1999/6/9
峠を越えて


 夜中に何度も起こされた。十一時にはシュラフに潜り込んですぐさま眠りに就いたのだが、深夜にも関わらず、何台もの車がキャンプ場内に入ってきて、さらに大声で話していたりする。
 俺の中の勝手なイメージでは、登山を趣味とする人達はとてもマナーに厳しいという思い込みがあったので、これにはちょっと愕然となった。だがまぁ、夜中に入ってくるのは許そう。受付が閉まっていても場内に入れるように、わざわざ入り口にチケット式の遮断機を取り付けているのだから、それがこのキャンプ場のスタイルなのだろう。休日を最大限有効に使うために、前の晩から現地に赴いて、翌日朝早くから行動できるようにと考えるのは、当然だろうと俺もそう思う。
 しかし、しかしだ。深夜のキャンプ場で明かりの点いていないテントがあれば、その中の人間が寝ているだろうことは、馬鹿でも想像がつく筈だ。それなのに、必要以上の光量を発するヘッドライト及びサブライトでテントを直撃するのはどうかと思う。テントサイトを探すのなら、車から降りて歩いて探せ。何時だと思ってんだこの野郎。あと、必要がないのならエンジンは切れ、馬鹿野郎。
 思うに、こういう傍若無人な振る舞いをする連中というのは、他人を思いやる気持ちが欠如しているのだろう。ひょっとしたら欠如しているどころか、そもそもそういう思考回路が無いのかも知れない。そしてそれは、若いとか若くないとかで括れるようなものでないことが、翌日、彼等の風体から見て取れた。
 キャンプ場という小さな集団社会に於いてさえ、ルールを守れない、またはルールさえ理解できない人間が実社会に存在すること、俺はそのことに激しい怒りと、恐怖とを感じるのだ。何故、そんなことすら解らないのだ。

 ムカムカしながらも睡魔には抗えず、しっかりと熟睡した俺達であった。翌朝七時には目覚め、パンとソーセージで軽い朝食を摂って、シートに寝ころんで柔らかな朝の陽射しを愉しんだ。
 キャンプ場の周囲に急激に立ち上がった山は、まるで中国の墨絵を思わせるような、雄々しく、そして奇妙な姿で立ちはだかっている。所々に、取り残されたようにささくれだった岩がそびえ、切り立った崖のような岩肌が露出している。その山の麓には清流が流れ、大きな岩に阻まれて、小さな滝をいくつも作っている。目に痛いほど鮮やかな青空と、酸素と水素をたっぷりと含んだ空気と、木漏れ日の間から聞こえてくる鳥のさえずりと、俺達が求めていたものは、過不足無くそこにあった。

 もう一泊しようという案もあったが、この晴天を見て走らない訳にはいかないだろう、ということになり、てきぱきと荷物をまとめ、バイクに積み込んで、キャンプ場を後にした。
 地図で見ると、キャンプ場からさらに奥へと入って行って、大地峠という峠を越えると、もうすぐ塩山市なのだった。塩山から奥多摩を通って青梅までは、ほんの二時間半の距離だ。ただ、そのツーリングマップの大地峠のコメントに、「峠付近は、大きな岩がごろごろしているダート」と書いてあったのだ。「それはダメでしょう」「いや、峠付近だけならなんとかなる筈だ」「行きますか?」「行っとくか」という安直、というよりはむしろ、何も考えていないに等しい議論の結果、大岩ごろごろなダートにチャレンジすることになったのだった。
 最初の二キロほどは、荒れてはいたが、一応舗装はされていた。道幅は車一台とバイクがすれ違えるかどうかという狭さだった。それでもまぁなんとかなるレベルではあったのだが、突然目の前に現れたダートを見て、怯んだ。文ちゃんを先頭に、や〜ふる、俺の順番で走っていたのだが、先頭の文ちゃんが振り返って、進むかどうかを決断してくれと合図を送ってきた。
 ツーリングマップには大岩ごろごろと書いてあったが、目前のそれは、細かい砂利が浮いたダートだった。これならなんとかなりそうだと判断し、文ちゃんにゴーサインを出す。峠を下ってきたオフロードバイクに乗った連中が、目を見開いて驚いた表情で俺達を振り返る。そりゃまぁ確かに荷物満載のオンロードバイクが走るような道でないことは重々承知だが、そんなに吃驚しなくても良いじゃないか。が、暫く昇り続けた後、さらに吃驚したのは俺達だった。
 突然道幅が広がったと思ったら、そこには拳大、いや、赤ん坊の頭ほどの大きさの石が、そりゃもうまさにゴロゴロと転がっていたのだ。文ちゃんがバイクを停めて振り返る。ダメだ、引き返そう。引き返すなら今だ。そう合図をしたのだが、何故か文ちゃんもや〜ふるもやる気満々である。ひぇぇぇぇぇ、マジかよ本当かよ。
 荷物を積んでいるせいで、バイクはふらふらと安定しない。フロントタイアを轍にとられて、何度も転びそうになる。振れるハンドルを押さえつけようと腕を突っ張ると、岩に乗り上げた衝撃を吸収しきれないサスペンションが突き上げを食らう。二百五十のバイクでは舗装路のつづら折りでさえ辛いのに、ダートのつづら折りが延々と続く。ギアは一速から上げられない。二速に入れた途端にエンジンが咳き込み、ストールしそうになる。アクセルを少しでもラフに操作すると、あっという間にリアタイアが流れる。水温計の針がぐんぐん上昇していって、今にもオーバーヒートしそうだ。
 全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出し、いつの間にか口を大きく開けて喘いでいた。文ちゃんとや〜ふるは随分と先に行ってしまったようで、いくら走っても追いつけない。十分が一時間にも二時間にも感じられた。さらに走り続けると、そこだけ舗装された橋の上で文ちゃんとや〜ふるが待っていた。
 バイクを停めてエンジンを切ってヘルメットを脱ぐ。途端に音が甦ってきて、ほうっと大きくため息を吐き出した。
 地図で現在地を確認しようとするが、ここがどこなのか、さっぱりわからない。周りをいくつもの山に囲まれていて、かなり標高の高いところまで昇ってきたことくらいしかわからない。せめてこのダートがあとどれだけ続くのかさえ判れば、少しは気が休まるのに。そこで休憩している間にも、上から下からオフロードバイクや四輪駆動車が走り抜けていく。彼等を恨めしく思いながら、それでも今更引き返すことは出来ない。とにかく今出来るのは前に進むことだけだった。それが例えどんなに険しく辛い道のりであっても、だ。
 再び、いつまで続くとも知れない大岩ごろごろなダートを走り始めた。すると、走り初めてすぐに、目の前を走っていたや〜ふるのバイクのリアタイアが大きく流れた。危ねぇっ、とヘルメットの中で叫んだが、なんとか体勢を立て直したようだった。そうだ、文ちゃんのバイクもや〜ふるのバイクも、買ってからまだ千キロほどしか走っていないのだった。あぁ、思い出した。今回のツーリングで慣らしをするつもりだったんだよなぁ。それなのにそれなのに、文ちゃんのバイクなんて、アンダーカウルガリガリになってんだろうなぁ。や〜ふるのバイクも、エキパイがボコボコになってんだろうなぁ。ごめんなさい、ごめんなさい。全て俺がいけないんです。まさかこの道がこんなんなってるなんて、想像もしなかったんだよぉぉぉぉぉ。
 と、いくら謝ったところでどうにもならないのであって、目下の問題は、なんとか転ばないようにこのダートを完走することだけだった。そうだった、人の心配をしている場合ではないのだった。またもや置いてきぼりをくった俺は、一人寂しく、あまりと言えばあんまりなこのダートと格闘、そう、まさに格闘していたのだった。
 気のせいか、いや、気のせいではなく、標高が高くなるにつれ、路面に転がる石が段々と大きくなっていくようだった。谷側にはガードレールもなく、ひとつ間違えば谷底に真っ逆さまだ。ところが、景色が素晴らしいのだ。なんという皮肉な運命。この急勾配の上り坂の途中でバイクを停めてしまえば、もう二度とそこから先へは進めない気がした。だから、目の端に映るその素晴らしい景色も、ただ指をくわえて通り過ぎるしかなかったのだ。
 もうダメだ。もうこれ以上は無理だ。そう思い始めたとき、このダートの道端に何台ものタクシーが駐車しているのが目に入った。え? え? どーいうこと? さらに走り続けると、その駐車車両の列が遙か前方にまで続いているのが見えた。
 こ、これはひょっとして、ひょっとするのかぁっ? と思い、一気にスピードを上げると、とうとう、遂に、ようやく、ダートの終わりが見えた。うぉおおおおおおおおお! と思わず叫び、舗装路の始まりで待っていた文ちゃんとや〜ふるに追いついて、大きく頷いてみせる。やったのだ、俺達は遂にやったのだ。
 どうやらそこが大地峠であり、金峰山への登山口であるようで、登山者が乗ってきてそこに停めた車が道路の片側車線を完全に塞いでいた。

 大地峠を、まさに峠を越えたという表現がぴったりの大地峠を越えて、アスファルトで舗装されたその道を下っていった。峠を越えた途端に空が曇り始めたが、雨を降らせるほどではなかった。もう、ダートはこりごりだった。金輪際、バイクでダートに近づくのは辞めようと堅く心に誓ったそのとき、目の前に再びダートが現れた。がくー。
 甘かった。油断していた。舗装路はあっという間に終わってしまい、またあの大岩ごろごろなダートが始まるのだった。
 今度は下りのダートだ。フロントブレーキは使えない。タンクがへこむのではないかと思うくらいに両膝でタンクを挟み、ぶれない程度にハンドルを緩やかに握る。ロックしないようにリアブレーキを微妙に効かせ、オーバースピードにならないように気をつけながらダートを下る。頭の中はすでに真っ白になっている。大きな窪みにフロントタイアを落としてしまい、その衝撃でリアシートにくくりつけた荷物が落ちそうになる。ハンドルから左手を離して必死で荷物のずれを直そうとするが、どうにもうまくいかない。いくらか下りが緩やかになっている場所でバイクを停めて、荷物をくくり直す。
 三十分ほど走っただろうか。やっと、今度こそ本当にダートが終わった。道端にバイクを停めて一休みする。文ちゃんもや〜ふるも俺も、疲れ切っている筈なのに、何故か顔は笑っている。「また一つ、伝説を作ったね」とや〜ふるが言った。
 塩山市街地へ向けて、雲の中をさらに山道を下る。ニーグリップのしすぎで膝が笑っている。腰が痛い。腕に力が入らない。ダートなんて、ダートなんて、大っ嫌いだぁっ!

 塩山市に入り、国道四一一号を東へ向かう。柳沢峠を越えて奥多摩を抜ければ、もうすぐに青梅だ。塩山市街地に入った途端にじりじりと太陽が照りつけ、革ジャンを着込んでいるのが辛くなる。すでに午後一時を回っている。そろそろ昼食にしようと食べ物屋を探すが、ほうとうを食べさせる店ばかりが目に付き、この暑さではほうとうを食べる気にもならず、結局昼食を摂らないまま柳沢峠への峠道を登り初めてしまっていた。後で考えたら、ほうとうを食べさせる店だからといって、ほうとう以外のメニューがない訳では無いのだった。あぁ、やっぱり馬鹿だ、俺って。
 今回のツーリングで、一体いくつの峠を越えただろう。もういい加減腹一杯だった。御馳走ばかりでは飽きるのだ。たまには真っ直ぐな道だって走りたいのだ。特にあの大地峠を越えた今、心の底からうんざりしていた。
 柳沢峠の茶店の駐車場には、二十台ほどのバイクがたむろしていた。峠を攻めに来た連中だろう。荷物満載のツーリングバイクが珍しいのか、彼等の好奇の視線が突き刺さる。
 彼等がたむろしてる場所から少し離れたところにバイクを停めて、店内に入り、ソバとカレーでやけに遅い昼食を摂る。食後にソフトクリームを舐め、一服してから今度はや〜ふるを先頭にして出発する。
 無理のないスピードで、最後の峠道を下る。やがて丹波山村に入ると、突然奇妙な風景に出くわした。それは、今まで見たこともない不思議な景色だった。いくつもの山が重なり、その間を縫うように丹波川が流れ、川に沿って道が続いている。つまりは渓谷の底を、切り立った山肌に沿って走っている道なのだが、立ち塞がるようにそびえ立つ巨人のような山々が、酷くちっぽけな俺達を見下ろしているような、どこか懐かしく、そして、決して人智の及ばない自然の圧倒的なパワーを感じる。いつまでもそこに居たいような、一刻も早く立ち去らねばならないような、そんな矛盾した気持ちになっていた。

 やがて見慣れた奥多摩湖沿いの道になり、青梅市街を抜け、や〜ふるの自宅に到着した。缶ジュースを飲みながら少しだけ会話を交わし、文ちゃんと二人で再び走り出す。
 夕暮れの迫る外環自動車道を、辛く楽しい思い出をまた一つその胸に刻みつけた赤い二つのテールランプが、家路を急ぐ車の波に飲まれていった。


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