歪められし想いの果てに<Wish you were here>

written by Kie



「今のレイはあなた自身のものよ。
あなたの願いそのものなのよ。」 
「何を願うの?」



ポチャン
水の滴る音
Prologue Kyrie

 I 出会いを信じて

遠い風の声に 
心 騒ぐのはなぜ 
それは 遥かな呼び声

見たことは なくても
どこかには あるはず
自分らしく 生きる世界が

ただのイリュージョンと 人は言うけど
望みを捨てるのは まだ早いよ
信じることから 始めよう
君は 夢の 旅人

凍りつく胸にも 光 差す日が来るよ
冬の オーロラのように
哀しみを 越すたび 少しずつ 近づく
夜明けのない 夜はないから

今日もイリュージョンを さがしにいこう
あきらめ生きるのは まだ早いよ
まぶしい何かを 追いかけて
君は 夢の 旅人

ただのイリュージョンと 人は言うけど
望みを捨てるのは まだ早いよ
信じることから 始めよう
君は 夢の 旅人

Song:イリュージョンをさがして
Artist : Maya AYUKAWA
Lyrics : Machiko RYU
Music : Yuji MAKANO
Arrange : Shiro SAGIUS

 II 知りたくて


#赤い瞳の行方

 彼女の瞳は我々を見ていない。彼女の視線は違うものを見つめている。
僅かに我々を視界に入れているが、我々の肩越しにあるものを見ようとしている。
彼女の瞳に映るものを知りたくなる自分。振り返ろうとする自分。

彼女が自分をその瞳に映してくれていれば感じなかった、不安。
惹かれるからこそ知りたい。でも、振り返ってはいけない気もする。
彼女が消えてしまうかもしれないから・・・
この不安を鎮める術はこれからも無いだろう。
自分が綾波レイを見つめる限り。

11月02日(月)13時26分04秒

・・・なぜ悲しいの・・・
・・・何が悲しいの・・・
・・・あなたは何を見てるの・・・
・・・私に何を見てるの・・・
・・・自分に何を見てるの・・・
・・・何故感じたものを言葉にしようとするの・・・
・・・こんなに苦しい思いをして、何が楽しいの・・・
・・・本当に必要なの・・・
・・・私を感じるだけでは駄目なの・・・

綾波レイは問いかけるだけの存在かもしれない

11月08日(日)11時08分20秒

 III 感じたい


#月光

 最近、何故人は客体化された事象に心が震えるのかについて考えることがあります。

例えば『夢』という言葉、黒い背景の掲示板、闇夜に輝く月等々
自分は月光に儚さをイメージしますが、それは現実の月を眺めている時より、
自己の中でその姿を思い描いた時に一層強く感じます。


 客体化された事象が自己の中で増幅され、それ再び外の事象にイメージとして反映される
過程。外は切っ掛けに過ぎず、人の内面にこそ外のイメージが存在するのではないか。

では、それは何故か?プラトンのイデア?意識しない自己の記憶?社会的枠組みに囚われた
知識の罠?引き継がれしDNAの記憶?或いは魂不滅の証?精神世界は奥深いです。

人間機械論の信奉者でない自分は科学的アプローチの限界を感じています。

10月25日(日)11時43分25秒

 科学主義に定位された対象はその物自体の切り捨ての上に成立している。例え脳の神経
内に錯綜する電気信号を物理的量として数量化して外的刺激に対する関係を説明できても、
それは自分の意識が生じる質的内容を説明しない。
科学主義の問題はそうしたものを非科学的として排除したことにあり、
そうした基準を人の意識に植え付けた所にある。
 自己に還元できない理論が全てであるはずはない。
 より説明が難しい自己の内面へと光りを当てるには、歪んだ科学主義的認識を越えるため、
心から科学が纏わりついた言葉を一つ一つ引き剥がし、言葉と精神を引き離さねばならない。
ありのままの精神と対峙し、感じ、改めて言葉を再構築していかねばならない。

自分にとって綾波レイはその意識の契機であり、深化する内面認識の全てである。

10月31日(土)11時42分33秒

花の美しさはありえない、美しい花がそこにあるだけだ


しかし、それは、ただ、感じるだけ。
錯覚かもしれない、信仰かもしれない、
と常に問い掛けながら

11月05日(木)08時38分53秒

 IV もう一人の自分


 レイとアスカを切り離して捉えることがなんと愚かなことか。
片方のみを肯定し他方を否定する。支持と排斥、容認と拒絶。感じるのは全て自分の心。
レイとアスカの狭間にいる我々。対立する対象として両者を据えることこそ、心に二人が
形作られているということ。ポジとネガどちらを見つめているかに過ぎない。

全体として自分を感じること、
それは自分がレイとアスカを受け入れていることを素直に認めること


深淵な内面世界へと誘う綾波レイ、
無限の外面世界へと眼を向けさせる惣流・アスカ・ラングレー。
夢は現実の続き、現実は夢の終わり。
その結節点にいるのが自分自身なのだから。

10月31日(土)07時35分24秒

 V 語るということ


 綾波レイを語る時に言葉がどのような意味で利用されているか注意が必要です。
一般の議論ではそれほど意識する必要のない言葉であっても、綾波レイにそれを適用する時、
各人のレイへの意識の階層(ベクトル)によって全く違ったものとなります。

レイは言葉によるコミュニケーションを阻害する存在、
人が使う言葉のズレを増幅させる存在です。

10月25日(日)11時43分25秒

 綾波レイに心震わせたものたちが見つめ、語る綾波レイが同じものかどうかにその鍵がある
と自分は思います。

外界の存在として与えられた綾波レイを五感を通して自己内で認識する時に通らねばならない
ブラックボックス。その暗闇に映し出されたレイの姿は既に客体としてのレイの姿ではない
のかも知れません。


 今の自分にとってブラックボックスを通さない綾波レイは魅力のない記号としての存在に
過ぎません。せいぜい興味を惹くのはそうした存在がどのように自分が見つめる綾波レイへ
と変化していくのか、その分析くらいです。
 そこに、綾波レイのズレを増幅させるものがあるように思うから。

 綾波レイの存在を頭で考えるなら各自の統合されたイメージではなく、そのイメージを
一つ一つ分解して理解する必要があると思います。各自のイメージから同じ対象を見て同じ
ように共感できる部分とそれが難しい各自で展開された部分に分解する。
 そのように分解した個別主観的なイメージについて、それが生じた理由を一つ一つ明らか
にして、やっと頭で理解できる、見えてくると思います。もっとも、そうして分解したもの
全てについて共感はできないでしょうが・・・
 また、分解の階層が深くなればなるほどその説明を相手に求めることは、自分の心の有様、
傷痕、人に知られたくない過去等々を他者に晒さねばならない、ブラックボックスの中身を
かき乱す、非常に辛い要求になるかもしれません。

10月27日(火)23時44分09秒

 VI 綾波レイに魅入られしもの


 喜怒哀楽、この感性を表現する言葉こそ、我々が最後まで共有できないものかもしれない。
綾波レイに感じる哀しさ、儚さ、切なさ。
優しい手で包まれていた心がギュット絞られ、流れ落ちた、一滴の雫
それが静かな水面に幾重にも波紋を生み出す様
でも

何故、綾波レイに悲しみを感じるのだろう。 綾波レイが悲しいからではない。自分が悲しいからだ。
それは分かる、分かる感じがする。 何故か知りたい。でも、知りたくないかもしれない。
だから、自分は綾波レイに惹かれている。



自らの真のココロを求めるにはそれまでの歪んだ記憶を一つ一つ取り外して行かねばならない。
自らの人格に潜むアンビバレントな感情を意識せねばならない。
歪んだ知識にココロを規定してはならない。
ココロを言葉で切り捨ててはならない。
求めるものが手に入る可能性は、多分ないだろう

密室で行うべき作業であるのも分かっている
しかし、自分は綾波レイを他者に語ってしまった。
言葉を交わしてしまった。
だから止められない。
だからズレが拡大する。
詩や小説、絵や音の表現で止められなかった自分を恨めしく思う。

エヴァに魅入られしものの悲劇。
それは、ネットで「悲しい」という言葉を使ってしまった自分の悲劇でもある。

11月05日(木)13時39分47秒

 VII 欺瞞に満ちたアヤナミストに捧げる詩


アヤナミストはなぜかアスカが嫌いだ。
アスカの性格が我慢ならないという。
あのような女性は御免だという。
息が詰まるという。
では、綾波レイはどうなのか。

アヤナミストはおそらく綾波レイを自分の中に住まわせている者達


綾波レイのセリフは
綾波レイの行動は
綾波レイの態度は
誰のものか
・・・私は誰・・・
・・・泣いているのは・・・私・・・
これは誰のセリフなのか

アヤナミストは本当に綾波レイを見ているのか



アヤナミストに提示されている綾波レイは少なくとも3人いる
一人はTV版
二人はEOE版
三人目はLD版

人は一つの人生しか生きることができない。
一つの生き方しか選択できない。
綾波レイが他者なら、
人として捉えているなら、
なぜ、全てを綾波レイを言い切ることができるのか。
全てに綾波レイを感じられるのか。
綾波レイの全てが好きなどということができるのか


綾波レイの全てが好きなのではない。
自分が惹かれた綾波レイがその3人の中の一瞬にいたからだ。
それなのに綾波レイが好きだ、
どの綾波レイも好きだ、
綾波レイは人だ
と自分から切り離した存在として話すものがいる
それこそ、欺瞞だ。自分だけの綾波レイを言葉に投影しているだけだ。

綾波レイのセリフを自分に返してみれば良い。
そこに、他者としての綾波レイがいないのがわかるだろう。
自分が綾波レイだと分かるだろう

11月06日(金)15時02分43秒

 VIII 客体化された綾波レイは記号に過ぎない


 「恋は盲目」という言葉がある。
恋する者は恋する相手しか見えなくなるという意味だと思っていた。
でも今は、
恋する者は恋する相手が見えなくなるという意味もあると思っている。


言葉は人の文脈によって変化する記号に過ぎない。

 「綾波レイの悲しさ」という言葉は感じられる。
しかし、

自分のこの気持ちは相手に伝わらない。
それは、「悲しさ」という記号が何も説明してないからだ。
各自の気持ちを綾波レイの置かれた状況へ還元するだけ。
言葉は人の心を表現するには未熟すぎる。

これが自分の想いだ。
自分の感じている綾波レイだ。
自分が見ていると錯覚している綾波レイだ。

言葉で自分の気持ちを理解しようとすると綾波レイの残骸が横たわる。



人は感じたことを理解しようと記号を組み合わせる。
人に伝えようと構造化された記号を提示する。
相手はその記号を自分の文脈で再変換する。

だから、綾波レイを語っても嘘になる。


状況を示す記号で相手が分かったような気になる。
思い込みによって成り立つ会話が欺瞞に満ちてくる。

11月14日(土)02時40分01秒

一人一人の感性が異なる人間達。
歪んだ記号を使い、欺瞞に満ちた関係を作り上げる者達。
そこに我々は投げ出され、ここにいる。
望んだでもなく、気がついた時にいただけ。


いかに人は自分を切り捨てた世界にいるか。
いかに人は自分を偽って関係をもっているのか。
いかに人はその関係のみに腐心する矮小なものなのか。

アスカはこの世界の代表である。
我々はアスカである。

アスカへの嫌悪は汚れている自分を見たくないからだ。



レイをこの世界の希望である。
レイは人である。
そうあって欲しいと願う我々にとっての希望である。

レイへの憧憬は自分が汚されてしまったと思いたいからだ。


真の自分がいると信じたいからだ。
真の他者がいると信じたいからだ。
真の関係があると信じたいからだ。

しかし、我々は知るだろう。
綾波レイについて何も分からないということを。
この世界は何も変わらないということを。
沈黙しなければならないということを。
絶望がこの世のテーマであることを。

だからレイはこの世界の絶望である。
だから、希望でもある。

この世を生きて辿り着く先
この世の果てでのレイとの出会い
それが望みなのかもしれない

11月14日(土)11時14分19秒

 XI 非知覚的観念は絶望であり、希望でもある


肉体の死は非知覚的観念ゆえ絶望であり、希望でもある
他者の心は非知覚的観念ゆえ絶望であり、希望でもある
自己の心は非知覚的観念ゆえ絶望であり、希望でもある

綾波レイは非知覚的観念ゆえ絶望であり、希望でもある

11月06日(金)15時02分43秒

#「自分」は肉体に囚われし状況・・・生・・・

 我思う故に我あり・・・証明できないもの。
絶望に満ちたこの世界を生き抜くための拠り所

人は死して何を残すのか?
死とは何か?
死は自分の終りなのか?
誰も知らない。それは我々が生を生きているから。

生とは何か?
我々の状況、魂が肉体に囚われているところ
肉体を通してしか自分を他者を世界を把握できない魂の牢獄
知らないことは恐怖であり、生への衝動。
この世が絶望に満ちていようとも、今ある自分が保てる場所。
しかし、この世にとって死は絶対的な恐怖。
骸が腐敗するだけだから。
今ある自分が分からないから。
それは魂の解放だから

綾波レイを科学という権威に寄りかかった認識でしか捉えられない者
現実という記号の枠組みでしか認識できない者
頭でしかみえず、感性を切り捨てた者たちにはイメージできない状況

綾波レイを感じる者には身近に感じるもの
切なる願い、祈り、希望の光


新たな回廊への入り口
絶望が深ければ深いほど強く輝く至高の状況

 我思う故に我あり・・・
希望を強めるための信仰

だから生を生き続ける。前へと歩き続ける。


そして無へと還る。

出会いを信じて

 

11月14日(土)17時12分14秒

-1998-


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