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13.風と雅の帝 14.更級忍法帖 |
【作家歴】、十兵衛両断、柳生薔薇剣、柳生雨月抄、忍法さだめうつし、友を選ばば、柳生黙示録、砕かれざるもの、白村江、秘伝・日本史解読術 |
10. | |
「神を統べる者−厩戸御子倭国追放篇−」 ★★ |
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2021年02月
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少年・厩戸御子(後の聖徳太子)を主人公とし、日本〜中国〜天竺(インド)にまで舞台を広げる、長大な歴史物語シリーズの幕あけの巻。 まず冒頭、厩戸御子はまだ7歳。しかし、既に百済語・漢語を自在に読み書きし、数多くの仏教経典を読んでいたばかりか全て諳んじているという、類まれな才能を発揮していた。 時代は崇仏派の蘇我馬子と、廃仏派の物部守屋が凌ぎを削っていた時代。その中で厩戸御子は、仏教の真実を知ろうとあらゆる仏教経典を読み漁っていた訳ですが、そんな厩戸御子の異能ぶりを危険視したのが現帝である敏達天皇。 仏教を敵視する敏達天皇は、伊勢神宮からの神託を理由に、厩戸御子の暗殺を謀ろうとします。 厩戸御子の才能に期待をかける物部守屋は、主張の差を超えて蘇我馬子と共闘し、厩戸御子を大和から脱出させます。 護衛を命じられて御子に同行するのは、守屋配下の女性剣士=柚蔓(ゆずる)と、馬子配下の剣士=虎杖(いたどり)。 想像力を発揮しての広大なストーリィとはいっても、荒山徹さんらしいのは、禍霊が登場したり、果てはゾンビまで登場。 とはいっても所詮本巻は、幕開けのストーリィ。 異能を発揮する厩戸御子に、男女2人の護衛剣士という組み合わせ。そして、日本古来の女神が登場するかと思えば、ゾンビまで登場。さらにインド人修行僧、道教の道士まで登場し、これからの破天荒な面白さを十分期待させてくれます。 いったいどれだけ長い物語になるのかと畏れつつも、今後の展開が楽しみです。 仏教の是非をいろいろな人物をして語らせているところも、十分面白いですし。 第一部 大和/第二部 筑紫/第三部 揚州 |
11. | |
「神を統べる者−覚醒ニルヴァーナ篇−」 ★★ |
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3巻からなる物語の第2巻。 冒頭は、前巻から続く、厩戸御子を拉致した九叙道士たちの呪力と、ヴァルディタム・ダッタ老師たち仏僧の法力との対決。 その対決が決着し、厩戸御子一行は目指す修業の地=インドのナーランダへと向かいます。 この辺りはインドネシア〜インドという船旅となり、興味は覚えるもののやや退屈。 ナーランダ寺院に着いて御子が修業に入ったことから、柚蔓と虎杖は一旦護衛の任を解かれますが、そこでの2人の対照的な行動に驚かされます。 ところが驚きはまだほんの序の口。その後、御子をナーランダまで導いたヴァルディタム・ダッタ老師、御子の指導僧となったシーラバドラが懸念していたことが現実化していきます。 はっきり言えば、現実化どころではありません。まさか厩戸御子の身の上にそんなことが起きるとは! それ後も、まさか、まさかの繰り返し、もう驚天動地という他なく、まるで谷底へ転がり落ちていくかのような展開。 まぁ物語にあっては、一旦底まで落ち、そこから再生するというパターンがあるからと、何とか気持ちを持ち応えました。 しかし、そこからの展開を、そんなところへ持っていくのか!とまた驚き。 いったい、仏陀の教える“悟り”とは何なのか。 荒山さんが解き明かす“仏陀の悟り”の真相には呆気にとられてしまいますが、“中道”という考え方に立てば、私にとっては得心のいくことでもあります。 本巻の最後で、ようやく厩戸御子の修業に目途がつき、・・・と思ったところでまた新たな危難が到来。興味は早くも第3巻へと引きずられます。 なお、聖徳太子を聖人君子として崇める人達からすると、本巻はとんでもなく、許し難いストーリィでしょうねぇ。 第三部 揚州(承前)/第四部 ナーランダ/第五部 タームラリプティ |
12. | |
「神を統べる者−上宮聖徳法王誕生篇−」 ★★☆ |
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過去2巻のストーリィを集約するような完結編。 それに相応して読み応え、興奮とも、たっぷりです。 第五部は前巻からの続き。トライローキャム教団に誘拐された厩戸御子は、その霊力を教団に利用され・・・。 しかしまぁ、巨大○○同士の激突なんて、「柳生雨月抄」でモスラ等が登場した時のことを思い出しました。 第七部は、ついに厩戸御子が柚蔓・虎杖と共に倭国へ帰国。 御子を迎えた蘇我馬子、物部守屋の前で、仏教の全てを知ったという厩戸御子が、仏教のありのままの姿を告げます。 してやったり顔の一方と、落胆の顔を隠せないもう一方。 その厩戸御子の決意、そして御子の実父である用明天皇崩御を経て、ついに仏教受容・仏教排斥をかけた物部守屋軍と蘇我馬子軍との激突が始まります。 一方、厩戸御子はまたしても・・・。 最後はまたもや仰天すべき結末ですが、ここまで来るともう何も恐くない、もう驚かない、という気持ちです。(苦笑) 壮大なストーリィを展開させる伝奇小説としての面白さの他にもう一つ、仏教論の語りがとても面白い。 まぁ判ってはいることですが、これだけ明晰に作中人物に言わせているところに、痛快な面白さがあります。 倭国から始まり、中国〜インド〜中国〜そして帰国という、壮大なスケールをもった伝奇小説。 御子、柚蔓、虎杖と一緒に、読み手もまた遥かな旅を今終えた気がします。 もっとも歴史に残された功績は、これから後のことなのですが。 第五部 タームラリプティ(承前)/第六部 隋/第七部 淤能碁呂島/終章 |
13. | |
「風と雅の帝」 ★★☆ 中山義秀文学賞 |
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本作題名、隆慶一郎「花と火の帝」のオマージュでしょう。 しかし、無理矢理こじつけた題名ではなく、読了した後になって実に相応しい題名だと得心した次第です。 舞台は、天皇家が持明院統(嫡子帝系)【北朝】と大覚寺統(弟帝系)【南朝】に別れて対立した南北朝時代。 主人公は、明治時代に南朝が正統とされたことから歴代天皇の系譜から抹消された北朝初代=光厳天皇(量仁:かずひと)。 鎌倉幕府滅亡後に南北朝という動乱期があったことは歴史の知識として知ってはいましたが、恥ずかしながらその経緯・顛末については殆ど知らず。 その点では興味を惹かれて当然という処ではあるのですが、もうひとつ気が乗らず読もうかどうか迷いました。しかし、結果的に読んで大正解。 ※なお、荒山徹さんというと、隆さん同様、伝奇小説というイメージが強いのですが、本作は歴然とした歴史小説です。 元々天皇家内の混乱から持明院統と大覚寺統に分かれて対立、皇位を交互に継承するという異例の状態だったところ、<建武の親政>に失敗した後醍醐天皇が足利尊氏によって配流された隠岐を脱出し、吉野宮で帝位にあると主張したことから、光厳天皇と並存することとなり、南北朝時代が始まったという経緯。 その後、光厳帝が廃位(帝位抹消)されたのも、尊氏が北朝を裏切って南朝と手を結んだため、というのですから、天皇の正統は尊氏によって翻弄されたと言えるようです。 本作で描かれる尊氏、やたらフラフラしている人物と映ります。 しかし、本作、対立、抗争を描くことだけで終始した作品ではありません。そこが素晴らしい。 光厳帝、上皇として15年に亘る院政で徳政(<貞和徳政>)を行い、「風雅和歌集」の親撰も行ったという。 廃位された後の光厳帝、南朝との対立が続く中、天皇とはどうあるべきかと考え続けます。 そして、その結果導き出された考え方が、現在の皇室にも受け継がれているとのことですから、光厳帝の存在は無視できません。 一方、その意味で後醍醐天皇とは、天皇の在り方を懐古に戻そうとした人物。具体的には、時代の進展を認めず過去に拘ったあまり時代を混乱させた人物として描かれます。 当時、もはや武士の時代、武士を無視して天皇親政など、既に時代錯誤に他ならなかったのでしょう。 光厳帝の考え方に基づくのなら、天皇として重要なのは“天皇の在り方”を継承していくことであり、万世一系とか、女性宮家・女性天皇を認めようとしないのは、後醍醐天皇と同様、過去に囚われた考え方と言うべきなのでしょう。 単なる歴史物語にとどまらず、現在の皇室にも繋がる歴史小説の逸品。是非お薦めです。 ※今上陛下が深い感銘を受けたと述べられていた「誡太子書」、叔父である花園天皇が皇太子である量仁のために記した書だそうです。 序ノ章−野風はげしみ/薫風ノ章−ゆきてかよふ夢てふものの/血風ノ章−身こそあらめ/疾風ノ章−わたりえぬ道ぞ/凄風ノ章−朽ちてのちしも/烈風ノ章−むかひなす心に/傷風ノ章−世の色のあはれは/霜風ノ章−あすともなしの/雅風ノ章−おのが色なき雪の深山べ/付−ながれの末は |
14. | |
「更級忍法帖」 ★★ |
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出版社紹介文に「<忍法帖>のバトル+<忠臣蔵>のスピリット!」とありますが、まさにそのとおり。 幕府から大阪城二の丸の普請工事を命じられたのは、美濃高須藩と越中魚津藩。しかし、魚津藩の怠慢により工事は遅延。それなのに遅延を咎められ、改易処分とされたのは高須藩のみで、本来責任を問われるべき魚津藩には何のお咎めもなし。 何故なら、加賀前田家の分家であり、藩主の前田利堅は豪姫が可愛がった末の弟とあって、豪姫→加賀藩による幕府への働きかけがあった故。 改易された高須藩の家臣団は意見が対立し、内戦状態に。その煽りを受けて悲惨な目に遭ったのは女たち。 救い出されて景福寺に辿り着いた女たちの数は47人。それに加えて 2人の姫君も合流し、すべての原因である前田利堅を討つ、と決意します。 そのための方法として選んだのが、妖術を身につけること。そこから過酷な妖術修業へとストーリーは展開していきます。 一方、能天気な利堅と対照的に用心深い豪姫は、高須藩の女たちの動きを掴み、剣客と妖術師による防御チームを組織します。 後半、過酷な修業を生き延びて妖術を習得した女たちと、利堅を守る防御側との熾烈な攻防が、やはり“忍法帖”の醍醐味。 次々と繰り出される妖術の奇想天外な面白さは、山田風太郎“忍法帖”に全く引けを取りません。 そして最後をどう締めるかが荒山さんの腕の見せ処だと思うのですが、この点についても文句なし。 ただし、最後に登場する人物、いったい誰なのでしょうか。いろいろ想像してみるのも、おまけの楽しさです。 ※ストーリーに朝鮮史が絡む辺り、荒山徹さんらしい。 |