屯倉の屯田の耕作に従事した伴造氏族である田部氏の出。天智朝頃の男性官人。大宰府に赴任した際、舍人吉年と贈答した歌が万葉集にある。歌はその三首が伝わるのみ。
田部忌寸櫟子、大宰に
衣手に取りとどこほり泣く子にもまされる我を置きていかにせむ 舎人吉年
【通釈】袖に取り縋って泣く子にもまさって別れを悲しんでいる私なのに、その私を置いて、あなたはどうしようというのでしょう。
【補記】「いかにせむ」の主語を作者(吉年)とする解釈もある。
置きてゆかば妹恋ひむかもしきたへの黒髪敷きて長きこの夜を(万4-493)
【通釈】置いて行ったら、あなたは恋しがるだろうか。黒髪を敷いて寝る、その髪のように長いこの夜を。
【補記】脚注に「田部忌寸櫟子」と作者名表記がある。吉年に答えた櫟子の歌。「しきたへの」は「黒髪」の枕詞。
【通釈】あなたと私の仲を取り持ってくれた人のことを、このように恋しさが増さってくると、かえって恨めしく思うことよ。
【補記】この歌には作者名表記がないが、明らかに櫟子の作。
朝日影にほへる山に照る月の飽かざる君を山越しに置きて(万4-495)
【通釈】朝日が射す山の端にうっすらと照る月のように、いくら見ても見飽きないあなたを、山の向うに残して……。
【補記】これも櫟子の作か。「君」は女から男を指す場合が多いが、男が女を「君」と呼んだ例は大伴家持の作(8-1462)などに見られる。
更新日:平成15年08月23日
最終更新日:平成22年03月31日