読書録

シリアル番号 1159

書名

倭国ここに在り 文底に隠された真実・二つの国があった日本列島

著者

吉留路樹(よしとめろじゅ)

出版社

葦書房

ジャンル

歴史

発行日

1991/11/10初版

購入日

2013/09/08

評価



芝尾紘一氏経由、全国電気管理技術者協会連合会 顧問の吉澤均氏の蔵書を借用

著者は作家

この本が書かれたのは20年以上も前である。その主張するところは卑弥呼のいた倭国(わこく)の邪馬台国=九州終焉説であ る。安本のような邪馬台国東進説をとらない。最近有力な邪馬台国=大和説も とらない。考古学者は卑弥呼の墓は最近の発掘により箸墓古墳や纒向遺跡のあるという説が有力になりつつあるが、これは皇国史観にとらわれた見方と退ける。 むしろ九州は自滅し、漁夫の利で大和に乗っ取られたあげく歴史まで利用されたという主張だ。したがって箸墓古墳を発掘しても卑弥呼に結びつくものはでてこ ないだろう。同時期の大和の墓の一つにすぎない。宮内省は発掘に後ろ向きな本当の理由だろう。

著者は中国側の史書と日本の紀記を読み比べる。邪馬台国の後裔は筑紫倭国の磐井王朝であるとする。筑紫は継体に討たれたと紀記にあるが、実際に は磐井が倭・百済連合軍を率いて白村江に出兵して負けたとき漁夫の利を得たのは中大兄ー中臣鎌足である。倭国の敗戦に当たり、近江朝は百済派兵には関係な かったと唐に申し開きをしたと想定される。そして米国に敗けた戦後の日本のように急いで律令制を取り入れ、百済仏教から唐仏教に乗り替えて唐に従うのだ。 帰国をゆるされた磐井一族を抹殺し、大和朝廷の万世一系が治めるという皇国史観を確立させるために、この当時日本に二つの政治権力があったことを隠す目的 で記紀は書かれた。日本書記は天武天皇(大海人皇子)が書かせた。目的は自分の正当性を主張するためである。天武天皇は、平和な禅譲によって即位したの ではない。「壬申の乱」と呼ばれている日本を真っ二つにし、一ヶ月にも及ぶ大内戦によって、兄(天智天皇)の長男(大友皇子)を滅ぼして皇位に就いたの だ。東大寺大仏の開眼供養のあった前年に上梓された『懐風藻』には、天武の決起を「乱」と明記している。にもかかわらず明治期に日本書記にとらわれて万世 一系の皇国史観が確立された。

聖徳太子が隋の煬帝に送った国書に「日出づる処の天子、書を日没するところの天子に致す、恙なきや」とあると記紀のはかいてあるようだが、随書には607 年(推古15年)に俀国(たいこく)の タリシホコの使者が持ってきたと書いてある。筑紫政権のことを聖徳太子という架空の人物のことにしていて完全にかくすことはできていない。記紀は基本的に は倭国史+大和史なのだが、倭国史は中国が記録してくれているから問題ないと して大和史は天武は継体からの権力の簒奪者であり、継体はそれ以前の応神ー武列系統とは血のつながりはない。応神ー武列系統とは倭国の歴史を取り込んだ部 分だが魏史倭人伝に合わせるため神攻皇后を創作して卑弥呼をあてはめ、これに応神を生ませて支離滅裂である。継体が大和にはいるに20年を要したなど矛盾 もいいところ。推古以前の神話的天皇をよりどころにするのは信仰的史学、あるいは迷信的史学だ。日本の史学は早々に皇国史観から脱しないと。

倭国は太宰府に存在した。これを大宰府と書くのは大和朝廷の不都合を隠すため。

以上いずれも古田武彦が展開する九州王朝説はさらに先を行く。「古代は輝いていたIII」参照。古田はそもそも「壬申の乱」は九州で戦われたという。太宰府は倭京と呼ばれる九州倭国の都であった。九州王朝説の支 持研究者間でも、白村江の戦いまで を九州倭国の歴史と見る、壬申の乱までを九州倭国の歴史と見る、大化の改新まで九州倭国の歴史と見る考え方があり定まっていない。

日本史研究者はいままでの定説を完全否定されるため、無視している説である。安本美典など皇国史観派は完全否定。

最近近隣から指摘される歴史感覚は自己閉鎖的な単一民族皇国史観にたち、我が国を不利な立場におくと吉沢均エネルギー総合研究所専務理事は説く。

Rev. January 8, 2014



鎌倉プロバスクラブの根本氏の講演で 知った橋口家は薩摩・大隅の豪族大伴氏の末裔である。5世紀から6世紀にかけて外交・外征面において、倭王権では重要な役割を果たしていたものと考えられるとされている。なぜ九州の豪族が大和で壬申の乱などに係わったのか疑問が生じ、調べると倭京という言葉がでてきた。一体これはどこにあったのだろうか?そして吉田史学の九州王朝説が納得のゆく説明だ。

川端俊一郎氏は「法隆寺のものさしー隠された王朝交代の謎」 で法隆寺はまず倭の国の太宰府で中国南朝尺を使って建設され、後日大和に移設されたとする。

日本書記批判を随書のみに準拠するのも中国は「歴史捏造の国」であるといわれるし、日本でも事情は似たようなものなので危険と指摘するかなり乱暴なプログ「心に青雲」では近代、歴史認識以上の最大のウソは天皇の万世一系であろう。明治天皇が大室寅之祐の成り済ましであるとの疑惑もあるのだ。幕末・明治 天然色写真館に大室寅之祐と幕末の志士の集合写真であるフ ルベッキ写真がある。

天武天皇は自分の正当性を誇示するために日本書記を書かせたが、奈良時代の半ばには『日本書紀』の正統性を全面否定することが許されていた。なぜならば天 智天皇系が実権をにぎたからだ。東大寺大仏の開眼供養のあった前年に上梓された漢詩集『懐風藻』は、天武の決起を「乱」と明記している。つまり、臣下が主 君 を討った、天武に正統性はなかったと。ところが、大正期に歴史学界に君臨した黒坂勝実(日本古代史 東京帝大)とその門下は皇国史観にそって日本書記を再 認識して現在に至る。

Rev. November 11, 2013


2013/12/2 のNHKのニュース後に2013/4/18、古賀市谷山北地区遺跡群で、古墳時代後期(6世紀末〜6世紀初め)の円墳「船原(ふなばる)3 号墳」(直径約20m)に隣接した埋納坑から、同時期の金銅製の馬具が一式の出土にかんし特集番組を組んだ。14点が金銅製。 馬具専用の埋納坑は類例がないという。当時の新羅から送られたものだということ。

倭国は太宰府に存在したという古田武彦の九州王朝説を合理的説明と感じている私にとっては、船原出土の馬具は古田史観を補強すると思った。

しかしそのNHKの番組では当時の日本地図に今の奈良県のところに倭とかいてあるのでのけぞってしまった。九州大学の歴史学の教授の見解らしいのだが、 NHKがこれでは正しい歴史認識など夢のまた夢という気がした。しかし吉澤氏によれば九州大学の歴史学教授は東大史学科に逆らうことはできないためだとの こと。

December 2, 2013
Rev. January 14, 2014

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