本名=村山槐多(むらやま・かいた)  
                  明治29年9月15日—大正8年2月20日   
                  享年22歳(清光院浄誉塊多居士)  
                  東京都豊島区南池袋4丁目25–1 雑司ヶ谷霊園1種20号6側 
                    
   
                   
                   
                    洋画家・詩人。愛知県生。旧制京都府立第一中学校(現・洛北高等学校)卒。10代からボードレールやランボーを読み耽り、詩作もよくしたが、デカダン的な生活などにより、結核性肺炎を患っていた。詩集『槐多の歌へる』は槐多の死後、友人たちによって編集、出版された。 
                     
                     
                   
                   
                    
                     
 
                 
                   
                     
                  ためらふな、恥ぢるな  
                    まつすぐにゆけ  
                    汝のガランスのチユーブをとつて  
                    汝のパレットに直角に突き出し  
                    まつすぐにしぼれ  
                    そのガランスをまつすぐに塗れ  
                    生のみに活々と塗れ  
                    一本のガランスをつくせよ  
                    空もガランスに塗れ  
                    木もガランスに描け  
                    革もガランスにかけ  
                    □□をもガランスにて描き奉れ  
                    神をもガランスにて描き奉れ  
                    ためらふな、恥ぢるな  
                    まつすぐにゆけ  
                    汝の貧乏を  
                    一本のガランスにて塗りかくせ。  
                    (注・全集版に伏字は魔羅と注がある)  
                                                            
                    (一本のガランス)  
                   
                   
                   
                    
                   早くからボードレールやランボーに傾倒していた村山槐多は、従兄の洋画家山本鼎の強い影響を受けて画家を志し、異彩を放つようになっていった。その早熟でデカダン的な生き方や失恋、困窮辛苦などから結核性肺炎を病み、その上、流行性感冒にも冒されて寝込んでいた。 
                     大正8年2月19日深夜、突然、狂ったように代々木の原へ飛び出した。雪混じりの激雨の中、絶叫し、草むらであえぐ瀕死の塊多がいた。友人たちに探し出された彼が息を引き取ったのは、20日午前2時のことであった。 
                     22年と5か月の生涯。ガランス(茜色)が縦横に走る塊多独特の絵画の鮮烈さと、その短く熱い生命をほとばしらせる色彩豊かな詩を、両手からばらまいて塊多は去った。 
                     
                     
                   
                   
                    
                   待ちに待った新しい陽は昇った。 
                     荒れ狂った暴風雨と共にようやく鎮まった静寂の闇は潮が引くように去って行き、無彩色の墓原に緑色の朝がもどってくる。息ついた楓葉はゆらぎ、椿の垣根が華やいだ。黄色いゴム長靴を履いた幼子の軽やかな足取りよ、さあ、今日の日を素直に喜ぼう。しかれどもいま、水気を含んだ庭土の上にべったりと置き去りにされた「塊多墓」。 
                     ここに塊多の赤は無い、赤い絵も、赤い詩も。血の色を持った世界、万象の燃え尽きる焔に照らされた、歓喜の塊多が立ち上がってくる気配は幻でさえない。私の足跡だけがぼんやりとした輪郭を凹ませてその小景に時を残した。 
                    〈電光のように暮らしたい、発電機上の火花のような生を得たい〉。 
                     
                     
                   
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                     
                    
                    
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