森将軍塚古墳

父の任地の屋代で幼稚園に通っていた頃、屋代の一重山の矢代神社に良く登った。2006年の朝日の特集で 千曲市(旧更埴市)に森将軍塚古墳というものがあり、発掘調査後、オリジナルの形に復原されたという。屋代の一重山に隣接する丘の上にあるという。

司馬遼太郎が「信州佐久平道潟のみちほか 街道をゆく九」で篠ノ井駅と稲荷山駅の中間にある川柳将軍塚古墳に言及しているが、森将軍塚古墳は千曲川を挟んだ対岸の丘の上にある。

2006年3月13日にここを訪れた。ちょうど月曜日で県立歴史館は休館であった。森将軍塚古墳のある丘の上まで標高差約100mを登った。丘の上には小 さな円墳が尾根の稜線にそって16個も並んでいる。そのうち最大のものが2号墳と言われている。いずれも5-7世紀につくられたものだという。森将軍塚古 墳だけが前方後円墳で、「シナノ・科野・信濃国の考古学」によれば長野県内で最大の前方後円墳だという。

千曲川が狭い渓谷から広い善光寺平に流れ入って、川を流通網にする荷役がしやすいところに政治権力が集中したため、善光寺平南部の千曲川流域の両岸の丘の上に古墳群が多く分布するようだ。

将軍塚古墳 2006/3/13撮影

古墳の見学を終わって幼少のころ過ごした場所を探したところ、新幹線の直ぐそばに記憶にある町並みを確認できた。家は建て替えられているが、区画は昔のままだった。

被埋葬者はだれか興味がわくが、これに関しては長野県の古代朝鮮半島からの渡来文化などがある。

March 16, 2006

Rev. January 15, 2014


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