2003/7/1
Let 'Em In (part 1)


 湖畔にたゆたう薄い霧が山側から降りてきた冷気によって吹き払われ、朝日の斜光がフライシートを通してテントの中にまで差し込んでくると、ぬるま湯から出る程の決心によって尿意を鎮めるべくテントから這い出し、どの朝であっても例外なくそうしている通りに便所へと向かった。
 今まさに朽ち果てんとしているかのような風体の便所へ向かう途中、ふと管理棟の方を振り返ってみると、そこには俺と俺の隣人のジーンズが管理棟のドアの取っ手を利用して、器用に干されていた。昨日の夕方の驟雨に濡れたままのジーンズを少しでも乾かすべくカトちゃんがそうしたようだったが、昨朝の起床時間からは考えも付かないほどに彼が早起きをしたのを見て取り、眠りの訪れが早かったのかそれとも、遂に眠りの訪れることがなかったのかといったことに気をやりながら放尿を済ませ、再び暖かいねぐらへと戻る俺なのであった。
 それから一時間後、再度目を覚ましテントの入り口のジッパを少し開けて管理棟の方を覗き見てみると、そこにあるべきジーンズが二本とも消失している光景に出くわした。
 ぼやけた頭で様々な想定を喚起しようとするが、うまくいかない。何が起こったのかを把握できぬままテントを出てあたりを見渡すと、管理棟からカトちゃんが出てきて「ジーンズは取り込みました」と、意地悪な顔つきで言い放つ。なんだそうかと思いながら一番可能性の高かったであろうその事実に心が満たされぬまま、朝食の支度を始めた彼に倣い、鍋に水を汲みに行く。

 キムラくんと過ごす朝からは想像を絶する程に簡単な朝食を済ませ、荷造りを始める。陽差しは柔らかく、空気は冷たく、考えつく限り最も平和な朝だった。この時までは……。
 駐車場に停めたバイクのもとへ荷物を運ぶとそこでは、昨夜遅くにやってきた若者がバイクに積んだ荷物にロープを掛けている最中だった。と、見慣れない形の彼のバイクがXANTHOUS(ザンザス)であることに目を留めた俺は、次に発するべき言葉を空気中に吐き出すことに抗うことが出来なかった。
「へぇー、ザンザスかぁ」
 そう。「あの」XANTHOUSである。古くFX400をルーツに持ち、名車の誉れ高いGPZ400Rの系譜を受け継ぐZZ-R400の兄弟車、「メンテ中のGPZ400R」などと陰口を叩かれつつ日本のバイク史の片隅にひっそりと佇むFX400Rの進化版であるそのXANTHOUSが、俺の目の前にあったのだ。
 などと書くと全国のXANTHOUS乗りからクレームの嵐が吹き荒れそうではあるが、あくまでも個人の主観なので、という言い訳で許していただきたい。性能的にはもちろん他の400ccのバイクと較べて劣っている点はないし、むしろそのヒエラルキーの中では頂点に近い地位を得ている筈なのだが、いかんせんカワサキというメーカが引き起こし易いデザイン上の論理エラー(もしくは思い込み、思い入れと言い換えても良いが……)によるその奇妙な風貌は、見る者を惹き付けて離さないのである。
 言い過ぎてしまった感の強いXANTHOUSに関するあれこれについて言及するのはこれくらいで辞めておくが、つまり俺が言いたいのはこのバイクの外観がいかに奇妙に映るか、一般受けしないか、ということに尽きる。格好良いとか格好悪いなどと言った二極的な思考では辿り着けない、まるでアントニオ・ガウディを想起させるようなデザイン・センスが、そこにはある(これも言い過ぎ)。
 そんな些末事はそれはそれとしてとにかく、俺の発した感想に対して彼は、当たり前のように極々日常的な言い回しで返答を返して寄越した。
「よく言われます」と。
 そんな他愛の無い会話の後、俺達が出発の準備を整えるより少し早く、彼はキャンプ場を後にしていった。

 昨夜の雨の名残を木陰に残しながらでも、真っ直ぐに続く道の先にはすでに蜃気楼が立ち始めていた。程良い冷気のせいか、エンジンが良く回る。空は青く、アスファルトの色が白っぽく見える。少しだけ開けたスモークシールドがまばゆいコントラストを作り、背後の荷物が水蒸気の分だけ確実に軽くなっていた。バイクを操る四肢の末端から何かがじわじわと這い登ってきて、首の後ろで渦巻いている負圧に吸い出されていく。操っているのか、操られているのか、それすら定かでないままに胸が躍る。気持ち良い。

 常呂の町中でコンビニに立ち寄り、調達したばかりのたばことペットボトルのお茶を愉しんでいると、目の前の国道を一台のバイクが通り過ぎようとした。軽く手を挙げて見送ろうとして見ると、先に出発した筈のXANTHOUSの若者だった。
 彼もすぐにこちらに気がついたらしく、五十メートルほど行き過ぎてから引き返してきて、「ガソリン入れてる間に追い抜かれちゃいましたあ」と、シールドを開けただけのヘルメット越しに言う。
 俺達の行き先を聞かれたままに答えると、意外なことに、実に意外なことに、彼は「一緒に走って良いですか?」と殊勝にも聞いてくる。イマドキの若者のくせに、やたらと懐いてくる。これにヤられてしまった。一も二もなく同行を許し、いや、許すという表現すら厚かましいという感じがして、何か得体の知れない気恥ずかしさを誤魔化すために、「ついてこいよ」などと、ひどく心外で傲慢な言葉が口元をついて出た。

 愛知県から一人で来たという大学生の彼を「キンドー」くんと呼ぶことにした俺達は、キンドーくんとカトちゃんのリクエストにより、網走刑務所および網走監獄博物館を目指すことにした。
 多くの人達がそうであるように、彼らもまた、受刑者と結びつけてでしか網走という土地を知らない。そしてそれはあながち間違ってはおらず、他には海産物と流氷だけを売り物にした一観光地に過ぎない。ただ、客観的にはそうであっても、俺にとっては知床への玄関であり、初めてこの地を訪れた時の甘酸っぱい記憶を呼び覚ます特別な町でもある。客観と主観との間には、筆舌に尽くし難いほどの高い壁が立ちはだかっている。そしてそれは、乗り越えるべきものではなく、当たり前のようにそこにあれば良いだけの、くだらない行き違いに過ぎない。
 門前での写真撮影と土産物屋を一巡りしただけで網走刑務所を後にして、たっぷりと一時間をかけてキンドーくんとカトちゃんが網走監獄博物館を足早に巡っている間に、俺は一人で駐車場から登ってくる観光客を眺めながら、彼らのトキメキに嫉妬していた。
 彼らのようにただ純粋に。初めてバイクで走ったあの日のように。この手をすり抜けていったトキメキをもう一度、取り戻したい。喉の渇きにも似た焦燥感に包まれて、このまま彼らを置いて出立してしまおうかとさえ考えた。それを押し止めたのは、分別臭い年齢と、年を追うごとに降り積もっていった世間一般という奴だった。
 俺はもう見つけてしまったのか。それとも探し当てることが出来ないまま諦めてしまったのか。そんなことを考えている間に、彼らが戻ってきて、俺達はまた走り出した。

 右手に原野、左手の線路の向こうにはオホーツク海が広がる道を、三台のバイクが駆けていく。地図で辿るよりも遙かに短時間で斜里の町が近づいてくる。
 カトちゃんとキンドーくんを待たせておいて、斜里で何度も世話になっている電機屋のオヤジに町中の酒屋で買い求めた酒を持って行くが、仕事で不在とのことで、家族にそれを渡し、来意を告げただけでそこを後にする。
 宇登呂を目指して再び走り出す。峰浜の辺りからまた左手にオホーツク海が見えてきて、青絵の具をぶちまけたような風景が眼前に広がる。やがてオシンコシンの滝を過ぎると、もうすぐに宇登呂の町へ入ることになる。
 宇登呂の寿司屋で昼食を摂りながら、キンドーくんとその後の予定について話し合う。すると、北海道へ来るフェリーの中で知り合った大阪の大学生と一緒にカムイワッカの滝へ行くことになっているらしく、その後二人で俺達が泊まる予定のキャンプ場まで追いかけて来るという。俺とカトちゃんは俺達の予定をそのまま遂行することにして、知床五湖への入り口でキンドーくんと別れた。

 どこまでも晴れ渡った気持ちの良い道を、知床峠へ向けて高度を上げて行く。意外なようではあるが、知床峠の標高はたったの七百メートル程に過ぎない。なので、オホーツク海沿いの、つまり海抜ゼロメートル地点である宇登呂の町中から峠までは、拍子抜けするほどあっけなく走り終えてしまう。
 しかしその峠からは、北東の方向に、晴れた日(その日もそうだった)には、青く塗られたキャンバスに描かれた絵画のような威風堂々とした羅臼岳の圧倒的な姿を見ることが出来、そこから東に目を移すと、幾重にも重なり合ったハイマツ林に覆われた山々の向こう、そのさらに海の向こうに国後島の山並みを眺めることが出来る。
 好天に恵まれたことに感謝しつつ、カトちゃんと二人、世俗的な写真撮影に時間を費やし、知床横断道を今度は羅臼側へと下っていく。勾配はきついが、こちら側もやはりあっという間に羅臼の町へ下り終えてしまう。国道を根室方面に右へと曲がり、根室海峡沿いの道をひたすら南下する。


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