清水 満のデンマーク報告1(2007年3月)

表現教育の幼稚園「パレット」を訪ねて

幼稚園「パレット」
 3月20日(火)ヘアニング市の市立幼稚園「パレット」を訪ねた。

 ここは幼稚園と小学校のゼロ学年、そして放課後の「自由時間の家」がいっしょになって構成されている。目の前はフォルケスコーレ(公立の小中学校)で、運動場は共有になっているので、異年齢集団の子どもたちが同じ場所で時を過ごすように工夫されている。

幼稚園の名前のプレート

 幼稚園の名前の「パレット」は、いわゆる絵画制作に使う例のパレットのことで、美術教育をすることを示している。基本的にはふつうの公立幼稚園なのだが、活動の中に美術のワークショップを多く取り入れた。教員の中に、もともと幼稚園教員をしていたが、子どもの表現活動のあり方に関心をもち、また自分ももっと勉強したいという理由で、美術大学に入り直し、専門的な技能と教える技術を学んで再び戻ってきた人がいて、その人を中心に教育のあり方がみなで議論されて、今の形式となった。一週間ごとに四〜五人のグループが交替で美術ワークを行っている。それ以外の子どもたちはふつうに遊ぶ。

 他にも音楽をワークショップ形式で学んでいる。

 基本的な姿勢として、技術の向上や幼児期からの英才教育という視点はまったくなく、子どもの世界認識、他者認識、そして世界や他者との交流の一手段として、美術・創造活動を位置づけている。あくまでも楽しさ、幸福感が第一であり、子どもが楽しくなければどんなにいい美術教育をしても、意味がない。

 たとえば今回は、「鳥」をテーマにしたプロジェクトとして、表現教育を行っていた。まず鳥の写真や実物(園庭にときどき来る)をじっくり観察する。そして絵を描くのだが、その際自由に描かせるのではなく、いろいろな表現方法の工夫をあらかじめしておく。私が見た子どもたちのワークでは、教員が前もって鳥の羽根を一本、拡大して画用紙いっぱいにコピー(ただし白黒を反転させ、背景は黒にしている)し、その形をつかって色を塗ったり、自分なりに描き足していく。

羽根ペンで絵を描く子どもたち

羽根をモチーフに描いた絵

 ただテーマは鳥でなくてはならず、子どもたちはその羽根をしっぽに見立てたり、身体の一部の羽根として描く。また色を塗ったり描いたりする筆は、鳥の羽根を使った羽根ペンで、羽根先でペンのように描いたり、羽毛を使って筆のように色を塗っていく。この過程で鳥の羽根の形を子細に観察して、どういうものか自分で納得したり、自然の羽根のもつ形の美しさ、興味深さ、質感などを味わう。また自ら道具として用いることで、かつて人々がペンとして用いた経験、あるいは道具としての有用性、そして表現・創造はあらゆるものが創造のヒントや素材となり道具となりうることを子どもたちは自然に学ぶのである。

 しかし、それは達成されるべき教育目的としてあるのではなく、子どもたちがそういうことをわからなくても別に気にしない。もう少し成長して鳥や羽根にまた接したときに、幼児期の体験や記憶が何らかの形でそのときの経験に作用したり、あるいは大人になって鳥に関係した機会に、ふとこのことを思いだし、たんなる経験がそのときに豊かさをまして、自分の人生に彩りを与えることになればそれで充分、と指導教員は語っていた。

 つまり、世界経験の豊かさ、子どもが世界の事物がどういう面をもっているのか、日常親と暮らし自然と身につく世界の固定的な事物の見方以外に、世界の事物はまた違った形でも見えるし、その視点ごとに奥行きが異なり、世界の豊かさは際限がないこと、それらのことを子どもがこのプロセスで無意識に身につけたり、大人になって思い起こすことが意図されているのだが、しかし、それはあえていえばそういえるというほどのものである。

「鳥」にまつわる基本テーマは絵を描くだけにとどまらず、幼稚園の他の活動にもかかわっている。巣箱を作成し、園庭に設置して、季節の鳥が来るかどうかを観察することもその一環である。また他のプロジェクトでは、幼稚園の建物の壁にデコレーションとして自分たちでつくったオブジェを取りつけていた。

 これらの手法は美術大学などで教員が身につけたことを基本に自分なりに応用したものだが、しかし、子どもに技術の優劣を問うたり、もっと技術を上げることを意図することはまったくないと断言していた。また、作品の出来の優劣や評価をして、競争をあおることもしない。基本的に、子どもが描きたいように、したいようにさせる。さまざまな工夫は子どものもつ内発的な動機を刺激するためのものである。ただ絵を描けというだけでは気乗りのしない子どももいるだろうが、その子が経験したことのない手法や見方の一部を呈示すると、俄然興味がわくことも多いのである。担当教員の話では、嫌がって描かない子どもはいままで一人もいないといっていた。

シルエットのオブジェ

マスク

 園内を歩くと、マスクが展示してあったり、自分たちの横顔のシルエットを作品化して展示するなど、幼稚園自体が一種の美術館的な趣がある。またいろいろな行事もあって、中世の格好をしてパレードをしている写真も見せてくれた。中世の衣装、武具などをつけてパレードするというのは、こちらではけっこう盛んなお祭りの一種である。父母もいっしょになってこういう表現ワークをするときもあるそうだ。

 それらの活動を報告する記録集は一般には印刷物に頼るが、ここではこの報告集も手づくりで一部しかない。写真を土台に貼りつけ、子どもたちがそこにいろいろな絵や模様を描き込む。教員が少し内容報告を一、二行書く。いまどきはコンピュータで編集して、PDF文書にし、メールで配布するところも多いといっていたが、ここではそういう電子文書に対抗して、わずか一部しかないアナログの報告でやるのが自慢だそうだ。もちろんかんたんな文書は父母には配布するが、子どもたちの作品としての報告集は園に来たらいつでも見ることができますよとテーブルに置いてある。

昼食を食べる子どもたち

 この幼稚園の基本原則は以下の三つである。

  1. 生きる喜び
  2. 社会的な成長
  3. 美的な成長

 1は、子どもがいろいろなことをしながら、楽しいと思える場にすることが目的であり、幼稚園が子どもの幸福感を味わえる場になることをめざしている。2は、自己や他者の生を尊重し、みなで何かをしたり、自分自身の価値を知ることを意図している。3はそれによって世界を知り、自己の限界を知ったり、あるいはそれを拡張したり、創造する喜びを知ることを学ぶのである。一口にいえば、子ども自身が幸福と感じることを最大の価値観として運営されている。それゆえすでに述べたように、才能を伸ばすための早期教育、技能を身につけるための厳しい訓練といった要素は排除される。

 とはいえ、作品を見て多くの日本人(あるいはデンマーク人でさえ)は、年齢に相応しないと思えるほどの出来上がりのすばらしさに驚きを禁じえないのは確かだ。これは早期教育の一種ではないかと勘違いするかもしれない。しかし、子どもが小学校に上がり、その後すっかりこの作品の完成度を忘れても、それはそれでかまわないのである。その子に何らかの情操の成長があり、創造の喜びが心の奥深くに残って、その子の人生に彩りを与えて何らかの作用をすれば、目的は果たされたことになる。もちろん優秀な表現者になる子どもも出てくるかもしれないが、それはこの幼稚園の意図するところではない。

デンマークの教育における表現教育の奥深さの一端をこの幼稚園は示している。

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