1998/6/2
スタンド・バイ・ミー


 またしても寒い、のであった。バチはしっかりホカロンをジャケットの内側に仕込み、さっさと寝てしまった。文ちゃんはもちろん寝袋を使ってすやすやと熟睡。俺一人が寒くて眠れねっス状態。何故だ? どうしてこんなに寒いんだ? 真夏だぜ? 標高が高いならまだしも、海抜ゼロメートルだぜ? と愚痴ったトコロで、寒いことに変わりはないのであった。
 昨夜の寝不足が効いていて、ウトウトはするのだが、あまりの寒さにすぐに目醒めてしまい、なかなか熟睡するまでには至らなかった。それでも三時間くらいは寝ただろうか。朝起きたときには、それほどの寝不足感はなかった。
 いまいちはっきりしない頭をすっきりさせるために砂浜へ降りてみると、案の定昨夜の花火の燃えカスがあちこちに散乱していた。それでも、朝日が波間に反射してキラキラと光る様はやはり美しく、寄せては返す静かな波の音に耳を傾けていると、殺伐としていた気分も晴れてくる。潮風がどこか懐かしい香りを運び、暫しその余韻を愉しむ。
 まわりの家族連れキャンパーがなにやら豪華な朝食を摂る中、やはりカップ麺で朝食を済ませ、さっさと帰り支度をするのであった。キャンプ場を出るときに例のゴミの山の横を通ると、ゴミはさらに高く、大きく積まれていた。逃げるようにキャンプ場を後にして、帰路へ就くべく国道六号線を南下する。
 さっきまで晴れていた空がどんよりと重くなり始めていた。しばらく灰色の工場地帯の中を走る。荒涼とした景色に見切りを付けるべく、高萩のあたりで右折して県道を行くことにした。
 深い山間のひっそりとした村落の、背の高い向日葵が咲き乱れる中を、ゆっくりとステップを踏むようにバイクを走らせる。いつの間にか空は晴れ上がり、強烈な夏の陽射しが戻ってきていた。先頭を走るバイクのラインをトレースしながら走る。バックミラーに映るバイクもおそらくそうしているのだろう。五速から六速へ。緩い右カーブに備えて五速、四速とシフトダウン。カーブをクリアし、坂を登り切ったところで左にカーブ。続けてさらにRのきつい左カーブ。フロントブレーキをかけつつ三速へシフトダウン。アクセルはパーシャル。カーブをクリアすると短いストレートのあと、ヘアピンぎみの右カーブ。さらに二速へシフトダウンし、クリッピングポイント手前で軽くリアブレーキを踏んでやる。リアにトラクションを掛け、アクセルオン。三速、四速、五速とシフトアップしていく。三台のバイクの排気音がシンクロし、木霊する。木漏れ日がフラッシュのように視界を遮り、景色が溶けていく。遙か遠くに続く道と、通り過ぎた道との境界線があいまいになる。シールド越しに見える先を行くバイクが、陽炎の向こう側に霞んでいる。
 そうやってしばらく田園の中を走り、トウモロコシ畑の横まで来てバイクを停め、エンジンを切る。ヘルメットを脱ぐと耳がキーンと鳴る。バイクのシートに腰掛けて、煙草に火を着ける。
「気持ち良いなぁ」
「ホントに」
「ずっとこんな道を走っていたいっス」
「日本一周、気を付けてな」
「ありがとう」
「絵はがき欲しいっス」
「わかった、書くよ」
「俺もいきてぇなぁ」
「そっスね」
「行けば良いじゃん」
「そんな勇気はねぇよ」
「ははは」
「でもな、いつかきっと」
「いつか、ね」
 それから水戸の手前で常磐道に乗り、柏ICで降り、文ちゃんちのそばのレストランで食事をし、そこで別れた。
「じゃ、また」
「気を付けて帰って欲しいっス」
「元気で」
 楽しかった3日間が終わり、旅の思い出は日焼けした鼻の痛みだった。

 なんであんなあぶないモンにわざわざ乗るんだ? と、オトナは言う。まだバイクなんかに乗ってるのかよ? と、同級生が言う。物わかりのいいオトナならば、退屈さを標榜する常識人であれば、バイクに乗ったりはしない。結局はわがままなのだ。自分自身にしか興味の持てない人種なのだ。常識だろ? と、問われたところで、それはアンタの常識であって、俺の常識ではない。俺の進む道のその果てに暗闇があったとしても。果てしなく、長く曲がりくねった道であったとしても。いつもそばには友がいる。ただバイクに乗っている。それだけで、人生の大事な幾つかのことを共有することができる友がいる。たかがバイクというなかれ。バイクでなければダメなんだ。苦しいことも、辛いこともあるけど、道はどこまでも続いていると信じている。
 やがて道はいつもの見慣れた道になる。旅の終わりに、バイク乗りは何を思うのだろう? 非日常の終わりを、退屈な日常への回帰を嘆くのだろうか? でも、俺には始まりなんだ。まだまだ立っていたいんだ。決して諦めることなく、立ち止まることなく、この夏がいつまでも続くことを信じて。


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