2003/10/11
That Day Is Done


 頭痛がした。当然と言えばあまりにも当然の帰結ではあったが。
 それでも、いつもの通りの朝をいつもの通りに過ごすことに、なんのためらいもない。つまりそれは、帰り支度以外のなにものでもない行為に対するいくらかの寂寞感に耐えうるだけの、ほんの小さな決意に過ぎない。
 荷物を積み終えると、後はもう何もすることがなくなった。それでも、彦太郎との別れは惜しんだ。惜しみながら、それでも走り出す。走り出した後になって、ようやく自分がどこへ向かうべきかを自覚する。函館へ、青森へ、そして我が家へ。
 洞爺湖を西回りで虻田から国道三七号へ下りようとして、その道が行き止まりであることに気がつき、昭和新山の横を通る道を使って国道まで出る。あの噴火の傷跡はまだ深い。
 長万部のドライブインでカニめしを食い、ひたすらに真っ直ぐな内浦湾沿いを行く。嫌になるくらいに良い天気だ。
 コンビニで煙草を吹かしているところへ、キンドーくんからメイルが入る。彼もやはり帰りのフェリーが取れずに四苦八苦していたようだが、どうやら小樽から新潟を経由して敦賀へ行くフェリーに乗れたようだった。
 大沼を通り過ぎると、すぐに函館の街に入る。国道を離れ、フェリー埠頭まできてバイクのエンジンを止める。函館から青森までフェリーに乗り、青森から千葉までのロングランはこれが初めてという訳ではなかった。初めてではないだけに、それは安易なもののようにも感じられたし、遠く辛い道のりであることも知っていた。だからと言って他の選択肢はなかった。選択肢がなかった訳ではなかった。選択しなかっただけのことだ。

 五稜郭を見学してくるというカトちゃんを見送った後、乗船手続きを済ませ、フェリー埠頭の駐車場に止めたバイクの側で煙草を吸う。同じように青森へ向かうフェリーに乗るのだというGPZ750Rのおっちゃんと会話を交わす。向こうにしてみたら俺もおっちゃんにしか見えないのだろうが。
 カトちゃんが戻ってきて、食堂で簡単な食事を摂り、駐車場へ戻ると、夕暮れの空が紫色に染まっていた。海の向こうへ陽がゆっくりと沈んでいく。終わろうとするその日を眺めながら、俺はまだそこに立ちつくしていた。

 青森行きのフェリーに乗り込むと、乗客は俺達の他に大型トラックが二台だけだった。広くもない二等船室を二人きりで占領し、青森までの数時間をその先の行程に備えて寝て過ごす。
 気付いたら青森港に到着していた。寝る、というよりは気絶していたに等しい。それほどあっけなく青森港に着いてしまった。
 接岸と同時に船倉へ降り、開いた扉の外へバイクを出す。すでに辺りは暗闇に包まれていて、空気がひんやりと冷たい。青森ICから高速道路に乗り入れ、ひたすら走る。灯りが全く無いので、スモークシールドを開けて走る。涙が目尻を伝わっていく。ストロボのように続く路肩の反射板が眠気を誘う。仙台のあたりで空から雨が落ちてくる。
 何かに耐えているのか。なぜ、そんなことをしなくてはならないのか。このままバイクを横たえて寝てしまえ。無謀な行動だったとしても、それを選択した自分自身を責める気にもなれない。
 郡山の少し手前のサービスエリアでカトちゃんと別れ、盤越道へと乗り入れる。空が白み始めてきた。いわきで常磐道に合流し、再び車首を南に向ける。レインスーツが気休めに過ぎないほど、雨は激しく降り続いていた。
 サービスエリアで、冷えた体を温めようと缶コーヒーを飲んでいる俺を眺め回すようにしながら、早朝の観光客が目の前を通り過ぎて行く。バイクがそんなに珍しいかい?
 土浦北ICで高速を降りる。料金所で金を支払い、その先の路肩にバイクを止め、レインスーツを脱ぐ。雨は上がっていて、雲の切れ間から陽が差していた。
 俺は、帰ってきた。


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