● 無念の平ヶ岳  2000.09.06 記● またまたご無沙汰  2000.10.05 記
● 充実の平ヶ岳  2000.10.12 記
● 山での昼食  2000.10.23 記
8月はついに 1回も山に行けなかった。
加えて、 本年に登った 百名山 (未踏分) はまだゼロの状況であるため、 焦る気持ちがかなり強く、 少々無理をしてでもという感じで、 この土曜日 平ヶ岳への登山を試みることにした。
とは言え、 前日の金曜日のギリギリまで天気予報を睨みながら 行こうかどうか迷い、 最終的に土曜日はどうにか会津地方は晴れ、 新潟県 上・中越地方も雨は降らないようであったので、 思い切って行くことにしたのである。そして、平ヶ岳に登った後そのまま横浜まで戻ってくるのは身体的に辛いと考え、檜枝岐村付近で 1泊し、翌日の日曜日は 会津朝日岳に登ろうか などと密かに計画しての出発であった。
朝、2時半に起きるつもりで目覚ましをかけていたものの、さすがに睡眠時間が 3時間位では起きられず、一旦目覚ましを止めてしまって、 次に目を覚ましたのは 3時15分であった。 慌てて身支度をし、家を出たのが 3時40分。 空には星が輝き、本日の天気は良さそうである。
もう通い慣れた感じさえある、東名高速道−首都高速−外環道を経て東北自動車道に入るというルートをとって順調に車を飛ばしたのだが、 さすがに眠い。 宇都宮ICを過ぎる頃からはもうどうにも我慢できなくなり、 矢板北PAにて車を止め、少し休むことにした。 10分位と思っていたのだが、 目を覚ますと 30分ほど眠っていたことになり、 大きなロスである。 しかし、お陰で眠気は大分とれ、スッキリである。
西那須野塩原ICで降り、塩原温泉を抜ける頃には青空が広がり、太陽も輝いている。問題は尾頭トンネルの通過後の空模様であるが、 嬉しいことに今回はトンネルを抜けても天候が変わることはなく、 青い空が広がっていてくれたのであった。
ただ会津高原駅を過ぎる頃から、 目指す尾瀬方面に雲が多いことがやや気にかかり始め出した。
しかしそれも途中から消え始め、 檜枝岐村を過ぎ七入に近づいた頃には 青空に浮かぶ燧ヶ岳の姿をハッキリ見ることができたので、 本日の登山に大いに期待が膨らんだのであった。燧ヶ岳への登山口である尾瀬御池への分岐を左に過ごして、さらに山道を進むとやがて尾瀬口山荘で、このようなロケーションに山小屋があることに 少々驚かされたが、 さらにそこから平ヶ岳登山口までの間に いくつかの民家らしきものが見られたのには もっと驚かされた。 とにかく山の中なのである。
ようやく着いた平ヶ岳登山口の駐車場には車が 6台ほど駐車していたもののまだ十分に空きがあり、駐車場が満杯ではないかと密かに恐れていただけに ホッとさせられた (8時7分着、 14分出発)。
さて、登山の模様はいずれ登山記録としてアップするつもりだが、一口に言ってこのコースの長さにはまいった。行きは初めて歩く道ということで興味もあり、 あまりその長さが気にならなかったのだが、 帰りは下台倉山から延々と続くヤセ尾根の下りが 疲れた身体には長く苦痛で、 しかも途中途中でこの尾根道の長い全貌が見えるだけに、 これからの行程を思ってウンザリさせられることしきりであった。
そして肝心の天候であるが、登りのヤセ尾根を登っている時はジリジリと太陽が首筋を照りつけていたにもかかわらず、登るにつれてドンドン天候は悪化し始め、 ついには白沢清水に着いた頃には雨がパラつきだしたのであった。 それでもにわか雨のように、 少し雨がパラついてはまた止むという状況が続き、 時々太陽も照ってきたので安心していたのだが、 池ノ岳への登りに至って完全な雨となり、 そして池ノ岳から平ヶ岳への間は 横殴りの雨風に悩まされる状態になったのである。
従って、12時54分に着いた平ヶ岳頂上はガスと雨と強風といった状況であった。しかも頂上には誰もおらず、雨が強くてセルフタイマー を使っての記念写真もままならぬということで、 安達太良山と同じく 頂上での記念写真はお預け状態になってしまったのである。
こんな状態であるから頂上に居たのはわずか 5分。13時にはもう頂上を後にしたのであった。しかし、このまま帰れるなら良いのだが、 平ヶ岳といえば玉子石を見ずしては画竜点睛を欠くというもので、 玉子石を求めてそこから 30分ほど雨風の強い中を歩かねばならなかったのである。
ガスが濃い中、どこをどう歩いているのかも分からない状態で誰もいない湿原を行くのは大変心細い。私はカメラを抱えているため、 雨具を着るのではなく、 傘をさしながらの歩行であったのだが、 時には強風で傘が飛ばされそうになったり、 また早足で歩いたために 木道で滑って尻餅をついてしまう という有様であった。
ガスで先が見えないだけに大変距離が長く感じられ、よくもまあこのような広い山の中で玉子石を発見したものだと感心しながら歩いたのだが、 もしかしたら ガスがなければいろいろな所から 玉子石は見えるのかもしれない。
ようやく玉子石に着いたのが 13時31分。玉子石は噂通りの奇岩で、台座となる岩の上にたまご型の岩がのっかっている。 しかも、上と下の岩は一つの岩で、 真ん中が浸食されてこの不思議な形になっているのである。 誠に自然の成せる技には驚かされる。
ガスの中の玉子石であったが、一瞬ではあるもののガスが晴れ、玉子石の後ろに広がる池塘群が目に飛び込んできた。 鏡のような池塘が点在してきらめき、 玉子石の背景がグッと映える光景が目の前に広がったのである。 すぐにカメラを構えたのは言うまでもないが、 それは本当に一瞬で、 カメラを構えた時にはもうガスのカーテンが下りてしまい、 その後 5分ほどシャッターチャンスを待ったものの、 雨風は強くなる一方で、 結局あきらめざるを得なかったのであった。
さて、玉子石を見ればこれでノルマは果たしたことになり、後はもうひたすら下山である。このような気持ちになってしまうのは 平ヶ岳に申し訳ないのだが、 ガスで視界は利かないため頂上の景色は全く見えず、 また雨が強くて頂上での記念写真も撮れず、 さらに玉子石を映えさせる池塘群も見られず という状態の上に、 横殴りの雨風に打たれては致し方あるまい。
カメラをザックに押し込み、傘だけさしたまま後は駆けるようにして往路をそのまま戻ったのであった。雨はその後も降り続いたが、 再び白沢清水に至る頃には小降りになり、 時には青空も雲の切れ間にのぞき始め、 下山するにつれて天候が回復しだしたのは皮肉であった。
しかし、 会津側の山々は日が差しているようにも見えるものの、 振り返れば平ヶ岳方面はまだ黒い雲に覆われていたので、 山頂付近はまだ先ほどと同じ状態なのかもしれない。クタクタになって駐車場に戻ってきたのが 17時丁度。全行程 8時間46分の山行であった。
しかし、今回の平ヶ岳登山は大変悔しい。 晴れの日ばかりでなく、雨の頂上もまた登山ではあるが、 今回の平ヶ岳のように頂上の湿原などに見るべきものがある山で、 その部分を欠いてしまっては不満ばかりが残る。 折を見て捲土重来を期さねばと思う次第である。ところで、今回の登山で何より驚かされたのは、蛇に 5回も出会ったことである。しかも、最初の 1匹はマムシで、下台倉山から台倉山への尾根道を歩きながら 左前方に見える燧ヶ岳の双耳峰に見とれていたところ、 足下を体調 80センチマムシが横切っていったのである。 もし気づかずに踏みつけていたらどうなっていたかと思うと ゾッとする。
そして雨の中の下山時には、蛇に代わって蝦蟇ガエル (or ヒキガエル ?) に何遍も驚かされたのである。目の前の石が動いたのでビックリすると、 それは保護色をした蝦蟇ガエルなのである。 気づかずに踏みつけそうになったりで、 何回もドキッとさせられたのであった。
なお、翌日の登山だが、 天気予報では翌日の天候も悪そうだったため、 会津朝日岳登山は中止とし、 そのまま家に帰ることにした。 檜枝岐歌舞伎の開催日であったこの日、 人々が村の道を歌舞伎に向かう中、 18時過ぎに檜枝岐村を出発し、 家に着いたのが 22時30分であった。 それほど飛ばした訳ではないが、 疲れた身体にも拘わらず ノンストップでこの時間に帰り着けたのは上出来であろう。 とにかく疲れた 1日であった。
イヤー、2週間ぶりの更新である (この雑記帳に至っては、何と 1ヶ月ぶりの更新 !)。
この間、山にも行けず (行かずが正しい)、ひたすらオリンピックに見入っていたのであるから情けない限りであるが、 それにしても選手が一所懸命プレイし、 最高のパフォーマンスを見せている姿は本当に感激もので、 下手なドラマを見るよりもずっと面白い。
日本選手も総じて頑張ったと言って良いと思うが、本番に実力を発揮できなかった人たちを見ると、オリンピックという特殊舞台の恐ろしさを感じるとともに、 世界での経験の乏しさを思わざるを得ない。
昔のように 日本、日の丸を背負うなどという感じを持っている人は少ないと思うが、 やはり精神的なプレッシャーは相当なもののようで、 そういう意味から メンタルなトレーニングはもっと重要視されて良いと思う。また、メダルを取った人たちだけがクローズアップされているが、このオリンピックの大舞台で見事入賞を果たした人達や自己記録を更新した人達は もっと誉められても良いであろう。 新聞には、メダリストだけが載ることが多かったが、 入賞者についてもしっかり書いて欲しかった気がする。
ところで、精神的な重圧と言えばソフトボール女子の試合は毎回ハラハラ、ドキドキものであった。野球を見慣れている我々には、 0−0 の均衡がずっと続くことに対して 相当な重圧を選手達は感じているのではないか と思ってしまうのだが、 実力が均衡したソフトボールでは 点が入ることの方が稀らしく (言い過ぎかも・・・)、 選手達にとってはいつものことだったのかもしれない。 それにしてもあの精神力は大したものである。
そしてこのオリンピックにおける日本選手団を総括すると、底辺がしっかりした競技が良い成績を上げたと言っても良い気がする。 サッカーなどは Jリーグによるレベルアップがなければ 世界のプロ選手を相手にあそこまで戦えなかったであろうし、 女子ソフトボールなども 各国の有名選手が日本のリーグでプレーしていることが 大いにプラスになった気がする。
その点で、 かつては日本の得意種目であったレスリングや体操などは 日本人の体力云々を言う前に、 その強化の仕方、 世界との接点をもっと考える方が良い気がするし、 野球については アマとプロの差が歴然としていて、 今のまま中途半端な選手派遣を行っていたのでは やがて野球人気も廃れる という危機感を抱いた次第である。可哀想だが、野球に関してはオリンピックにプロ・アマの垣根が無くなった以上、もはやアマの入る余地は無いという気がする。あきらかにレベルが違うのである。
クーベルタンやブランデージの崇高な理念に基づき、 アマチュアだけを送り続けるのも手であろうが、 今のように各企業におんぶした体制では、 日本は勝敗を初めから諦めるしかない訳で、 やがてアジアの予選を勝ち抜くことすらできない時代がくるであろう。またプロ側が今回のセリーグのように選手派遣を拒むのもまた問題である。各チームの主力を出したパリーグはもっと誉められて然るべきで、 優勝争いが絡む中での各チームの努力に敬意を表したいし、 もっと顕彰することはできないものであろうかとも思う。
4年後のアテネに向けて、プロ、アマの非常識な壁 (プロ野球選手、OBは自分の息子にさえ野球を教えてはならない など) を作っている今の球界関係者は 頭を切り換え、 真の日本代表と呼べる選手を送り出して欲しいものである。 その中で、アマ主体、プロ主体という考えは捨て去るべきで、 日本におけるその時点での最高のプレイヤーを選ぶべきである。 その結果アマが選ばれなくても仕方がないと考えるべきであろう。
未だにアマ球界の関係者の中には、選手も含めて、アマチュアの最高峰の舞台はオリンピックという考え方があるようだが、 もう時代は変わったのである。 その変わり方が良いかどうかについては議論があるかもしれないが、 世界のアスリート、プレイヤーが一堂に会して その世界 NO.1を決めるのがオリンピックであるのなら、 プロを排除すること自体がおかしい気がする。
とにかく、各選手のプレーも素晴らしかったが、考えさせられるオリンピックであった。
と、まあ山とは全く関係ない話を書いてしまったが、 傍観者の立場はさておき、今の私は焦りまくりである。
今年、日本百名山はまだ 平ヶ岳 1つしか登っていないし、 もしかしたら今年はこれで終わりかも知れない という気がするからである。ただ、百名山は気長に構えればとも思っているのでチャンスを待ちたいと思うが、その他の山の方については、このところ全くのスローペースに陥っている訳で、 本当に焦っているのである。
しかも、今や山登りに欠かせないものとなった我が愛車も、9月の初めに事故で破損してしまい (全損扱い)、結局新車購入ということになってしまって、 このところ身動きできない日が続いているのである。
先週ようやく新車が届いてくれたが、 生憎 土日は雨模様で山には行けずということであったし、 さらに今度の 3連休も あまり天候の方は芳しくないようである。ここは 1つ新車の慣らし運転を兼ね、天候の良い地域を求めて思い切って遠出をしてみたら良いかも知れない。10月に入って、 山は今や紅葉の真っ盛りのはず。 素晴らしい秋を求めて・・・と思うこの頃である。
ところで、パソコンネタではあるが、つい成り行きで Windows ME を購入してしまった。 その顛末はいずれパソコン記の方にアップしたいと思うが、 Windows ME をインストールしてから、 フィルムスキャナーである EPSON FS−1200WINP が Windows ME に 「非対応」 であることを知った。 EPSONのホームページにハッキリと 「非対応」 と書かれていたのである。
試してみたところ、一応動いて、フィルムからパソコンに写真を落とし込むことはできたのであるが、今後何が起こるか分からず チョット怖い。
新たにスキャナーを買う余裕もないことから、 これからは撮った写真を フォトCDにしてみようかと思っている次第である。 フィルムスキャナーから落とし込むと、 どうもスキャナーの性能の限界から、 写真が平板になる。 フォトCDではどうなるのか少し楽しみである。
もっとも、 その為には写真を撮るべく山に行かねばならないが・・・・・・。
先週の 3連休は天候があまり芳しくないものと思っていたら、 連休初日の土曜日だけは晴れる見込みが強くなったので、 急遽山に行くことにした。
もう 10月であり、 山々は紅葉真っ盛りの状態が期待できることから 行き先を大いに迷ったのであるが、 結局は先月登ったばかりではあるものの 今年唯一の初登頂百名山である 平ヶ岳に 再度チャレンジすることにした。理由は、前回の平ヶ岳登山があまりに天候に恵まれず物足りない思いをしたため、いつかは再登山をと考えていたことと、 昨年のこの時期に 平ヶ岳とほぼ同じ地域にある会津駒ヶ岳に登って、 素晴らしい好天を得られたことを思い出したからである。
さらに、前回の雑記帳に書いたように、やむを得ない理由から先月末に車を買い換えたばかりのため なるべく長距離を走って車を慣らしたい という気持ちがあり、 そういう意味からも 平ヶ岳のあるこの地域が理想的であったからである。
今回は目覚ましの時間通りに午前2時40分に起床することができ、家を出発したのが 3時10分。 新車のため、あまりエンジンの回転数を上げてはならじと思い、 最高でも 120km/hまでで走ったことから、 前回よりも所要時間は掛かってしまったが順調に進むことができ、 平ヶ岳登山口の駐車場に着いたのは 7時44分であった。
途中、会津高原駅付近を通る際には、濃い霧で視界があまり利かない状態となって本日の天候がやや心配されたのだが、それも内川の T字路を左折して檜枝岐村に向かう頃には 雲一つない青空に変わってくれたのであった。
さて登山の方であるが、前回ややバテ気味となった下台倉山へと続く尾根道も、今回はほとんど休憩無しに一気に登り切ることができ、 駐車場から下台倉山までの所要時間は 1時間27分と、 途中休憩を入れた前回よりも 12分ほど早く登ることができたのであった。
休憩時間を考えれば 前回、今回 ほぼ互角のようであるが、 身体の勢いが全然違うのである。
そのことは平ヶ岳頂上に至るまでの全体の所要時間に如実に現れ、 前回が喘ぎ喘ぎの 4時間41分であったのに対し、 今回は余裕の 4時間14分であった。2回ともほぼ 1ヶ月と少しのブランクの後の登山であり、体調も今回の方がやや良かったとは言うものの、これだけ差がついたのは やはり天候から来る気持ちのなせる業であろう。 無論、雨中に傘を差しながら登るのと、 好天のもと無風に近い状態の中で登るのとでは 全くペースが異なって然るべきであるが、 白沢清水まではどちらも傘を差す必要がなかったことを考えると、 やはり全く雲一つない青空のもとでの心の弾み様、 足取りが大きくペースを左右したと考えるべきであろう。
そうそう、周りの景色の影響も忘れてはならない。思惑通り山の紅葉は進んでおり、黄色や赤、そして少々残る緑色に彩られた山々は ストレスを忘れさせ、 さらに美しい光景が期待できる頂上へと 自然に足を急がせるのであった。
燧ヶ岳や会津駒ヶ岳は、 その姿を雲に隠すことなく最後まで見せてくれており、 目指す平ヶ岳も そのバックに広がる青空が最後までなくなることはなく、 大いに秋の登山を満喫させてくれたのであった。前回の登山では見ることができなかった池ノ岳、平ヶ岳頂上付近の景色、たまご石とその後ろに広がる池塘群も見ることができ、 念願叶った思いである。 またさらに、 時間的余裕があったので 頂上に敷かれた木道を散策する余裕もあり、 平ヶ岳三角点のさらに先、 木道の終点まで行って 越後三山の姿を楽しむことができたのは大変ラッキーであった。
また、前回 「このように広い山の中で良くたまご石のある場所を発見できたな」 と感じた疑問も、この平ヶ岳頂上のさらに先に広がる湿原から 谷を挟んだ向かい側の高みに たまご石の姿を認めることができ、 氷解したのであった。
登山の詳細については後ほどアップする登山記録の方に記したいと思うのでこれくらいにしておきたいが、それにしても、今回は 3連休ということもあって、 この平ヶ岳もかなりの人出であった。 駐車場はほとんど満車に近い状態であり、 私が頂上に着くまでに追い抜いた登山者も 30人近くはいたと思う。 そしてほとんどの人が、 頂上直下でキャンプをすべく 大きな荷物を背負っていたのは驚きであった。
12時前に池ノ岳付近にいた人達について言えば、 このペースで登ってこれたことを考えると、 何も重い荷物を背負って登ってくるよりも 荷を軽くして日帰りした方が良さそうな気がするが、 やはり頂上でのご来光、 山の頂上で迎える清々しい朝は 何にも代え難い魅力なのであろう。そして、下山途中でも何人もの登ってくる人達とすれ違ったのであるが、私の見た限り、合計で 40人以上は平ヶ岳でキャンプすることになったことと思う。 しかし、平ヶ岳のキャンプ場には それほどの人数がテントを張る場所などなかったように思え (家に帰ってガイドブックを調べたら 10張ほどと書かれてあった)、 あれほどの人達が 本当に指定された場所にテントを張れたのか疑問である。
特に驚きだったのは、 14時半近くに台倉山を通過して以降に 5人ほどの登山者とすれ違ったことである。 あの時間では暗くなる前に頂上には着けないであろうし、 例え着いたとしても、 既にテントを張る場所は 多くの人々に占領されていることは間違いないはずである。 恐らく、 キャンプ指定地以外の場所にテントを張ることになることは必定で、 美しい山が荒れてしまわなければ と心配しながらの下山であった。ところで、前回は登山道で マムシを含む数匹の蛇に出会い悲鳴をあげたのであったが、今回は全く出会わず、その影すら見ることはなかったのであった。 マムシの産卵期ゆえに 気が立ったマムシがいるのではないか などと心配して、 足下に注意をしながら尾根道を歩いたのだが、 取り越し苦労であった。助かった。
こうして秋の晴天のもと、大いに登山を満喫したのであったが、 前回が雨の中だっただけに その満足度はさらに大きなものがある。 頂上での記念写真も 今回は撮ることができたことを付け加えておく。
駐車場に戻ってきたのが、16時15分。合計 8時間25分の所要時間で、前回よりも 20分ほど早く、しかも前回は頂上の散策も無く、 また頂上やたまご石付近での長時間の休憩もなかったことを考えると、 かなりハイペースでの登山ができたと思う。 やはり、山は晴天に限る。
なお蛇足だが、今回の登山が 3月に買ったニューザック、 Karrimor の Ridge 40 のデビューであった (山の雑記帳 ザック買い換え参照)。 3月に買ったのに今まで使わなかったのは、 ずうっと使い続けてきた Jack wolfskin の ZERMATT をそのまま引退させてしまうのが忍びなかったからである。
安全登山にあるまじき行為ではあるが、 ショルダーベルトとウェストベルトを結びつけて ショルダーベルトの付け根の部分が千切れてしまったのを補い、 あれから 7ヶ月間使い続けたのである。 しかしさすがに形が崩れ、 傷も結構目立ち始めたので、 晴天が見越せた今回の登山で 新しいザックをデビューさせることにしたのであった。 7年以上お世話になった ZERMATT には本当にご苦労さんと言いたいし、新しい Ridge 40 の方にはこれからウンと頑張って欲しいものである。
ZERMATT は平ヶ岳を最後に引退し、 Ridge 40 は同じく平ヶ岳でデビュー ということで、 うまいバトンタッチができたものである。さて、その Ridge 40 であるが、40リットルという割には小型で背負いやすく、付いている機能も多々あってなかなか使い心地が良い。 このザックにはデビューのこの日のように、 ずうっと晴天が付いて回ってくれることを祈りたいものである。
ある方から、山での食事はどんなものにしていますか ? とのメールを戴いた。
そこで 自分の山での食事スタイルについて少し考えてみたのだが、 食欲はこの年まで些かも衰えておらず、 どちらかというと 食い意地が張っている部類に入っている私であるにもかかわらず、 あまり山での食事には拘っていないことに気がついた。この拘っていないという意味は、コンビニなどで買うおにぎりなどをそのまま昼食として持参することが多く、食事は美味しいものを食べよう というよりは、 とにかく腹が満たされれば良い ということが中心にあるということである。
山ではよく、家から握り飯やサンドイッチ、おかずなどを持参されたり、またガスコンロと鍋を使って簡単に即席麺で済ますにしても、 野菜や卵などを持参して 一緒に煮込むようなことをしていらっしゃる方を見かけたりするが、 そのように家から手のこんだものを用意していく などという芸当はどうも私にはできない。
私の場合、相当腹が減っているにもかかわらず 頂上に着くまでは と思って昼食を我慢している場合が多く、従ってようやく着いた頂上では 食べ物が口に入るまでの時間が短ければ短い程好ましい訳で、 口に入るまでに準備を要する食事というのは その面倒臭さもあってご勘弁という次第なのである。
しかしそうはいっても、冬場は冷たくなったおにぎりだけではとても耐えられない訳で、仕方なくコンロでお湯を沸かし、持参したカップ麺とともに おにぎりを食べることにしているのだが、 この場合でも、 出来上がるまでの時間、空腹を我慢しているのは耐え難く、 お湯を沸かし、カップにお湯を注いで 3分ほど待つ間に 1、2個はおにぎりをほおばっているような状況である。
日帰り以外の山行では、日持ちするものを持参しなければならない関係から、コンビニのおにぎりという訳にはいかず、フリーズドライ製品や アルファ米+レトルトカレー、 即席麺+餅 といった、 少し食べるまでに時間を要するものを仕方なく持参しているが、 これもテント泊などの場合で、 山小屋泊の場合は できるだけ山小屋で弁当を作ってもらうようにしている。
登山を始めた頃は、山小屋泊の山行でも昼食は全部持参していたのだが、先に述べたように口に入るまでに手間がかかり、また荷物も重たいことから、 できるだけ山小屋で弁当を頼むようになってしまったのである。 実は、登山を始めた頃は 山小屋で弁当を作ってもらえる などということを知りもしなかったというのが真相で、 例えば表銀座を縦走した時には 4日分の昼食 (実際は 3日分で済んだ) を背負って大変苦しい思いをしたのであったが、 その時泊まった山小屋で 翌日の弁当の注文をとっているのを知って 愕然としたのであった。
しかし、それでも双六小屋から笠ヶ岳へ向かう途中にあった雪渓 ? で食べたそうめんはなかなかの思い出で、日帰り山行の場合でも たまにはこのようにそうめんを持っていくのも良いか と考えることもある。 ただ、そうめんの束と麺つゆ、 そして大量の水 (しかも冷たくないと美味しくない) とコンロ持参というのもなかなか面倒で、 結局は簡単に済ませる食事になってしまうのである。
さて、このようにほとんど出来合の昼食で済ませる私であるが、 それはそれなりに拘りはある。
例えば、おにぎりを買う場合、 大体 4つか 5つを購入するのだが、 そのうち必ず 2つは赤飯握りとしているのである。 これは、頂上まで時間がかかるようなコースで、 山の途中で朝食をとってから 4時間以上経過してしまった場合に、 途中の休憩で この赤飯握りを 1つ食べることにしているからである。 餅米は腹保ちがするのではないか という思い込みによるものであるが、 一応頂上に着くまでは それで何とか持てくれているようである (残りの 1つは頂上で食べる)。このようにして、ある程度の空腹状態となった頂上での昼食は素晴らしいもので、地上ではそれほど美味しいと思わない握り飯も、 頂上まで登ったという達成感が加われば、 その味は格別となるのである。
さらに、頂上が混雑しておらず、 しかも天候が良くて周囲の景色がよく見えれば これ以上のことはない。というように今はコンビニのおにぎり中心の昼食であるが、宮崎にいた頃 (単身赴任) は朝早くホカホカ亭などの弁当屋で弁当を買い、 それを持参することが多かったのであった。 現在は良く分からないのだが、 5、6年前の宮崎は 24時間営業の弁当屋が数多くあったのである。
今も近隣に 24時間営業の弁当屋があれば 是非とも購入したいのだが、 瀬谷区近辺には見当たらず、 結局はコンビニのおにぎりに落ち着くという訳である。また、今のように車を使わず列車で山に行くことが多かった頃は、駅弁も昼食の重要な構成員であった。印象深いものとしては、 大菩薩嶺で食べた八王子の夕焼け弁当、陣馬の栗めし、 越後駒ヶ岳で食べた上野駅購入のひれカツ弁当、 両神山山頂での池袋駅購入のそぼろ弁当 (正式名は不明)、 那須連峰朝日岳直下で食べた寿司弁当などである。
あと変わったところでは、前日家族と宿泊した松川温泉のホテルで購入した土産用のカステラ (のような菓子) を昼食とした岩手山である。
これは、周囲に食料を売る店も見当たらず、 仕方なくホテル内で何かないかと探したところ、 一番腹持ちがしそうだったのがカステラだった ということなのである。 しかし、今から考えれば、ホテルで朝食を食べたのであるから、 昼食を作ってもらえば良かった訳で、 やや反省である。 しかし、当日の岩手山は雨と霧で、 頂上での昼食などとんでもない状態であったから、 却ってカステラ位で丁度良かったのかもしれないそうそう、昼食としてフランスパンを持っていったことも何回かあった。前日にパン屋でフランスパンとバター (小さい携帯用のもの) を購入し、 山ではそのパンを切り裂いてバターを塗り、 缶詰の肉やソーセージを間に挟んで食べるのである。 記憶にあるのは丹沢山、雲取山 (初回)、 九重山 (初回)、鹿島槍ヶ岳などである。
しかし、このパン食も何回かやっているうちに飽きがきてしまった次第で、やはり、私にとって、山の食事は米が合っているらしい。
そしてさらに、 今はもっぱら昼食をコンビニのおにぎりとしている理由を考えてみたら、 おにぎりは 1つづつ食べるので、 腹の空き具合に合わせて その時に食べる量を調整しやすい ということが大きい気がする。
また、ややしょっぱめに作ってある具も、 肉体労働の山頂では丁度良い塩加減なのである。でももしかしたら、小学生の頃の遠足は山に行くことが多く、その時のお弁当がおにぎりやかんぴょうを巻いた寿司だったことから、 それが今の山での嗜好に影響を及ぼしている というのが本当のところかもしれない。