※工事中未校正

山部赤人 やまべのあかひと 生没年未詳 略伝

奈良時代の歌人。制作年の知られる歌はすべて聖武天皇代の作である。神亀元年(724)の紀伊国行幸、同二年の吉野行幸・難波行幸、同三年の播磨国印南野行幸、天平六年(734)年の難波行幸、同八年の吉野行幸などに従駕し、土地讃めの歌を作る。伊予温泉や勝鹿真間、田子の浦などで詠んだと思われる歌もあり、広く各地を旅していたらしい。閲歴は全く不明であるが、下級官人であったろうと推測される。また故藤原不比等邸の「山池」を詠んだ歌があり、藤原氏との深い関係が窺われる。万葉集収載歌は長歌十三首、短歌三十七首。三十六人集(歌仙家集)の一巻として伝わる『赤人集』は、大半が万葉集巻十の作者不明歌で占められており、万葉集抄出本と呼ぶべきものである。
古来柿本人麻呂と並称された歌仙。大伴家持の書簡に記された「山柿の門」の「山」は赤人を指すと見る説が有力であり(但し山上憶良説などもある)、古今集序では人麻呂と共に歌仙として仰がれている。勅撰集には拾遺集を始め五十首程入集している。

万葉集に載る赤人の作歌五十首すべてを収録した。訓は主に伊藤博『萬葉集釋注』、佐竹昭広ほか校注『萬葉集』(岩波新古典大系)に拠った。カッコ内の数字は万葉集の巻数と旧国歌大観番号である。
また、付録として、勅撰集に赤人の作として伝わる作より六首を抄出した。

  6首  1首 羇旅 13首  3首 雑歌 24首 挽歌 3首 計50首
 付録(勅撰集入集歌より) 6首

山部宿禰赤人の歌四首

春の野にすみれ摘みにとし我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(8-1424)

【通釈】春の野に菫を摘みにやって来た私は、その野に心引かれ、離れ難くて、とうとう一夜を過ごしてしまったよ。

【語釈】◇すみれ摘みにと 菫の花は摘み取るとすぐ萎れてしまう。古人はそれを、花の生命力が摘み取った人の魂に移ると考えた。菫摘みがかつて春の恒例行事とされた所以である。◇野をなつかしみ 野が慕わしいので。「なつかしみ」は形容詞「なつかし」の語幹に、理由・原因をあらわす接尾語「み」が付いたもの。

【補記】春の野山での遊興を主題としたと見られる四首連作。古今集仮名序の古注に赤人の作例として挙げるなど、王朝時代には赤人の代表歌の一つとして愛誦された一首。

【他出】赤人集、古今和歌六帖、能因歌枕、雲葉集、続古今集、夫木和歌抄、悦目抄

【主な派生歌】
春の野に若菜つまんと来しものを散りかふ花に道はまどひぬ(*紀貫之[古今])
春の野にすみれつみにとこし人も見しは少なくなりにけるかな(藤原秀能)
郭公一声ゆゑに武蔵野の野をなつかしみ過ぎもやられず(洞院実雄[続千載])
春ごとにすみれつみにとくる人ぞ荒れゆく宿の哀れしるらむ(宗良親王)
一夜しもねての朝露わけわびぬこや妹と我菫さく野べ(貞常親王)
手枕の野をなつかしみつぼすみれ一夜ねてこそつむべかりけれ(契沖)

 

あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも(8-1425)

【通釈】山桜が何日も続けてこのように咲くのであったら、これ程ひどく恋しがったりするだろうか。

【他出】古今和歌六帖、新千載集
新千載集では「題しらず 山辺赤人」として、次のように載る。
あしびきの山桜花日をへつつかくし匂はば我こひめやも

 

我が背子せこに見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば(8-1426)

【通釈】いとしいあの方にお見せしようと思った梅の花――どれがその花とも見分けがつかない。枝に雪が積もっているので。

【補記】女性の立場で詠んだ歌。野に見つけたみごとな白梅を恋人に見せようと思ったのに、雪が降ったために花が見分けられなくなってしまった、との嘆き。可憐な風雅の歌で、やはり平安時代に非常に愛好された。

【他出】赤人集、家持集、後撰集(よみ人しらず)、古今和歌六帖、金玉集、深窓秘抄、三十六人撰、和漢朗詠集、俊頼髄脳、袖中抄、古来風躰抄、定家八代抄

【主な派生歌】
月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける(*凡河内躬恒[古今])
梅の花それともみえず久かたのあまぎる雪のなべてふれれば(読人不知 〃)

 

明日よりは春菜摘まむとめし野に昨日も今日も雪は降りつつ(8-1427)

【通釈】明日からは春の若菜を摘もうと標縄を張っていた野に、昨日も今日も雪が降ってばかりで…。

【補記】初春の行事としての若菜摘みは若い女性の仕事とされたので、この歌も少女の立場で詠まれたものであろう。

【他出】赤人集、新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十六人撰、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、新古今集、定家八代抄、秀歌大躰、時代不同歌合、歌枕名寄、夫木和歌抄、桐火桶、和歌口伝抄、冷泉家和歌秘々口伝
(初二句を「明日からは若菜つまむと」とする本が多い。)

【主な派生歌】
今よりは若菜つむべき古里のみかきが原に雪は降りつつ(西園寺実兼[新後撰])

山部宿禰赤人の歌一首

百済野くだらのの萩の古枝ふるえに春待つとりしうぐひす鳴きにけむかも(8-1431)

【通釈】百済野の萩の古枝に、春を待ってじっと止まっていた鶯は、今頃もう鳴いただろうか。

【語釈】◇百済野 奈良県北葛城郡広陵町百済あたりの野かと言う。◇萩の古枝 萩の冬枯れした枝。

【他出】麗花集、綺語抄、能因歌枕、夫木和歌抄

【主な派生歌】
くだら野のふる枝の萩の花みればことしばかりの秋としもなし(土御門院)
くだら野の萩の花ちる夕風に花づまこへる鹿の音聞こゆ(田安宗武)

山部宿禰明人、春鶯を詠む歌

あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の声(17-3915)

【通釈】山の谷を越えて出て、小高い野で今頃は鳴いているだろう、鶯の声よ。

【補記】「明人」は赤人に同じ。左注には「右は、年月所処、詳審にすることを得ず。但し聞きし時の随(まにま)に茲に記載(しる)せり」とある。巻十七の排列からすると天平十三年四月から十六年四月までの間、家持が誰かからこの歌を伝え聞き、記録しておいたことになる。

山部宿禰赤人の歌一首

恋しけば形見にせむと我が屋戸に植ゑし藤波今咲きにけり(8-1471)

【通釈】恋しい時には、あの人を思い出すよすがにしようと、我が家の庭に植えた藤――その花が今咲いたことだ。

【補記】この「今」とは、恋人に逢えず恋しく思っている現在。予期したとおりに花は恋人の「形見」となったのである。時の流れのうちに恋の経緯をほのかに暗示しつつ、逢えない恋人への思いが滲む、余韻の深い作。

【他出】家持集、拾遺集、綺語抄、古来風躰抄、新古今集(異本歌)、定家八代抄
(拾遺集や定家八代抄には初句「こひしくは」、第四・五句「うゑし秋はぎ今さかりなり」として載る。)

【主な派生歌】
秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑし屋戸の撫子咲きにけるかも(大伴家持[万葉])

羇旅

山部宿禰赤人の歌六首

縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島榜ぎる舟は釣しすらしも(3-357)

【通釈】縄の浦から背後に見える沖の島――その島を漕ぎ巡る舟は、釣をしているところらしい。

【補記】巻三雑歌、旅の歌の歌群にある。「縄の浦」は、兵庫県相生市那波(なば)の海岸だろうと言う。「沖つ島」は相生湾の葛島(かつらじま)かと言う。[Mapion]

 

武庫むこの浦を榜ぎ小舟をぶね粟島あはしまをそがひに見つつともしき小舟(3-358)

【通釈】武庫の浦を漕ぎ巡ってゆく小舟よ、粟島を背後に見つつ都の方へ漕いで行く、羨ましい小舟よ。

【補記】「武庫の浦」は武庫川河口付近。粟島は不詳。四国との説もある。「逢はむ」を響かせる。

 

阿倍あへの島の住む磯に寄する波なくこのころ大和し思ほゆ(3-359)

【通釈】阿倍の島の鵜の棲む磯に寄せる波のように、絶え間なくこの頃大和のことが思われることだ。

【補記】「阿倍の島」は未詳。藤原範兼編『五代集歌枕』は摂津国とする。大阪市の阿倍野をあてる説など、諸説ある。

【他出】和歌童蒙抄、五代集歌枕、歌枕名寄、夫木抄、新続古今集

【主な派生歌】
あべの島いはうつ波のよるさえてすむともきかぬ千鳥なくなり(*宗尊親王)
夕づく日残らぬ色やあべの島鵜のすむ石のうへにみゆらん(後柏原天皇)
あべのしま鵜のゐる岩ほかげ高み夕日かくれる波のすずしさ(三条西実隆)

 

しほなば玉藻苅りつめ家のいも浜苞はまづと乞はば何を示さむ(3-360)

【通釈】潮が引いたら、美しい海藻を刈り集めておきなさい。家で待つ妻が浜の土産を請うたなら、この玉藻以外の何を示せばよいのか。

 

秋風の寒き朝明あさけ佐農さぬの岡越ゆらむ君にきぬ貸さましを(3-361)

【通釈】秋風がこんなに寒く吹く明け方なのに――佐農の岡を越えて行くあなたに、私の着物を貸してあげればよかった。

【補記】土地の娘が旅人に贈った歌として詠むか。「佐農の岡」は不詳。兵庫県揖保郡新宮町佐野、和歌山県新宮市佐野、大阪府貝塚市佐野など諸説ある。

【他出】「玉葉集」題しらず 赤人
秋風のさむきあしたにさののをかこゆらん君にきぬかさましを

 

みさご居る磯廻いそみふる名告藻なのりその名はのらしてよ親は知るとも(3-362)

【通釈】みさごの棲んでいる磯辺に生える名告藻ではないが、名前は名告ってくれ、たとえ親が気づいても。

【語釈】◇みさご居る 「みさご」(雎鳩・鶚)は海岸でよく見かけられるタカ科の鳥。「みさご居る」は「磯」「荒磯」等に掛かる枕詞風修飾句として用いられた。

【補記】これも土地の娘と旅人の恋の風情か。「名告藻」は衣通姫の歌参照。

或本の歌に曰く

みさご居る荒磯ありそに生ふる名告藻のよし名はのらせ親は知るとも(3-363)

【補記】以上六首は万葉集では雑歌として掲載されているが、ここでは羇旅に分類した。次の一連も同様。

辛荷からにの島を過ぐる時に、山部宿禰赤人の作る歌 并せて短歌

あぢさはふ 妹が目れて しきたへの 枕も巻かず 桜皮かには巻き 作れる舟に 真楫まかぢき 我が榜ぎ来れば 淡路の 野島のしまも過ぎ 印南都麻いなみつま 辛荷の島の 島のゆ 我家わぎへを見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重ちへになり来ぬ 榜ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 くまも置かず 思ひぞ我が来る 旅の長み(6-942)

反歌三首

玉藻刈る辛荷からにの島に島廻しまみするにしもあれや家思はずあらむ(6-943)

 

がくり我が榜ぎ来ればともしかも大和へのぼる真熊野の船(6-944)

 

風吹けば波か立たむと伺候さもらひ都太つだの細江に浦がく(6-945)

【通釈】[長歌] 遠く離れて妻を見ることもできず、枕を交わすこともなく、桜の樹皮を巻いて造った船に櫂を通して、我らが漕いで来ると、淡路島の野島が崎も過ぎ、印南都麻も過ぎ――辛荷の島々の間から、我が家の方を見やれば、青々と重なる山のどのあたりとも分からず、白雲が幾重にも重なるほど遠くなってしまった。漕ぎ巡る浦々のどこでも、行き隠れる島の崎々のどこでも、一時も欠かすことなく、私は妻のことばかり思いながらやって来た、旅の日数が積もったので。
[反歌一] 海藻を刈る辛荷の島で、無心に餌を求めて島の周りを廻っている鵜――私も鵜であったとしたなら、これほど家を思わずにすむだろう。
[反歌二] 島陰に隠れて我らが漕いで来ると、ああ羨ましいことだ。大和の方へ上って行く熊野の舟よ。
[反歌三] 風が吹くので、波が立つだろうかと様子を窺って、都太の細江の浦に隠れていることだ。

【語釈】[長歌]◇あじさはふ 「目」の枕詞。あぢ(味鴨)を捕える網の目に由来するかと言う。◇しきたへの 「枕」の枕詞◇野島 淡路島北端の岬。◇印南都麻 不詳。加古川河口の高砂市あたりの地かと言う。◇辛荷の島 兵庫県室津の沖合の島。
[反歌]◇真熊野の船 熊野地方で造られた船。熊野は伊豆などと共に良船の産地だった。◇都太の細江 姫路市の船場川河口の入江。

敏馬みぬめの浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人の作る歌一首 并せて短歌

御食みけむかふ 淡路の島に ただ向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松ふかみる摘み 浦廻うらみには 名告藻なのりそ刈る 深海松ふかみるの 見まく欲しけど 名告藻の おのが名惜しみ 間使まつかひも 遣らずて我は 生けりともなし(6-946)

反歌

須磨の海人の塩焼ききぬのなれなばか一日ひとひも君を忘れて思はむ(6-947)

【通釈】[長歌] 淡路島に まっすぐ向かっている敏馬の浦――その沖の方では、海底深く生えている海松を摘み取り、浦のあたりでは名告藻を刈り採る――その深みるの名のように、あの人を見ることを欲するけれど、名告藻の名のように、浮名が立つのが惜しいので、使いの者をやることもできず、私は生きている心地もしない。
[反歌] 須磨の海女が塩焼の時に着る衣が穢(な)れているように、しょっちゅう逢って馴れるようになったら、一日だけでもあなたを忘れることもあるのだろうか。

【語釈】[長歌]◇御食向ふ 「淡路」の枕詞。御食は天皇のお食事のこと。粟から淡路に懸かるか。◇敏馬 神戸市灘区岩屋付近。◇深海松 海底深く生えている海松(みる)。海松は海藻の一種で食用。動詞「見る」を掛けている。◇名告藻 ホンダワラであろうと言う。「名告りそ」を掛ける。衣通姫の歌参照。

山部宿禰赤人、春日野に登りて作る歌一首 并せて短歌

春日はるひを 春日かすがの山の 高座たかくらの 御笠みかさの山に 朝さらず 雲居たなびき 容鳥かほとりの なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと よるはも のことごと 立ちて居て 思ひぞがする 逢はぬ子故に(3-372)

反歌

高座の三笠の山に鳴く鳥のやめば継がるる恋もするかも(3-373)

【通釈】[長歌] 春日の山のうちの御笠の山に、朝になるといつも雲が棚引き、容鳥が絶え間なく鳴きしきっている――その雲のように私の心はとどこおって晴れず、その鳥のように片思いばかりしながら、昼は昼じゅう、夜は夜じゅう、立ったり座ったり、そわそわと私は物思いをしている。逢ってくれない子のせいで。
[反歌] 御笠山に鳴く鳥が鳴き止んだかと思うとまた鳴き出すように、私も終りにしたかと思うとすぐにまた燃え上がる恋をしていることだ。

【語釈】[長歌]◇春日を 地名「春日」にかかる枕詞。◇春日の山 奈良県奈良市の春日の地の山々。◇高座の 地名「御笠の山」の枕詞。玉座にさしかける「御笠」(天蓋)の意から。◇御笠の山 奈良市街の東、春日大社の後方に位置する。現在は山焼きで名高い若草山を三笠山と通称しているが、これは近世以降の誤称。◇容鳥 不詳。ほととぎすと見る説などがある。

【補記】万葉集では雑歌に分類している。宴などで披露された歌であろう。ここでは内容によって恋の歌とした。

山部宿禰赤人の歌一首

我が屋戸に韓藍からあゐ蒔きほし枯れぬれどりずてまたも蒔かむとぞ思ふ(3-384)

【通釈】私の家の庭に鶏頭(けいとう)の種を蒔いて育て、結局枯れてしまったけれど、懲りずにまた蒔こうと思うよ。

鶏頭
鶏頭

【語釈】◇韓藍 ヒユ科の鶏頭とする説が有力。晩夏から秋にかけて、鶏のとさかを思わせる色鮮やかな花穂をつける。熱帯原産で寒さに弱く、冬を越せない一年生植物である。移植を嫌い、直蒔きして育てる。

【補記】韓藍を美女になぞらえ、「苦労して育てた恋も結局実らずに終わってしまったが、懲りずにまた別の女を手に入れよう」という思いを寓した歌であろう(万葉集では女性を花に喩えた例が多い)。万葉集巻三の「雑歌」に分類されており、「譬喩歌」に入っていないのは不審であるが、下る時代に追補されたものかとの説がある(萬葉集釋注)。ここでは内容により恋の歌としておいた。

雑歌

山部宿禰赤人、不尽ふじの山をる歌一首 并せて短歌

天地あめつちの 分かれし時ゆ 神さびて 高くたふとき 駿河なる 富士の高嶺たかねを あまの原 振りけ見れば 渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず 白雲も いきはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 富士の高嶺たかねは (3-317)

反歌

田子たこの浦ゆ打ちいでて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(3-318)

【通釈】[長歌] 天と地が別れて出来た時からずっと、神々しく、高く壮大な、駿河の富士の高嶺――その高嶺を、天空はるか振り仰いでみれば、空を渡る太陽もその背後に隠れる程で、夜空に輝く月の光も見えない。雲もその前を通り過ぎることを憚る程で、季節にかかわらず雪が降り積もっている。いつの代までも語り継ぎ、言い継いでゆこう。霊妙な富士の高嶺のことは。
[反歌] 田子の浦を通って、視界の開けた場所に出ると、真っ白に、富士の高嶺に雪が降り積もっていた。

由井安藤広重画『東海道五十三次』より「由井」。
赤人の歌の視点とほぼ同じ位置から描かれていると思われる。

【語釈】[長歌]◇天地の分かれし時 古事記序文の「乾坤初分」と同じ内容。天地開闢・万物創成の時。◇富士の高嶺 富士山。万葉集では「不尽(不盡)」の表記が最も多く、「布士」「布時」「布仕」「不自」などの万葉仮名表記も見える。「富士」の表記が一般的になるのは中世以降と言われる。◇白雲もい行きはばかり 富士山の余りの広大さゆえ、雲がなかなか通り過ぎることが出来ない様をこう言った。◇時じくぞ いつと時を定めず。
[反歌]◇田子の浦 『続日本紀』に「廬原郡多胡浦」とあるのと同一地と思われ、現在の庵原(いはら)郡蒲原町あたりに比定されている。富士市南部の田子の浦とは別。◇うち出てみれば 「うちいで」は広いところへ出る意。

【他出】[反歌]五代集歌枕、和歌初学抄、新古今集、定家八代抄、秀歌大躰、百人一首、歌枕名寄、夫木和歌抄
新古今集・百人一首などでは以下のような形。なお長歌は新拾遺集雑歌雑体の部に収録されている。
田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

【主な派生歌】
難波門を漕ぎ出でて見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞ棚引く(*大田部三成[万葉])
わたの原こき出でてみれば久かたの雲ゐにまがふ沖つ白浪(*藤原忠通[詞花])
初霜のおき出てみれば白妙の衣手さむき月の影かな(道昭[新千載])
矢田の野に打出でてみれば山風のあらちの嶺は雪ふりにけり(藤原為家[新後拾遺])
朝ぼらけ霞へだてて田子の浦に打出でてみれば山の端もなし(*頓阿)
さざなみや打出でてみれば白妙の雪をかけたる瀬田の長橋(惟賢[新拾遺])
深川を漕ぎ出でて見れば入日さし富士の高根のさやけく見ゆかも(田安宗武)
田子の浦にいでましありて富士の嶺の雪みそなはす時もあらなむ(佐久良東雄)
土肥の海漕ぎ出でて見れば白雪を天に懸けたり富士の高嶺は(島木赤彦)

山部宿禰赤人、伊予温泉いよのゆに至りて作る歌一首 并せて短歌

皇神祖すめろきの 神のみことの 敷きいます 国のことごと 湯はしも さはにあれども 島山の よろしき国と 凝々こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭いざにはの 岡に立たして 歌思ひ こと思ほしし み湯のうへの 木群こむらを見れば おみの木も ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 行幸処いでましところ (3-322)

反歌

ももしきの大宮人の熟田津にぎたつふな乗りしけむ年の知らなく(3-323)

【通釈】[長歌] 神である天皇がお治めになっている国じゅうどこでも、温泉はたくさんあるけれども、その中でも島と山の立派な国であると、険しくそそり立つ伊予の高嶺の、射狭庭の岡にお立ちになって、歌の想を練り、詞の想を練られた、出で湯の上の林を見ると、臣の木も絶えることなく生い茂っている。鳴く鳥の声も昔と変わっていない。遠い末の世まで、ますます神々しくなってゆくだろう、この行幸のあった場所は。
[反歌] 大宮人が熟田津で船出したのはいつの年のことか、遥か昔で、分からなくなってしまった。

【語釈】[長歌]◇伊予温泉 愛媛県松山市の道後温泉。◇伊予の高嶺 道後温泉付近の山々か。◇射狭庭の岡 道後温泉裏に伊佐尓波(いさにわ)神社がある。その付近の岡。◇歌思ひ 斉明七年(661)、斉明天皇が亡き夫、舒明天皇を偲んで歌を詠んだ(万葉集1-8左注)ことを言うか。額田王の「熟田津」の歌参照。◇臣の木 不詳。樅の木かとも言う。

神岳かみをかに登りて、山部宿禰赤人の作る歌一首 并せて短歌

三諸みもろの 神名備山かむなびやまに 五百枝いほえさし しじに生ひたる つがの木の いや継ぎ嗣ぎに 玉かづら 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香あすかの ふるき都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に たづは乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに のみし泣かゆ いにしへ思へば(3-324)

反歌

明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに(3-325)

【通釈】[長歌] 神の降臨する神奈備山に、たくさんの枝を伸ばして、ぎっしりと生い茂った栂(つが)の木――その名のように、継ぎ継ぎと、玉葛のように絶えることなく、ずっとこうして通い続けようと思う、明日香の旧都は、山が高く川は雄大である。春の日は、山が美しくて眺めていたい。秋の夜は、川音が耳に冴える。朝雲に鶴は飛び乱れ、夕霧に河鹿は鳴き騒ぐ。見るたびに声あげて泣けてしまう。栄えた昔のことを思うと。
[反歌] 明日香川の川淀を離れずに立ちこめている霧のように、すぐに消えてしまうような思いではないのだ、私たちの恋慕の情は。

【語釈】[長歌]◇神岳 奈良県明日香村の雷(いかずち)の岡とするのが通説。明日香のミハ山(橘寺東南の山)とする説もある。

【補記】「神岳」に登って作ったという歌。

【他出】続千載集雑体部に長反歌が掲載されている。また反歌は新千載集恋部に重出。

【参考歌】丹生王「万葉集」巻三
石上布留の山なる杉むらの思ひ過ぐべき君にあらなくに

山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池しまを詠む歌一首

いにしへの古きつつみは年深み池の渚に水草みくさ生ひにけり(3-378)

【通釈】ずっと昔に造ったこの古い泉水は、年が深く積み重なったので、池の波打ち際に水草が生えているのだった。

【語釈】◇堤 水が溢れないように、岸に沿って設けた土石の構築物。掲出歌では、周囲の石組みなどを含めた池全体をこう言った。◇年深み 多くの年を経たので。「深み」は形容詞「深し」のミ語法で、理由をあらわす。なお「深」は「池」と縁のある語。

【補記】「故太政大臣藤原家」、すなわち故藤原不比等邸の庭園を詠んだ歌。人工の池も長い時を経て自然化し、栽培せずとも水草が生えるようになった。「いにしへ」「古き」「年深み」と歳月の長さを強調し、「水草生ひにけり」によって池の管理者たる主人の不在を暗示して、故人に対する追懐の情を籠めている。歳月の流れに対する感慨がしみじみと感じられる歌で、庭園の荒廃を嘆いているのでも、神さびた池を賛美しているのでもあるまい。不比等の薨去は養老四年(720)八月三日。万葉集巻三はおおよそ時代順に歌を排列しており、この歌の次に載る坂上郎女の歌は天平五年(733)の作なので、不比等薨後十年前後を経た頃の作と推測される。

【他出】古今和歌六帖(作者「あか人」)、綺語抄、玉葉集、題林愚抄
(玉葉集は初句「むかしべの」第三句「としふかき」)

神亀元年甲子きのえねの冬の十月五日に、紀伊の国にいでます時に、山部宿禰赤人の作る歌一首 并せて短歌

やすみしし 我ご大君の 常宮とこみやと 仕へまつれる 雑賀野さひかのゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き しほれば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞたふとき 玉津島山たまつしまやま (6-917)

反歌二首

沖つ島荒磯ありその玉藻しほちい隠りゆかば思ほえむかも(6-918)

 

若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺あしへをさしてたづ鳴き渡る(6-919)

【通釈】[長歌] 我が大君のとこしえの宮としてお仕え申し上げる雑賀野から背後に見える沖の島――その島の清らかな渚に、風が吹けば白波がざわざわと音を立て、潮が引けば美しい藻を刈ることを繰り返して――神代からそんなにも尊いことよ、玉津島山は。
[反歌一] 沖の島の岩に生えている美しい藻は、潮が満ちて隠れてしまったら、その姿が思いやられることだろう。
[反歌二] 和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無くなるので、葦の生える岸辺を目指して鶴が鳴き渡ってゆく。

【語釈】[長歌]◇雑賀野 和歌山市の和歌浦の西北。◇玉津島山 雑賀野東方の山々。かつては海中の島であったと言う。
[反歌]◇若の浦 原文は「若浦」。和歌山市の旧和歌浦。

【他出】[反歌二] 赤人集、古今和歌六帖、前十五番歌合、三十六人撰、金玉集、深窓秘抄、和歌体十種(古歌体)、奥義抄、五代集歌枕、袖中抄、和歌十体(古体)、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、時代不動歌合、色葉和難集、続古今集、歌枕名寄、夫木和歌抄、桐火桶、井蛙抄、秘蔵抄

【補記】反歌第二首は古今集仮名序の古注に赤人の例歌として挙られるなど、古来赤人の代表作とされた。

【参考歌】高市黒人「万葉集」巻三
桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る

【主な派生歌】
和歌の浦の葦辺のたづのさしながら千年をかけて遊ぶころかな(藤原良経)
和歌の浦の芦間に潮やみちぬらむ千世をこめたるたづのもろ声(後鳥羽院)
和歌の浦のあしまの波にたちかへり昔ににたるたづの声かな(〃)
和歌の浦に年へてすみし芦田鶴の雲ゐにのぼる今日のうれしさ(藤原重家[玉葉])
夕づくよみつ潮あひのかたをなみ浪にしをれてなく千鳥かな(源実朝)
和歌の浦あし辺のたづの鳴く声に夜わたる月のかげぞ久しき(*後堀河院)
明石潟塩風あらき夕波に遠島かけてたづ鳴きわたる(祝部成胤[新続古今])

山部宿禰赤人の作る歌二首 并せて短歌

やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣あをかきごもり 川なみの 清き河内かふちぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ち渡る その山の いや益々しくしくに この川の 絶ゆること無く ももしきの 大宮人は 常に通はむ(6-923)

反歌二首

み吉野の象山きさやま木末こぬれにはここだも騒く鳥の声かも(6-924)

 

ぬば玉の夜の更けゆけば久木ひさきふる清き川原に千鳥しば鳴く(6-925)

【通釈】[長歌] 我らの大君が堂々と営まれる吉野の宮は、幾重にも重なる青垣のような山に囲まれ、川波の清らかな川内である。春の頃は花が枝もたわわに咲き誇り、秋になればいちめん霧が立ちこめる。その山のようにさらに幾たびも幾たびも、この川のように絶えることなく、大宮人はいつの世もこの宮に通うことであろう。
[反歌一] 吉野の象山の山あいの梢では、こんなにも数多く鳥が鳴き騒いでいることよ。
[反歌二] 夜が更けてゆくにつれ、久木の生える清らかな川原で千鳥がしきりに鳴いている。

【他出】[反歌二] 新古今集、袖中抄、秀歌大躰、歌枕名寄、夫木和歌抄
(新古今集では「題しらず」とし、「うばたまの夜のふけ行けばひさぎおふるきよき河原に千鳥鳴くなり」。)

【語釈】[反歌]◇象山 吉野宮滝の南正面の山。「きさ」は動物の象の古名。◇ぬば玉の 「夜」の枕詞。「ぬばたま」はヒオウギの実。◇久木 不詳。きささげ、あかめがしわ説などがある。

【補記】神亀二年(725)五月、吉野離宮行幸に従駕しての作。長歌は山と川を対比し、整然たる対句表現によって秩序立った世界を創り上げている。すなわち、
 山―春の花―しくしく(重々)
 川―秋の霧―絶ゆることなく
という構成である。そして反歌二首はそれぞれ山・川を詠む。

【主な派生歌】
ひさぎおふる小野の浅茅におく霜のしろきをみれば夜やふけぬらむ(藤原基俊)
夜ぐたちに千鳥しば鳴く楸生ふる清き川原に風や吹くらむ(藤原顕季)
ひさぎおふるあその川原の川おろしにたぐふ千鳥の声のさやけさ(藤原清輔)
ひさぎおふる佐保の河原にたつ千鳥空さへ清き月になくなり(藤原家隆)
風さむみ夜のふけゆけば妹が島かたみの浦に千鳥鳴くなり(実朝[新勅撰])
うちなびき春さりくれば楸おふる片山かげに鶯ぞ鳴く(実朝[玉葉])
楸おふるかげをやおのが友ちどり月の氷も清き川原に(後柏原院)

 

やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津あきづの小野の 野のには 跡見とみ据ゑ置きて み山には 射目いめ立て渡し 朝狩に しし踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て 馬めて 御狩ぞ立たす 春の茂野しげの(6-926)

反歌一首

あしひきの山にも野にも御狩人みかりひとさつ矢手挟たばさみ騒きてあり見ゆ(6-927)

【通釈】[長歌] 我らの大君は、吉野の秋津の小野の、野のほとりには跡見を配置して、山には射目を隅々まで設けて、山には射目を隅々まで設けて、朝の狩には鹿や猪を追い立て、夕の狩には鳥を追い立てて、馬を並べて狩を挙行なさる。春の草が茂る野で。
[反歌] 山にも野にも、御狩に奉仕する人々が矢を手に挟み、賑わしく奔走しているのが見える。

【語釈】[長歌]◇秋津の小野 吉野離宮周辺の野。◇跡見 鳥獣の足跡を追ってその居場所を見つける役の人。◇射目 鳥獣を射るために隠れる場所。◇御狩ぞ立たす この「立つ」は「行動をはっきりと目立たせる」程の意。「発つ」ではない。

【補記】左注に「右は、先後を審(つばひ)らかにせず。但し、便をもちての故に、この次(つぎて)に載す」とあり、いつの吉野行幸の時の作か分からない。

山部宿禰赤人の作る歌一首 并せて短歌

天地あめつちの 遠きが如く 日月ひつきの 長きが如く 押し照る 難波なにはの宮に 我ご大君 国知らすらし 御食みけつ国 日々の御調みつきと 淡路の 野島のしま海人あまの わたの底 沖つ海石いくりに 鰒玉あはびたま さはかづき出 船めて つかまつるし たふとし見れば(6-933)

反歌一首

朝凪にかぢの音聞こゆ御食みけつ国野島のしま海人あまの船にしあるらし(6-934)

【通釈】[長歌] 天と地が無窮であるように、太陽と月が永久であるように、難波の宮で我らが大君はとこしえに国をお治めになるらしい。大御食(おおみけ)を献る国の日々の貢物として、淡路の野島の海人たちが、沖の海底の岩礁から、鰒玉をたくさん採り出して、舟を並べてお仕えしている――その貴い様を見れば。
[反歌] 朝凪の海に櫓の音が聞える。御食つ国淡路の野島の海人たちの舟であるらしい。

【語釈】[長歌]◇仕へ奉るし 原文は「仕奉之」で、「仕へ奉るが」と訓む本もある。

【補記】神亀二年(725)十月、難波行幸に従駕しての作。

山部宿禰赤人の作る歌 并せて短歌

やすみしし 我が大君の かむながら 高知らせる 印南野いなみのの 邑美おふみの原の 荒たへの 藤井の浦に しび釣ると 海人船騒き 塩焼くと 人ぞさはにある 浦をみ うべも釣りはす 浜を吉み うべも塩焼く あり通ひ さくもしるし 清き白浜(6-938)

反歌三首

沖つ波波静けみいざりすと藤江の浦に船ぞ騒ける(6-939)

 

印南野いなみの浅茅あさぢ押しなべさる夜の長くしあれば家し偲はゆ(6-940)

 

明石潟あかしがた潮干しほひの道を明日よりは下ましけむ家近づけば(6-941)

【通釈】[長歌] 我らの大君が神であるままに宮殿を営まれる、印南野の邑美の原の藤井の浦に、鮪を釣ろうと海人の船が賑やかに行き交い、塩を焼こうと人々が大勢いる――浦が良いので、なるほど釣りをするのだな。浜が良いので、なるほど塩を焼くのだな。何度も大君が通われて御覧になるのも当然だ。清らかな白浜よ。
[反歌一] 沖の波も岸辺の波も静かなので、漁をしようと藤江の浦に舟が賑やかに行き交っている。
[反歌二] 印南野の浅茅を押し靡かせて旅寝する夜が幾日も続いたので、故郷の家が懐かしく思われてならない。
[反歌三] 明石潟の潮が引いた道を、明日からは心ひそかにニコニコと歩いて行くだろう。妻の待つ家が近づくので。

【語釈】[長歌]◇印南野 播磨国印南郡の野。兵庫県加古川市から明石市にかけての丘陵地。◇邑美の原 明石市西北部、大久保町あたりかと言う。行宮の所在地。◇藤井の浦 明石市藤江付近。反歌には「藤江の浦」とある。
[反歌]◇明石潟 明石の海岸。潮が引くと干潟が現れる遠浅の海岸を「潟」と言った。

【補記】以上は神亀三年秋九月、播磨国印南野行幸の時の歌。

春の三月に、難波の宮にいでます時の歌

大夫ますらを御狩みかりに立たし少女をとめらは赤裳あかも裾引すそびく清き浜びを(6-1001)

【通釈】男子の官人たちは天皇の御狩の場に臨まれ、一方年若い女官たちは赤裳の裾を引きながら歩いて行くよ、清らかな浜辺を。

【補記】この「御狩」は潮干狩。「立たし」は「立ち」の尊敬態。天平六年(734)三月十日から十九日までの聖武天皇難波行幸に際しての作。万葉集には六首一括して掲載されている、そのうちの五首目。

八年丙子ひのえね夏の六月に、芳野の離宮にいでます時に、山部宿禰赤人、みことのりこたへて作る歌一首 并せて短歌

やすみしし 我が大君の したまふ 吉野の宮は 山高み 雲ぞたなびく 川速み 瀬の音ぞ清き かむさびて 見れば貴く よろしなへ 見ればさやけし この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ ももしきの 大宮所 止む時もあらめ(6-1005)

反歌

神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川やまかはをよみ(6-1006)

【通釈】[長歌] 我らの大君がお治めになる吉野の離宮は、山が高いので、雲が棚引いている。川の流れが速いので、瀬音がさやかである。山は神々しく、見るほどに貴く、川は心引かれる様で、見るほどに清々しい。この山が尽きてなくなりでもしたら、この川が絶えてなくなりでもしたら、大宮所が廃止される時もあろう。
[反歌] 神代の昔から吉野の離宮に通い続け、ここを営まれてきたのは、山と川が揃って素晴らしいからだ。

【補記】天平八年(736)、聖武天皇の吉野行幸に従駕しての作。制作年の知られる赤人最後の歌。

挽歌

勝鹿かつしか真間娘子ままのをとめが墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人の作る歌一首 并せて短歌

いにしへに ありけむ人の 倭文幡しつはたの 帯解きへて 臥屋ふせや建て 妻問ひしけむ 勝鹿の 真間の手児名てごなが 奥つを こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき ことのみも 名のみもわれは 忘らえなくに(3-431)

反歌

我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥つ城ところ(3-432)

 

勝鹿の真間の入江に打ち靡く玉藻苅りけむ手児名し思ほゆ(3-433)

【通釈】[長歌] 遠い昔に生きていた人が、倭文織の帯を解き合って、寝屋を建てて共寝をしたという、葛飾の真間の手児名の墓はここだと聞くけれど、真木の葉が茂っているからか、松の根が延び広がる程遠い昔だからか、その墓が本当にここかどうかは判らないけれども、話だけでも、名前だけでも、私は忘れることが出来ないよ。
[反歌一] 私も見た。人にも語って聞かせよう。葛飾の真間の手児名の墓はここだと。
[反歌二] 葛飾の真間の入江に靡く美しい海藻を刈ったという手児名が偲ばれる。

【語釈】[長歌]◇勝鹿 東京都葛飾区、千葉県市川市、埼玉県北葛飾郡あたり。江戸川の流域。◇真間 市川市真間。今も手児名霊堂が残る。◇倭文幡の帯 倭文織の帯。倭文織(しづおり)は日本古来から伝わる織物。「唐織(からおり)」に対して言う。

付録 勅撰集入集歌より

霞をよみ侍りける

昨日こそ年は暮れしか春霞かすがの山にはやたちにけり(拾遺3)

【通釈】昨日年は暮れたばかりなのに、春霞が春日の山に早くも現れたのだった。

【補記】正月一日、暦どおりに春めいた気候となったことを詠む。もとは万葉集の作者未詳歌であるが、『古今和歌六帖』には作者名「山辺赤人」として載り、『赤人集』にも載ることから、赤人作と考えられたものらしい。但し具平親王撰『三十人撰』、藤原公任撰『三十六人撰』『深窓秘抄』等は作者を柿本人麿としている。

【他出】赤人集、家持集、古今和歌六帖、三十人撰、麗花集、深窓秘抄、和漢朗詠集、三十六人撰、和歌体十種(器量体)、奥義抄、柿本人麻呂勘文、和歌十体(器量体)、古来風躰抄、秀歌大躰、歌枕名寄

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
昨日こそ年は果てしか春霞春日の山にはや立ちにけり

題しらず

我が背子をならしの岡のよぶこどり君よびかへせ夜の更けぬ時(拾遺819)

【通釈】我が夫を馴れ親しませるという名のならしの岡の呼子鳥よ、あの人を呼び返してその名の通り私に馴れ親しませておくれ、夜の更けない内に。

【語釈】◇ならしの岡 所在未詳。奈良県高市郡明日香地方の内とする説などがある。万葉集の原歌では「莫越(なこし)の山」とあるが、これも所在未詳。◇呼子鳥 鳴き声が人を呼んでいるように聞える鳥。カッコウのことかという。

【補記】やはり万葉集作者未詳歌であるが、『古今和歌六帖』には作者名「あか人きの女郎とも」とする。

【他出】赤人集、伊勢集、古今和歌六帖、拾遺抄、五代集歌枕、定家八代抄、色葉和難集、歌枕名寄、夫木和歌抄
(第二句を「ならしの山の」または「なごしの山の」とする本もある。)

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
我が背子を莫越(なこし)の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに
  大伴田村大嬢「万葉集」巻八
故郷の奈良思の岡のほととぎす言告げやりしいかに告げきや

題しらず

ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ(新古104)

【通釈】宮廷に仕える人たちは暇があるのだろうか。桜の花を頭に挿して今日も一日遊び暮らしていた。

【補記】宮人の優雅な有閑ぶりを言うことで、世を平和に治めている宮廷を讃美した歌。もとは万葉集の作者未詳歌であるが、『赤人集』に載り、『和漢朗詠集』も赤人作とする。但し『古今和歌六帖』では作者名表記無し。定家の『詠歌大概』や後鳥羽院の『時代不同歌合』にも採られ、中世には赤人の代表作の一つと目されていた歌。

【他出】赤人集、古今和歌六帖、和漢朗詠集、俊成三十六人歌合、定家八代抄、詠歌大概、時代不同歌合、色葉和難集、桐火桶、六華集

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
ももしきの大宮人はいとまあれや梅をかざしてここに集へる

【主な派生歌】
とのもりのともの宮つこいとまあれや日かずふりゆく五月雨のそら(平忠盛)
雨ふれば小田のますらをいとまあれや苗代水を空にまかせて(勝命法師[新古今])
思ふどち桜かざして暮らす日を花なき里の人に見せばや(藤原家隆)
かざしもて暮らす春日ののどけきに千代も経ぬべき花の陰かな(藤原定家)
蘆の屋のなだの塩焼きいとまあれや磯山桜かざすあま人(藤原良経)
万代の春をかさねていとまあれや桜をかざす神の宮人(藤原為家)
相坂の関のせき守いとまあれや人をとどむる花にまかせて(頓阿)
九重の桜かざしてけふは又神につかふる雲のうへびと(後醍醐天皇[新拾遺])
をさまらぬ世の人ごとのしげければ桜かざして暮らす日もなし(*長慶院[新葉])

題しらず

春雨はいたくなふりそ桜花まだ見ぬ人に散らまくも惜し(新古110)

【通釈】春雨はひどく降らないでくれ。桜をまだ見ない人にとって、花が散ることは惜しい。

【補記】もとは万葉集作者未詳歌だが、新古今集は『赤人集』から採録したのであろう。

【他出】赤人集、定家八代抄、秀歌大躰

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十
春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも

【主な派生歌】
我が宿の梅の花さけり春雨はいたくなふりそ散らまくも惜し(源実朝)
春雨はいたくなふりそ旅人の道ゆき衣ぬれもこそすれ(〃)
秋風はいたくな吹きそわが宿のもとあらの小萩散らまくも惜し(〃)
春風はいたくな吹きそ鶯の来鳴く山吹散らまくも惜し(宗尊親王)
時つ風いたくな吹きそ田子の浦に咲ける藤波散らまくも惜し(田安宗武)

 

山の端に月のいざよふ夕暮は檜原がうへも霞みわたれり(続古今40)

【通釈】山の端に月が出るのをためらっている春の夕暮は、檜林の上もすっかり霞が立ちこめている。

【語釈】◇檜原(ひばら) 山の斜面を覆う、檜などの針葉樹林。「はら」は或る植物の群生地を言う語で、「原」の意は無い。

【補記】現在伝わる『赤人集』にこの歌は見えず、万葉集にも類歌は見当たらないが、鎌倉時代初期の私撰集『雲葉集』に「題不知 山辺赤人」として収録されている。続古今集はおそらく『雲葉集』から採ったのであろう。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻七
山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける

題しらず

あしびきの八重山こえてほととぎす卯の花がくれ鳴きわたるなり(続古今212)

【通釈】幾重もの山を超えて、時鳥は卯の花に隠れ、鳴き渡っている。

【補記】下記万葉歌の異伝であろう。続古今集は『赤人集』から採ったものと思われる。

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十
朝霧の八重山越えて霍公鳥卯の花辺から鳴きて越え来ぬ


更新日:平成15年11月02日
最終更新日:平成21年05月24日

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