2002/9/23
Heart Of The Country


 海上はずっと雨だったようだ。ところが、苫小牧港に船が着き、排気音と排気ガスに溢れた船倉からバイクを出してみると、うっすらと雲の間から陽が差していた。幸先の良い旅の始まりに気をよくしてフェリー埠頭を後にする。
 フェリー埠頭を出て産業道路へ向かう数百メートルの間に、この旅での最初の事故を目撃する。対向車線を走ってきたタクシーが突然停車し、そこへ後続のバイクが突っ込み、止まりきれずにガードレールとタクシーの間を車体の各部をぶつけながら、ついには転倒してしまった。
 バックミラーの中でライダーが立ち上がったのを見て安心し、その場を後にしたが、今更ながらに安全運転を心に誓うのだった。フェリー埠頭へ向かったということは、あのバイクにとっては旅の終わりだったに違いない。心と体とそしてバイクにとっても大した傷で無ければ良かったのだが。

 午後一時半にフェリーが到着し、すでに午後二時を回ろうとしていた。産業道路で最初に見つかったコンビニ(とはいえ、このコンビニにはもう何度も立ち寄っているのだが)で軽い昼食を摂る。雲が晴れて太陽が顔を出す。冬仕様のジャケットでは汗ばむほど、強い陽射しが降ってくる。カトちゃんのバイクのブルーメタリックが目に眩しい。それでも走り出すと乾燥した空気が冷たく感じられるため、結局はそれを着込んだまま走り出す。
 ウトナイ湖の南で、国道二百三十五号線へとバイクを向ける。国道に沿って無料の自動車専用道路が走っているが、それを使わずに国道を走る。相変わらずの殺風景さに呆れかえりながら、それでもそれは北海道へ来たのだということの証でもあった。
 厚真から鵡川までの、海を望むことの出来るこの区間を気分良く走る。バックミラーの中のカトちゃんは幾分緊張しているのか、肩に力が入っているように見られた。でもそれも、対向車線を走るバイクと最初のピースサインを交わすまでの間だけのことだった。そして俺は、その緊張を羨ましく感じていた。
 いつもなら、沙流川を渡る手前で国道二百三十七号線へ左折するのを、今回は橋を渡り、日高西部広域農道を使う。日高ケンタッキーファームに代表される牧場を幾つも抜けるこの道道は、多少路面が荒れているのとまき散らされた牧草で路面が滑りやすいのを除いて、軽いアップダウンとワインディングで構成された、景色の良い気持ちの良い道だ。
 国道二百三十七号線に合流し、平取の町を通り過ぎる。二風谷ダムとアイヌ文化博物館をいつも通りに横目に見て、沙流川沿いを快適に走る。バックミラーの中で急速に大きくなってくる後続の車を認め、バイクを左に寄せるが、それをカトちゃんが何を勘違いしたのか、追い抜いていく。俺が後続の車に追い抜かれてその後を走るのを見てようやく、カトちゃんは何が起こったのかを認識し、バイクを左に寄せて車をやり過ごす。
 いつもなら、キムラくんが俺の後ろを走っていて、前を走る俺の意志は即座に彼に伝わった。事前の打ち合わせもなく、状況と行動、あとは簡単なハンドサインで取れていたコミュニケーションを、彼に求めること自体に俺の間違いがあった。それはキムラくんとの十数年のつき合いの中で培ってきたものであり、カトちゃんとはそれをこれから始めるところなのだ。
 日高の町を抜け、占冠村を抜ける頃になると、太陽は早くも夕張岳の向こうに傾いていこうとしていた。富良野まで続く懐かしい森の中の道は、すでに秋の気配を漂わせている。ヘルメットの中を冷気が通り抜けていく。水温計の針が、C(Cool)の少し上の位置で凝り固まっている。

 午後五時半に「かなやま湖畔キャンプ場」に到着。始めてバイクで北海道へ来たときから大きく変わったこの施設には、あの時には無かった立派な管理棟と円形ステージがあって、ハイシーズン時の混雑ぶりを容易に想像させた。
 手続きを済ませ、降ろした荷物をリヤカーでテントサイトまで運び、炊事場とトイレの中間にテントを張る。皮膚に集ろうとする虫を手で払いのけながらカトちゃんのテントを見て、その中で過ごすことすら想像もままならないほどに小さなものであることに驚く。カトちゃん自身は、亡父から受け継いだそれを事前に張ってみてその様を確認していたようだったが、実際にツーリングに来て、その中に自分と荷物とを押し込めなくてはならない事実に初めて気づき、不満を声にするのであった。
 缶ビールで乾杯し、いつも通りに飯ごうで米を炊き、途中のAコープで買ってきた袋入りの味付けジンギスカンを鍋にぶちまけ、レタスで巻いて食らう。トントロの塩焼きもレタスで巻いて食う。美味いとか不味いとかそういうことを通り越して、今やその味を懐かしくさえ思う。
 食器を片づけ、道路を隔てた保養施設の風呂を借りに行く。キャンプ場の駐車場には、俺達のを除いてバイクが八台と車が数台止まっているだけで、週末毎の賑わいからはほど遠かった。虫の鳴く声があちこちから聞こえてくる。

 カトちゃんが淹れてくれたコーヒーを啜りながら、二つのテントの間に敷いたビニールシートの上で横になる。ランタンの灯りにまとわりつく虫も僅かで、風も無く、身震いするほどの寒さでもない。対岸を走る列車の音が近くに聞こえる。薄い雲が低く広がっているのかも知れない。初めて北海道を走った気分を、カトちゃんがうわずった声で語っている。
 勇気と幸運を語り、道程を誇り、その日の共有物と翌日の目的地を確認した後、それぞれのテントに戻った。いつものように寝袋にもぐり込み、そして俺は、自分が何故ここにこうしているのか、そういう事を考えながらそれを端から眺めているような錯覚に捕らわれて、いつまで経っても眠れないでいた。何かが足りない。何かを忘れている。何を欲しているのか。何を思い出そうとしているのか。それらがわかりかけた頃になってようやく、渦を巻くように眠りの中へと引きずり込まれていった。


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