2002/9/17
Distractions


 昨年の東京〜釧路航路の休止に続き、今年は大洗〜室蘭航路が休止となってしまっていた。さらに大洗〜苫小牧航路は、それまでの朝発早朝着便が夕方発昼着便へとシフトしており、北海道へ上陸した後の行動の足枷となっている。
 フェリーの利用者が経営を圧迫するまでに激減している事実が、こうして航路を休止に追い込んでいる原因であろうことは想像に難くない。航空運賃とレンタカーの利用料金がこれだけ下がれば、短期または多量の荷物を運ぶ必要の無い殆どの客はそちらを利用するだろう。また、足寄の駅前の食堂のおばちゃんに聞いた話によると、今年は学生ライダーが平年の半分くらいなのだそうだ。つまり、不況による就職難で就職が決まらず、最後の夏休みを旅行に費やすことの出来ない人達が多いということなのだろう。もちろん、このおばちゃんの話はライダーに限定した話であるため、バイクという乗り物自体が廃れてきている可能性も否定できない。確かに、性能も見栄えも良い車が安価で入手可能であれば、わざわざバカ高い費用を払ってまで二輪免許を取得する人達が増えるとも思えない。この辺りの経済構造のちぐはぐさが、ツーリングライダーを当て込んだ観光地である北海道に関する市場に、引いては利用者に暗い影を落としているのだ。
 とはいえ、フェリー運航会社の経営努力も足りなかったと思う。海運物流に頼り切った結果、それが航空物流や現地生産に取って代わられた後、最後の頼みの観光利用者をそれまでないがしろにしていたツケが回って来たのだ。これは常々感じていたことなのだが、長距離フェリーの二等船室の時代錯誤も甚だしいあの待遇はなんなのだ、と。幅五十センチ、長さ二メートルのあの居住空間が、二十時間超の船旅で人一人に割り当てられた権利なのだ。夜中に出発する便が存在するということは、利用者がそこで寝ることを前提に考えている筈だ。他の交通機関に較べると船舶は、確かに人が行き来できる空間が圧倒的に広いと思う。しかしそれは限られた時間を犠牲にした上での話な訳で、だからこそその中で多くの時間を占める就寝環境に気を遣って欲しいと思うのだ。
 利用者はバカではない。移動するということに限って言えば、時間を金で買えることも知っている。だから、より早く、安い方法を選択するのだ。あと千円高くても良いから、二等船室での一人あたりの専有面積を、あと幅三十センチ分ほど拡げては貰えないだろうか。お願いします、フェリー会社の偉い人。
 それとは全く別の話になるが、ライダーとそれ以外の乗客で部屋を完全に分けてしまうのは、やはりライダーが特殊な存在であると考えているからなのだろうか。まあ確かに、ライダーで一杯のその部屋に子連れの家族がポツンと居るのを想像すると、ちょっと可哀想かな、と言う気はするが。いや、これは不満ではなくて、純粋な疑問です。どういうルールで振り分けているのか、それが知りたい。

 などと言う穴だらけの理論はさておき、思っていたより遙かに足早に、その日はやってきた。
 起きて仕事をして寝る間に何度か食事を摂り、ある朝目覚めたら当日だったという訳。十八時三十分大洗発。そのフェリーに乗るための乗船手続きを完了させなければならない時間が、それからさらに二時間前、つまり十六時三十分までに大洗フェリーターミナルへ到着していれば良いのだ。
 家から大洗までは約百二十キロ。田舎道を走ることになるので信号が少なく、すり抜けである程度の渋滞を回避出来るものと考え、平均時速を四十キロで試算してみると三時間で到着出来る計算になる。十三時三十分。それまでに出発すれば良い。
 シャワーを浴びて朝食を終え、バイクに荷物を括り着けると、後はやることが無くなった。それぞれの用事で家を出ていく家人を見送りながら、ぼんやりとテレビを眺め過ごす。

 土曜日の昼間。今にも雨が落ちてきそうな曇り空。交通量は少なくない。車の流れは、平日のそれよりもいくらかゆったりとしている。ショッピングセンターの駐車場は車で溢れかえっている。物珍しげなドライバーの視線が、ツーリング装備のバイクの背中に痛い。何故だか気が重い。
 国道六号線とほぼ平行に走る県道を使う。土浦駅の先で国道六号線に乗り入れ、あとはひたすら国道五十一号線までその道を走る。要所要所で渋滞に出くわすが、広い路肩をすり抜けてやり過ごす。
 国道五十一号線に入り、フェリーターミナルまであと数キロの所のコンビニの駐車場でバイクを止める。同行するカトちゃんの携帯に電話をしてみると、丁度バイクを止めたところらしく、話をすることが出来た。まだ美野里だと彼が言うのを聞き、四十分くらいだと見当をつけ、フェリーの中の夕食と朝食をそれぞれ買い込み、カトちゃんの到着を待つ。
 予想した時刻に、埼玉県の東松山からバイクを走らせてきたカトちゃんが駐車場に入ってくる。真新しいバイクと装備品が、新しい靴を履いて学校へ行くときの気恥ずかしさに似ていて、それを口元だけで笑ったのを彼は知らない。とはいえ、一方の俺のそれらは、明日の朝にも母親がゴミ箱に捨ててしまいそうな履き古して踵の潰れた靴のようで、足に馴染んでいるからと苦い言い訳をしたくなるような代物だった。

 結局、十六時丁度にフェリーターミナルに到着し、乗船手続きを済ませると、煙草を吹かして残りの長い時間を持て余す。十七時三十分にバイクの乗船が開始され、思っていたより長いその列にバイクを並べる。次々とバイクが船倉に飲み込まれて行くのを眺めていると、不意に携帯電話が鳴った。キムラくんからだ。ヘルメットを被っていたし、バイクの列が少しずつ進むので、とりあえず保留にしおく。
 ようやく俺とカトちゃんのバイクが船倉に固定され、長く急な階段を登って客室まで来たところで再度キムラくんからの着信。チケットに記載された客室内の指定の番号を探しつつ、電話に出る。どうも、ここまで見送りに来たらしい。
 諸事情により、彼は今回のツーリングに参加出来なかったし、俺もそれを認めるつもりはなかった。残酷な選択ではあったが、俺はそれまでの彼の言葉を信じたからこそそうした訳で、そこに何の迷いも無かった。無かったが、それでも今こうして出発しようとしている時に彼に会うのは辛かった。出発しようとする者とそうでない者。その間には、言い知れない何かが横たわっていた。
 通信状態が良く無く、電話は途中で切れてしまった。とりあえず荷物を置いて居住まいを落ち着け、煙草の吸える場所に移動してから彼の携帯を鳴らす。乗船口まで来られないか、と言うのでそこへ行ってみると、缶ビールのケースと乾き物の入ったビニール袋をぶら下げた彼がそこに居た。餞別だというそれらを受け取りつつ、彼の目を見ないままの余所余所しい態度で言葉をいくつか交わし、礼と別れを告げた。
 忘れ物を取りに船倉へ行っていたカトちゃんが戻ってきて、俺はキムラくんの来意を説明し、そのビールで乾杯をした。

 窓の外では、いつの間にか雨が降り出していた。


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