伝未詳。麻続は正しくは麻績であろうが、万葉集の古写本には「麻續王」とある(續は続の正字)。日本書紀によれば、三位の位にあった天武四年(675)四月、罪により因幡に流される。同時に一子は伊豆島(伊豆大島か)、別の一子は血鹿(ちか)の島(長崎県の五島列島)に流されたという。如何なる罪を犯したかなど、詳しいことは不明。この時ある人が詠んだ歌が万葉集に載るが、詞書に「伊勢国伊良虞島」に流されたとある。この歌に和した麻続王の歌は、後年の仮託の作と見られている。なお『常陸国風土記』の行方郡板来村(今の茨城県の潮来)の条には、同地を麻続王の配所とする記事を伝えている。
打ち
【通釈】麻続王は海人なのだろうか。伊良湖の島の海藻をお刈りになっている。
麻続王、これを聞きて
うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻苅り
右、日本紀を案ふるに曰く、「天皇の四年
【通釈】命が惜しいので、私は波に濡れながら、伊良虞の島の海藻を刈り取って食べている。
【語釈】◇うつせみの 「命」の枕詞。原文は「空蝉之」。◇命を惜しみ 命が惜しいので。「惜しみ」は動詞「惜しむ」の連用形でなく、形容詞「惜し」のミ語法であろう。接尾語「み」は、形容詞の語幹に付いて原因・理由をあらわす。◇伊良虞 愛知県の伊良湖岬であろうという。一説に伊良湖岬の西方沖、三重県志摩郡の神島とも。◇玉藻(たまも) 海藻の美称。
【補記】天武天皇の御代、麻続王が流罪に処せられた時、時の人が作った歌が「打ち麻を麻続の王…」なのであろう。それに王自身が和した歌として、後年仮託された作と思われる。海辺に流された都人が海人のような侘しい暮らしを送るといった物語――折口信夫言うところの「貴種流離潭」の淵源をなすかのような一首である。須磨に配された在原行平の「わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」、さらには源氏物語須磨の巻へと、この歌の情趣は引き継がれてゆく。なお、柿本人麻呂に「荒栲の藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を」と自らを海人に擬える歌があり、発想に通ずるところがある。
公開日:平成20年07月17日
最終更新日:平成20年07月17日