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アクセスルート 山口と有馬温泉を結ぶ県道98号線の中野バス停のすぐ南(喫茶カルーの北側)に左折して中野地区に入る道がある(画像@)。 この道を突き当たると正面に茅葺屋根の古民家(画像A)が残されている。民家南を道なりに東に向かい橋を渡り50mほど進む。 三叉路を右折し南に向う小道がある。紺色の洋風の家と茅葺屋根をトタンで葺いた民家の間の道である(画像B)。舗装路が切れた先の畦道を進むと蔦に覆われた石造りの橋脚跡が見えてくる。 |
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ビューポイント 畦道を更に進むと右手に迫力のある橋梁が迫ってくる。右手に目を奪われるが左側にも熊笹に覆われた橋脚跡が残されている。 左右の橋脚跡の間の畦道を道なりに左に迂回しながら斜面となった畦道を登ると、二つの橋脚を一望できるポイントに出る。 |
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有馬線軌道跡 南北の橋脚を結ぶ線上に旧有馬線の軌道跡があったことが航空写真で良く分かる。軌道跡はアクセスルートを東に進み南に向う道路を跨いで北に延びている。 山裾を延びる軌道跡の先を工事用のフェンスが遮断している。山口方面から延びているバイパス工事がここでストップしている。 |
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【橋脚跡とバイパス工事の現地の現状】 2009年4月下旬、旧国鉄有馬線の 中野の橋脚跡がバイパス工事で取壊されるという情報を耳にした。初めて現地を訪れて以来2年が経過している。5月16日に再訪した。南側の橋脚には緑の蔦が上部を覆い(画像C)、北の橋脚は半ば熊笹に埋まっている(画像D)。前回訪れた時と較べると自然の中に埋もれつつあるかに見える。 軌道跡に沿って北に向った。工事用のフェンスの先に舗装された真新しい道路が延びている。ところがフェンス右手の舗装路の先端は、コンクリート加工された山肌が行く手を遮断している。確か2年前に山口方面から来た時も同じ状態だった。明らかにバイパス工事は永くストップしたまま進捗していないかに見える。 この中野の橋脚跡は、旧国鉄有馬線の現存する遺構としては最大の史跡であり、山口町内の唯一のものである。西宮市の郷土資料館発行の「新西宮歴史散歩」という冊子にも 「近代化遺産」としてマッピングされている。子供たちが郷土の文化遺産を学ぶ上でもかけがえのない史跡ではないか。 問題はこうした事実がごく限られた人しか知らないままに、取壊し等の決定が下され、取り返しのつかない事態を生み出すことではないか。遅まきながら存続に向けて、このサイトやブログを通じてアナウンスしてみようと思う。 【その後の経過@】 その後地元選出の市会議員の2009年9月初旬発行の市政報告を目にした。この問題についての議員の市議会での質問と答弁が記されていた。有馬温泉と山口間のこのバイパス工事の目的を始めて知った。中野住民の生活道路でもある有馬街道が、週末夕刻ともなれば有馬温泉観光客で麻痺状態になっており、渋滞解消のための工事だとのことだ。市側の答弁では「都市景観形成建築物指定や近代化遺産登録文化財指定の評価は困難」「橋脚保存は用地買収増加や勾配変更の難しさで困難」「地域要望として何らかの対策を県に要請する」とのことだ。工事そのものの意義は理解できるものの、橋脚保存の市の姿勢の消極さは気になるところだ。 【その後の経過A】 地元の山口・船坂青愛協がこの問題に取り組んでいる。2010年6月発行の青愛協ニュースを目にした。会長の以下のような経過報告が掲載されていた(以下ニュースの概要)。「青愛協から県に対し現地保存を前提としたルート変更や設計変更の提案をした。これに対し県からは工事の進捗状況から提案は困難であるとの回答があり、その上で橋脚の移設案が提示された。ただ橋脚全体の移設は困難で輪切りにして高さを低くし移設先を小さな公園にして保存するという内容だ。5月に再提案があり、橋脚内部の構造が不明で移設可能部分の特定や、移設先の公園位置も未定とのこと。具体化には程遠い提案であり尚協議を重ねたい」とのことだ。 |
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