シリアル番号 | 表題 | 日付 |
460 |
平松幸一氏の日本国成立の経緯解明調査中間報告 (2000年元旦の年賀状より転記) |
2000/12/6 |
●663年8月、百済再興に賭けた九州倭国の水軍が白村江で唐新羅連合軍に大敗し、倭国王薩夜麻は唐の捕虜となった;万葉集8番額田王「にぎたづに船出をせむと月待てば・・・」の歌は、この年の7月、当時の遠賀湾新北の津から水軍を送出すとき唱われたもの。
●667年、中大兄(天智)がクーデターを起し、倭国皇子伊勢王兄弟を拘束して大権を握り、那大津(中間市)から近江の大津に都を移す。
●670年(庚午)近江朝は日本国と称して対新羅外交を開始。
●672年(壬申)遠賀川上流域(当時の明日香)に勢力を温存していた大海人(天武)が、前年に生還した薩夜麻を奉じて近江包囲網を完成、倭国再奪権に成功。
●686年,天武死、藤原氏の勢力をバックに天智の娘、持統によるクーデター成功。大津皇子粛清さる。
●694年、九州明日香から、近畿藤原に遷都。引続き半世紀程掛かって、倭国文化財を住民、地名と共に近畿大和に総移動。
●720年、藤原
この平松氏の論は3世紀から6世紀の間に九州から大和に政権の中心がうつったという説とは全く別物である。
関連文献:法隆寺のものさしー隠された王朝交代の謎、検証 白村江の戦い、隠された十字架ー法隆寺論、日本古代史諸説の整理
Rev. December 5, 2007