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 秋祭りの取材でお世話になった地元の知人から情報を頂いた。「先日、だんじり(地車)の専門情報誌・上地車新報社の編集者を招いて下山口のだんじりの由来についての集いがあった。色んな事がわかり貴重な情報を得られた。よければ当日資料をコピーして提供したい」とのありがたい申し出があり、その資料を受領した。過日、編集者が実際に下山口の「大だんじり」を実際に点検調査した結果の報告らしい資料だった。資料には以下のことが記されていた。
◆制作年は、明治28年(1895)9月1日上棟で115年前である。 
◆制作者は、現在の宝塚市内の旧・米谷村の大工棟梁・麻尾徳蔵氏で、細工人に今井寅蔵、播磨枩蔵、麻尾蔵、麻尾辨太郎の各氏が、彫物師に小松源蔵氏の名が連なる。
◆形式は、前幕、見送り幕(大幕)、泥幕の三枚の幕を張った宝塚地域に多くみられる形式である。
◆寸法は、間口約1.8m、長さ約3.2mと長大で、摂河泉で曳行されるだんじりとしては最大級のものである。
◆規模や装置の特徴から、引き回す為というより、にわか芸、漫才、舞踊などのだんじり芸を演じる為の移動舞台として設計建造されたと推察される。
 
 さすがに専門的な見地からの調査を踏まえた考察である。この情報誌をネット検索していると「だんじり」というタイトルでだんじりを総合的に扱うサイトを見つけた。 http://eonet.jp/danjiri/index.php
 それにしても「風土記」が地域でそれなりに認知されるようになると、様々な情報が集まってくるという効果も出てくる。ありがたいというほかはない。