Strolling Oxford
( オックスフォードぶらぶら )



オックスフォードは街そのものがひとつの大きな博物館のようでした。お洒落なブティックやカフェの並ぶ繁華街の路地をひとつ入ると、まるでタイムスリップしてしまったかのような中世の石畳の路地が現れます。そんな街をトールキンの足跡をたどりながら歩いてきました。

Part 1


カレッジ

日本の大学の概念とは少し違い、オックスフォードの街のあちこちに点在するたくさんのカレッジ(約40)の総称がオックスフォード大学です。専攻科目によってカレッジが分かれているらしいのですが、詳しいことはわかりません。

どのカレッジも古く美しい建物で、ひとつひとつじっくり見ていきたかったのですが、なにしろ日程が限られているので、まず第1回目は(また行くつもりですか?→はい(^_^;))トールキンにゆかりのあるところを重点的に見て回りました。

カレッジによっては一般に公開されていないところもあり、公開されている場合も午後からが多かったです(一部有料)。もちろん公開されているからといっても、大学なのですから勉強する人たちの邪魔にならないよう静かに見て回らなくてはなりません。また Private と表示されているところには入れません。

エクセター・カレッジ Exeter College

トールキンが学生として在籍したエクセターはオックスフォードで4番目に古いカレッジです。ボードリアン図書館、シェルドニアン劇場の隣、かのラドクリフ・カメラにも近い場所にあります。非公開でした。

そしてこのエクセターにいる頃にトールキンは初恋の人イーディスと再会し、結婚することになるのです。ふたりはトールキンが16歳のとき、バーミンガムでキング・エドワーズ・スクールに通っている頃に出会って恋に落ちたのですが、両親をなくしたトールキン兄弟の親代わりをしていた神父の厳命で成人するまでは交際を認めてもらえませんでした。必死に勉強して奨学金を得、オックスフォードに進んだトールキンは、21歳の誕生日を待ってイーディスに手紙を書きましたが、なんと彼女は別の男性と婚約をしていました。そこでトールキンは急いで彼女に会いに行き、無事に恋を取り戻したというわけです。ふたりはトールキンが第一次世界大戦で徴兵されフランスに送られる直前の1916年3月22日に結婚しました。


ペンブローク・カレッジ Pembroke College

トールキンが1937年に『ホビット』の続編(『指輪物語』となる)執筆にとりかかったのが、彼が1926年から20年間フェロー(特別研究員)を務めていたこのカレッジの1室でだったそうです。ここも非公開です。『ホビット』を書き始めるきっかけになった1文「地面の中の穴にひとりのホビットが住んでいました」は試験の採点をしながら試験用紙の裏になにげなくメモしたものだったというのは有名な話ですが、そのとき床に敷かれたカーペットに穴が開いていて、それを見ていて「穴」という言葉が浮かんできたのだそうです。ただしそのカーペットがこのペンブローク・カレッジのものだったかどうかは不明。当時トールキンは家族の生活を支えるためにイギリス各地(ときにはアイルランドまで)の大学を巡って試験採点のアルバイトをしていたそうで、その中のどれかだったのかもしれません。


マートン・カレッジ Merton College

トールキンが1945年から15年間にわたって英文学の教鞭をとっていたところでオックスフォードの中では2番目に古いカレッジです。1959年に退職するのですが、イーディスに先立たれた1971年、大学側の好意でマートン通りにある大学の学寮に住むことになりました。これは大学としては異例の措置で、日常の世話をしてくれる夫婦もつき、知人・友人も周囲にたくさんいる中でトールキンは何不自由のない最後の3年間を送ることができました。マートン・カレッジは公開されていますが大学関係者専用の庭(Fellowship's Garden と呼ばれる)には入れません。








モードレン・カレッジ Magdalen College

トールキンの親友 C.S.ルイス(『ナルニア国物語』の作者)が卒業し、英文学の教授として在籍したカレッジで、ふたりはよく一緒に敷地内にあるアディソンの小道を散歩しました。また、ふたりが中心となっていた文学仲間インクリングスでは1930年代の初め、毎週木曜日にはこのカレッジにあるルイスの部屋に集まって楽しく有意義な時間を過ごしていました。ここは公開されています。Fellowship's Garden にも入ることができます。

このカレッジはイベントや結婚披露宴、ガーデン・パーティの会場として貸すこともしているようです。チャペルで結婚式を上げてお庭で披露宴、すごくロマンティックじゃありません? 季節によっては鹿が放されている場所もあります。下の写真のいくつかからおわかりのように、ホビット庄みたいな雰囲気のところも。












イグザミネーション・スクール Examination School

ここはカレッジではなく大学の試験場です。トールキンも試験の際には緊張しながらここに足を運んだのかな? 試験場として使っていない時期には講演会や学会の会場としても使われているようです。High Street に面し、モードレン・カレッジの斜め向い側にあります。非公開です。



クライスト・チャーチ Christ Church

大聖堂とカレッジをひとつにしたオックスフォードでいちばん大きな大学です。敷地は広大でメドウ(牧場)と呼ばれる庭があります。ここはトールキンと直接の関係はないのですが、かのルイス・キャロル(『不思議の国のアリス』の作者)がここで学んだ後、特別研究員として在籍したところです。公開されています。

大聖堂はさすがに立派なもので、各国語の説明パンフレットも置かれていました。内容のほとんどは建物の由来とキャロルに関することだけでしたが、見学をしていた私はちょっと違うことに気づいてしまいました。右の写真は聖フライズワイドの窓の上部パネルで、聖フライズワイドを天国へと運ぶ魂の船を描いているのだそうですが、私には灰色港を出て西へと向かうエルフの船に見えてしまったのです。

それとこのステンドグラスの人(司教でしょうか)、エレッサール王に似ていませんか(^_^;)?

このカレッジの教授や学生が食事を共にするグレート・ホールは『ハリー・ポッター』のホグワーツの食堂にそっくり。というかホグワーツのほうがここのイメージを借用したわけですが。実際、このホールに向かう階段の天井は『賢者の石』の撮影に使用されました。

ホールの壁には歴代の著名な教授や卒業生の肖像画が飾られていますが、入口付近にキャロルの肖像画もあります。またキャロルやアリス、ウサギ、ドードー鳥を描いたステンドグラスも見られます。







Part 2