1999/6/8
復讐の八ヶ岳


 その日、九州から甲信越地方にかけて、梅雨入り宣言が発表された。ネットの天気予報を仕事の合間に何度も覗きにいくが、何度見てもやっぱり、翌日の天気予報は雨だった。

 一九九三年十一月某日。俺と文ちゃんとや〜ふるは、女神湖から清里へと向かう麦草峠をバイクで走っていた。天気は快晴。だが、気温はおそらく十度以下、いや、体感温度は間違いなく氷点下だった。
 女神湖の畔の喫茶店では、既にストーブに火が入っており、冷え切った体に心地良かった。食事を運んできたおばちゃんが言うには、昨夜、細かい雪が舞ったそうだ。甘く見ていた。というか、世間知らずだった。というよりは、無知であった。標高二千メートルを越える峠を、十一月にバイクで越えようなどというのは、いかにも思いつきだけで行動を起こす俺らしい馬鹿げた発想だったが、その企画に諸手をあげてノッてしまう文ちゃんとや〜ふるも、ちとどうかと思うのだ。
 大体あの時は、蓼科に行こうというだけのツーリングだったのだ。中央道を諏訪南で下りて、白樺湖を目指すくらいしか決まっておらず、そこから女神湖へ行こうだとか、麦草峠を越えようなどというのは、現地で地図を広げて初めて決まったルートなのだった。
 八ヶ岳の北側を走るそのルートは、当然といえば当然の如く一部の路面が凍結しており、俺達はその度に肝を冷やすのだった。なんとか峠を下りきると今度は、十分に冷え切って疲れ切った体に追い打ちをかけるように、激しい渋滞が俺達を待ち受けており、その車の列をすり抜けながら何度も、このままバイクを置き去りにして電車で帰ろうと、弱気な台詞を吐く俺達だったのだ。
 結局なんとか総走行距離七百キロを走りきって自宅に戻ったのは、既に日付が変わった後だった。

 苦いながらも今となっては良い思い出であり、その記憶も薄れかかったあれから六年後の現在、文ちゃんのバイクはSPADAからZZ-R400を経てZX-11になり、や〜ふるのバイクはGPX-250からごちゃごちゃと色々あってXJR-1300になり、まぁつまり二人とも大型二輪免許を取得したのであって、俺一人取り残されてしかも、あの時と同じバイクのままだ。色は黄色になったけどね。
 で、それぞれのバイクの慣らしを兼ねてツーリングに行こうということになり、せっかくあの時のメンバで行くのだから、あの辛い思い出のルートを、今度は楽しい思い出とするために前回の教訓を生かして計画を立て、八ヶ岳ツーリングを六年越しで補完しようと決めた矢先の梅雨入り宣言だったのだ。

 俺達は今回のツーリングを、「復讐の八ヶ岳」と題した。折しも西武の新人松坂投手の「リベンジ」という台詞が話題になった時期でもあり、前回の辛い出来事一つ一つに「リベンジ」するつもりでいたのだ。
 ところが、いきなり出鼻を挫かれてしまった。ツーリング出発前日の六月三日、翌日の天気予報は雨。なんとなくどころか、はっきりと嫌な予感を抱きつつそれでも、予定通り「復讐の八ヶ岳」ツーリングは決行されたのだった。
 ところがところが、明けて六月四日。目覚まし時計が起床時間を知らせる五分前に目覚めて窓の外を見ると、晴れている! 薄い雲がまだ上空を覆ってはいるが、バイクの陰が黒々とアスファルトに焼き付けられるほど確かに、初夏の陽射しが降り注いでいたのだ。喜び勇んで早速着替えを済ませ、バイクに荷物を積んでいると、背中にじりじりと陽射しが暑い。昨日までの憂鬱はどこかに吹き飛んで、その高揚感は、予定の時間より二十分も早く俺を旅立たせた。
 最初のリベンジは、「集合時間に遅れない」だった。前回、集合場所であった俺の家に一時間以上も遅れて到着した文ちゃんのせいで、待ち合わせ場所の中央道のPAでや〜ふるが待ちぼうけをくったのだ。当時は携帯電話もそれほど普及してはおらず、当然俺達がそのような便利なアイテムを所持している筈もなく、なんの連絡もないまま、本当に来るのだろうか?という不安と戦いながらや〜ふるは、一人PAで、缶コーヒーで体を暖めながら、じっと俺達の到着を待ち続けていたのだ。
 今回は、関越道高坂SAに午前九時集合だった。俺は柏ICから、文ちゃんは三郷ICから、や〜ふるは入間ICからそれぞれ、待ち合わせ場所を目指すことになっていた。
 家から高坂SAまでは、約百キロ。午前七時に家を出れば余裕で到着できるのだが、七時を待ちきれなかった俺は、思わず六時四十分に家を出発してしまっていた。七時十分には柏ICから常磐道に乗り、七時四十分にはもう関越道に入っていた。結局八時十分に高坂SAに到着してしまい、ガソリンスタンドで給油して、朝食代わりの缶コーヒーを飲みながら二人の到着を待った。
 その十分後、見覚えのあるワインレッドのZX-11がSAに入って来るのが見えた。すぐに俺に気づいた文ちゃんは、バイク専用駐車スペースに停めた俺のバイクの隣に、ZX-11を停めた。話を聞くと、やはり少し早めに出発してしまい、途中の渋滞もなく、こんな時間に到着してしまったと言う。きっとまだ誰も来ていないだろうと思っていたのに、俺のバイクが停まっているのを見付けて、少し驚いたそうだ。
 さらにその十分後。や〜ふるが到着した。バイクを停めるなり、「なんでこんなに早いんだよ」と言う。とにかくこれで、第一のリベンジ、「集合時間に遅れない」は達成された。幸先の良いスタートだ。

 缶コーヒーを飲んだり煙草を吸ったりしてだらだらと過ごし、予定通り九時丁度に高坂SAを後にした。さっきまで晴れていた空がどんよりと重くなってきていて、今にも雨が降り出しそうな気配だった。が、気配だけではなくて、SAを出て十分もしないうちに、シールドを雨が叩き始めた。ため息を背中から立ち昇らせながら、自棄クソのようにアクセルを開ける。はっきりとそれと判るほど降ってはいたが、ずぶぬれになるような雨量ではなく、藤岡JCTから上信越道に入る頃には、雨はすっかりあがっていた。
 上田の知り合いのパスタ屋で昼食を採るつもりだったのだが、開店時間が午前十一時だということで、そのままでは開店前に到着してしまいそうだった。そこで、時間調整のために横川SAで休憩していると、またもや空が晴れてきた。なんだかお天道様にからかわれているようである。まぁとにかく合羽を取り出す必要がなかったのでヨシとした。
 上信越道は、一部対面通行の箇所もあったりするが、概ね快適な高速道路である。対向車線を含めた道路幅が狭いおかげで、廻りの景色を間近に眺めることができ、群馬から長野に至る山間部を、交通量が少ないことも手伝って、気持ち良く走ることができた。その昔、軽井沢などへ行くには、藤岡で下りて国道二五四号をひた走り、碓氷峠を越えなければならなかったことを考えると、碓氷峠を走るのが目的でない限り、長野への旅が非常に身近になり、喜ばしい限りだ。

 十一時少し過ぎに上田菅平で上信越道を下り、そこから二百メートルほど先にある知り合いのパスタ屋に入る。知り合いとはいっても、俺の直接の知り合いという訳ではなく、俺の嫁の幼なじみがやっている店というだけなので、特に思い入れがある訳ではない。が、ここのパスタは間違いなく美味い。
 その店で食後の珈琲など啜りながら、今日のキャンプ地について相談する。まだまだ時間があるので、当初の予定通り、金峰山の麓の「廻り目平キャンプ場」を今夜の宿泊地とすることにした。

 第二のリベンジ、「新しいバイクを買ったら、女神湖の駐車場で試乗会をする」を実現するために、上田から南下して立科へ向かう。その女神湖畔の駐車場というのが、広々としていてかつ、シーズンオフであれば駐車車両も殆どなく、バイクの試乗をするには恰好の場所なのだ。
 ところが、国道一八号から南下する筈が、一八号バイパスに入ってしまい、右折するポイントがなかなか見つからない。暫く走ってからようやくルートを間違えたことに気づいて、地図を確認すべくバイクを脇道に乗り入れた。
 バイクを降りて文ちゃんと一緒に地図を見ながら議論していると、突然や〜ふるが「あわわわわわわ」と叫んだ。何事かと思いや〜ふるの方を見ると、サイドスタンドを出さずにバイクから降りようとして、ところが側溝に足を踏み入れてしまい、支えきれずにバイクと側溝の間に体を挟まれているところだった。「た、たすけて……」蚊の泣くような頼りない声で言うや〜ふるを見て思わず吹き出しそうになったが、笑い事ではなく、反対側からバイクを引き起こして、や〜ふるを助け出した。
 や〜ふるは、第三のリベンジ、「立ちゴケしない」を達成できなかった。六年前、全く同じシチュエーションでバイクを立ちゴケさせて、プラグをかぶらしてしまい、再出発に手間取ったということがあり、今回は「立ちゴケしない」のが、彼のリベンジの一つだったのだが、この時点で彼は遺恨を残してしまった。まぁ、体もバイクも無傷だったので、無かったことにしてあげても良いのだが、それでは次回のツーリングのためのリベンジが無くなってしまうではないか。
 立科方面へ向かうルートになんとか乗ることができ、女神湖を目指す。前回は白樺湖から女神湖へ北上したので、この道は初めて通る道だ。比較的緩やかな勾配が続く道で標高を上げていくにつれ、どんどん気温が下がっていくようだ。第四のリベンジ、「防寒対策をしっかりやる」に則り、革ジャンを着込んできたおかげで、震えるほどには寒くはなかったが、それでも関東の平野部に住む人間にとっては、この季節の気温ではないように感じられた。まぁ、そんなことは分かり切っていたのだが。
 一時間ほどで女神湖に到着し、駐車場にバイクを乗り入れる。周辺の様子も、六年前と何ら変わりない。テニスコートも、土産物屋や喫茶店も当時のままだ。感慨深げに辺りを見回していてソフトクリームの看板を見付け、食べようと提案したが、「ふざけんな」と一蹴されてしまった。そうでしょうとも。なんせ、寒いかんね。

「新しいバイクを買ったら、女神湖の駐車場で試乗会をする」という第二のリベンジを果たすべく、それぞれのバイクに交互に跨って、勝手な意見を述べ合う。やれ乗り難いだとか、やれよくこんなポジションで乗ってられるなだとか、普通なら喧嘩の種になりかねないような辛辣な意見が飛び交う。まぁそれは自分にとってどうなのか? という意見であって、そのバイクに乗っている人間の選択を否定している訳ではない。どんなバイクに乗っていたって、それはその人が望んで選択したのだから、それを否定する権利は誰にも無いし、必要もない。だからといって、自分の意見を述べることを辞めてしまったのでは、相互理解の妨げになるばかりで、良いことは一つもない。もしそんなことで喧嘩になるのであれば、それはお互いを理解する、または理解しようという気持ちが足りないのであり、そういう人間と行動を共にすべきではない。そしてそれは、必ずしも付き合いの長さから得られるものではなくて、付き合いの深さで得られるものだ。自分で言うのも嬉しいが、彼等とはそう言う付き合いをしてきたつもりだ。これまでもそうだったように、これからも、ずっとそうやって付き合っていくのだろう。そう考えて、つくづく良い友人と巡り会えた幸せを噛みしめていた。

 女神湖を出発して、今回のツーリングの目玉である、麦草峠越えのメルヘン街道を走る。急勾配のつづら折りで高度をぐんぐんと上げて行くルートなのだが、いかんせん排気量二百五十のバイクでは力不足は否めない。大排気量にものを言わせてみるみる車間を縮めてくる文ちゃんとや〜ふるには申し訳なかったが、そこは部長の立場を利用して強権発動し、ひたすら先頭を走らせて貰った。
 楽しい。空はどんよりと曇ってはいたが、そんなのは些細な事柄だった。コーナーへの進入から脱出までのプロセスを、思う存分楽しむことが出来た。確かに荷物の重さは邪魔だったが、走る楽しさをスポイルする要素にはなり得ない。早く走ることと、楽しく走ることは別次元の話なのだ。一連のプロセスが思い通りに出来た結果としての早さというのはあるだろうが、それが全てではない。失敗したら、今度はそれをリカバリする楽しさもある。要するに、今自分が出来る全てを出しきることが出来るかどうかだ。
 麦草峠を越えた途端、行く手に雲が立ちこめる。しかし、そんなことで怯む俺達ではないのだ。登りでは大排気量の文ちゃんやや〜ふるのバイクに適うはずもないが、下りならば、軽量な俺のバイクの独壇場だ。このためにブレーキパッドとブレーキオイルを交換したのだ。フェロード製のブレーキパッドは、その値段に見合うだけの強烈な制動力を発揮し、特にじわじわと効かす時のフィーリングは俺好みだ。コーナーの入り口でアウト一杯にはらんで、十分にスピードを殺し、クリッピングポイントへ向けて一気に切り込んでいく。ブーツのつま先が僅かに接地し、ちりちりと音を立てる。リアシートの荷物の重みでさらに倒れ込もうとするバイクを、ほんの少しアクセルを開けることで立て直し、コーナーの奥を凝視する。バックミラーを見る。コーナー毎に大排気量車との距離が広がっていくのが判る。相手がもし四輪車であれば尚更だ。スピードと重心とタイアのグリップとのぎりぎりのバランスは、物理的な法則で数式化することが出来る。それは、この世の中に存在する全ての事象に当てはまる、創造主の作り上げた、いわば神の領域だ。
 やがて、八千穂と松原湖との分岐点にさしかかり、辺りの景色も段々と開けてきた。熱くなったエンジンとブレーキと自分の頭を冷やすためにスピードを落とし、ゆっくりと流して走っているうちに、文ちゃんとや〜ふるが追いついてきた。他にたとえようのない充実感が体の隅々にまで行き渡って、改めてバイク乗りに生まれたことに感謝する。気持ち良い。最高の気分だ。

 国道一四一号に突き当たり、清里方面へと南下する。そろそろ夕食の買い出しをしなければならなかったのだが、店がなかなか見つからない。結局、川上村へと向かう分岐点でコンビニを発見し、そこで夕食と朝食の食材を調達した。
 キャンプ場へと向かう道すがら、帰宅途中の小学生の群が俺達を迎えてくれた。笑顔で手を振ったり、どこで覚えたのかピースサインを出す子もいた。ふと、息子のことが頭に浮かんで、家族を置き去りにして出てきたことに、少しだけ罪悪感を感じた。心から、本当に心から、俺がバイクに乗ることを許してくれている家族に感謝していた。

 川上村に入ってすぐに、大きな食料品店を発見した。またやってしまった。いつもそうだ。俺達が使っている地図では、道路の太さは判っても、人口密度まではわからない。人口密度の高い場所に、人は店を開くものなのだ。俺達の失敗は、いつもそこにある。キャンプ場というのは大抵人口密度の低い場所にあるもので、その周辺に食料品を扱う店があることは稀だ。だから、なるべく国道などの大きな道路沿いでそれらを探すのだが、得てしてその考えは裏切られるものだ。これを俺達の間では、「買うあるの法則」と呼んでいるのだが、つまり、もうここから先に食料品を入手できる店はないだろう、と思ってコンビニなどで買い物を済ませると、その直後にもっと大きな、品揃えの充実した店が見つかるのだ。
 キャンプ場に着いてから、最後に発見した店まで引き返せば良いのだが、それは面倒くさくて嫌だ。つまりはそういうことなのだ。誰に文句を言える筋合いのものでもないのだ。そんな訳で、俺達は今回もまた、「買うあるの法則」に従ったのだ。

 廻り目平キャンプ場の入り口は、チケットを取ると遮断機が上がって入場できるようになる、無人駐車場のような作りになっていた。キャンプのための料金の他に、駐車料金も徴収されるようだった。俺達の前を走っていた車が入場し、その後に続いてチケットを取ろうと、発券ボタンを押してみるが、反応しない。何度か試してみたがやはり駄目で、仕方なくその下の呼び出しボタンを押してみるが、それもまた反応がなかった。遮断機の脇に、バイクなら通れそうな通路があって、やむなくそこから入場して、受付に行って事情を説明すると、バイクはそれで良いと言う。はぁそうですか、と頷いたのだが、なんとなく、面倒だからそういうことにしてしまったのではないかと勘ぐってはみたが、余分に料金を取られた訳ではなく、駐車料金が免除となったのだから、むしろ喜ぶべきことなのだろうと納得した。
 キャンプ場の利用料金は、大人一人五百円。チェックイン開始は午前六時からで、チェックアウトは、最終利用日の午後六時までということだった。このキャンプ場は、周辺の山への登山のベースキャンプを目的として利用する人が大半を占めることから、そのようなシステムになっているようだった。
 だだっ広い砂利敷きの斜面が駐車場であり、その周囲にポツンポツンとテントサイトが点在している。そこから登っていくと、さらにテントサイトがあるようだったが、そこへ続く道は未舗装路であり、荷物満載のバイクで登れるような場所ではないようだった。
 駐車場の上の方の、林に面した場所に陣取ることにして、バイクを停めて荷物を降ろす。早速テントを張り、荷物をその中へ放り込んでから、受付のある山荘の風呂を借りに行く。
 最近立て替えられたばかりというその風呂は、広くて清潔だった。平日ということもあって、俺達の他には登山者と思われる中年のおじさんが一人だけだった。
 程良い熱さの湯船に浸かり、強ばった四肢を思う存分に伸ばす。風呂はやはり広い方が気持ち良い。文ちゃんもや〜ふるも、そして俺も、ただただ「気持ち良い!」を繰り返すばかりだった。
 このキャンプ場は、俺達の理想とするキャンプ場にかなり近かった。まず、キャンプ場内とその周囲に人工的な明かりが無いこと。晴れた日の夜空を見上げる愉しみを満喫するには、かなり重要なポイントである。それと、テントを設営した場所から、歩いていける距離に風呂があること。焚き火が出来ること。テントサイトが区画されていないこと。そして、利用料金が安いことである。バイクを停め難いのがマイナスポイントだが、まぁそれはヨシとしよう。このキャンプ場は、その他の条件を全て満たしていたのだから。
 周辺に落ちている木の枝を拾い集め、焚き火の準備をする。コールマンのガソリンストーブを使って飯盒で飯を炊く間にビールで乾杯し、焚き火で肉を焼く。いつの間にか雲が途切れて、夕暮れ空が顔を覗かせていた。辺りが完全に暗くなってからランタンに灯をともし、他愛のない雑談とともに、時間がゆっくりと流れていく。ロマンチックな喩えも、気の利いた言い回しもできないけれど、その時確かに、俺達は満たされていた。今日一日を精一杯過ごした充足感に包まれて、心地よい疲労とともに眠りに就く。
 文ちゃんが言った。「いつの間にか星が出てるって知ってた?」


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