● 肉体的にハードなコース  2001.11.04 記● 今年は最早ギブアップ  2001.11.21 記
● 2ストローク × 2  2001.11.26 記
近頃の私の登山を振り返ると、 4ヶ月半ぶりに登山再開となった八ヶ岳連峰の天狗岳、 初めて北海道の山に足を踏み入れることになった 後方羊蹄山を除いて、 肉体的にハードなコースを選んでいるように思える。
自分で選んでおいて 『思える』 という言いぐさもないものであるが、 金峰山−国師岳、富士山、中ノ岳、越後駒ヶ岳などは、 下山後の疲労感もかなりのものがあり、 一方でロングコースを歩いたという充実感に浸れたところがあったのは確かである。こういう肉体的には結構大変でありながら危険な場所がほとんどないようなコースは私の好みで、山自体の魅力に加えて、長いコースを歩き通したという充実感と、 自分の体力が確認できるということが、 この好みの理由でなのである (もっとも、途中で挫折したら体力に自信を失ってしまうが ・・・)。
そして、このように身体がクタクタになるまで歩くような登山スタイルが続くと、 結構これが病みつきになってしまうもので、 ちょっとやそっとの山登りでは物足りなさを覚えてしまう。と言うわけで、先週末 (10月27日) の登山も少し厳しめのコース選びを行ったのであったが、実際は途中で予定を変更し、さらにハードな登山となってしまったのであった。
選んだ山域は奥秩父。 2回連続で越後三山近辺が続いたので、 今回は近間をと思い (と言うよりは、 六日町IC往復で 1万円もかかる高速代が痛かった)、 西沢渓谷から雁坂峠へと登り、 そこから雁坂嶺、東破風山、西破風山まで歩き、 再び往路を戻る計画を立てたのである。
金曜日に本屋に寄って購入した ゼンリンの地図 「奥秩父」 (いつもの昭文社の地図がなかった) によると、 雁坂トンネル手前の駐車場に車を止めたとして、 西破風山まで約 5時間半、 往復で約 9時間のコースとなる訳で、 これは手応えありそうだと、期待をもって出かけたのであった。この西沢渓谷に来るのは、甲武信岳再登山の時以来であるから 4年ぶりということになる。当時は雁坂トンネルはまだ開通しておらず、そこまでに至る高架橋 などの工事が進んでいたような記憶がある。
西沢渓谷への道から左に分かれてループ橋へと入り、 広瀬トンネルを抜けるとすぐに雁坂トンネルの料金所があって、 登山基地となる駐車場はその料金所の手前、 道路の左右にある。 登山道は雁坂トンネルに向かって右側駐車場奥から始まるので、 車は右に止める方が良いが、 トイレは左の方にあり、駐車スペースも左側の方がゆったりしている。車を右手駐車場の一番奥に止め出発。この駐車場のさらに奥が登山道となる林道と接しており、この駐車場と林道との間はゲートに遮られていて車は入ることができない。
この林道は、後述するが、 下の西沢渓谷から登ってきており、 本来ならば雁坂峠入口バス停から歩いて登ってこなければならないのであるが、 この雁坂トンネルができたお陰で 30分くらいは時間を節約できることになる。
林道はコンクリート舗装されており、 緩やかな登りが続くので、ウォーミングアップにはもってこいである。 雁坂トンネルの上を越え、 黄色に染まった山を眺めながら暫く黙々と歩き続けると、 やがて林道も終点となり、山への取り付きが始まった。
この登山道のイメージは、 すぐそばにある甲武信岳への登山路、戸渡尾根と同じような感じで、 緩やかな山道が沢伝いに続くことになる。 やはり山というのは、 その山域、山域で特徴があるもので、 先日登った越後駒ヶ岳は、やはりお隣の中ノ岳や八海山とその登山路周辺の樹相、 岩場の感じなどに共通点が見られたし、 この雁坂峠への登山道でも、 金峰山や甲武信岳周辺の道と似たような感じを受ける。さて、雁坂峠への道であるが、地図では結構なコースタイムとなっていたので、難儀する道かと思ったら、さすがは昔からの峠道、谷を詰めるようにして行き、 沢を離れるまではほとんど苦しい登りはなかったのであった。
この時間ではこの道には日が当たらず、 枯れ葉色の殺風景な感じのする道が続いてやや単調な思いをしたのであったが、 沢を離れ、尾根道への登りとなると日も当たりだし、 高度を上げるにつれて周囲の景色も大きく変化をし始め、 だんだん楽しさが増してきたのであった。 やはり主役は富士山で、 振り向けば山間 (やまあい) に富士山の姿が大きく、 その右手には乾徳山や黒金山が良く見える。しかし、このコースのハイライトは何といっても雁坂峠からの景色で、富士山を頂点とする多くの山々が眼下に広がり、ポカポカ暖かい日差しの中、いつまでも峠で ノンビリしたいという気分にさせられたのであった。 峠は明るいカヤトとササ原で、 ここでも大菩薩や小金沢連嶺などとの共通点を思ってしまう。
だんだん、話が登山記録のようになってきてしまったので、これ以上の描写は避けるが、結局この日の登山は、雁坂嶺、東破風山を越えて西破風山に至った後、 そのまま西へと縦走を続け、 久々に甲武信岳の頂上を踏んだ後、 木賊山 (とくさやま) から戸渡尾根を下って下山するという、 ちょっと自慢したくもあり、 悪く言えば山バカ的なコースをとってしまったのであった。
今回、西破風山に登ることを考えた時から、 このようにグルッと回るコースをとることも考えないではなかったのであるが、 コースタイムを考えると とても日帰りは無理な訳で (地図上のコースタイムは 12時間30分程)、 おとなしくピストン登山をするつもりであった。 しかし、雁坂峠までの道が思ったより緩やかで、 峠に着いたのが 9時を少し回った位であり、 また西破風山頂上に着いたのが 11時10分であったことから、 これはグルッと回ってしまえるに違いないと、 西破風山から迷うことなくそのまま まっすぐ進んだのであった。
途中、 目の前に大きく立ちはだかる木賊山の登りには少々怯んだのであるが、 ありがたいことに、途中に木賊山頂上を経由せずとも甲武信小屋に行ける道があり、 俄然ピッチは上がったのである。久々の甲武信岳頂上は前回とほとんど変わらずイメージ通りであったものの、途中、小屋からの道は大分コースが変更された気がする。甲武信岳頂上の展望は、 今回を含めた 3回の登頂のうちで一番良く、 時刻は 13時を過ぎてはいたものの富士山が見え、 小川山、そして八ヶ岳や男山、天狗山までも見ることができたのであった。
とはいえ、山頂にいた時間は 15分程、 飯を食い、少し休んだだけで、早々と下山したのであった。 というのは、狭い山頂にどこかの大学の山岳部 (あるいはサークル) の 10人ばかりの男女がおり、 その楽しそうな様子に些か嫉妬心なるものを覚えたのか 落ち着かず (やはり若いことは羨ましい)、 先日の越後駒ヶ岳に次いでの短い百名山の頂上滞在時間となった次第である。甲武信小屋からは、今度は木賊山頂上を目指し、途中のザレ場でお約束通り甲武信岳の姿をカメラにおさめた。これも今までで一番まともに撮れたのではないかと思う。 それくらい、この日は天候に恵まれたのであった。
下山はお馴染みの戸渡尾根を脱兎の如く下った。途中に散らばる真っ白な珪石屑もお馴染みのものであるし、何よりもトロッコの軌道跡が懐かしい。 途中、ササがうるさく、 あまり使われていないルートかなと思える所もあったのだが、 一方で、途中のヌク沢近辺にまで治山工事の為に パワーショベルなどが入ってきていたのは驚きであった。 ということは、かなり奥まで林道が造られているということで、 環境破壊が逆に心配である。
足に疲れを覚える頃、ようやく西沢渓谷に着いたのであったが、まだ駐車場は先である。
途中からループ橋に登って、 そのまま広瀬トンネルを抜ければ良いと思い、 階段を登ってループ橋の上まで行ったところ、 何と広瀬トンネルへの人の通行は禁止となっている。 道路脇の歩道もループ橋の頂上までで、 その後は人が歩けるスペースもない。 これは誤算であった。 仕方なく西沢渓谷入口まで下り、 雁坂峠入口バス停まで行って村営つり場の方へと進み、 つり場横の林道を少し進んでから途中で山に入って、 程なくして今朝ほどの林道へと合流したのであった。
疲れた身体には、林道の緩やかな傾斜も辛く、 途中、雁坂トンネル工事のための飯場跡を過ぎて一山越えた後、 目の前に料金所横の建物が見えてきた時は本当にホッとしたのであった。
時刻は 16時19分。 今朝は 7時ジャストに出発したから、9時間超の行程だったことになる。雁坂峠から甲武信岳に至る縦走路ではとても気分良く歩け、晴天のもと、振り向けばいつも左手後ろに富士山が見えたことがその楽しさを倍加させてくれたのであった。
このようにややハードでも、 楽しいコースであれば、 多少の身体的疲れは問題ない訳で、 またこのようなコース選びを考えたいものである。
もう 11月も下旬に差し掛かり、高い山ではかなりの雪が積もっていることであろう。 こうなってしまうと私の今年における百名山登山 (新規の山) はギブアップである。
従って、今年も昨年に引き続いて 新規の百名山は 1山 (後方羊蹄山) しか登れなかったことになり、 ホームページに 「めざせ百名山」 と掲げている手前 本当にお恥ずかしい限りである。言い訳にしかならないが、今年も 1山のみというのはちょっとまずいと思い、実は先般の 11月10日、11日の週末を利用して鳥海山、月山の登山を試みようとしたのである。 少しお金はかかるが、 幸い旅行券が 5万円分ほど手元にあったことから少し贅沢できると考え、 まずは土曜日の早朝の飛行機で新庄空港へと飛び、 空港でレンタカーを借りてそのまま高速道路を使って 月山の湯殿山登山口まで行って月山往復登山。 そして、その日は酒田近辺まで戻って宿泊し、 翌日に吹浦口あるいは象潟口まで車で行って鳥海山を往復登山して、 そのまま空港へ直行するというものである。
日程が少々キツイこと、 それぞれの登山口が既に五合目という高さであること、 さらに単純なピストン登山となってしまうことなどが 私の密かな登山へのこだわりに反するのだが、 低迷する百名山登山において起死回生 ? を図るにはこれもやむなしと言う訳で、 早速準備に取りかかったのであった。インターネットで当該日の天候を調べ、飛行機の時刻 ・ 空席状況ならびにレンタカー会社の有無も確認し、高速道路の所要時間も把握して、最後にもう一度 山と渓谷社発刊の アルペンガイドを見て計画の実現可能性を再確認した後、 翌日、旅行会社に手配を頼む (旅行券を使う必要があるため) ところまで準備は進んだのであった。
そして、 翌日、旅行会社に電話予約を入れる前に一応最後の確認と思い、 秋田県象潟町役場の商工観光課に鳥海山の状況を聞いたところ、 何と山は既に雪とのことであった。 しかし、積雪くらいなら天候さえ良ければまだ何とかなる訳で、さらに話を聞いたところ、 何と吹浦口あるいは象潟口に至るまでの重要な道路である 鳥海ブルーラインはこの日から閉鎖されるとのことであった。
甘かった。 既に 11月の半ば、東北の山はすっかり冬支度に入っているのであり、 自分の住んでいる横浜とは全く違う状況であることに気づかなかったのである。 感覚がボケているとしか言いようがない。
どうも富士山や大雪山の初冠雪が新聞に載ったりするものだから、 その他の主要な山の状況も当然 「何らかの形で私の耳に入るもの」 などという馬鹿げた考え ? を心のどこかに持っていた次第で、 本当に恥ずかしい。と言うわけで、 季節感覚が全くなかった自分に恥じ入るとともに、 急に思いついた鳥海山 ・ 月山登山計画は幻と消えたのであった。 まあ、山は逃げないから来年こそは是非この 2山には登りたいと思うのだが、 こんなボケた感覚で百名山を登ろうなんて考えているようでは、 全山完登はいつのことになることやら・・・。
でも、一方で早く登り終えてしまいたくないという気持ちも近頃湧いてきていることも確かで、 それが最近今一つ百名山登山に対して積極的な姿勢が出てこない一因のような気もする。 また、 既に登った百名山をもう一度違う角度から登ろうと言う気持ちも強く湧いてきていて、 前回の登山とは登る季節を変えたり、 登るコースを変えたりすることでその山の良さをもっと知りたいと思い始めている。
前回登った時に 天候状態などによって完全に満足し切れていなかった山々には是非とももう一度登りたいと思うし、 折角の百名山であるから良い印象を残しておきたい訳である。 その反面、最高の状況にて登った山については、 2回目の登山がそれ以上の状況であるとは考えにくく、 良い思い出は壊さないように 1回だけの登山にしたい という気もある。
何か矛盾しているようだが、 できるだけ季節を変え、天候を良く見極めることで、 良い印象を作って行きたい。
というように、百名山を早く完登してしまうことばかりを考えていたと頃とは 気持ちが大分変化してきているようである。 百名山完登はもう少し気長に考えたい。 ・・・・・・・・というのも言い訳かな ?さて、 幻に終わった鳥海山 ・ 月山登山の代わりという訳ではないが、 先週の土曜日 (17日)、 奥秩父の和名倉山に登ってきた。
登山の詳細はまた登山記録の方に書くつもりだが、 この和名倉山は奥秩父の主脈から北側にはずれてひっそりと存在する山で、 場所的には唐松尾山とその北東に位置する秩父湖を結んだ直線上のほぼ真ん中に位置しており (あまり的確、適切な表現ではないが・・・)、 秩父の秘峰とも言われている山である。
ただ、 「日本二百名山」 にも選ばれていることから この山を目指す人も多くなっているように思われ、 従って踏み跡もしっかりしてくる訳で、 今や秘峰という表現はそぐわない気がする。実際、晩秋に歩いたこともあってか、和名倉山頂上までヤブこぎやルートファインディングを必要とされる箇所は全くなく、迷いやすい樹林帯の中もしっかりと 要所要所にテープがつけられていたので安心であった (ただ油断は禁物)。 また、途中には最近登山道脇のシラベの枝を刈り払ったばかりの場所も多くあり、 それなりにしっかり整備もなされているようである。
また、この山に至るまでの行程は厳しい登りがある訳でもなく、いくつかのピークを越えるもののアップダウンも大したことがない。それでもかつてこの山が秘峰と言われたのは、 山頂に至るまでの距離の長さと、 そこに至るまでの迷いやすい道筋であろう。 いかにも奥山に踏み込むという気がするからである。
この山に登るには、唐松尾山、笠取山の登山基地である一ノ瀬高原から牛王院平 (将監峠経由でも良い)、山の神土を経て山頂を往復するしかない。昔は埼玉側にも登山口が 2ヶ所ほどあったのだが、 今やこの川又ならびに秩父湖からの登山道は廃道寸前状態らしく、 どのガイドブック、登山地図を見ても踏み込むことは避けるようにと書かれている。
もう少々この和名倉山のことに触れると、この山にはもう 1つ 白石山 という名前がある。事実、私の持っている 2つの登山地図のどちらにも和名倉山の横にカッコ書きで 白石山 と書かれている。 2つの名前があるのは、 秩父側と甲州側で呼び名が違うからで、 和名倉山というのは秩父側、 白石山というのは甲州側の呼称だそうである。 そして、国土地理院の地図では 白石山 と記されている。
余談だが、この白石山の読み方は国土地理院の地図では 「はくせきさん」 となっており、深田クラブの著した 「日本二百名山」 では 「しろいしやま」 と紹介されているのが面白い。 どちらの読み方も正しいらしいのだが、この山に登ろうとする登山者の間ではむしろ 「和名倉山」 の方がポピュラーであろう。 地形上も埼玉県 (秩父) にあることを考えたら、 「和名倉山」 の名を使う方に軍配を上げたい気がする。
肝心の登山の方であるが、 先に述べたように、一ノ瀬高原を起点として牛王院平、山の神土までは唐松尾山の時と同じルートを辿り、 唐松尾山、西御殿岩との分岐点となる山の神土から和名倉山への道が始まる。
前回の雁坂嶺 ・ 西破風山登山記録では雁坂峠のカヤトとササ原が素晴らしいと書いたが、 和名倉山に至るまでのリンノ峰、西仙波、東仙波付近のササ原も大変魅力的である。 冬を間近に控え、全体に焦げ茶色が目立つ周囲の山々の中にあって、 このササ原は日の光に輝き、 周囲に明るさをもたらしてくれているのである。また、このササ原付近は展望も良く、富士山が良く見える。特に山腹がササ原となっている東仙波頂上からの眺めは素晴らしいものがあり、目の前の谷を越えると 雲取山から飛竜山、唐松尾山、 笠取山へと続く秩父主脈の山々が壁のように連なっていて、 その奥手に富士山がいつもの姿を見せてくれているのである。 富士山の横には大菩薩嶺の姿も見え、 逆光の位置とは言え、大いに景色を楽しんだのであった。
そうそう、大菩薩嶺と言えば、一ノ瀬高原から牛王院平に至る七ツ石尾根を登っている最中、振り返ると富士山と共にその姿を見ることができたのであったが、 その山頂直下がどうも白く見えるのである。 雪が積もっているのではとも思ったのだが、 ここでも全く自分の耳に情報が入っていなかったことから、 まさかと思い、ザレた部分が白く見えるのだろうと勝手に納得したのであった。 ところがである、牛王院平に近づくにつれて登山道周辺に残雪が現れ始め、 牛王院平にある高みの裏側に至っては 日が当たらないため完全に雪山状態だったのである。
そうか、山はもう冬を迎えているのであった。 鳥海山のことを忘れて またまたボケた感覚を露呈してしまった訳である。 秩父がこの状態なら、鳥海山の方は完全に雪山に違いない。
その後も、 東仙波から次の焼小屋ノ頭に向かうための下りは完全に雪の世界で、 この冬初めて踏む雪の感触を楽しんだのであった。これ以上は、登山記録に譲りたいが、自然を大いに楽しんだ東仙波までの道であったものの、それ以降はかつてさかんに伐採が行われたかを物語るように登山道の周辺に鋼鉄製のロープが散乱し、 切り株だけのはげ山になっている光景が至る所に見られ、 大変残念であった。 救いは、和名倉山山頂付近の樹林帯が昼なお暗く、 倒木も至る所に見られるという奥秩父の樹林らしさを残していたことである。
この山を踏むに時間はかかったものの、それほどキツいコースではない。翌日以降も太股などの筋肉痛に悩まされることがなかったことからもそれが証明できる訳で、 静かな山旅を好む人には打ってつけの山である。 今回の登山でも一ノ瀬高原から和名倉山を往復し、 山の神土に戻るまで、 会った人は 3人だけであった。 それだけに登山道周辺に人間の残したゴミがほとんどなく、 気持ちが良かったことも付け加えておきたい。
奇妙な題名を掲げたが、 幾分奇をてらったところはあるものの、 この題名には一応それなりの理由がある。
ここで言うストロークとは、 無論、自動車などのエンジンにおけるピストンの往復運動のことであり、 2ストロークというのはピストンが上下 1往復するということである。
つまり、 題名の 「2ストローク × 2」 というのは、 1日のうちに ピストン登山 (= 往路、復路とも同じ道を辿る登山) を 2回こなしてしまったという意味で、 少し洒落と自嘲の意味を込めて付けた題名なのである。その山とは瑞牆山 (みずがきさん) と御座山 (おぐらやま) のことで、場所的にはまあまあ近いところにあり、以下に述べる理由によって連続登山を行った次第である。
登山を行ったのは 22日。 この23日から世の中は 3連休であったのだが、 私は少し贅沢をして 3連休開始前日の 22日に年休を取り山へ行って来たのである。 と言っても、 22日だけの日帰り登山であったが、 天候は快晴、山は混んでおらず最高の 1日であった。
ねらいは瑞牆山。この山は金峰山とペアにして既に登っているのであるが、当時はフィルムを使うことをケチっていたことから瑞牆山登山の際の写真は数が少なく、 特に天鳥川を渡った所に見られる大岩や 途中の大ヤスリ岩を写真に納めていなかったことが大変心残りだったのである。
しかも、 頂上に達した時は既に周囲はガスに囲まれていて展望はほとんど得られずといった状態で、 この山の魅力を十分に堪能したとは言えなかったのであった。従って、瑞牆山再訪を果たしたい気持ちは以前から十分にあったのだが、如何せん人気スポットであるだけに駐車スペースの確保や狭い林道での擦れ違いなどを考えると、 どうしても気が進まなかったのである。
しかし、平日登山となれば話は別であるし、 また今のような季節はずれであれば、 先の問題は全く関係なくなると思い、 晴天が期待された 22日、 期待を胸に瑞牆山に出かけたのであった。ただ、瑞牆山だけでは時間が余るのは必定で、それではそのお隣の小川山も併せて登ろうかとも考えたのであるが、小川山は最近登ったばかりであるし、また登ってみて やや失望を味わっているので、 この考えはパスをせざるを得ない。 それでは金峰山かということになるが、 この山も登ったばかりであるし、 いくらロングコースが好きだからと言っても、 瑞牆山の後に金峰山を往復して日帰り というのはちょっと無理そうだということで、 これまたパスであった。
それではと色々検討して思いついたのが御座山である。
この山のことを知ったのは、 そのそばに位置する天狗山、男山からの下山後であった。 天狗山に登った際、八ヶ岳とは反対側の北東の方角に立派で大きな山があり 少々気になったのであるが、 まさかその山がこれ程名のある山とはつゆ知らず、 ただの藪山と思い 写真 1枚撮ることなく下山したのであった。 家に帰ってからガイドブックを見て、 その山の名がどうやら御座山であるらしいことが分かり、 さらに深田クラブ著の 「日本二百名山」 にその御座山のことが詳しく載っていたので、 その姿を写真に収めなかったことを大変悔やんだのであった。
それでいつかは御座山登山という気持ちが芽生えたものの、 なかなか登る機会を得なかったのであるが、 今回はチャンスということで 少々キツくなることを覚悟でトライすることにしたのであった。ただ、全くと言って良いほどこの山に関する情報がない。わずかに、手元にある 1989年出版の 『東京周辺の山 (山と渓谷社)』 に、白岩から登って上栗生 (かみくりう) に下山する登山コースが紹介されているだけであるが、 これでは如何せん情報が古すぎる。
こういう時に役立つのがインターネットである。 前日 俄仕込みで御座山に関する情報を集め、 白岩および林道に入るまでの道順を頭に入れ、 一応登山道の様子も頭に入れたのであったが、 やはり手元に何もないのはやや不安であった。それでも何とかなるさということで翌日早朝に出発。家を出る際に空を見上げると、満天の星で、この日がしし座流星群の見られる日でなかったのが大変残念であった。
中央高速道須玉ICで下りて、3つめの信号 (4つ目だったかもしれない) を右折、増富鉱泉を目指す。 増富鉱泉から瑞牆山の登山口である瑞牆山荘前まで、 全く車と擦れ違うことなく到着。 瑞牆山荘前のスペースに車を止めようとして、 奥の方に駐車場があることに気が付いた。 駐車場は広く、100台近くは止められるであろう。 ブランクの 12年の間に、こんな立派な駐車場ができていたとは驚きである。後は登山記録の方に任せるが、12年ぶりの瑞牆山山頂は快晴で、素晴らしい眺望を得られたのであった。しかも、頂上に居た 20数分の間、誰もおらずに頂上の岩場を独り占め状態である。
これも平日登山のお陰、これは平日登山が病み付きになりそうである。
と思ったら、 富士見平に下山するまでの間に何と 15人ほどの人と擦れ違った。 これは驚きで、 平日でこれなら、土日であったらさぞかしこのコースは混雑することであろう。さて、下山してから早速 御座山登山口のある北相木村へと向かうべく、瑞牆山荘前の道 (クリスタルライン = 釜瀬林道) をそのまま黒森の方へと車を走らせた。 道は素晴らしく整備されていて全く快適なドライブである。 黒森からは信州峠を越えて川上村へと下る道に入ったが、 峠手前で右手に見えた瑞牆山は、 まるで岩の城 (それも西洋の城) のようであり、 周囲とは全く違う様相をしていて、 思わず身震いしたくなるような素晴らしい姿を見せてくれたのであった。
そして、この川上村への抜ける道ではもう 1つ素晴らしい眺めが待っていてくれた。それは川上村への下り道にて常に正面に見える天狗山の姿である。こちらは 西部劇に良く出てくるアリゾナの岩山のようで これまた素晴らしく魅力的で、 こうした山々に既に登っている自分を誇らしく感じたのであった。
また、天狗山のことを書いたら、男山のことも忘れてはならない。川上村からは道を間違えないようにと一旦 141号線へと出て小海の手前まで進んだのだったが、 この間に見る男山の姿は まさに浅間山登山後に家へ帰る途中で一目惚れした山そのものであった。 天狗山、男山登山記録に書いたように、 浅間山から下山後、 141号線を走って家へと戻る途中、 その形に惚れ込んだ山があったのである。 帰宅後調べて、その山は 男山に違いないと決め込んで登ったものの、 今ひとつ本当に男山が惚れ込んだ山だったのか自信が持てなかったのだったが、 これで解決である。
さて、御座山であるが、白岩まではインターネットで情報を得ていたお陰ですんなり進むことができ (道をドンドン進み、途中 いくつか御座山の標識があるが無視をする。 そして左 茂来山、右 御座山の標識を見たら右折 との情報を得ていた)、 無事に林道に入ることができたのであった。
林道は初め唐松林の中を進みドンドン高度を上げていくので、 こんなに高いところまで登ってしまって良いのだろうかとの思いが湧いてきたのだったが、 林を抜けるとそこには高原野菜畑が広がるようになり、 これならここも麓の内だと 勝手な納得をしたのであった。
それでも、 道は畑の中をドンドンと高度を上げながら進み、 御座山登山口となる林道終点は 後で調べたら高度 1,400mもの高さであった。 やはりこれでは気が引けてしまうが、 登山口に着いたのが 11時40分近くであることから、 この後の行程を考えると 1,400mまで上がっておいて良かったというところである。この後のことは登山記録の方に書くが、一旦瑞牆山でアップした身体がその後のドライブでクールダウンし、再び御座山登山のために立ち上げねばならないという状況は、 慣れていないだけに結構辛く、 さらに地図なども一切持たない登山だったものだから、 コース上で時間の目安、距離の目安がつかず状態で、 疲れが倍加状態という感じであった。 特に、御座山頂上への最後の登りは大変キツイものがあったのだが、 実際はこの登りが最後ということが分からず状態で登っており、 少し登っては立ち止まって上を見上げる という、 例のへばりかけ寸前症状での登りであった。 それだけに、登り着いた所に小屋を見つけ、 さらにすぐに頂上に飛び出した時は本当に嬉しかったのであった。
頂上は岩が累々としており遮るものが何もないから展望は抜群で、浅間山、八ヶ岳、天狗山、男山、瑞牆山、金峰山などの既に登ったお馴染みの山々をハッキリと見ることができ、 さらにやや霞み気味ではあったものの、 北アルプス、南アルプスの山々も見ることができたのであった。
ここでも頂上独り占め状態で、 深田氏言うところの至福の時を味わったのであった。帰りはやはり車の所に戻るため、往路を下る。瑞牆山と言い、この御座山と言い、ピストン登山は味気ないが、それでも素晴らしい展望を 2つの山で得られたので、 良しとしたい。
ところで、この御座山登山では 2人の人と出会った。2人とも私と同じ林道終点に車を止めていたのであったが、そのうちの 1人とは 2度出会うこととなってしまったのである。 というのは、 私が林道終点を出発したのが 11時42分。 従って、先の 2人はとっくに先に進んでいる訳で、 事実 2つ目のピークを過ぎたところでまず 1人目と擦れ違い、 そして私がまだ山口坂の鞍部に到達する前に 2人目の人と擦れ違ったのであった。
ところがである、 頂上に至った後、往路と同じ道を駆け足で戻っていくと、 何と下から登ってくる人がいるではないか。 もう 2時を過ぎているのに随分遅い時間に登山をするなあと思っていたら、 その人は私が登る途中で擦れ違った 2人目の人だったのである。
聞けば、途中で道が分からなくなり、 道を探すべく戻って来たとのこと。 何でも、下山していたら途中で 長者の森への道 に変わってしまい、 白岩への道が分からなくなってしまったとのことであった。 実は、長者の森への標識のところで道を下らず、 そのまままっすぐに進めば白岩に戻れるのであるが、 白岩方面への標識は出ていないので確かに勘違いしやすいようになっているのである。その人は、その標識のところから随分上まで登ってきており、相当疲れたに違いない。やはり、道に迷うと、精神的にも肉体的にも疲労してしまうことが多く、私も 奥白根山や夏木山でのことで大変良く分かる。 その人はたまたま私に会ったから白岩まで下山できたが、 もしそうでなかったら、その後もかなり山道をウロウロしていたに違いない。 長者の森への標識を見て道を間違えたと考えたのだから、 その標識の所へは戻ることはしないであろうし、 頂上までの間で白岩へ下る道を探し続けたに違いないからである。
往路と同じ道を戻るというのは、道を間違える可能性はかなり低いと思いがちだが、結構、登りと下りでは同じ道でも感じ方が違うもので、私も時々往路を戻りながらも 不安に思うことがある。
実際、瑞牆山や御座山の下りでさえも、 「アレッ、こんなところ通ったかなあ」 と不安になったことが何回かあった次第である。 ましてや、登りの際に長者の森への標識を見落としていたとすると、 下りの時にそれを初めて見たのでは、 恐らくパニックに陥ることであろう。
往路を戻ることが分かっている場合でも、 やはり登る時には倒木の下をくぐったとか、 岩にしがみついたとかいった 色々特徴のある場所を頭に刻み込みながら登る必要があり、 それが下山時にかなり役に立つのである。 それでも時々、登りの時に通った場所が下りにはなかった場合がある訳で、 その場合はボーッとして通過してしまったか、 下山路がいくつかに分かれていたかであろう。 やはり、ピストン登山と言えども侮れないのである。