ホテルの部屋に入っても、久田は迷っていた。妻に対する後ろめ 

 たさもそうだが、智子をもっと大切にしたいという気持の方が強か 

 った。妻と別れることができないのは、二人とも分かっていること 

 ではある。しかし、それでも女は「男が離婚してくれるかもしれな 

 い」と思ってしまいがちだ。諦めているようで、諦めきれない。結 

 局、最後に辛い思いをすることになる。智子もすでに三十にだ。結 

 婚するつもりなら、大切な時期なのだ。 

  いつまでも窓際のテーブルで煙草を燻らせていると、後ろから智 

 子が頬擦りをして、耳元で独り言のように呟く。 

 「待たせてごめんね。約束通り、させてあげるわ」 

  久田の記憶の底から、七年前にくり返し聞いた彼女の声が甦る。 

 いつか必ず……。長い首を捩じるようにして、智子が唇を合わせる。 

 熱い酒の香り。舌の腹を合わせると、ぬるぬると滑らせる。互いに 

 相手の口腔へと出し入れさせる。感触を身体が自然に思い出す。こ 

 このところ感じていた苛立ちが、癒されていく。激しく舌と唇で快 

 感の根を探りながら、互いの息遣いを聞いている。時に激しく、時 

 に緩やかに呼吸のリズムを揃える。 

  痺れにも似た軽い火照りが口腔をみたすと、二人は、そっと唇を 

 外した。無言で智子が跪くと、手際良く久田のものを取り出す。刺 

 激的な匂いの粘液を滴らせて滑ったそれを、楽しむように舌でなぞ 

 る。掌で睾丸を包み込むように撫ぜながら、くびれや溝を擽る。時 

 折、ぴくん、と反応するたびに新たなぬめりが湧き出てくる。それ 

 を掌で伸ばすようにすると、ゆるゆると手で擦りはじめる。呻き声 

 が漏れて、たちまち放出の欲求が湧き起こる。 

 「ま、待ってくれ。おい」 

  このまま果ててしまうことの気恥ずかしさと、放出後に回復でき 

 ないのではないかという、年齢からの不安で、慌てて制止する。智 

 子は、いったん手を止めて久田を見上げたが、ふっ、と笑ってみせ 

 ると、今度はそれを呑込んだ。熱く張り付くような感覚が、下半身 

 を覆う。頬を窄め唇で締めながら、緩やかに深く、小刻みに浅く、 

 再び責めたてる。歳とともに射精をコントロールできるようになっ 

 ているつもりだったが、がっちりと椅子に腰を押さえつけて責めた 

 てられると、押さえ切れぬ程の快感が湧き起こる。久田のものが一 

 段と膨らんだのを見逃さず、智子がひときわ激しく頭を振りたてる 

 と、あっけなくそれは訪れた。会陰部から快感の奔流が走り、先端 

 に向けて吹き上げた。きつく締め上げる口腔に放たれた精は、その 

 まま呑み下される。衝撃の余韻に脱力すると、すかさず智子が萎み 

 かけのものを吸い上げる。尿管に残った残滓が、引出される感触に、 

 再び痛いほどの快感が背を走る。すべての精を吸い取られたような、 

 気だるく被虐的な悦びが身を満たす。 

  ゆっくりと立ち上がる智子のウエストを引き寄せると、酸いよう 

 な香りがする。興奮している証拠だった。左手で抱き留めたまま、 

 右手を背中に回す。小さなファスナーを抓むと、一気に引き下ろす。 

 ブラジャーを緩めてやると独特の香りがきつくなる。久田は、ワン 

 ピースの肩を抜き取ると、その香りを貪るように脇に顔を埋めた。 

 白い肌に舌を這わせると、智子の膝が崩れる。舌を乳房の麓に進め 

 ながら、華奢な体を抱き上げた。焦らすように先端に向けて舌を這 

 い上がらせては、また麓に戻る。そうしながら、そっとベッドに横 

 たえた。今度は、両の掌でゆっくりを揉み上げる。硬くしこった蕾 

 を含んでは、唾液を擦り付けてやる。 

 「はふぅ、ううん」 

  より強い刺激を促すように、智子が声を漏らす。先ほど精を吐き 

 尽くしたはずの久田のものは、再び潤滑液を滲ませて屹立していた。 

 それでも、一度終っているだけに、まだ余裕があった。丁寧にベル 

 ベット地のワンピースを取去ると、徐々に下にずり下がる。臍の回 

 りをつついて、腰のくびれを舐め上げる。智子が迎えるように腰を 

 浮かせる。パンティストッキングを下ろし、ショーツのラインに沿 

 って、ゆっくりと舐めてやると、そのまま両の脚を肩に担ぎ上げる。 

 息の掛かるほど近くでじっと見詰めると、智子は恥ずかしそうにた 

 め息を吐いた。ショーツの底は光沢のあるクロッチを抜けるほどに、 

 粘りのある液体が溢れている。指で丸く撫ぜると糸を引くようにつ 

 いてくる。布越しに唇で愛撫する。挟むようにしてから、舌で擽る。 

 布の横から舌を覗かせる。鼻を押し付ける。その度に、息遣いで快 

 感を訴えていた智子が、急かすように囁く。 

 「来て、今日は大丈夫だから」 

  久田は、その言葉を聞くと堪えきれず、身体を重ねた。智子が素 

 早くショーツから片足を抜く。溢れかえった蜜にペニスをあてがう 

 と、ゆっくりと腰を進めた。 

 「むぅ、く」 

  智子が喉を反らして呻いた。強い抵抗を与える狭い道を、押し広 

 げるように押し入る。長い間待たされたそこは、ざらりとしていて 

 久田のものを規則的に食い締めた。絞るような感触がある。奥に進 

 むほど、複雑な動きだ。じっとしていても襲う快美感に、慌てて腰 

 を激しく遣う。浅く出し入れしては、腰を打ちつけるようにノック 

 する。恥骨で叢を押しつぶすように打ち付けられると、智子は嬌声 

 をあげてしがみついてくる。静かな部屋に、粘りのある淫らな音が 

 響く。 

 「もう、来て。おねがい」 

  その声を確認すると、久田はひときわきつく抱きしめると、腰を 

 速めた。智子の身体が、がくがくと震えるのと、熱いものが吹き出 

 すのは同時だった。まだ熱い身体を重ねたまま、心地よい眠気に漂 

 いながら、妻のことが思い出された。 

  

  始発で帰った家に、妻の姿はなかった。テープルの上に、置き手 

 紙。 

 「一週間、友達と旅行に行きます」 

  要領を得ない内容に、久田は戸惑った。突然、家を空けることな 

 ど今までになかったことだ。どこに行くとも書かず、連絡先もなし 

 に出かけるというのは、どうも分からない。友達とは誰のことだろ 

 う。もっとも、名前を言われても、妻の交友関係には無関心だった 

 自分には分かるとは思えなかった。智子と一夜を過ごして来たばか 

 りだというのに、久田は妻の行動に不安と嫉妬を感じていた。最近 

 の行動はたしかに普通ではなかった。頻繁に出かけるようになり、 

 遅くに帰ってきた。意識的にか、自分との性生活も避けていたよう 

 に思える。そこには、見知らぬ男の影があるように思われてならな 

 い。 

  寝付けないながら横になっていた久田が、ベッドを抜け出したの 

 は、まだ九時だった。今日が土曜日であることが、辛く思えてきた。 

 これから、何のすることもなく一日を過ごさねばならない。いっそ 

 研究室に出ようかとも思ったが、事前届け無しに入館できない規則 

 である。最近は機密の保持が厳しく行われている。相互の監視が働 

 かない休日にはできるだけ出勤をさせない、というのが会社の方針 

 だった。テレビをつけてあちこちのチャンネルを見比べたり、読み 

 かけのベストセラーを取り出したりしてみたものの、すぐに飽きて 

 しまった。一体いつから、テレビも小説もこんなにつまらなくなっ 

 てしまったものか。仕方なく、昔のCDをかけながら、ウィスキー 

 をちびりちびりと始めた。フィルコリンズやヒューイルイスを久し 

 ぶりに聞くと、無性に寂しくなる。あの頃付合っていたのは、妻で 

 はなく智子だった。二人でいつも一緒に過ごし、音楽を聴いていた。 

 転勤という、それだけの理由で終った関係。何が大切で、そのため 

 に何をすべきだったのか、それがあの頃は見えていなかったのだ。 

  電話が鳴る。急いで取ろうとして、一拍待つ。妻が電話をしてき 

 たらあれこれと言いたいことがある。まずは落着いて、頭ごなしに 

 怒鳴ったりしないように、と自分に言い聞かせて手を伸ばす。 

 「もしもし」 

  その声は妻ではなかった。数時間前まで一緒にいた智子である。 

 家に電話をかけてくる大胆さに戸惑いながらも、つい妻のことを話 

 していた。彼女に相談することではないのだろうが、誰に話せるこ 

 とでもない。 

 「久田さんには悪いけど、帰ってこないかもしれないわね、和江さ 

 ん」 

 「どういうことだ」 

 「よく分からないけど、そんな気がするの。預金通帳とか、彼女の 

 貴重品なんか確認した方がいいかもね。どっちにしても今日は久田 

 さん、一人なんでしょ。会わない? 何なら、そこに行ってもいい 

 わ」 

 「いや、外で会おう。 

  一人で過ごすのは辛かったので、智子の言葉は嬉しかったが、さ 

 すがに家に入れる気にはならなかった。 

 「いいの? 電話があるかもよ」 

  そう言われてみると、出かけるのもまた躊躇われた。どうしたも 

 のか、言葉に詰まる。 

 「ふふ、久田さんって和江さんなしじゃ駄目なのね。まあいいわ。 

 それじゃ」 

  勝手に納得すると、電話は切れた。また一人になってしまったこ 

 とで、いっそう寂しく思われた。 

                              

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