K25.北海道寿都の気温ジャンプ問題
著者:近藤純正
25.1 はしがき
25.2 気温センサー基板交換の影響
25.3 比較観測の方法と概要
25.4 比較観測の結果
25.5 詳細解析
25.6 今後の課題
要約
文献
要旨 北海道寿都測候所における気温の経年変化を調べてみると、2002年以前に
比べて2003年以後の3年間の気温が0.2℃程度上昇している。この原因として、
偶然性などが考えられるが、それを探る方法の一つとして、アスマン
通風乾湿計2台の温度計をすべて乾球にしてルーチン観測の気温との比較観測
を行なった。その結果、ルーチン観測の気温が0.2℃程度高め(ただし暫定的
な値)であることがわかった。
0.2℃の差は検定公差の範囲内であり、寿都測候所の観測としては何ら問題は
ない。また、2002年7月19日に温度計コンバーターの基板交換の前後に実施
された寿都測候所におけるチェックで異常がなかった事実とも矛盾するもの
ではない。つまり、そのチェックは検定公差の範囲内で行われたものであり、
今回の詳細な比較観測の方法と比べて本質的に異なるからである。
(2006年9月18日完成、9月27日:詳細解析を追加)
25.1 はしがき
2006年6月の寿都訪問後に行った解析によれば、寿都測候所が現在地へ移転
して、ごく最近、2002年に比べて2003年以後の年平均気温が約0.2℃
ジャンプしている。
この気温ジャンプは図25.1に示した。図の縦軸は寿都の年平均気温と周辺
12観測所平均の気温との差である。
現測候所は海岸にあった旧測候所から
1989年9月22日に移転しており、この移転に伴う年平均気温のずれは、この図
からは認められなく、不連続があったとしても0.1℃以下であると判断できる。
2002年と2003年の間に生じた約0.2℃の差は気象庁の検定公差(0.3℃)の範囲内に
あり、天気予報など通常の業務では無視してよいのだが、気候変動の解析では
問題となる大きさである。
図25.1 寿都測候所における年平均気温と周辺12観測所における
平均気温との差。
ただし、精度を上げるために寿都測候所の年平均気温は毎月の平均気温を
平均し0.01℃の単位まで算定した値を用いてある。
12観測所は江差、今金、せたな、八雲、長万部、黒松内、蘭越、神恵内、
岩内、余市、倶知安、小樽
気候変動の解析の考え方として2通りがある。
その1:観測所周辺が都市化や陽だまり効果の影響を受けるようになっても、
それが現実であるので、観測値そのものを気候変動とみなす立場がある。
この立場では、観測所周辺の10m~1km程度以内の水平範囲を対象とする
ものである。
その2:観測所の多くは都市化や陽だまり効果(家屋などの密集化や
周辺の樹木の生長により、気温観測露場の風速が弱まることで生じる現象)
の影響を受けるようになったので、それらの影響を除外して周辺数km以上
~100km程度までの広範囲(ただし市街地を除外)の気候変動を対象とする
立場がある。この立場では、大気中の二酸化炭素など温室効果ガスの増加に
よる温暖化を目的とする場合に利用される。
いずれも、50~100年程度の長期傾向のみ知りたい場合と、長期傾向の中に
含まれる数年~10年程度の時間スケールの傾向も知りたい場合がある。
ここでは、その2の立場をとっている。
この場合には、観測法の変更による補正もほどこさねばならない。たとえば、
昔は1日に3回(6時、14時、22時)の観測から年平均気温が求められた時代
があり、現在の毎正時24回観測に換算するには0.1~0.3℃ほど高くしなければ
ならない。また、百葉箱内における観測気温は現在の隔測電気温度計に比べて
晴天日中は1℃ほど高め、年平均気温でも0.1℃ほど高めに観測されており、
その補正をしなければならない、等々。
つまり、0.1℃程度の細かなことを問題にしており、これは気象庁の検定公差
の範囲内であり、現在の気象庁の業務では問題にしなくてもよいことになって
いる。
寿都は三陸沿岸の宮古と並んで、環境変化が小さく、気温の長期変化を監視
するにふさわしいところである。しかし、僅かな補正をほどこす必要がある。
最終的には100年余の長期データを補正したデータセットとして作成し、
日本の気象庁観測所の代表的なデータとして広く国内外に示し、利用して
もらう予定である。
100年程度の長期変動を知ることが目的だとすれば、数年~10年程度の異常値
は問題ではないのではないか、という疑問もあるだろう。プラスの異常と
マイナスの異常をならしてしまえば、打ち消しあって長期変動データとしては
問題にはならないのではないか? と考える読者もいるだろう。
しかし、筆者が調べたこれまでの調査によれば、良質のデータが100年間
にわたってとれている観測所は、日本中にめったに存在しない。
それゆえ、今後増えてくると予想される利用者の立場からすると、
100年間のデータの中に含まれる数年~10年スケールの変動も知りたい。
そうした場合、測器更新ごとのずれや、庁舎改築に伴うずれの理由を解明し、
補正したデータセットとして完成しておくことが重要となる。
筆者は最初に、寿都における0.2℃のジャンプの原因は測候所観測露場のごく
近傍における環境変化によるのではないかと考え、寿都測候所長に問合せ
たところ、2002年~2003年当時、寿都測候所に勤務していた複数の元職員と現
裁判所員から聞き取りおよび記録を調べていただき、下記の「寿都地方合同
庁舎周辺の環境変化」①~⑥を知らせていただいた。
寿都地方合同庁舎周辺の環境変化(寿都測候所所長による):
①庁舎南側に位置する裁判所の大きな庭とその庁舎裏には当時松などの
樹木群がかなりうっそうとしていた。裁判所員によると「2001年に庭木、
2003年または2004年いずれかに庁舎裏の測候所に続く樹木群を大幅に
手入れした」とのこと。
②庁舎西側(山側)斜面には前項①の松などの樹木群につながる南北方向に
並ぶ立ち木群があるが、元所員によると「うっそうとしており、測風塔
よりも高く測風塔の南東方向にも枝葉が出ていた。2002年秋ごろ立ち木の
上部を2階建て庁舎の屋上程の高さに切りつめた」とのこと。
この影響の調査は行われていない。当時の所員からは一般的な感じとして
影響があったとの話が多い。しかし「当時個人的に前後のデータを比較して
みた結果だが、風速の強弱および風向の乱れなどに明らかに判る影響は
みられなかった」との話もあった。
③露場南側すぐ横の現在雑草が生えている空き地には以前裁判所の平屋建て
宿舎2棟があり、2001年11月26日撤去された。元所員から「これに
より冬季、露場の雪の吹き溜まりの様子が変わった」との話もあった。
④露場東側道路を隔てた古い赤と緑の屋根の2階建て宿舎2棟は2001年以前
から建っており、元所員によると「周囲の建築物の築・廃変化も無かった」
とのこと。
⑤露場西側の庁舎と露場間に露場西側全面に沿う約10メートルの幅の
アスファルト通路用地があるが、「当時は車の常時駐車はしておらず
特に変化は無かった」とのこと。2003年ころより5台ほど駐車するように
なっている。
⑥露場北側は「庁舎正門出入り口通路や駐車場および高校側は特に変化は
無かった」とのこと。2004年11月ころ駐車場外東側傾斜地中央にあった
高さ約15mの大きな立ち木が撤去された。
上記の①~⑥の中で、気温ジャンプの大きな原因と考えられるものは、
現段階(2006年6月末)では見出せない。
なお、寿都測候所の現露場と旧測候所跡の写真は「写真の記録」の
「61.寿都測候所と黒松内アメダス」
に掲載してある。
上記⑤に関連して、約10メートル幅のアスファルト通路用地は
駐車禁止であるにもかかわらず、露場の方向に排気口を向けて駐車する自動車
がある。簡便型防護柵を設けるなどして、この場所への自動車の侵入を防ぐ
必要があろう。
25.2 気温センサー基板交換の影響
次に、気温ジャンプの原因の一つとして、測器の更新などがある。気象庁
観測部計画課の観測技術開発推進官・木下宣幸さんを通して問合せた結果、
次の回答があった。
寿都測候所の保守記録によれば、2002年7月19日に電気式温度計(白金抵抗
温度計)のコンバーター基板の交換が行われており、その前後3ヶ月のアスマン
通風乾湿計による気温の比較観測結果は次の通りであり、交換前後に差はない。
表25.1 コンバータ基板交換前後のアスマン通風乾湿計との
比較結果(気象庁)
観測日 電気式温度計気温 アスマン気温 差 備考
年月日 (℃) (℃) (℃)
2002.5.01 8.1 8.0 0.1
6.01 14.3 14.4 -0.1
7.01 15.9 15.9 0.0
- - - - - - - - 基板交換、7月19日
8.02 19.4 19.5 -0.1
9.02 22.9 23.0 -0.1
10.02 15.3 15.1 0.2
気象庁では部内検査指針により検定公差は0.3℃と定めており、現地
気象官署では95型地上気象観測装置保守点検要領に従い、定期的にアスマン
通風乾湿計との比較観測により精度を確認し、その維持に努めている。
気象庁では、基板交換前後に標準抵抗を用いた基準信号により診断を
行っており、寿都の気温変化の範囲(-5~25℃)では最大でも0.06℃
程度の差にしかならないことがわかっている。このため、コンバーター基板
交換により「0.2℃ほどのジャンプ」を説明できる大きさにはならないと
考えられる。
以上の回答を得た。
ジャンプの期間は3年間のプロットに現れたもので、今後数年間の傾向を見て
判断すべきであろう。さらに上記の回答があったにもかかわらず、なぜ比較
観測を行わねばならぬか、読者の多くは疑問をもつに相違ない。
そこで、説明をしておこう。
0.2℃ほどのジャンプの原因として、偶然性、海洋の影響、その他があろうが、
最近の観測機器といえども絶対的な信頼はおけない。そのために気象庁では
定期的にアスマン通風乾湿計による比較観測をしているではないか。
この定期的な比較観測は検定公差0.3℃の範囲内で正しいかどうかを判断する
ためのもので、水銀温度計の目盛りを各1回読み取っている。これで十分である。
ところが0.1℃以内の精度でチェックを行うには、その100倍~1000倍の難しさ
があり、気象業務で行うチェック方法と本質的に異なる方法によることになる。
よく攪拌された恒温槽の中と違って、大気中の気温は時間的にも空間的にも
激しく変動している。気温を測る際に0.3℃の精度と、0.1℃の精度では観測
方法が異なるのだ。つまり、気象庁の行っている比較観測の結果(表25.1)を
疑っているわけではない。比較観測の方法が本質的に異なるので、結果は
一致するとは限らない。違う結果となることもありうるのだ。
このことは、25.5節の「詳細解析」によって具体的に示す予定である。
25.3 比較観測の方法と概要
2006年9月12~14日に寿都を再度訪問し、秋田大学の本谷研さんと共に、アスマン
通風乾湿計2台によって測候所ルーチン観測の気温との比較を行なうことした。
比較観測では、2台のアスマン通風乾湿計のガラス棒状水銀温度計、合計4本
をすべて乾球とし、各温度計の目盛りを1分毎に連続1時間読みとる。時計は
大きな文字を表示するデジタル電波時計を用いた。
これを1シリーズの観測とする。したがって各60回の読み取り値を平均
した気温の4個分とルーチン観測の1時間平均値とを比較することになる。
ルーチン観測データは毎1分平均気温をプリントしてもらい、各シリーズ
の平均気温を計算する。連続1時間観測を1シリーズとするが、風速・風向
の条件によって違ってくる場合もある。
アスマン通風乾湿計の水銀温度計は、検定器差表つきの4本を新規購入し、
ファンモーターや電池ホルダーなど修理・整備したものを用いた。
アスマン通風乾湿計には、放射の影響を防ぐために二重の放射除けを取り
付ける。
写真1 アスマン通風乾湿計に取り付ける放射除け材料(A4大)。
右(プラスチック)はファンモータの直下へセット、左(厚紙)は下部
通風筒の上部へ四角の大皿を逆さにした形状に折り曲げてセットする。
いずれも円形穴の中を通風筒が通る。
ファンモーターの直下へ取り付ける放射除けは夜間放射を防ぐためのものである。
天頂付近の大気放射量がもっとも小さく(地上気温と比べて有効温度が
もっとも小さく、夜間放射の影響が最大)、それを防ぐためのものである。
下部通風筒の上部へ取り付ける放射除けは直射光と天空の散乱光及び大気放射
の影響を少なくするためのものである。
これら2つの放射除けは地面からの赤外放射と日射の反射光の影響を防ぐ
ことはできないので、地面温度が気温に比べて数℃以上も違いがある時(太陽
高度が高い時)はアスマン通風温度計は放射の影響を受けることになる。
温度計に及ぼす放射の影響についての計算は「大気境界層の科学」のp.73~
p.76に示す方法で求めることができる。本ホームページの「研究の指針」
の「K16.気温の観測方法」にも概要は示して
ある。
写真2 (左)アスマン通風乾湿計の取り付け状態、
(右)観測シリーズ2の状態(百葉箱の日陰側)。
アスマン通風筒吸引口とルーチン観測用通風筒吸引口のレベルは同じになる
ようにセットした。
写真3 (左)露場と庁舎、
(右)アスマン取り付け支柱の地面付近とデジタル電波時計。
アスマン取り付け支柱が強風で転倒しないように、長さ1.8mの棒を縛りつけ、
支柱の基底付近に水を入れたポリタンク2個をおもりとしてのせてある。
図25.2 寿都測候所露場周辺の配置図、大きな赤丸印は温湿度計、
露場の広さは25.2m×18.0mである。
図の上が北東方向、手前が南西方向である。露場は薄い緑色、濃い緑は芝生など
の草地、露場の四方に示す丸印は低木の植栽である。
(寿都測候所提供)
比較観測に際して許可された条件
(1)露場内への立ち入りは8時30分から17時15分まで
(2)ルーチン観測の気温センサーの風下側1.5m以上離れること
である。
0.1℃の精度で比較観測しようとすると、遠距離になるほど気温の空間分布の
影響により、長時間の観測が必要となる。
理想的には日没前~日没2時間後までの条件、すなわち、日射と大気放射と
地面放射量がちょうどバランスする時間帯は通風筒を含む温度計に及ぼす
放射の影響が最小になる条件であり、比較観測したいのだが、17時15分以後は
測候所の管理上の問題により、露場の外で観測することになった。
このような厳しい条件であっても、気温観測上の副産物として得るものは
あるはずだ。
ここでいう副産物ではないが、珍しい現象を見ることができた。
9月13日朝のこと、本谷研さんが寿旅館(寿都町渡島町)から北東の海を指して
面白い現象が見えるという。内陸の盆地で発生した放射霧が海への出口が狭まった
地峡を流れ出て、殆んど拡散されることなく北西方向に流れていた。霧までの
距離は10数km(筆者が相模湾の平塚海岸から江ノ島を眺める距離)である。
12~13日の夜間は晴天の微風であったために発生したものと判断した。
写真4 放射霧の海上への流出、北東方向10数キロメートルの遠方
写真5 放射霧、9月13日6時30分撮影(霧の形状を見やすくする
ためにコントラスト強調)
陸地内の霧の一部が港のクレーンの陰に入っているが、霧の上端の
背丈は陸上で高く、海に流出すると、流速が増して背丈が低くなると思う。
霧の上部は放射冷却により不安定化して波状になっている。7時13分には海上
を流れる霧はそのまま存在したが、陸地出口付近では薄くなり、その数分後
には海上、陸上ともに見えなくなった。なお、13~14日にかけてこの方向の
空にはやや密な上層雲があった関係なのか、14日朝は霧は見えなかった。
各シリーズの詳細
9月13日午前中は8時30分~10時30分にかけて観測準備を行なった。
シリーズ1の観測は11時から12時まで61分間行った。快晴で微風の
ため、放射温度計によって測ってみると、露場の芝生温度は気温より15℃程度
高温となり、温度計に及ぼす放射の影響が最大となる条件であった。
このシリーズ1ではアスマン温度計に及ぼす放射の影響を調べることができる。
放射の影響とは、直射光と散乱光及び地面からの反射光が放射除けのカバー
を温め、そのカバーからの赤外放射が通風筒吸引口を温める。また、気温より
も高温となった地面(芝生)からの赤外放射も同様な影響を及ぼす。その結果
としてアスマン温度計の指示は高めに現れる。
シリーズ2の観測は14時から15時にかけて行った。このシリーズ2では、
一方のアスマン温度計(③と④の2本)は現在使用していない百葉箱の日陰側
に吊るして観測した(写真2の右を参照)。この場合、日射および地面からの
赤外放射で温められた百葉箱からの放射の影響も含んだ気温が観測される。
他方のアスマン温度計(①と②の2本)はシリーズ1と同様に日射の当たる芝生面の
上にセットした。
シリーズ3は、太陽が合同庁舎の陰に入り、露場の大半が日陰の状態
となった16時20分から17時05分までの観測である。
このシリーズでは、2台のアスマン温度計は日陰にセットできたが、ルーチン
観測用の温度計の通風筒には直射光が当たっていた。露場の地面(芝生)温度
を放射温度計で測ってみると、日向は気温より5℃ほど高温、日陰は1℃以内
で気温と同じ温度であった。
日向の芝生からの放射の影響は、ルーチン温度計、アスマン温度計ともに
無視できるが、ルーチン温度計に及ぼす直射光の影響は若干あるとみなす
べきだろう。
夜間(21時頃)は露場外にアスマン温度計をセットして待機したが、殆んど
無風状態のため、気温むらが形成されると判断し、観測は中止した。
9月14日朝は早く起床し、5時25分から6時25分までをシリーズ4の
観測とした。一方のアスマン温度計(③と④)はルーチン用温度計から南東側
に8.5m離れた露場外の位置に、他方(①と②)は北西側に17.5m離れた露場
外の位置にセットした。
風速が弱く気温のむらができていると判断し、距離の短い8.5mの方の観測を
採用した。
このシリーズ4の後半では直射光がアスマン温度計の日除けに当たった状態で
あった。しかし、露で濡れた芝生面の放射温度は1℃程度の違いで気温と
一致しており、芝生面からの赤外放射がアスマン温度計に及ぼす影響は無視
できる条件であった。
次の観測は6時45分から90分間続けたが、多少の風を感じるようになった7時
25分から8時15分までの50分間をシリーズ5とした。このシリーズ5
では直射光がアスマン温度計の日除けに当たった状態であった。この
シリーズ5でも露で濡れた芝生面の放射温度は1℃程度の違いで気温と一致
しており、芝生面からの赤外放射がアスマン温度計に及ぼす影響は無視できる
条件であった。
シリーズ5では、一方のアスマン温度計(③と④)はルーチン用温度計から
北東側8.5m離れた露場外の位置に、他方(①と②)はシリーズ4の時と同じく
北西側17.5m離れた位置にセットした。
25.4 比較観測の結果
2006年9月13日~14日に行った比較観測の結果を一覧にして表25.2に示した。
シリーズ2、3、4の平均を取ると、アスマン通風乾湿計による観測値に
比べてルーチン観測の気温は0.17℃高い、
ただし温度計の本数に重み付けをつけた平均値である。
このうち、シリーズ3がもっとも理想的な条件で行われた観測であるが、
ルーチン観測用の通風筒のみ直射光が当たっており、仮にその影響による
ルーチン気温が0.06℃昇温したとみなすならば、ルーチン気温は0.20℃高め
に観測されていることになる。
表25.2 2006年9月13~14日比較観測の結果
アスマン通風温度計に及ぼす「放射影響」の推定値、ルーチン観測の気温、アスマン
通風温度計による気温、アスマン温度計間の最大値と最小値の差、
用いた水銀温度計の本数、ルーチン観測とアスマンの差、観測場所が露場内
か露場外かの区別の一覧表
シリーズ 時 刻 放射影響 ルーチン アスマン 最大最小差 温度計 差 露場 備考
℃ ℃ ℃ ℃ ℃
1 11:00-12:00 0.59 21.27 21.69 0.16 4本 - 内 直射
2a 14:00-15:00 0.31 21.24 21.38 0.00 2本 - 内 直射①②
2b 14:00-15:00 0.08 21.24 21.15 0.12 2本 0.09 内 百葉箱日陰③④
3 16:20-17:05 - 18.81 18.55 0.05 4本 0.26 内 庁舎日陰
4 5:25- 6:25 0.10 13.47 13.40 0.01 2本 0.07 外 後半に直射③④
5 7:25- 8:15 0.16 18.72 18.71 0.17 4本 - 外 直射
平均 0.14
平均(温度計本数に重みづけ) 0.17
表の6列目の「最大最小差」は4本または2本のアスマン温度計(最小目盛り0.2℃
の水銀温度計)の読みの1時間平均値のうち、最大値を示した温度計と最小値を
示した温度計の温度差である。4本の温度計を用いたシリーズ1、3、5を比較
すると、気温の空間的・時間的な変動が大きい条件ではこの差(0.16℃、0.17℃)
が大きく、理想に近い条件であったシリーズ3では0.05℃である。0.05℃
はこの水銀温度計の器差(0.1℃間隔)の半分であり、この比較観測は
精度の限界の条件で行われたことを意味している。
表の3列目の「放射影響」はアスマン通風温度計に対する放射の影響であり、
次の推定式によって求めた値である、ただしシリーズ3は除く。
放射影響=アスマン気温-(ルーチン気温-0.17℃)
シリーズ1と2a ・・・・・直射、散乱光、反射日射、地面からの赤外放射の影響
シリーズ2b・・・・・・・ 散乱光、反射日射と地面からの赤外放射の半分、百葉箱からの影響
シリーズ4・・・・・・・・直射と散乱光の影響を半分含むが、地面からの赤外放射の影響はほぼゼロ
シリーズ5・・・・・・・・直射と散乱光の影響を含むが、地面温度は気温とほぼ等しいので影響はほぼゼロ
これはアスマン通風温度計に及ぼす放射の影響の推定値ではある。
表に並んだ値は日射量とともに大きくなることがわかる。
さらに、シリーズ4、5に比べて1、2における放射影響は0.3~0.4℃も大きい
のは、気温よりも10~15℃も加熱された地面(芝生)からの赤外放射の影響
とみなすことができる。
地面温度が35℃、気温が20℃の場合、黒体放射量はそれぞれ511W/m2、
419W/m2、その差は92W/m2となる。
詳細計算は今後行ってみなければならないが、「大気境界層の科学」の
図3.4と表3.2を参照すると、気温センサーの温度上昇量は0.1~0.5℃の
範囲内に入りそうであり、今回の観測結果が説明できるのではなかろうか。
25.5 詳細解析
アスマン用の水銀温度計の時定数:
今回用いたアスマン温度計①を用いて調べたところ、
時定数=40秒であった。
アスマン通風乾湿計のファンを回転させた状態で、球部を指で温めてその指示
温度が一定になっている状態の温度を時間=ゼロにおける気温とする。
指を離した瞬間にストップウオッチのスタートボタンを押し、同時に外して
あったアスマンの吸引口をアスマンに素早く取り付ける。温度の下降と
経過時間を記載する。この作業は二人で実行できる。
およそ2分間で指示温度は落ち着く。その状態の指示温度を基準値として
温度変化量=指示温度ー基準値
をもとめ、片対数方眼紙の対数目盛りに温度変化量、横軸に経過時間をとって
プロットする。プロットは片対数方眼紙上で直線に並ぶ。時間=ゼロのときの
温度変化量(この実験では4℃)の0.368=exp(-1)になる時間をグラフから
読み取る。その時間が時定数である。2回の測定で、時定数は38秒と
42秒を得た。ここではそれらの平均をとり、時定数は40秒とした。
時計の遅延:
気象庁95型地上観測装置の時刻は所定の誤差(±3秒)を超える前に担当者が
修正している。9月8日に-3秒を0秒に、9月25日に-2秒を0秒に修正した
ことから、比較観測当時の13~14日には0~2秒の範囲で遅れていたと
推察される(寿都測候所長による)。
一方、われわれが使用した電波時計は、電波受信直後は±1秒以内、毎日
1~4回の修正が行われることになっている(説明書による)。
実際に時報等で数日間確認してみると、時計の狂いは3秒以内であった。
したがって、両方の時計と温度計①の読み取り時刻のずれは数秒以内の
正確さがあり、以後の解析では問題にならない。
今回の比較観測、5つのシリーズにおける気象条件を表25.3に示した。
風向・風速は合同庁舎屋上の風速計高度(13.4m)で観測されたものであり、
露場付近の風と異なる。今回は風が弱く、露場付近の風速は1m/s以下の微風
が多かった。雲は上層雲が多く、雲量=3~7の範囲であった。
表25.3 2006年9月13~14日の気象条件
気温変動の標準偏差はトレンド(単調な気温上昇・下降傾向)を含む値である。
シリーズ1,2ではトレンドが小さい。シリーズ3は観測の始めから終りに
かけて気温は2.5℃程度下降、シリーズ4、5では1.5℃程度上昇した。
風向、風速、日射量(全天日射量)は庁舎屋上に設置されたルーチン用測器に
よる値である。露場での風速はこの風速より弱く、また露場における日射量
は庁舎の陰(シリーズ3)、あるいは人家の陰(シリーズ4)に入っていた
ために小さい。
シリーズ 時 刻 ←気 温 変 動 の 標 準 偏 差→ 風向 風速 日射量
温度計① 温度計② 温度計③ 温度計④ ルーチン用
℃ ℃ ℃ ℃ ℃ m/s W/m2
1 11:00-12:00 0.45 0.40 0.44 0.40 0.33 N-NE 1.57 783
2 14:00-15:00 0.23 0.23 0.21 0.20 0.19 N 2.24 445
3 16:20-17:05 0.88 0.86 0.94 0.89 0.89 W-NW 1.31 108
4 5:25- 6:25 0.76 0.76 0.77 0.78 0.80 SSW-W 0.58 47
5 7:25- 8:15 0.64 0.63 0.68 0.65 0.67 SSE 2.55 340
シリーズ1において、ルーチン用温度計の標準偏差が0.33℃
に対し、アスマン
温度計のそれは0.40~0.45℃と大きい。シリーズ2においても同様の傾向で
ある。その理由は、トレンドを除く数分間以内の短周期の気温変動が大きい
のはシリーズ1と2であり、小さいのはシリーズ3~5である。
ルーチン気温は1分間平均気温であるのに対し、アスマン温度計はそれより
短時間の時定数をもつためである。
次の表25.4はルーチン気温(1分間平均気温)とアスマン温度計の指示値の1回
ごとの差の標準偏差である。1回ごとの読みの差(誤差)は0.1℃~0.3℃の
範囲にある。
条件のよい、シリーズ3では標準偏差が0.1~0.14℃であるので、気象庁の
検定公差=0.3℃の範囲内ならば、条件のよいときに行うアスマンによる
比較観測は通常1回でよいことになる。しかし、条件が悪い時(気温変動が
激しい時)は、10回程度の読み取りを行う必要がある。
今回の比較観測の目標は0.1℃の精度であったので、1シリーズにつき
60回の読み取りを行ったわけである。表25.4はこれを裏付ける資料となる。
表25.4 気温の1分間ごと指示値の差
(ルーチン気温)-(各温度計温度)の標準偏差(単位は℃)
シリーズ4、5ではルーチンセンサーとアスマン間の距離は17.5m、と8.5m
シリーズ 時 刻 気 温 差 の 標 準 偏 差 備 考
温度計① 温度計② 温度計③ 温度計④
℃ ℃ ℃ ℃
1 11:00-12:00 0.27 0.26 0.29 0.27 アスマンは日向
2 14:00-15:00 0.13 0.13 0.14 0.16 ③④は日陰
3 16:20-17:05 0.10 0.11 0.14 0.12 アスマンは日陰
4 5:25- 6:25 0.25 0.25 0.17 0.18 ①②は17.5m、③④は南東8.5m
5 7:25- 8:15 0.09 0.10 0.12 0.13 ①②は17.5m、③④は北東8.5m
注:標準偏差の意味:
この観測で読み取った2つの温度差のようなデータは、おおよそ正規分布
にしたがう。正規分布の場合、例えば平均値=0、標準偏差=1℃のとき、
-1℃と+1℃の間に含まれるデータは68.3%を占め、平均値±3標準偏差内に
含まれるデータは99.7%を占める。
誤差の標準偏差=0.1℃の場合、誤差の最大・最小値は±0.3℃程度とみて
おいてよい。
上の表25.4をもう少し詳しく見ると、無風に近いシリーズ4の温度計①②
の標準偏差=0.25℃に対し、③④でのそれは
小さく0.17~0.18℃である。後者が
小さいのは、ルーチン・アスマン間の距離が8.5mと前者の17.5mに比べて
短いことによると解釈できる。これは無風~微風条件では空間的な温度むら
が形成されていることを意味する。
風が感じられる条件で行われたシリーズ5での標準偏差は温度計①②と温度計
③④で大きな違いはない。このことから、今後の比較観測は微風条件ではなく、
風を感じるような条件(空気の混合が盛んな条件)で実施するほうがよい。
上表では時定数と平均化時間の異なる温度間の誤差をみたが、同じ種類
のアスマン同士における読み取り誤差を調べてみよう。
表25.5の第3、4列は離れた距離にあるアスマン温度計の誤差、第5、6列は同じアスマン
の乾球と湿球(今回はすべて乾球)の位置における読みの誤差である。
アスマンは目視によるために、読み取りのずれの時間(約10秒)も誤差に
含まれる。
表25.5 アスマン同士の1分間ごと指示値の差
シリーズ 時 刻 気 温 差 の 標 準 偏 差 アスマン間の距離
①-③ ②-④ ①-② ③-④
℃ ℃ ℃ ℃
1 11:00-12:00 0.15 0.14 0.12 0.10 ①~③間=3m
2 14:00-15:00 0.10 0.11 0.05 0.07 ①~③間=5m
3 16:20-17:05 0.11 0.09 0.05 0.06 ①~③間=4m
4 5:25- 6:25 0.22 0.22 0.06 0.07 ①~③間=27m
5 7:25- 8:15 0.12 0.13 0.04 0.05 ①~③間=15m
まず、離れた距離にあるアスマン同士の読みの誤差(第3、4列)を見ると、
異種類の温度計間の誤差(表25.4)に比べて、全体的に小さくなって
いることがわかる。
次に、同じアスマン温度計に取り付けられた左右の温度計の読みの誤差
(第5、6列)を見ると、気温の時間的変動が大きいシリーズ1
( 0.12℃、0.10℃)を除外すれば、誤差は0.04~
0.07℃の範囲内にあり、0.2℃目盛りの温度計における読み取りの限界範囲
に入っていることがわかる。
注:
真の気温が1℃から0℃に階段状に下降した場合、時定数=40秒の温度計では
40秒後には温度計の指示は0.368℃となるが、10秒後には0.779℃
[=exp(-10/40)] となる。したがって、気温変動が激しい時、温度計の
読みが10秒遅れれば、0.1~0.2℃程度変わることもある。
今後、各機関において観測データの質の向上を目指した比較観測が実施される
ことを想定し、以下ではその具体的な方法を示しておきたい。
今回の観測では、温度計①を毎正分に読み、若干の時間遅れをもって
温度計②、③、④の順序で読み取った。約30秒間に①~④を読み終えた。
そこで温度計①の読みを用いて、読み取りの時刻の遅延が誤差にどのように
影響するのかを調べた。
表25.6 アスマン温度計①または③の読み取り時刻のずれによる気温観測の誤差
(ルーチン気温)-(温度計①または③)の標準偏差
アスマンを早く読んだ場合は読み取り時間がプラス
シリーズ 気 温 差 の 標 準 偏 差(℃) 温度計
2分遅く 1分遅く 同時 1分早く 2分早く 3分早く 4分早く
1 0.39 0.34 0.27 0.20 0.28 0.34 0.38 ①
2 0.21 0.20 0.13 0.12 0.19 0.22 0.23 ①
3 0.19 0.15 0.10 0.09 0.15 0.18 0.20 ①
4 0.34 0.30 0.25 0.23 0.23 0.27 0.31 ①
5 0.18 0.14 0.09 0.10 0.13 0.15 0.16 ①
4 0.25 0.21 0.17 0.14 0.15 0.18 0.22 ③
5 0.18 0.15 0.12 0.10 0.11 0.13 0.16 ③
表25.6はアスマンの読みを1分間ずつ早く(または遅く)、2分間ずつ・・
・・・・、読み取った場合の読み取り時間と誤差(標準偏差)の関係を
示したものである。
わかり易くするためにシリーズ1~3の平均と、4と5の平均を図25.3に
描いた。
図25.3 アスマン温度計の読み取り時間のずれと誤差の関係
アスマンの指示値をルーチン温度より早く読み取った場合をプラスの読み
取り時間とする。誤差とは1回の読みによる誤差、その標準偏差を縦軸に
とってある。最大誤差は標準誤差の3倍程度はある。
誤差の極小値は読み取り時間がゼロの位置ではなく、0~1分の中間位置
となっている。その理由は次の通りである。
ルーチン気温は前1分間の平均値であるが、センサーの時定数=36秒が示す
温度を平均化時間=1分で処理したものである(
「K23.観測法変更による気温の不連続」の表23.1の95型の項を参照)。
したがって、ルーチン1分値は毎正分の概略30秒~90秒前の気温であり、
アスマンは毎正分の概略30秒前、その前後の平均気温であるとみることが
できる。
今後の比較観測の具体案は次の通りである。
ある基準時刻について比較する場合、その基準時刻より2分早くからアスマン
温度を読み始め。20秒間隔で基準時刻の1分過ぎまでの3分間、合計10回の
平均値をアスマン観測気温とする。これと基準温度のルーチン気温1分値と
比較する。
アスマンの読み取りに際して、1回ごとに風下側に下がり記帳した後、20秒
経ってから再びアスマンを読む。これを10回繰り返す。
風速が1~3m/s程度と適当にあり、曇天日の日没ころの明るい時に実施する
ことを勧めたい。
25.6 今後の課題
今回の比較観測は快晴の微風、しかも許可された厳しい条件で行ったため、
その条件では最大限の成果を得たと思うが、サンプル数も少なく十分な結果
ではない。
(1)アスマン温度計4本は検定器差つきの新品を購入して観測したが、
精度を確実にするために、再検定を行う予定である。
(2)今回用いた簡易放射除けをつけたアスマン温度計に及ぼす放射の影響
について理論的・実験的に検討する。同時に、改良型の簡易放射除けを試作
し、今後の観測に利用する。
(3)今回の露場内での比較観測は回数が少なかったので、再度、同様な
観測をせめて夜の20時ころまで続けられるよう、許可を
いただきたくお願いしたい。
今後の課題は次節の「K26.寿都比較観測の課題」
において検討する予定である。
要約
2006年9月13日~14日、寿都測候所からルーチン観測資料の提供を受けて
比較観測を行なうことができた。
(a) 北海道寿都測候所において、アスマン通風乾湿計2台の水銀温度計のすべてを
乾球として、気温を1分ごとに1時間連続して読み取り、その平均値とルーチン
気温の毎1分平均気温の1時間平均値を比較した。その結果、ルーチン観測値は
0.2℃程度高め(ただし断定的な値)であることがわかった。
このことは、現在使用中の電気式隔測温度計の不安定性による変動幅が0.2℃
程度内在することによるのかもしれない。
(b) 簡易の放射除けを取り付けたアスマン通風乾湿計では、快晴微風の条件
では、放射の影響は日中には0.3~0.6℃程度、地面温度が気温とほぼ等しい
朝には0.1~0.2℃程度と推定することができた。これは推定値であるため、
今後、放射影響を正しく評価しなければならない。
(c) 気温は空間的時間的に変動しており、微風条件では、温度計の読み取り
の1時間平均値でも0.1℃~0.2程度の差が生じる
が、放射の影響が少ない条件では0.05℃以内で一致し、検定器差(0.1℃間隔)
の範囲内である。
これは温度の最小目盛り0.2℃の水銀のガラス棒状温度計による結果である。
(d) 気温観測資料の詳細解析を行い、本比較観測が気象官署において
定期的に行っている比較観測と本質的に異なることを具体的に示した。
筆者らが寿都測候所における検定交差(0.3℃)の範囲で行っている結果
(表25.1)を疑って比較観測を行なったものではないことが理解して
いただけると思う。
(e) 詳細解析によって、今後、気温資料の質を高めるための比較観測の
具体案(3分間10回の読み取り)を示した。10回の読み取りは1回の場合に
比べて誤差を1/3程度に小さくすることができる。
なお、測器更新の際には、アスマン温度計の1分ごと読み取りを1時間続ける
方法でチェックしておけば、その後のデータは安心して利用できる。
こうしておけば、結局は長い目でみたとき、データ整理・解析の時間は
短くてすむことになる。
文献
近藤純正、1982:大気境界層の科学.東京堂出版、pp.219.