● 充実 + くたびれた八海山  2000.11.07 記● ようやく復活  2000.12.25 記
● 今世紀最後の登山  2000.12.31 記
これまた我がホームページの更新期間がかなり空いてしまい、 この間 我がページを訪れて戴いた方には申し訳ない限りだが、 どうもこのホームページ更新というのは 精神的に落ち着いていないとできないもので、 周囲にいろいろなことが起こるとすぐ後回しになってしまう。
とはいってもそれ程深刻な悩みを抱えている訳ではなく、仕事その他で少々バタバタしただけであって、どうにかこの 3連休明けから 再び更新ができそうなので、 これに懲りず今後とも我がホームページをご贔屓にして戴きたい。
さて、 この 3連休は、最初の土曜日が雨にはならなかったものの いつ降ってもおかしくないような曇り空であったのに対して、 2日目、3日目は快晴といって良い上々の天気であった。
こうなれば、 皆 外に出かけたくなる訳で、 折しも紅葉が見頃を迎えている所が多いことから、 テレビや新聞で報道された日光のいろは坂を初めとして、 各行楽地はかなりの混雑を見せたようである。
かくいう私も、 せっかくの秋の日の好天を見逃してはならじと、 3連休の真ん中に当たる土曜日、 1ヶ月ぶりの山行を行い、越後の八海山に登ってきた。何故八海山かと言えば、これは突然その名が閃いたというしかない。実は、前日の金曜日は休日出勤しており、その際 仕事の合間にインターネットで残り 2日間の天候を調べたところ、 翌日の土曜日が全国的に快晴であることが確認できたことから 明日は絶対山に行こうと決めたのであったが、 どういう訳かその時突然 八海山の名が頭に浮かび上がってきたのである。
八海山の名は以前から知ってはいたものの、特に狙っていた山でもなく、本当にパッと閃いたのが自分でも不思議なのであるが、よくよく考えてみると、 越後三山の堂々とした姿を 先月登った 平ヶ岳山頂から眺めており、 そのことが頭の片隅に残っていたのかもしれない。
さて、こうなると翌日の登山に備えて急遽八海山登山の情報が必要になるのだが、今は会社であり、夜、家に帰ってから手持ちの資料で八海山を調べたのでは 不足があった場合に対応できない訳である。 従って、周囲に誰もいないことを良いことに 少しインターネットで八海山のことを調べることにしたのであるが、 実は家にある資料は、 昔 越後駒ヶ岳に登った際に購入した昭文社のエリアマップと、 巻機山に登る際に購入した 山と渓谷社 のアルペンガイド 『上信越の山』 だけで、 いずれも古いものであるから少々心配だったのである。 また、先般の日光の 太郎山 のように 最新の情報を得ずして山に行ったところ、 実際の山では登ろうと思っていたコースが通行禁止となっていて 少々苦労してしまったというケースもある訳で、 やはり最新の情報は入手しておかねばならない と考えた次第である。
早速、「八海山」 で検索したところ、山の情報よりもお酒 (八海山の麓で作られる銘酒) に関する情報の方が多っかたのには些か参ったものの、 一応山の方の情報もそれなりに集めることができた。
登山口は 大崎、大倉、山口の 3ヶ所あるようで、 このうち山口からの登りには、 屏風道と呼ばれる鎖場の多いコースと、 やや遠回りだが屏風道に比べて楽な新開道の 2つの登山コースがあることが分かったのである。 この他、 山口からはゴンドラを使って 一気に稜線に登ってしまう方法も取れることが分かったのであるが、 下山時ならともかく、 やはり登山という言葉通り、 登りだけは自分の足を使いたいものであるから、 ゴンドラを使う方法というのは私にとっては論外である。そして検討の結果決めたのが、山口からさらに先の芝原 (ここは屏風道、新開道両方の二合目に当たり、ここから 2つの登山道が分かれる) まで車で進み、 そこから屏風道を登って千本桧小屋に至り、 小屋から八海山の名の由来となったと言われる八ツ峰 (地蔵岳、不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支天岳、剣ヶ峰、大日岳) を辿って、 その後、新開道を下って芝原に戻るというルートである。
後はこの屏風道がどれほどのものであるかということと八ツ峰の難易度が問題なのであるが、インターネットに掲げられた登山記録を読む限り、 八ツ峰の方は鎖場の連続ではあるものの 細心の注意を払えば大丈夫そうで、 表妙義 や 愛鷹山の鎖場経験をもってすれば 何とかなりそうな感触を得たのであった。
残る問題は、屏風道の情報がほとんどなかったことであるが (インターネットでは意外とゴンドラを使って登った登山記録が多かった)、これも、 更なる検索で 「八海山」 と 「屏風岩」 の 2つのキーワードを使用したところ、 岩渕さんの 「新潟ハイキングレポート」 に行き当たり、 ようやく屏風道の情報が得られたのであった。 そして結果として、 この道も鎖場が連続するものの問題なさそうだ と確信できたのであるが、 こういう点で本当にインターネットはありがたい。
これで古いとは言え、手元あるエリアマップとアルペンガイドだけで、新たに最新の地図を購入する必要はないと判断したのであるが、ただ岩渕さんのレポートも 1年前のものであり、 一応念のために 八海山ゴンドラに電話して山の情報を聞き、 登山道等の状況に問題がないことを 確認することも行ったのであった。
また、インターネットで八海山を検索しているうちに、11月初旬に八海山が冠雪した年があることも知って急に心配になったのだが、 八海山ゴンドラの方の話では 今年はまだ雪がないとのことで、 これも一安心であった。
さて、こうして私としては珍しく十分な下調べをして臨んだ八海山登山の結果であるが、天気予報通り素晴らしい秋晴れに恵まれたこともあって、 大いに満足できるものであった。
屏風道の鎖場、 八ツ峰の鎖場ともさほどの危険は感じなかったものの 良い運動となったのは確かで、 現在、やや腕の筋肉痛を感じている状態である。 登山後にこのような腕が痛むのは、 愛鷹山以来久々のことで、 こういう登山も結構楽しいものである。特に、八ツ峰は短い距離ながらも鎖場や切れ落ちた岩場の通過がスリルに富んでおり、愛鷹山に匹敵する状況であったが、疲れの方は 愛鷹山の方がずっとひどく感じた次第である。 この理由を考えてみると、 八ツ峰の方は危険という忠告が出てはいるものの 通過することが公認されているのに対し、 愛鷹山は通行禁止となっていて、 もしかしたら鎖などの安全確認が十分ではないのでは ? といういらぬ心配が附加されていたからなのかもしれない。
また、八海山の方が展望が抜群に良かったことも余裕を感じることができた一因となっていることは間違いないところで、進行方向左手に 谷を挟んで常に見える越後駒ヶ岳と 中岳のボリュームある堂々とした姿には 惚れ惚れさせられ、 いつかは中岳にも と誓ったのであった。
いずれこの日の登山の模様は、登山記録にアップするつもりだが、あまりの快晴につい気分も浮き立って、当初目論んだ登山ルートを 大幅に変更することになってしまったことを ここで報告しておく。
芝原から登り始めたのが 6時40分、 千本桧小屋に着いたのが 9時27分、 八ツ峰を越え、八ツ峰最後の大日岳に着いたのは 10時33分、 その後八海山の最高峰である入道岳 (丸岳) にも登ったのであるが、 着いた時間はまだ 11時4分ということで、 下山するには時間的に早過ぎる感じなのである。
それではと さらに先にある五竜岳まで足を延ばしたのだが、 ここまで来てしまうと 今下ってきた入道岳が高く聳えて見え、 下り来た道を戻る気になれない。それに加え、八ツ峰の通過中 2人組を追い抜いた際、本日は阿寺山にテント泊して明日下山するということを聞いて阿寺山のことが気になり出し、 また八ツ峰から見た阿寺山の姿が 池塘などの湿原がありそうで 何となく魅力的に見えたものだから、 かなり遠回りになるものの 五竜岳から阿寺山経由で下山することにしたのであった。
そして思った通り阿寺山には池塘と湿原があり、池塘と黄色く枯れた草、そして笹の緑のコントラストがなかなか見事な世界を作り出していて 目を楽しませてくれたのであったが、 会津駒ヶ岳や燧ヶ岳にある湿原ほどのスケールはないこともあって ややせせこましい感じがしたのは残念であった。
と、この阿寺山までは良かったのだが、阿寺山から林道までの下山の道のりは散々であった。
決して急勾配でもなく、 一見一般的な下山道なのであるが、 その実態は赤土と岩、 そして木の根が剥き出しの道で、 しかもその上を枯れ葉がすっかり覆っており、 加えてそれら全てが濡れそぼっていることから滑りやすく、 本当に難儀したのである。
どうやらこの道は日当たりが悪いらしく、 朝方は霜などが道を覆っていて それらが気温が高くなるにつれて融けだしたようで、 何度も何度も 大丈夫と思って踏み下ろした足がズズッと滑り、 おかげでズボンは泥だらけ、 足はパンパンの状況であった。普段は林道歩きはあまり好きではないのだが、今回だけは沢を横切り、ようやく林道に飛び出した時、これで滑らない道を歩ける という安堵感を心底感じた次第で、 林道がこれ程ありがたいと思ったことはない。
そして、山口経由で二合目の芝原に着いたのが 15時15分、時間的には理想的であるが、身体はクタクタであった。特に、阿寺山からの下山で足が疲れていたのに加え、 山口から舗装道を二合目まで登り返さねばならず、 これが結構辛かったのである。
私と同じ場所に下山して、 そこからタクシーを呼んで 二合目まで戻った人がおられたようだが、 その方が正解である。
とにかく楽しかったがくたびれた山行であった。
我がホームページも、皆様のお陰でヒット数が 50,000 の大台に乗ることができたのであるが、 肝心の更新の方はというと 11月の 16日を最後に 1ヶ月以上サボってしまっている。
この間、 台湾に 2回出張したりと かなりバタバタした日が続いていたとは言え、 ホームページの更新をしようと思えば できない訳ではなかったのであるが、 更新をせねば、せねばと思っているうちに 更新をしないことの楽 (らく) さを覚えてしまい、 何だかんだと更新をしない言い訳を頭で作っては その日その日を過ごし、 ズルズルと今日まで至ってしまった次第である。しかし、この 1ヶ月間に何も起こらなかった、書くことがなかった ということでは当然なく、結構色んなことがあった訳で、 中でも我がパソコン環境は大きく変化したのであった。
この山の雑記帳の守備範囲ではないのだが少し触れておくと、まずは妻と子供が使っているパソコン弐号機 に異常が生じ、 どうしてもOSの再インストールができなくなってしまったことから、 思い切って現在のCPU K6-III/450 に別れを告げて、 CPUを AMDの Duron 700MHzに変えたことである。
当然マザーボードも交換が必要な訳であるから、 大変安定して動いてくれた EPoX の EP-MVP3G-M にも別れを告げて Gigabyte の GA-7IXE4 を購入した次第である。組み替えの方も、メイン機と同じ Gigabyte 社のマザーボードとは言えチップが初めて扱う AMD のものだったので少々心配したのだが、 メイン機の時と違って誠にあっけなく動きだしてくれ、 今も快調に動き続けてくれている。
となってくると、弐号機に性能の点で肉薄された我がメイン機の方が気になるが、こちらも抜かりはなく、折しもAMDのCPUがかなり安くなってきたこともあって、 CPUを Athlon の 800MHzから 同じく Athron Thunderbird の 1,100MHzへと換装したのであった。
遂に私のパソコンも Giga CPUの仲間入りをした訳である。これらのことについては折を見てパソコン記に書きたいと思うが、一方、肝心の山の方はというと実はサッパリであった。
11月4日に八海山 (「百文は一見にしかず」 に写真を掲載したのみで、 まだ登山記録もUPしていない始末) に登った後、 またまた暫く遠ざかるようになってしまったのである。 この間、台湾出張で油っこい中華料理の日々が続いたためか、 腹が急に出てきて身体が重くて仕方がない状況に陥ってしまい、 八方ふさがりの状態が続いていたのであった。これではイカンと山にトライしようとし、一旦、朝 4時に目覚めたのだが、もう少しと思ってチョット目をつぶったところ、 気がついたら 7時過ぎだったという体たらくが 2回ほど続いたのであった。 7時を過ぎ、 日が高く昇りつつあったとしても山に向かえば良いのだが、 やはりこの時間では目的の山は無理で、 変わりに手頃な山でお茶を濁して 山行回数だけを増やすというのも 何か山に対して失礼な気がしたものだから (言い訳に過ぎない・・・)、 結局青い空を恨めしげに眺めてその日を過ごしたのであった。
こういうことでは本当に情けない限りであるが、3度目の正直でこの 12月の16日、何とか布団から抜け出すことができ (但し、 予定より 30分以上遅かった)、 どうにか山に行って来ることができたのであった。 行き先は山梨県の櫛形山である。
この山は、甲府盆地から眺めるとその形が日本髪にさす櫛を伏せたように見えることから その名が付いたと言われており、 中央高速道を甲府方面に向かい、 勝沼ICを過ぎて甲府盆地に差し掛かると、 正面に南アルプスの前衛のように見えてくる蒲鉾状の山がそれである。
この山は、その山中に咲くアヤメの群落が有名で、7月中旬の最盛期には多くの人で賑わうそうであり、地元もかなりその整備と宣伝に力を入れている と聞いている。
標高は 2,053m。 それなりの高さを持つ立派な山なのであるが、 先のアヤメの件や、 色々なガイドブックに書かれているランクが 『初級者から』 とか 『一般向け』 なっていたので、 あまり期待せず、 鈍 (なま) った身体の調整にでも と考えていたところ、 どうしてどうして なかなか楽しめた山であった。天気予報ではこの日は快晴であったことから、山は多くの人で賑わっているかと思いきや、登山口からグルッと山域を回って戻ってくるまでの 6時間チョットの間、 誰にも会わない状況で、 大変静かな山旅を楽しむことができたのである。
加えて、登山口では晴天であったにも拘わらず、山頂付近では強く冷たい風が吹いて小雪が舞うという状況で、しかも小雪が降っているにも拘わらず 時々日も差す という面白い天候であったものだから、 久々に自然の不思議さに触れた という感覚を得て大変面白かったのであった。
また、人の手が入り過ぎた登山コースを思い描いていたのだが、山奥の部分は全く手つかずの自然が残っており、サルオガセが絡みついた木々や 苔むす樹林帯、 樹齢数百年を思わせるような大きな木々の出現に 大いに驚かされたのであった。
ただ、私自身については心配した通り身体が鈍っていることの影響がもろに出て、緩やかな登山道が続いていたにもかかわらず結構辛い思いをしたのであった。 登っていても後ろに引っ張られているような感覚を常に覚えて 身体が重いことこの上なく、 また粘りもなくて 1時間毎の休憩を余儀なくされることとなり、 かなり惨めな思いをしたのであった。 またまた自分の不摂生を反省させられた次第である。
この登山記録についてはいずれUPしたいと思うが、まだ八海山の登山記録もUPしていない状況なので借金を抱えたような気分であり、 正月休みを利用して一気に片づけたいと思っている。
さて、冒頭に述べたように我がホームページもヒット数が 50,000の大台に乗り大変嬉しい限りであります。 これもひとえに皆様のお陰であり、 厚く御礼申し上げる次第であります。
また、この更新がなかった 1ヶ月間、よくも見限りもせず我がホームページを見続けて戴きましたことに対しましても 御礼申し上げます。
まだ年末の挨拶には早いのですが、今年の低調な登山を反省し、2001年 21世紀にはもっと頑張りたいと思いますので、 今後とも我がホームページを宜しくお願い申し上げます。
この 29日、今年最後というか、大袈裟に言えば 20世紀最後の登山に行って来た。
実は、 この年末は少し身体の方が疲れ気味だったので、 折角の正月休みではあるものの登山は来年になってからにしよう と思っていたのだが、 よく考えたら 1週間後の天候に保証などあるはずもない訳で、 それならと完全に晴れることが分かっている翌日 29日に少々無理をしてでも登ることにしたものである。行き先は小金沢連嶺、丁度 10年ぶりの再登山ということになる。
この行き先については少々迷ったものの、 折角ならこの冬最後になるであろう 2,000m級の山には登っておきたいということで、 雪はまだそれ程積もっていないだろう と思われる小金沢連嶺に決めたのであった。 この小金沢連嶺はほぼ 10年前となる 1991年1月4日に一度登っており、 この 10年間の登山の最初となった山であるから、 それなら最後も小金沢連嶺で締めくくりたい などと少々格好をつけてみたところもあるのである。無論、山自体も魅力的で、人気のある大菩薩嶺の裏側に当たっていることからあまり人気 (ヒトケ) が無く、それでいて気持ちの良いササ原、 縦走路正面に見える富士山の姿、 そして南アルプスの多くの山々の好展望台であるなど、 隠れたる魅力をもっているのである。
コースは前回と同じく大菩薩嶺の登山口である裂石 (サケイシ) から上日川峠へと登り、上日川峠からは大菩薩峠ではなく石丸峠への道を取って、 そこから狼平、小金沢山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、黒岳、白谷丸 (白岩ノ丸) を経て湯ノ沢峠へと下り、 そこから JR中央本線の甲斐大和駅 (旧 初鹿野駅) へと下る長丁場である。
そして、 このようにコースが長いことから できるだけ早く登山口である裂石に着きたい訳で、 そのためには朝 4時55分に瀬谷駅に着く相鉄線横浜行きに乗らねばならないのであるが、 やはり身体が疲れていたのだろうか、 一旦 朝 4時に目が覚めたものの再び寝入ってしまい、 ハッと気づいた時には 5時15分を回ろうという時刻だったのである。普段ならこのまま登山は中止にしてしまうことも多いのだが、折角 20世紀の掉尾を飾ろうと思っていた登山を 寝坊のために中止にしてしまうのは情けない話であるし、 かといって急遽登る先を変更するのも 前回の雑記帳で述べたように 山に対して失礼ということで、 最後の手段を使い 車で登山口まで行くことにしたのであった。
ただ、予定の登山コースは行きっぱなしであり車のある所に戻ってくることはできないことから、小金沢山だけ登ってその後 石丸峠まで戻り、 そこから熊沢山を越えて大菩薩峠へと下り、 峠から大菩薩嶺に登って車のあるところまで戻ってくる というコースに急遽変更することにしたのであった。 やや中途半端になるが、 これも自業自得で致し方ないことと納得せざるを得ない。 それでも 石丸峠から狼平への気持ちの良いササ原だけは歩くことができるので 良しとしたいところである。
ところがである、やはり私の性格上予想できないこともなかったことではあるが、小金沢山まで辿り着くと同じ道を再び戻るのが面倒になり、 結局 当初予定のコースをそのまま進んで 甲斐大和駅まで行ってしまったのである。 そして、甲斐大和駅からは電車で塩山駅まで行って、 そこからタクシーで裂石の車の所まで戻る というアホらしいことをやってしまったのであった。
私らしいと言えば私らしい行動なのだが、実はこのコースは南大菩薩の登山記録でも書いたように、湯ノ沢峠から車道へと下ってからの 甲斐大和駅までの歩きが延々と長いことから、 小金沢山頂での、 進むべきか戻るべきか の数分間の心の葛藤はかなりのものがあったのである。
結局進むことを決意させたのは、 小金沢山への登りにおいて 腰から背丈くらいまで伸びたササが煩 (ウルサ) く そこをまた戻る気がしなかったことと、 石丸峠付近から 雪上に黒岳方面から来たと思われる足跡が認められ、 その足跡を逆に辿って小金沢山に着いた私としては、 さらに足跡を辿って行かねば というつまらない使命感にかられたからなのである。そうそう、雪の状況については触れていなかったが、雪は裂石からの林道歩きの時点で少しづつ見られるようになり、林道と分かれて登山道に入ってからも 最初はチラホラであったものの、 登山道が上日川峠に近づくにつれて 3、4センチの積雪状態となり、 上日川峠も駐車場は 4センチくらいの雪で覆われていたのであった。 そして、 上日川峠から廃屋となった大菩薩館への道をとると 完全に雪道になり、 足跡は動物のものしかつけられていない状況であった。
小屋平に登り着いてからの石丸峠、 狼平へと続く道は、 日当たりが良いため雪はあまり多くはなかったのだが、 小金沢山への登りではずっと雪道が続く状態であった。 この道は先にも述べたように、 ササが煩くて道が分かりにくいところがあり、 しかもササの上に雪がのっかているところもかなりあったため 結構苦労したのであった。
また、樹林帯の中も雪で全面覆われていたため、 結構道が分かり辛く、 そういう点では 先ほどの逆方向からの足跡には大変助けられたといえる。
もし、全面雪で真っ白であったら、 赤いテープ探しで結構時間をとられたに違いないからである。さて、これ以上書くと登山記録に書くことがなくなってしまうので 後は記録の方に任せるが、 上日川峠から大菩薩館跡を経て小屋平直下の林道に出るまでの間で 少々ビビッたことがあったので、 それだけ書いておきたい。
荒れ果てた大菩薩館を過ぎ、人の踏んだ跡が全くない雪道を進んで行くと いくつかの沢を渡るようになったのだが、ある沢を渡ると これまで雪道につけられていた鹿やウサギと思われる足跡に混じって、 直径 10センチ以上もある大きな足跡が現れたのである。 私はツキノワグマの足跡というものを知らないのであるが、 この足跡から想像できる動物は熊しか思いつかず、 しかも足跡が今つけられたばかりのようで生々しいものだから、 本当にビビッてしまったのである。
この大菩薩界隈に 熊が生息しているのかどうかについては知らないし、 例え生息していたとしても 雪が降る 12月の下旬のこんな時期には 当然冬眠に入っているものだと思うのだが、 冬眠時期なのに食物が不足しているため 麓に下りてきた熊などの話もあるので、 熊が居てもおかしくない訳である。そして、足跡の中には小さな坂道で少しスリップし、雪の下の枯れ葉などがむき出しになっていた箇所もあったことから本当にリアリティがあり、 もうこれは熊以外の何者でもないと確信した訳で 慌ててザックにくくりつけてあったカウベル ? を手に持ちかえて、 大きい音を鳴らしながら登山道を進んだのであった。
小さなマウンドを登ったところやカーブを曲がりきったところでは、その先に熊が待っているのではないかなどとの想像力が働き、 出会ったらどうすればよいのだろうか などと考えながらの 、本当に恐る恐る進んでいく状況であった。
こういった状態が 10分ほど続いたであろうか、 ビビリながらの歩きも段々限界に達し始めた頃、 大きな沢を渡ったところで幸い足跡がなくなってくれたのであった。 ようやく一息ついた感じであるが、 幸いにもその後は 2度と足跡にお目に掛かることはなかったのである。それにしても、これだけビビりながらも 来た道を引き返そうとはせずに足跡を追うように進んでいったというのは、やはりこの時期熊などいる訳がない という気持ちがどこかにあったのと、 もう1つ、 怖いもの見たさ の気持ちがあったのかもしれない。 考えたら無謀なことである。
あれは熊の足跡ではなかったことを祈りたい。さて、この日の登山も結論だけ書くと、 昔は気持ちの良いササ原という印象が強かった黒岳の南側斜面も 10年経つとササがかなり伸びて趣を変えていたことから やや失望するところはあった。 しかし、裂石に車を止めてから湯ノ沢峠までの間で誰一人とも会わず、 先日の櫛形山と同様の 静かな山旅を大いに楽しむことができたので 大変良かったと思う。
また、この冬最初の完全なる雪を踏めたのも良かった訳で、今年最後、そして20世紀最後の我が登山はなかなか満足したものであった と言えよう。
しかし、湯ノ沢峠から山道を下り林道に出てから甲斐大和駅までの歩きは思った通り長く苦しいもので、車を裂石に置いてこのような登山をする自分が 本当にアホらしく思えたことも事実である。 この道は南大菩薩登山を最後に 2度と通るまいと思っていたのに、 またまた引き込まれてしまった訳で、 本当に山バカである。 そういう意味でも 私にふさわしい登山であったと言えるのではないかと思う。
追記:本年中、新たに登った百名山は平ヶ岳 (& 再登山) ただ 1つという体たらくでした。
めざせ百名山のタイトルを掲げているにも拘わらず、 恥ずかしい限りです。
また、ホームページ更新を 1ヶ月もサボった時もあり、 本当に反省すべき点が多々ある年でありました。来年こそはというのはいつも年末に思うことですが、本当に来年こそは頑張りたいと思いますので、我がホームページを今後とも宜しくお願い致します。
では皆さん、良いお年を。