長野北高卒業40周年記念文集原稿

センチメンタルジャーニー

グリーンウッド

高等学校の同窓会40周年記念に出席するため、完成したばかりの上信越道を通った。「4,000メートル級のトンネルを幾つか抜けるとそこは長野だった」とでも表現したくなるほど、それはあっけなかった。私の誕生の地、上田市はついに見ずじまい。5才のころ、良く登った、屋代の 一重山を眼下に見ながら、父祖伝来の地に着いてしまった。

さすがオリンピックの威力はたいしたものだ。同じ村出身の同年、同性の某市会議長氏が十数年前、議員に初当選の折り、地域開発の方便としてブチ上げたそうだが、この構想がまさか実現するとは本人も思わなかったのではないか。

5才のころ、毎日入り浸っていた屋代の鍛冶屋が私の職業(プラントメーカー)の原点となっているような気がするが、今は新幹線の橋脚の下になって跡形もない。焼酎漬けの梅で酔っ払い、仰向けに落ちた川面から見上げた空は青かったが、あの小川もコンクリート製になってしまった。

黄色のユニフォーム一色の同窓会も盛り上がり、一瞬の青春を謳歌したかっての村の神童達も、今では只の人となって還暦を目前に、めでたく収まるべき所におさまって天下泰平。かくいう私も、分かっているだけでも川中島の合戦以降、同じ善光寺平の地に十数代も根着き、100年の歴史を持つ旧制中学・新制高校に祖父子3代お世話になった我が家の家屋敷と母は妹にまかせ、鎌倉に根着いてしまった。

国民学校に入学4ケ月にして戦い破れ、塗りつぶした教科書から原理原則は方便と学び、それなりに世渡りをしてきたが、一時代の終焉を迎え、これからどのような波に乗ろうかと懲りもせず、思案しているところなぞ、我ながらサガと思う。

かっては週末には家の前の海で手作りのヨットでセーリングしていたものだが、というよりヨットを楽しむために、鎌倉に居ついたといった方が正しいのだが、持ち前の浮気心が疼いて、大型のクルーザーに乗り換え、これにも飽きて処分し、今ではハーレーダビッドソンを乗りまわしている。共通項は「風」であろうか。

 bike.gif (2834 バイト)

挿絵は九州都城市の江夏昇氏による

今回の長野行もこの鉄馬に跨がって行き、ついでに女房をタンデムして乗鞍越えして飛騨の高山と白川郷めぐりをしてきた。そのうち四国のお遍路さんをやってみようかと思っている。イタリア縦断なども面白そうだ。ボローニャを出、ルビコン河を渡り、フラミニア街道を南下し、ローマからはアッピア街道をブリンディシまで南下しようなどと夢想している。かってガリアから取って返したカエサルの南下軍がポンペイウスを追った道である。

やることがいっぱいあるぞ!

同窓会の黄色のユニフォームには校章の鷹のデザインを使っているが、ハーレーダビッドソンの鷲のマークも同じようなものだ。これを着てカッ飛ばそう。♪

1997年夏

ところで、高山では「春慶塗」が高価なみやげの代表例だが、旅から帰って40周年記念に巣山先生からいただいた先生の御著書「木曽高木屋物語」 を読んでいるうちに「春慶塗」に出会い、懐かしく思い出している。

幼稚園時代よく登った屋代の一重山(456m)の東隣にある森将軍塚は復元され埴輪157個が創建当時の姿を現したと2005/10/2付け朝日be Extraで報道される。

Rev. June 15, 2006


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