2003/9/21
Let 'Em In (part 2)


 左手に国後島を間近に据えながら、単調な道をのんびりと、退屈さを噛み締めながらゆっくりと南下していく。時折、海沿いを離れて背の低い木々の中を縫って行く他は、寂しげで荒涼とした風景が続く。
 さけの遡上で有名な忠類川を越え、標津の町中に入ったところでAコープを見つけ、その駐車場にバイクを止める。
 夕食と朝食の買い物を済ませ、駐車場でたばこを銜えて、もう何度となく話題に上った天気の良さについて語りながら、ほんの僅かな違和感を覚えた。この胸のもやもやの正体は一体何なのか。慣れてしまったことへの落胆とも違う。順調すぎる旅程が不安をかきたてるのか。望みうる限りの最良の環境である筈なのに。何故だ。その答えはまだ出ないでいた。

 野付半島は、茹でたエビを横から見たような形をしている。だからと言う訳ではないが、この半島に囲まれた野付湾の名物がホッカイシマエビである。このエビは、打瀬(うたせ)網漁という帆掛け船の前後に網の端と端を渡し、船を前後ではなく帆が風を受ける力によって船腹方向に滑らせて網を引く漁法で獲られる。つまり、地引き網を海上で、かつ人力ではなく風力によって行うようなものだと考えて貰えれば良い。
 なにやら蘊蓄を語り始めてしまったが、ついでなのでさらに語ってしまうと、ホッカイシマエビというのは俗称で、正式な和名をホッカイエビと言う。背は緑がかった透明な黒色をしており、腹は薄い黄色で、縦に縞模様が走っている。(甲殻類なので)当然のことながら、茹でるとその身は赤く染まるのだが、目にも鮮やかなその縞模様は消えずにそのまま綺麗に残る。
 このエビが他のエビどもに対してどのくらいのアドバンテージを有しているかというと実はそんなものはそもそも無く、美味いには美味いが他の漁港で捕れたての他のエビを食すのと一緒だとは思う。けれど、これを食わないことには野付に来た気がしないのもまた事実であり、そんな訳で、ホッカイシマエビをこの地での常食としている次第なのであった。
 などと書いたそばからなんなのだが、エビカニ類には一切のシンパシーを抱かないと公言して憚らないカトちゃんと一緒だったため、今回はホッカイシマエビが夕食の食卓に上ることはないのであった。

 受付で二人用のバンガローを借り受け、荷物を放り込んで身軽になり、五分ほどの距離にある温泉へとバイクを走らせる。露天風呂でのんびりと湯に浸かりながら、日暮れ間近の空を見上げ、相変わらずの好天に感謝する。
 バンガローに戻り、キンドーくんの携帯電話を鳴らしてみる。一旦電話を切って少し待つと、キンドーくんから電話がかかってきた。到着予定時間を確認し、それに合わせて飯を炊き始める。丁度飯が炊きあがった頃、キンドーくんが相棒(とはいえ北海道へ来るフェリーで知り合っただけの仲ではあるが)を引き連れてやってきて、道を挟んで俺達の真向かいのバンガローへ荷を下ろす。
 途中のコンビニで弁当を買ってきたという彼らに無理矢理焼き肉の夕食を勧めると、殊勝なことに彼らは再びバイクにまたがり近所のコンビニでわざわざ追加の食材を購入してきたのであった。いやー、なんかかえって申し訳なく思ったわけで。

 酒と肉と白米で腹を満たした後は、それぞれが自分を語り出す。他愛のない会話とその関係を、もう幾度過ごしたことだろう。その関係は、現在に至るまで続いたり途切れたりを繰り返しながら、俺という一個の存在の原資となって積み重ねられていく。行動を起こすにせよそうでないにせよ、確実に正確に過ぎていく時の中にあっては、その蓄積は増えることはあっても減ることは決して無く、磁気ディスクに記録される電子データに似て、客観的にはデータの並びに違いはあっても密度による違いはない。ゼロはゼロとして、一は一として、同じく一バイトのデータとして記録される訳であり、つまり、バイクで走っていようと、テントの中でひとり呆然としていようと、それは時間軸に沿って等しく自分自身の存在のかけらとして降り積もり、堆積していく以外に為すすべがない。

 そんなどうでも良い切なさに捕らえられているところへ、不意に携帯電話が着信を知らせるランプを光らせた。斜里の電機屋のオヤジからだった。
 バンガローを出て電話に出てみると、挨拶も何もかもをすっ飛ばしてオヤジはいきなり、「今すぐ来い」と言う。いやいやもうキャンプ場に入ってしまったので、と言うと「それなら明日来い」と言う。ツレがいるので今回はちょっと難しいですと答えると、「ここまで来ておいて俺に会わずに帰るとはどういうことだ」という意味の言葉をかなり遠回しな言い方で言った。
 とりあえず明日また連絡しますから、と言い繕って電話を切り、宴会の後始末をして、キンドーくんたちに就寝の挨拶をして自分たちのバンガローへ戻る。
 寝袋にくるまって地図を開き、明日の予定を立てているとふいにカトちゃんが、「明日は別行動にしませんか?」と突然言い出した。
 斜里のオヤジから連絡があったこととその内容を彼に話してはあったので、彼がそれに気を遣ったのか、または純粋に単独行を望んだだけなのか、あるいはその両方なのか、それを確認はしなかったしする必要もなかったがともかく、これで斜里にオヤジに会いに行けることになった訳で、一も二もなくその提案に賛成し、翌々日の合流地点とそこまでのルートを彼に説明し、灯りを消した。
 恋人とのデートを明日に控えた少年のように、俺の心は沸き立っていた。


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