せん」 と呼ぶことなど) も勉強すると、 一層登山が楽しくなる気がする。
昨年1998年は、山行回数19回 (八幡平、蔵王をそれぞれ1回とカウント。 以下同じ)、そのうち登った百名山は 7座であった。
1年に60座以上の山に登っておられる方もおられる中で、とても誇れる山行数ではないのだが、 それぞれ1日たっぷり時間を使った山が多く、 充実度はかなり高いと思っている。
そしてこの記録によって、昨年1月の山の雑記帳で立てた 「1ヶ月に1回は山に登る」 という誓い ? は、月によるバラツキはあったものの 年間トータルすれば一応守ることができたし、 また、 百名山の方も一昨年の百名山3座 (大台ヶ原、仙丈岳、浅間山) といったテイタラクに比べれば 格段の成績を残した訳で、 段々自宅近くに未踏の百名山がなくなりつつある現状を考えれば、 及第点を付けても良いと思う。
また、19回の山行のうち、初めてとなる山 (山域) への山行は15回に上ることから、「極力新規の山に登る」 という誓いもほぼ守られたと言って良い。
さらに3月の山の雑記帳の中で、1998年に登りたい百名山として 光岳、聖岳、巻機山、御嶽、荒島岳、至仏山、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳、蔵王、焼岳、乗鞍岳 の11座を掲げたのであるが、 このうち荒島岳、光岳、巻機山、至仏山、御嶽、蔵王 の6座と、 このリスト以外の山として八幡平に登ることができたので、 幻に終わった聖岳のことも加味すれば、 公約達成率もまあまあの成績といったところであろう。 しかし、問題は今年 (というより今年以降) である。
上に挙げた11座の残り 聖岳、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳、焼岳、乗鞍岳 は当然のこととしても、 これらの山々に要する日程を考えれば、 あとシーズン中に登れそうな山としては鳥海山、 月山くらいしかなく、 それもギリギリのところで登れるかどうかといった状況である。一番心配なのは、いつも1座以上の新たな百名山に登っていた5月のゴールデンウィークに、私の技量で単独で登れる山が年々少なくなってきているということで、 今年以降は残雪の量と天候次第では、 新規の百名山に挑むのは無理かもしれない などと弱気なことを考えている。
しかし、一応努力して今年はここに掲げた7座全てに登るよう努力をしたいと思っているし、 特に昨年天候不順でひどい目に遭い、 光岳のみのピストン登山に終わってしまった南アルプスの 光岳 − 聖岳縦走計画の雪辱を果たすために、 本年は聖岳だけは是非とも登らねばならないと考えている。 また、時間が許せば光岳再訪を含めた縦走も果たしたい。
そして考えようによっては、あとの6座は 乗鞍岳・焼岳、会津駒ヶ岳・燧ヶ岳、鳥海山・月山 といった具合に、 それぞれペアにして登ることが可能であることから、 日程と天候とがうまいこと合ってくれれば、 何とかなるという希望も見えてくる。 是非とも頑張りたい。
ところで、 うまく日程が組めてこれらの山を登り終えてしまったら、 その次の年からは大変厳しい状況になる。
年が明けたばかりなのにもう来年のことを言ったら鬼が笑うが、白山、平ヶ岳、奥穂高岳、朝日連峰、飯豊連峰、吾妻連峰、 そして北海道の9座といったラインナップは、 その麓までの行程の長さと山自体の大きさから、 1年のうちに幾つも登ることは大変難しい。
個人的には、早く定年退職の年齢に達して自由の身になりたい、などと不届きなことを考えているのだが、その年齢に達するまでには 15年もあり、 さらに養う家族もいるのであるから、 今は月1回のペースの中で地道に数を稼いで行かねばならない。
しかし、登るペースは落ちても、時刻表を睨みながら ウルトラD級 の登り方を発見するのも楽しいもので、何とか安い費用、 短い時間で登るようにしていきたいものである。
おっと、それより今年登ろうとする7座が先であった。 捕らぬ狸の皮算用では仕方がない訳で、 極力ヒマを作り、 家族の協力を得て、 まずは今年100%の目標達成率を目指したい。
また、百名山ばかりに眼がいってしまうのも問題である。
まだまだ隠れた名山は沢山あるのであり、 できるだけ多くの山に登るようにしたい。といっても、百名山のような、高い運賃を払って遠いところまで足を伸ばすとか、宿泊を伴うような日程を組むような動機付けを、 これらの山に期待することできないことから、 登るのはもっぱら日帰り専門の近隣の山となろう。
それでも隠れたる名山は数多くあるはずで、 奥秩父、丹沢、南アルプス北部、八ヶ岳、奥日光、北関東など をテリトリとして、 名山探しにも頑張りたいと思う。それに、昨年行動範囲を大きく拡げてくれることになったマイカー登山を今年も大いに利用したいと思うし、当然、 今年も一度登った山はできるだけ避け、 初めての山頂を踏むことをモットーに登るようにしたいものである。
とにかく、昨年と同じかそれ以上のペースで山を楽しみたいものである。
長期の正月休みが終わり、1月5日に出社。
その前の日からノドが痛かったのだが、 5日の夜には 声が全く変わってしまう位にノドが腫れて熱も出てダウン、 翌日には全く声が出ない状況となってしまった。その結果、何と6日から8日までの3日間会社を休む羽目になってしまい、結局土日を入れて5連休という形を作ってしまうという、 新年早々情けない状況になっている。
この間、ホームページ更新はおろか、パソコンに触ることさえできなかったので、この期間中にメールを送って頂いた方には 返事も差し上げられず申し訳ないことをしているが、 ご容赦頂きたい。
ところで、3日も続けて会社を休むというのは、記憶では1985年以来のことで、正月休みにおける不摂生が祟ったと 大いに反省している次第であるが、 女房には 「いつでも休もうと思えば休めるのではないか」 という、 冗談とも本気ともつかぬ一言を貰っている。
そう、「病気」 という大義名分があれば、自己の健康管理失格という目で見られることはあったとしても、会社を3日間も休むことに それ程罪悪感を感じずに済むのであるが、 これが 「家族との旅行」 とか 「山行」 などといったレクリエーションを中心とした理由では なかなか長期休暇を取りにくい。
決して会社が、あるいは上司が休むことを 「NO」 と言っている訳ではないのだが、その職場などの雰囲気によって なかなか取りにくい場合もあるし、 自分の中に何か躊躇 (ためら) わせるものがあることは間違いなく、 それだけ私が古いタイプの人間である ということを示しているのかもしれない。
無論、事前に3日の休暇を願い出るのと、1日1日病状に応じてその日の休みを願い出て、結果として合計3日の休みになる場合とでは 全く状況は違うのだが、 事前に休みを取る場合には会議があったり、 仕事の期限などを考えてどうしても休みを短めに申告してしまう。
病気の場合であれば、他の人にも 「しょうがないな」 と納得してもらえるという甘えがあるのか、仕事に対する多少の焦りはあっても、 結果としての3日間休みは何となく許してしまうことになる。
しかし、3日間休むという事実は変わらないのだから、本来は何も遠慮せずに堂々と休みを申請すれば良いのである。
こんなことを書くと、 欧米並に休暇の取り方が進んでいる会社の人には笑われてしまうであろうし、 仕事に生き甲斐を見出している人にも軽蔑されかねないが、 多くのサラリーマンは 同じ様な境遇にいるのではないだろうか。毎年年休をほとんど消化せずにいる中で、1回くらい5日とか10日といった長期の休みを取ってみたいと思っているのだけれど (考えることがせこく、 1ヶ月の休みを取るなどという発想は考えつきもしない)、 せいぜい1日の休みを小出しに取るか、 長くても2日ぐらいしか休みを取らない という状況がこれからも続くことになるのだろう。
今後、百名山も遠い地域の山が多くなってくることから、是非とも年休という補助が必要になってくるのだが、 一方で家族をないがしろにして 自分だけのために年休を使うというのも問題で、 適度に両方のバランスを保ちながら、 年間の年休取得率を 密かに上げていくことを実行していくしかない ・・・ などと布団の中でたわけたことを考えているばかりであった。
しかしそれにしても、 今回の風邪ひきは私にとってもかなりショックで、 山へ行った時だけハードに身体をいじめても、 1ヶ月に1回程の山行では身体を丈夫にするという効果も怪しく、 やはり毎日あるいは2、3日に1度位は軽いジョギングなどをして、 普段から継続的に身体を鍛えておく必要があることを 痛感した出来事であった。
話は変わるが、私が風邪で寝込んでいる間に冬の低気圧は各地に大雪を降らせたようで、東北、北陸地方は無論のこと、 東海地方や関東北部にもその範囲を拡げており、 恐らく近頃私が集中して登っている奥秩父 ・ 大菩薩近辺の山にもかなり雪が積もったことであろう。
それはそれでまた楽しいのだが、折角購入した軽登山靴のデビューが雪と泥の山になるのは少々忍びない気がするし、 またあまりに降雪量が多いと 軽登山靴のデビューには向かないことになって、 少々焦り気味である。
とは言っても、 山に行けるように早く身体を本調子に戻すことが重要なのだが・・・。