トップ 春の詩 夏の詩 秋の詩 冬の詩 生き物 イベント

田植えの季節の棚田の風景 2009.05.19
 雨戸の向こうに気持ちのいい青空が広がっていた。絶好のお散歩日和だ。
 早朝ウォーキングの途上である。隣町に隣接する北の端にやってきた。有馬川遊歩道から東の丘に入った。棚田が広がるお気に入りスポットだ。山裾の畦道から北に向って広がる田園地帯を眺める。引き込まれたばかりの雨水が棚田の水田一面を満たしている。鏡のような水田が空の青さと山裾を映している。お百姓さんの小型トラクターに乗った水田耕作風景がなんとものどかである。
 かって丹波街道と呼ばれた野良仕事用の畦道を、ぬかるみと草露にウォーキングシューズを濡らしながら歩を進める。畦道を横切る水田用水路の斜面を流れる激しい水音が聞こえてくる。水田にとっては先週末の恵みの天の声というべきか。
 季節真っ只中のリタイヤ生活の贅沢な散策である。
廃れいく旧街道 2009.05.14
 いつもの散歩道の一角である。有馬川遊歩道から山道に入り、少し行くと江戸時代には平尻街道と呼ばれていた筈の旧街道に合流する。大坂と丹波を結んでいた大坂街道(丹波街道)の一部だった街道である。今はこのエリアの畑で農作業で行き来するごく少数の人たちのための通行路となっている。とはいえここから名塩方面へはもはや行き交うことは叶わない。竹やぶに覆われた沼地が通行を拒み、猪避けのトタン板が獣道すら遮断している。
 道場町平田の田園地帯に向った。今はあぜ道でしかない旧街道沿いに、緑の繁る二本の木が行く手に見える。その先には三田盆地を形作る山並みに囲まれた田畑と家並みの、のどかな田園風景が広がっている。小山ながら樹木に覆われた山道を抜けたばかりの街道である。かっての旅人たちのほっと一息ついただろう気分を想った。
雨の日の散歩道 2009.05.08
 屋根を打つ激しい雨足で目が覚めた。リビングに降りて雨戸を開ける。久々の本降りの雨だった。8時前にいつものように散歩に出かける。玄関先のたたきの少なくなった履物が、息子夫婦のUターン後の平常に戻った我が家の日常を告げていた。
 有馬川の遊歩道を、傘を差し、ぬかるみを避けながら歩みを進める。避け切れない雨足が、スポーツシャツの肩を濡らし、ズボンの裾を濡らしている。二段になった川の堰止めが、激しい水音を立てて流れ落ちる小さな滝をつくっていた。
 公智神社前の道路から小川のほとりの小道に入る。左右を桜並木で囲まれた小道である。4月中旬にはピンクに染まった桜トンネルに癒された。初夏の雨の日の桜並木は、新緑の匂い立つような若葉が雨に濡れて光っていた。
 雨の日の散歩道に、いつにない風情が運ばれている。
雨の日の庭先 2009.04.25
 朝から雨である。土砂降りとはいえないまでもかなりの雨量だ。今朝の散策は諦めるしかなさそうだ。心の中でそんな呟きを漏らしながら雨戸を開けたまま庭先を見つめた。
 4月下旬の庭先を、溢れんばかりの緑が埋めていた。梅、松、椿、つつじ、棒樫、きんもくせいに隣家の柿の木等の庭木の緑だ。芽吹いた若葉たちが一斉に茂りだす季節である。雨に濡れた緑が輝いていた。逞しく息づいている樹々の若々しい旺盛な生命力が迫ってくる。
 そんな光景にわけもなく感動しながら、フト老境に入った我が身を想った。そして「日は残りて昏るるに未だ遠し」の「残日緑」を綴る我が身を想った。
足元の春を彩る野草 2009.04.13
 桜に目を奪われていた春の散歩道だった。今朝も散り始めた桜を納めようとデジカメを持参して出かけた。畦道に群生する土筆の姿が目に入った。遅咲きの土筆をシャッターに納めようとカメラを構えた。上からモニターを見てシャッターを切るだけが能ではないと、ふと気がついた。カメラを地面近くに寄せて土筆の真横からシャッターを切った。直後にモニターで確認した画像には、桜を借景にした生き生きした土筆の姿が見事に切り取られていた。
 桜だけでない春の風景が足元にあったのだ。そう思って歩みを進めた視線の先に濃いピンクのレンゲの群れがあった。更に進むと今度は黄色と黄緑に覆われた菜の花のお出ましだ。いずれも先ほどの土筆と同じ手法でシャッターを切った。足元の春を彩る三種の野草の競演に、他愛もなく笑みを漏らしてしまった。
一本桜を訪ねる 2009.04.10
 今朝の散策のテーマは、桜スポットでなく単独で咲き誇る一本桜を訪ねることだった。満開の季節である。鮮やかなピンクの彩りが容易にその所在を教えてくれる。
 最初のポイントは丘陵地の斜面に立つ二本の桜だった。周辺を墓石が立つ墓地の中心に立っている。広がった枝ぶりが墓石を守る守護神の趣きをかもしている。
 次に目にしたのは広大な屋敷の庭に植えられた老木だった。屋敷前の道路を覆うように広がる見事な枝ぶりだ。何本にも枝分かれした根元の幹の驚くほどの太さが、この老木の積み重ねた年輪を告げている。
 旧街道沿いに建つ広大な旧家の瓦塀越しにも大木が枝を広げている。咲き誇るピンクが松の木の濃い緑と見事なコントラストをなしている。通用門が開いて、この家のご隠居らしきおじいさんが姿を現わした。見事な桜を称えると、「良かったら中へ」といざなわれる。樹齢は50年を超えているとのこと。
最も美しい季節を歩く 2009.04.07
 曇り空の続いた花冷えの週が空けた。温暖な気温が戻り真っ青な空が広がった。身をすくめていた桜の蕾が大きく伸びをして花弁を広げた。ようやく桜のまぶしい季節が訪れた。散歩道の風景が1年で最も美しい季節がやってきた。 
 1年前までの桜の季節は飛び飛びの休日の散歩道だった。リタイヤ生活の強みのひとつは、散歩道の風景を日々愛でられることだ。刻々と移ろう開花の様子を確かめながら、ここ数日あちこちの桜スポットをコースを変えて散策していた。
 川面に伸びた枝先には蕾や五分咲きや開き切った花弁が混在している。川沿いの満開前の桜並木は、濃茶色の枝にまぎれてピンクが沈んでいる。小川横の左右の並木が造る桜トンネルが、いやおうなく通り抜ける者の心を浮き立たせる。遊歩道の老木の堂々たる枝ぶりに止まっていた鶯が甲高い鳴き声を響かせた。  
春の足音  2009.03.05
 朝のウォーキングは、久々の晴天だった。穏やかな日差しが心地よく全身を包んでくれる。ただそれだけで心浮き立つものがある。リタイヤ生活の贅沢を感じる時である。毎日の散策が、天候や気温や季節の変化を肌で感じさせてくれる。
 住宅街を抜ける坂道沿いに桜並木が続いている。冬の寒さを丸裸で過ごしてきた樹々に小さな変化が生まれようとしている。枝先のあちこちにチッチャな桜の芽がついている。濃いピンクの固そうな芽が柔らかな日差しの中で命を灯そうとしていた。
 春の足音が近づいている。