● 晴天時の登山  2002.11.04 記● 復活のご報告  2002.08.12 記
本当に長い間のご無沙汰でした。
この間、全く更新されぬ状況に苛立ちを覚えつつも、 我がホームページを見捨てずに訪れ続けてくれた皆々様には 心から感謝申し上げる次第である。 ありがとうございました。さて、 振り返れば昨年も今年と同様、一時期山に行く機会がなくなり、 それに伴ってこのホームページの更新がだいぶ滞ったことがあったのだったが、 今年はそれに輪をかけてひどい状況で、 何と まともな内容での更新は 5ヶ月半ぶりということになる。
この停滞の理由は、仕事が忙しかったとか色々あるのだが、何と言っても職場 (転勤) が変わったことが一番大きく、さらにそれに初めての米国出張などが加わり、 何だかんだと落ち着かない日々が続いたからなのである。
当然、 山登りは 2月の本社ヶ丸を最後に 半年ほどのブランクを生じさせたこととなり、 ようやく山登りを再開したのは、 この 7月21日のことであった。一度沈滞ムードに陥るとなかなか山登り再開のきっかけを掴むのは難しく、今回も 「梅雨明け」 という言葉と、米国シアトルで見たレイニエ山がなかったら、 まだまだ沈殿状態は続いていたことであろう。
レイニエ山は、 昔 日本からの移民者が 「タコマ富士」 と名付けたのも道理で、 真っ白な姿を雲の上に突きだし、 まさに霊峰富士を思わせるもので、 夜の7時、8時になっても明るいシアトルの空に浮かぶ姿は圧巻であった。
先日のNHK BS放送 大リーグ中継でも、 冒頭にその姿が映し出されたのでご覧になった方も多かろう。 テレビとは言えその姿を再度眺められて大変幸せな気分になったのであった。
さらに米国出張中は ポートランド、シアトル、モーゼスレイク間を飛行機で移動したのだったが、 その機内からもカスケード山脈を形成する山々を見ることができ、 その盟主ともいうべきレイニエ山の姿から目を離せない状況であった。 素晴らしいの一言である。という訳で、 ようやく山に行く余裕と、天候と、心持ちが整ったのであったが、こういう場合の行き先には困ってしまう。 久々の山と言うことで、さすがにハードなコースを辿る自信はなく、 かと言ってもう盛夏であるというのにあまり低い山は良しとしないという訳で、 結局登ったのは 「雁坂トンネル入口 − 雁坂峠 − 水晶山 − 古礼山 − 雁峠 − 笠取山 − 雁峠 − 新地平 − 雁坂トンネル入口」 という、 以前登ったルートの逆コースであった (それでも一応 2,000m級の山である)。
実は最初は金峰山、小川山でお馴染みとなった川上村経由で毛木平へ行き、そこから甲武信岳を往復するつもりだったのだが、中央高速道 笹子トンネルを抜けた途端に、 それまでの青空が嘘のように一面の曇り空に変わってしまったことに嫌気がさし、 急遽雁坂峠へと向かうことにした次第なのである。
そして、 この雁坂峠も身体の調子が良ければ前回と同じように 雁坂嶺、破風山、木賊山 (さらに調子が良ければ前回と同様甲武信岳往復を加える) を縦走して戻ってくるという目論見を抱いての変更であった。しかしである、半年間に鈍 (なま) った身体は全く言うことを聞いてくれず、結局雁坂峠に至った時点で最初に目論んだコースを辿ろうとする試みは簡単に吹っ飛び、 思案の末、 比較的楽な水晶山、古礼山を経て下山するコースを辿る という状況になってしまったのであった。
夏の登山シーズンを迎えながら、 このように予想以上に鈍っている身体は私に危機感を与えた次第で、 身体を鍛え直すべく、 翌週、中5日にて今度は八ヶ岳へと向かうことにしたのであった。
リハビリ ? が必要ということで、 慣れたコースをまた辿ることにしたのであるが、 選んだ真教寺尾根から赤岳を経て県界尾根を下るという登山も これまたひどい状況であった。
尾籠な話で恐縮だが、 寝冷えして腹の調子が悪かったこともあって なかなかペースが上がらないのに加え、 腹にはガスがたまってそのガスが腹の中で暴れまくるという状況で、 屁をこいてガスを外に出そうにも 下痢気味の腹ではもしかしたらガスだけでは済まない という可能性が考えられて、 それが怖く脂汗を流しながらの我慢の山登りだったからである。
お陰で真夏のジリジリした日差しのもとでも身体の芯は冷えた感じで、 とても夏山を楽しむどころではない状況であった。とはいえ、2週連続の山登りによって身体はかなりほぐれてきたようで、1回目の雁坂峠 − 雁峠登山では下山後数日間痛かった足腰も、この八ヶ岳登山後は ほとんど痛まず、 体内の老廃物もかなり排出されて新陳代謝 ? も進み、 身体も活性化してきたようであった。
そして、さらにそれから中5日経ったこの 8月2日(金)、ついに我が未踏の百名山の1つである加賀の 白山 に挑戦したのであった。旅程としては 8月1日、2日と年休を取り、 1日は飛行機で小松空港まで行ってそこからバスで金沢へ行き、 レンタカーを借りて金沢のホテル泊。 翌日は白山の登山口である別当出合に向かい、 登りは砂防新道、帰りは観光新道を下るという ポピュラーなコースを辿るというものである。 そしてその夜、 金沢からの夜行バスにて土曜日の朝に家に辿り着くという計画である。
しかしである、年休を取って選んだ 8月2日の白山登山であったが、よりによってその日は雨、ついていないとしか言いようがないという結果になってしまったのである。 この日を選んだのは、 週末になると車両規制が取られて 車では別当出合まで行けなくなることから平日に登る必要があったことと (そうしないと山中一泊を余儀なくされる)、 梅雨明けのこの時期が天候が落ち着いているだろうと予想されたこと、 そして事前に見た週間天気予報では この日は完全に晴れと出ていたからなのである。
しかし、飛行機の手配、ホテルの手配、レンタカーの手配を終え、出発前日の 7月31日に天気予報を再確認したところ、本当に天の悪意としか思えないように、 登山日当日だけが雨という予報に変わっていたのであった。
日帰りの山ならいくらでも柔軟に対応できるのだが、 遠くまで遠征しての登山ではどうしようもない。 よりによってこの 8月2日だけが雨 ということを知った時のショックは 筆舌に尽くし難く (少々大袈裟だが・・・)、 山登りの好きな方ならこの気持ちは分かってもらえると思う。今更計画変更はできないということで金沢へと向かい、登山前日にホテルで再度天気予報を確認したところ、やはり当日は雨となっている。しかし、 3時間毎の天気予報では 午前9時までは曇り、12時以降は雨 ということになっていたのであった。
こうなったら できるだけ早く登るしかないということで、 ホテルを午前3時45分の出発という異例の事態となった次第である。カーナビに誘導されて車を飛ばすこと 2時間余り、多くの車が止まっている別当出合の駐車場に着いたのは 5時5分、身支度を整え駐車場を出発したのが 5時11分 であった。
空は暗く一面雲に覆われており、 時間が経っても太陽は全く顔を出さない状況である。途中の別当覗という場所ではパラパラと雨が降り出し、こんなに早く雨が降るのでは話が違うと憤ったのが天に通じたのか、すぐに雨は止み、結局白山頂上である 御前峰までは雨に遭わずに済んだのであったが、 そこに至るまでほぼガスの中という状況で、 全く周囲の展望は得らなかったのである。
当然、 折角の頂上も真っ白いガスの中で、空しいことこの上ない。ただ、頂上を後に出発しようとしたその時、ほんの一瞬だけガスが消えて空の一角に青空が現れ、御前峰の真向かいにある剣ヶ峰の姿、剣ヶ峰との間にある火口跡が姿を 見ることができたのであった。 これには本当にビックリである。 天が私を哀れに思ったのか、 奇跡を起こしたとしか思えない出来事であった。
しかし、この奇跡 ? の代償も大きく、その後に突然の突風が吹き、永年親しんできた我が帽子が飛ばされ、再びガスに覆われた火口へと落ちていってしまったのである。 何とも言えない気持ちである。
御前峰を過ぎると天も約束を果たしたと思ったのか、雨が断続的に降りだし、お池巡りも雨とガスで全く展望無しの状態であった。それでもガスの中たどり着いた 大汝峰頂上では雨が止んでくれたのは、 まだツキがあると考えて良いのかもしれない。
この大汝峰を往復してしまえば後は下山するだけである。86番目の百名山を登ったということで気が緩んだのを天が見透かしたのか、下山途中で雨足はかなり強くなり、 しかも雷が鳴り出したのであった。 お池巡りもそこそこにし、 室堂への近道をとることにしたものの、 周囲に何もない原の中を雷が鳴り響く状況下で歩くのは 肝が縮む思いであった。
その後、室堂では完全に土砂降りとなり、大休憩を取らざるを得なかったのであったが、降りしきる雨と稲光、雷鳴の中を平気で下山していく人が多いのには びっくりしてしまった。 光ってから雷鳴が鳴り響くまで数秒あったので 1キロ以上遠くにあるという理解なのだろうが、 いつ何時矛先を登山者に向けるか分からない訳で、 下山をする人を眺めつつ、 呆れるやら、感心するやらであった。
しかし、帰宅後、翌日の新聞を見ると塩見岳 で落雷に遭って亡くなった方がいたとのこと、人ごとではない。私が異常に臆病なのかもしれないが、一方で 登山者が雷に対してあまりにも無頓着過ぎる気がした次第である。 落雷で命を落としてからでは遅いのである。
さて、よりによって雨の日に白山に登ることになってしまったのだが、 以上のように早起きしたのが幸いして 頂上までは雨に遭わずに済んだ次第である。 しかし、白山の雄大な景色を全く見られなかったのは残念の一言であった。 これも、今まで登山をサボっていたツケなのかもしれない。
下山時、 雨がガスを一掃して全体を見渡すことができるようになり、 弥陀ヶ原の景色を得たことがせめてもの慰めであった。イヤー、 久々に文を書いたらますます冗漫傾向が強まってしまった。 ご容赦あれ。
この白山登山記録はいずれアップするつもりである。
なお、 意外に早く下山できたので夜行バスをキャンセルし、 金沢始発の特急 「はくたか」 に乗って越後湯沢まで行き、 そこから上越新幹線でその日の内に帰宅したことを付け加えておく。
10月27日の日曜日、蓼科山 に登って来た。
おまけに、先日 (10月12日) に登った尾瀬の 至仏山 (登山記録は近日) が、大変天候に恵まれて素晴らしかったことで、展望を得られなかった山々への再登山の気持ちを ますます強くさせている。 この 至仏山 に最初に登ったのは 4年前の夏であり、 鳩待峠から小至仏山、至仏山 へと至り、 再開通したばかりの山ノ鼻コースを下って山ノ鼻へと至り、 そこから観光客に交じって鳩待峠に戻って来る というものであった。
前日の土曜日は雨、 今週も山に行けないのかと諦めかけていたところ、 天気予報で日曜日は快晴とのアナウンスがあり、 これはチャンスと、急遽山に行くことにした次第である。
行き先については、 尾瀬の 燧ヶ岳 にしようか、八ヶ岳連峰北部の 蓼科山 にしようか 散々迷ったあげく、 結局、13年ぶりの 蓼科山 に登ることに決めたのであるが、 既に登っている百名山であるにも拘わらず 今回この 2つの山を候補に挙げたのは、 どちらも登った際の天候が今一つで、 心残りだったからである (それでも、 蓼科山 の方はまあまあではあったが・・・)。
この時の天候は雨模様で、 幸い登山中は雨に遭わなかったものの、下山後は大雨が降り、 また肝心の登山の方も完全にガスに囲まれて 全く展望を得られないという状況だったのである。深田久弥氏は、その著書 「日本百名山」 の 安達太良山 の項で、「霧に包まれて眺望は得られなかったが、山頂を極めた喜びに変わりはなかった」 と書いておられる。 私も何とかそういう心境に至ろう、 現在進めている百名山踏破の目的達成のためには 全く展望が得られない状況でも納得しよう と努力してきたのであったが、 この至仏山再登山で改めて快晴時に登る山の素晴らしさを実感し、 展望の得られなかった山は魅力半減である と強く思い知らされた次第なのである。
ガス中を何も分からずひたすら登って頂上に達した前回の 至仏山登山に比べ、 今回は 至仏山 とその周辺の景色を大変堪能することができ、 このような素晴らしい山を景色無しの状態で登ったというのは、 その登頂の価値が半分以下でしかないことに気づかされたのである。
鳩待峠から見上げる 至仏山 のやさしい山容や、 高度を上げ、樹林を抜けるに連れて見えだした尾瀬ヶ原の広がりと その先に見える 燧ヶ岳 の姿、 そして 奥白根山 や 男体山、皇海山 などの日光の山々のシルエット、 そして樹林越しに見えた笠ヶ岳の魅力あるピラミッドなど、 これらの景観を知らずして 至仏山 に登った気になっていたのは 大変な間違いであった。そして、小至仏山から見た 至仏山 の姿は、鳩待峠からみた優しい山容とは全く逆で、谷から一気に突き上げるその姿に アルプスの山にも匹敵する立派さを感じ、 本当にビックリさせられたのであった。 また、帰途に立ち寄った笠ヶ岳もその展望は素晴らしく、 特に双耳峰のような小至仏山・至仏山 の姿と 燧ヶ岳 を一緒に見ることができて得をした気分になったのは、 晴天ならではのものである。
このようなことから、以前に登った百名山で、展望が得られなかった山を指折り数えたところ、距離的に近いところでは 燧ヶ岳 と 蓼科山 が挙げられたということなのである。
前置きがかなり長くなったが、 こういう心境でどちらの山に登ろうか悩んだ 燧ヶ岳 と 蓼科山 であるから、 最後の決め手は当然ながら天気の状況である。
YAHOO ! のピンポイント天気予報では、 尾瀬近辺の群馬県片品村、福島県の檜枝岐村はわずかに 6時から 12時まで快晴マークがついているだけで、 その後は曇りマークが並んでいたのに対し、 蓼科山 がある諏訪市、立科町近辺の天候には 晴れマークがずっと並んでいたのであった。 従って、当然ながら 蓼科山 を選ぶことになる。従って、早朝 4時に家を出た時、月がやや雲に霞んでいたのも気にならず、また笹子トンネルを抜けた後 甲府盆地全体に雲がかかっていたのも気にならず、 そして 甲斐駒ヶ岳 や 茅ヶ岳 の姿が 青い空にクッキリと浮かんでいるのが見えるようになった時は、 それが当然のことのように思ったのであった。
やがて見えてきた 八ヶ岳 も、 その姿を青い空に浮かび上がらせているのが認められた時には、 完全に本日の登山のグッドコンディションを確信し、 従って赤岳上空にやや雲がかかっているのも、 いずれ消えるだろうと高をくくっていたのである。ところがである、諏訪ICで中央高速を降り蓼科方面に進んだところ、さき程とは反対側から見る 八ヶ岳 はかなりの雲に覆われていて、その頂上部分を含む山の形が 見えない状態だったのであった。 同じく、 ビーナスラインを進むにつれて見えてきた 蓼科山方面も雲に覆われている。 一方で、上空には青空が広がっているのだからややこしい。 これはどうなっているのだという疑問とともに イヤな予感を抱きながら、 とにかく山に取り付いたのであった。
結論だけを言うと、今回の 蓼科山登山は、前回登った時よりもコンディションは悪く、登るに連れてガスの中に突っ込んでいく形となり、さらには 途中から霧氷が樹林に付いているのが目立ち始め、 樹林帯の最後の部分では 真っ白となった木々の間を進むという状況になったのである。
さらには、 頂上直下、樹林帯を抜けて 大きな岩が累々と積み上がった吹きさらしの場所を進んだ時には、 風がものすごく強い上に冷たく、 そのため岩の上には氷の花が張り付いていて滑りやすくなっており、 進むのに大変難儀を強いられたのであった。
ようやくしてたどり着いた蓼科山頂ヒュッテ前から頂上の三角点まで行く間も、 ガスで視界が効かない上に、 岩の上は真っ白な状態でツルツル滑り、 おまけに風でバランスを崩されるものだから、 歩くのも覚束ない状況であった。また、今回必ず訪れようと思っていた蓼科神社奥宮は、三角点のある場所からガスで全く見えない状態で、神社を求めて視界の効かない火口原に進み出るのは大いに躊躇われ、 神社に立ち寄るのをあきらめて帰ることにしたのであった。 しかし、小屋へ帰る際、 黄色のペンキマークが火口原の方へも付いているのを見つけ、 慎重に辿ってみると、 何のことはない、 先ほどの三角点からほんの少しの距離のところに神社はあったのである。 これだから視界を奪われるというのは恐ろしい。
なお、ようやく見つけた神社の方は、 その祠に小さなエビのシッポが付きまくって真っ白な状態であった。風はビュービュー強く吹き、周囲には誰もおらず、おまけに 白 山 に続いてまたまた新調したばかりの帽子を吹き飛ばされる始末であり、散々であった。 こんな状況であるから、 あわよくばお隣の横岳にも登ろうという当初の計画はすぐに頓挫し、 這々の体で往路を戻ったのである。
神社から小屋まで戻った後、 小屋から樹林帯に入るまでのところで、 往きよりも強く冷たい風に襲われ、身体は真っ白、頬は完全に硬直してしまい、 樹林帯に戻った時にはそこで待機していた人達との会話も 呂律が回らない状況であった。
樹林帯で待機していた何人かの人たちの中には、 あまりの風の強さと凍りついた岩に恐れをなして引き返す人もいたほどであったが、 これはある意味では正解かもしれない。さて、後は一気に下り降りるだけであったが、 この日の天気の良さを当てにしてであろう、 途中、 多くの老若男女が登ってくるのに出会った。 しかし、頂上が先のままの状態であったら、 果たして一体何人の人が頂上までたどり着けたのであろうか・・・。
ただ、 駐車場が近づくに連れ上空には青空が広がりだし、 太陽も強い光を照らし始めたことから、 頂上付近の状況はその後急速に改善されたのかもしれない。
中央高速を戻る途中、右手を見ると、 鳳凰三山 は雲一つなく青空にその姿が映えているのに対し、 八ヶ岳 はその上部が完全に雲に覆われていたから、 実際はどうなっていたのか。それにしても、中央高速道を挟んで左右にある違いだけで、一方は晴天の頂上を踏むことができ、一方は霧氷に覆われた氷の世界となった訳で (実際は 鳳凰三山 も 同じ時刻にはどうだったか分からないが・・・)、 何か大変奇異な感じを受けたのであった。
しかも、今回はまさにゲーム感覚の登山で、 こうして車の中で 暖かいというか暑いような秋の日差しを受けていると、 先ほどまで氷の世界で苦闘させられ、 下山後の温泉で冷たくなった身体を暖めることばかり考えていたことが嘘のようであった。というような状況で、 またもや 蓼科山 では登頂とともに絶対得るべき展望を得ることができなかったのであるが、 これにはさらに続きがある。
頂上での展望、蓼科山 の姿を捉えられなかったのが悔しくて、 翌週にあたるこの 11月2日の土曜日に またしても 蓼科山 に再挑戦しようとしたのである。
しかし、 天候の方は諏訪市、立科町が日中快晴マークとなっていることを確認しておいたにも拘わらず、 八ヶ岳、蓼科山 は雲の中、 しかも前日まで降っていた雨はこの山岳地帯では雪に変わっていたのである。
従って、ビーナスラインも途中からうっすらと積もった雪に覆われ、 女神茶屋そばにある駐車場付近の坂では 雪で車がスリップしてしまうほどの状況であった (まあ、大したスリップではないが)。 上を見上げても山の方は完全にガスに覆われているし、 また山道の雪の状態がどうなっているかも分からない。 しかも、展望を得られないのなら前回と同じで虚しいだけなので、 少し悩んだあげく 蓼科山 を登るのは止めることにしてしまったのであった。こうなると急遽代替となる山を探さねばならない。そして道路地図を眺めていて思いついたのが 霧ヶ峰 である。こうして約 12年ぶりの 霧ヶ峰登山となったのであったが、 こちらの雪はほんの薄化粧程度、 しかし天候は曇りがちで寒かったこともあって、 会う人もまばら。 観光地化した場所を登山スタイルで歩くのは気が引けていたが、 前回と同じように静かな山歩きを堪能できたのであった。
なお、車山、蝶々深山、鷲ヶ峰の頂上から見る 蓼科山 はほとんどその頂上部を雲で覆われており、昼過ぎてからようやくその 富士山 にも似た姿を雲間に垣間見ることができた という状況であった。
そういう意味では、 今回、あのまま 蓼科山 に登っても展望はゼロ状態であったに違いない。 霧ヶ峰 に回ったのは正解であった。
そして午後も遅く、中央高速通って帰途につく中、 ようやく雲がとれた 八ヶ岳 の峰は その頂上付近が目映いばかりの白に輝いていたのであった。 恐らく 蓼科山 も同じように白く輝いていたことであろう。 いずれ雲一つない時に、 その頂上を踏みたいものである。ところで、先に述べた深田久弥氏も、帰宅後 「日本百名山」 の各項を読んでみると、 後方羊蹄山 の項では 「・・・、それから上は霧の中を一途な急坂で、 登山というより、体操訓練の一種でしかなかった」 と書いておられるのを見つけた。
やはり、 深田氏でも展望のきかない中での登山の虚しさを感じておられることを知って、 少し安心したのであった。