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■孝徳天皇
 山口の歴史に最初に固有名詞で登場する人物は、孝徳天皇である。大化元年(645)から白雉5年(654)の9年に渡って在位した第36代天皇である。日本書紀には、647年の孝徳天皇の有馬温泉行幸の記述があり、公智神社の参道入口には「孝徳天皇行在所祉」の石碑がある。
 孝徳天皇は時の実力者である中大兄皇子とその妹でもある皇后間人皇女のはざまで鬱屈した日々を過ごしていたといわれる。その鬱屈を癒すべく行幸されたのが有馬温泉であったと思われる。晩年は中大兄皇子や皇后間人皇女に離反され、失意の内に難波宮で亡くなった。

■有間皇子
 有間皇子は、孝徳天皇の唯一の皇子で、母は左大臣・阿倍倉梯麻呂の娘・小足媛である。中大兄皇子の謀略にかかり紀州で処刑され、わずか19歳という短い生涯を終えた。
 山下忠男著「町名の話−西宮の歴史と文化−」には、『山口と有間皇子』という項目の中で「有間皇子は、孝徳天皇が有馬温泉滞在中に懐妊もしくは誕生した息子で、その名は山口とも縁深い有馬温泉に因む(有馬温泉を古代では有間と表記していた)」という説を紹介している。
 「古代においては、皇子の名を生母の出身地や氏族名、あるいは養育した乳母の氏族名やその縁の地名に求める例は多い。有間皇子の生母は阿倍倉梯麻呂の娘・小足媛(オタラシヒメ)であるが、阿倍氏は有馬と無縁でない。古代の春木郷(現在の山口・有馬地域。山口には小字名でハルキが残っていた)に久々智氏という豪族がいたが「新撰姓氏録」によると、同氏は阿倍氏と同祖であり、阿倍氏の娘が生んだ有間皇子の乳母役をした可能性もある。」
 また、三田市にある金心寺の開祖・定慧上人は、小足媛が後に藤原鎌足に嫁いで生まれた鎌足の長男であると言われている。有間皇子とは同腹の弟になる。唐で修行後帰国し、兄・有間皇子の菩提を弔う為に母小足媛の出所である阿部一族が支配していたこの地に金心寺を建てたといわれている。金心寺は山口ゆかり仏閣といえる。
 
 西暦 天皇  年齢 できごと 
 640年  舒明 1歳 有間皇子誕生。父・軽皇子(孝徳天皇)、母・小足媛(阿倍倉梯麻呂の娘)
 641年  舒明・皇極 2歳 舒明天皇崩御、皇極天皇即位
645年  皇極・孝徳 6歳 乙巳の変(大化改新)。孝徳天皇即位、中大兄皇子は皇太子に。
646年 孝徳 7歳 孝徳天皇、都を難波宮に移す。
649年 孝徳  10歳 左大臣・阿倍倉梯麻呂死亡(有馬皇子の外祖父)
653年 孝徳  14歳 中大兄、孝徳帝に背き、間人皇后とともに飛鳥に戻る。
655年 孝徳・斉明  16歳 孝徳天皇崩御。皇極・前天皇即位(斉明天皇)
657年 斉明  18歳 有馬皇子、療養を装い南紀・牟婁に湯治。同年帰京。 
658年 斉明  19歳 蘇我赤兄に嵌められた有馬皇子の謀反計画発覚。捕えられ処刑される。 
 
関西書院 2,200円 春秋社 2,000円
■著者は、現役時代を大阪で商社マンとして過ごし、退職後に白浜に移り住んで執筆活動を始めた人のようだ。古代史をテーマにした作品が中心でこの作品も1994年に発行されたものだ。
■作者は、有間皇子の生い立ちから処刑されるまでの19年の短い生涯を史実に即して描いている。
■この作品では孝徳帝は新たな国づくりを目指した人物として描かれ、その流れで有間皇子も父の志を継承しようとしたとされる。当然ながら皇位を窺う中大兄皇子は傲慢で冷酷非情な人物として描かれる。ただ孝徳帝の妃・間人皇女は一部の実兄・中大兄皇子との情交説を排し、孝徳帝や有間皇子との親密な関わりを維持した皇后として描かれている。間人皇女と有間皇子は9歳違いの義理の母子であり、二人のロマンスさえ窺わせる描き方である。
■幼児を過ごした有間のいで湯の宮、長じて招かれた父皇造営の難波宮、気鬱の病を癒すための牟婁(白浜)の湯の旅路と兵庫、大阪、和歌山を跨ぐ舞台での古代史物語は、ミュージカルの題材としても興味をもたらす作品だった。
■有間皇子を主題としたもう一冊の小説である。物語の大筋は、先に読んだ前田文夫著「有間皇子物語」とほぼ同じと言ってよい。同じ主人公の事跡を追ったものだから当然と言えば当然である。
■ただ登場人物の違いはある。最も重要な違いは、山路作品には有間皇子の妃ともいうべき八釣姫が登場する点である。女性作家ならではの描き方で有間皇子とのロマンスが物語の底流に流れている。ミュージカル化する上ではこの八釣姫は欠かせない人物となるのではないだろうか。
■それにしても二作品ともに創作のレベル自体はあまり評価できない。登場人物が類型的で心理描写の奥行きがない。例えば有間皇子が蘇我赤兄の陰謀になぜいとも簡単に嵌まってしまったのかという点の背景説明や心の葛藤は十分には伝わらない。
 結局、二作品を通して有間皇子という歴史上の人物の全体像を理解できたということが収穫だったという感想にとどめざるをえない。