訓読万葉集 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―
目次 はじめに 凡例
―目次―
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*HTML版では、JavaScriptにより、記号「*」の付された文字をクリックするとダイアログボックスが開き、注が表示されるようにしてあります。おもに、訓義のうえで問題が多い箇所についての説明で、特に典拠を示していない引用はすべて『萬葉集古義』からです。なお、この機能は Netscape Navigator2.0以上、Internet Explorer3.0以上で利用することが出来ます。それ以外のブラウザーを使用された場合エラーが起こる可能性がありますのでご注意下さい。
―はじめに―
数年前、万葉集の学習のために、鹿持雅澄著『萬葉集古義』から万葉集本文のみを抜き出したテキストを入力作成しました。『古義』に示された訓に従って、本文を漢字ひらがな交じりの訓下し文に改めたものです。
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鹿持雅澄(かもちまさずみ)は、寛政三年(西暦1791年)四月、土佐に生まれました。生家は飛鳥井氏の支流と伝えますが、雅澄が生まれた頃には家運すっかり傾き、生活は甚だ豊かではなかったようです。京や江戸への遊学など望みも得なかった雅澄は、生涯を土佐の地に暮らし、ほぼ一貫して独学により和漢の古典の研究に励みました。壮年を過ぎた頃、ようやく声望高まり、藩に招かれて歌学国学を講ずるようになります。のち尊攘の志士として活躍する武市半平太・吉村寅太郎らはその門人であり、土佐における勤王運動の高まりに雅澄の与えた影響ははかり知れません。
『古義』の筆を起こしたのは文政六年(1823年)、雅澄三十二の年でした。以後その執筆に三十余年を費やし、安政初年頃、百巻を超える大著を脱稿しました。その後も倦むことなく推敲を続け、安政五年(1858年)、古学に捧げた六十八年の生を終えました。
『古義』は雅澄の生前上梓されることはなく、維新後の明治十二年(1879年)になって初めて宮内省により公刊されました。これは、雅澄の著述のことをお耳に挟んだ明治天皇が、使者を土佐に遣わし、散逸していた稿本を集めることを得て、ようやく出版に到ったものと言われています。
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名著刊行會版萬葉集古義 昭和3年発行
百年以上も昔の訓をなぜ今さら…と思われるかも知れませんが、『古義』は国学万葉研究の集大成とも言うべき注釈書(というより万葉百科全書)であり、その訓詁は現在でも十分通用するものです。
誤字・誤写説を積極的に採用し、「後ノ世のをこ人の書入レなり」と見なした語句を容赦なく削除し、時には歌の排列さえごっそり入れ替えてしまう『古義』は、しばしば万葉改竄の書として弾劾の対象ともなってきました。しかし、一字一句の取捨選択も、記紀から王朝時代まで和語全般を包摂する雅澄の博大な学識に基づくものです。またそこには彼の思想と志が賭けられていることも忘れるべきではないでしょう。その思想とは、主著の題名が示す通り、「古義」、いにしえの皇神の道を明らかにすることであり、その志とは、国史に仕え奉る民間草莽の士の悲願でした。
『古義』においては、訓を施すことがそのまま雅澄にとっての「いにしえの道」の具現化であり、言霊の深い森に分け入る正確な考証と詳細な註釈は、我々を古人の心の内奥へと導きます。
まさに保田與重郎が指摘したとおり、雅澄は宣長が古事記において成し遂げた偉業を、万葉集に引き継いで成し遂げた唯一の人でした。
文明開化の彼方から、近代万葉学全体を今なお睥睨(へいげい)して屹立するこの大著が、現在極めて入手し難くなっていることは残念でなりません。専門家でない私が敢えてこのテキストの公開に踏み切った一因でもあります。
なお本テキストはモニタ上で手軽に読めることを目指したものです。読みやすさを優先させており、専門的な研究用途のための配慮はしていません。
―凡例―
○概要
・本テキストは、鹿持雅澄著『萬葉集古義』に示された訓に従って、万葉集の本文を漢字仮名交じりの訓下し文に改めたものです。
○底本など
・底本には名著刊行会発行『萬葉集古義』全10巻(昭和3年刊)を用い、廣谷国書刊行会版(昭和3年刊)を参照しました。
・テキストの素材として、一部、情報処理語学文学研究会(JALLC)により配布されている機械可読テキストを利用させて頂きました(http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/jal_ftp2.htm#manyoより入手した「M_genbun.txt」)。関係者の方々に対し、記して深謝申し上げます。
○本文の体裁
・本文の体裁は必ずしも底本に倣っていません。たとえば長歌は、句ごとに一字分の空白を置き、ほぼ四句ごとに改行を施しました。
・歌の頭に旧国歌大観番号を付しました。但し排列は『古義』に則っています。
・「或る本の歌」など、雅澄が左注扱いにしている歌については、頭を通常より一段低く揃えました。
・雅澄によって万葉集原本に無かったと想定されている語句(底本では罫線で四角く囲んだり、〔 〕で囲んだりしている語句)は残し、〔 〕で囲みました。
○左注などの表記
・左注や脚注について、『古義』は三通りの取扱い方をしています。
(一)万葉集の本文として(すなわち歌や題詞と同等に)扱い、訓を全てか殆ど宛てる場合
(二)注釈文中に〔 〕で囲んで挿入し、返り点などの記号と送り仮名の一部のみを記す場合
(三)注釈文中でことさら区別することなく触れている場合(おもに一云などの注)
(一)と(二)を区別するために、(一)は漢字ひらがな交じり、(二)は漢字カタカナ交じりの訓下し文に改めました。また(二)については、入力者の推量に基づく訓み方を交えています。
(三)については、雅澄が訓を宛てている場合のみ表記し、訓を宛てていない左注・分注・脚注などは原則として省略しました。
○ふりがな
・HTML版では、ルビタグを使用しています(平成11.09.05現在、Internet Explorer5のみ対応)。IE5以外のブラウザでは、語の右に小字として表示されるようにしてあります。
○用字
・漢字は原則として新字体に改めました。但し人名・地名などは旧字体のままにしてある場合があり、必ずしも統一していません。
・なるべくJIS第2水準以内の文字を使用することとし、それ以外の漢字は通用字などで以て代用しました。適当な通用字が無い場合は、やむなくWindowsのシステム外字を用いるか、または仮名の表記に代えるかしています。
システム外字の使用例
宦F草冠に惠。巻17の3967番歌の序文に使用。
目次 はじめに 凡例


開設:平成12-05-14
最終更新日:平成26-07-14