
我が家の近所の鉄道廃線跡
京都市電稲荷線
(京都市伏見区)
京都市電稲荷線は、日本最初の営業電車路線だった京都市電伏見線(京都駅〜中書島)の枝線として、勧進橋電停から伏見稲荷大社のある稲荷まで走っていました。全線が専用軌道で途中に電停は無く、終点の稲荷電停の直前に京阪電鉄本線と専用軌道同士の平面交差がありました。京阪電鉄藤森駅の近くに住んでいた幼い頃の私は、京都の繁華街である四条方面から京阪で帰宅する際に稲荷線との平面交差に差しかかると、「あっ、あっちもこっちも線路!」と叫んでいたものです。稲荷線は伏見線と同時に1970年(昭和45年)3月31日に廃止されました。廃止から半世紀経過し、専用軌道の跡は道路や児童公園になっていて、市電が走っていた証は一見全く残っていないようです。が、、、
【参考になる文献】沖中忠順著「京都市電が走った街 今昔」, p.141, JTBキャンブックス ISBN4-533-03421-7
2003年8月撮影
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京阪電鉄の西側(勧進橋側)の専用軌道跡に造られた児童公園を東方向に望む。脇に古ぼけた鉄柱が。もしや市電の遺構か、と近づいてみると、、、
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大当たり! 京都市交通局の社章がはっきりと残っていました(赤丸内)。現在は街路灯に転用されています。廃止後よくぞ40年の風雪に耐えて残っていたものです。
2010年3月撮影
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JR奈良線の脇の疎水橋上にある、電停跡の公園の段差(赤矢印)をよく見ると...
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軌道が覗いていました! 京都市電の軌道がそのまま現場に残っている、唯一の例かもしれません。
2020年11月撮影
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近年、伏見稲荷大社は海外からの観光客が激増し、電停跡の公園は2020年春に大きく改修されました。軌道が顔を覗かせていたところは....
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地元の方々が説明板を設置して、保存されていました。
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説明板。
以下は伊藤勇次郎氏が撮影し私がYoutubeにアップロードした京都市電稲荷線の動画像です。
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2002年8月25日開設
2020年11月17日最終更新
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