1999/8/31
BOYS IN THE SUMMER


 目覚めると、もう明るかった。テントの中から外を伺ってみると、まだ誰も起き出してはいないようだった。七時に起床することにしてあったが、まだ早いのだろう。時計も見ずに再び眠りに落ちた。
 再び目覚めて今度は時計を見てみると、七時少し前だった。潔くテントから這い出て、顔を洗うのと水を汲むために炊事場へ歩く。
 晴れていた。湖面を渡ってくる風が心地良い。山の早朝の空気というのは、本当に気持ちが良い。陳腐な表現かも知れないが、他に言葉を思いつかない。気持ち良いことの他に、今の自分に何か望むべきものがあるだろうか。いや、ない。

 テントに戻ると、タープの下で寝袋にくるまって寝ていた大盛り野郎が起きて煙草を吸っていた。寒かっただろうと聞くと、むしろ暑いくらいだったと言う。煙草をくわえながら、湯を沸かすためにコールマンのストーブに着火しているところへ、やーふると文ちゃんが起き出してきた。
 昨日のカレーの残りと、レトルトのハンバーグとパンとチーズで朝食を摂る。キャンプの朝食はこの程度が手軽で良い。あまり沢山量を食べるのも好きではない。食べた量と、撤収のために動きだすまでの時間は比例するからだ。連泊するつもりならそれでも良いが、今日はもう帰らなければならない。大盛り野郎がバイクを返却しなくてはならない時間の制約もある。九時にここを出発する予定で動かなければ。
 自分でそう言い出しておきながら、食後というのはどうしても動きが緩慢になる。というよりは、動きたくない。再び眠りに落ちるというのも、ナイスな選択だ。もう一泊しよう、などと戯れ言をぶちまけながら、それでもなんとか八時には撤収を始めた。我ながら大人になったな、と思う瞬間でもある。部員に言わせると、「部長は言うこととやることが一致しない」そうなのだが。
 撤収を始めた途端に、雨が落ちてきた。タープを撤収した後だったのだが、大きな木の下にキャンプしていたので、あまり濡れずに済んだ。そう、子供の頃はこういう風に木の下で雨宿りをしたんだっけ。懐かしいなぁ。
 九時を少し回ったところでバイクに荷物を積み終え、缶コーヒーと煙草で一服する。空はすっかり晴れ上がっている。今日は、高速道路を使わずに矢祭まで走って、鮎を食べようということになっていた。昨日とは逆に、文ちゃん、やーふる、大盛り野郎、俺の順で走り出す。

 大抵の場合ケツ持ちは文ちゃんの役目なのだが、一日部長ということで、文ちゃんに先頭を譲った。実はルート設定を彼に任せきりにしてしまったので、案内人という意味合いで先頭を走って貰ったのだが。
 普段は先頭を走ることが多いので、なかなか彼等の走りを見る機会がないのだが、今日は隊列の一番最後から、彼等のライディングスタイルをじっくりと眺めた。
 文ちゃんの走りは俺と対極にある。コーナー手前できっちりブレーキングを終わらせ、クリッピングポイントを手前に取って、定常円旋回のようにアクセルをパーシャルにし、一定のバンク角を保ったまま、スムースに抜けていく。
 やーふるの走りも文ちゃんに近いが、コーナー手前で減速し過ぎだ。まぁ彼なりに安全マージンを取って走っているのだろう。たまに、コーナーのRを見誤って反対車線に飛び出したりもするが……。
 大盛り野郎はどちらかと言えば俺に近いスタイルで、コーナーの奥にクリッピングポイントを取っているようだ。ただ、俺のようにブレーキを引きずるようなことはなく、奥に取ったクリッピングポイント手前でブレーキングを終わらせ、一気にバイクを寝かせて、アクセルを開けながら立ち上がっていく。
 立ち上がっていく大盛り野郎のバイクのマフラーから、黒煙が吹き出している。彼の話では、バイクを借りて高速道路に乗ってから気づいたのだそうだが、四千回転くらいでエンジンがもごもごと息をつき、吹け上がらないらしい。五千回転以上回すか、四千回転以下で走っている分には問題ないのだが、加速しようとする度にエンジンが咳き込み、どうにもならなかったと言う。そのせいだろう、燃費も最悪で、リッター当たり十キロほどしか走らないらしい。満タンで百五十キロほどしか走らないので、ガス欠に脅えながらの道中だったそうだ。
 エンジンが四千回転あたりにさしかかる度に、マフラーからディーゼルエンジン車のような黒煙がもうもうと吹き出す。後ろを走っていると、その生ガスを含んだ黒煙を吸い込む羽目になる。なるべく距離を取りながら走るのだが、それでも何度か直撃をくらってしまった。
 レンタカーなら何度か借りたことがあるので、大体の程度は予想がつくのだが、バイクのレンタルというのは初めてなので、どの程度のものが借りられるか判らなかった。でもまさかこんな整備不良車に当たるとは、大盛り野郎も思ってもみなかっただろう。チェーンも錆びているし、タイアも丸坊主だ。外装パーツだけはピカピカだが、肝心の駆動系がこれでは話にならない。とてもじゃないが、こんな店でバイクを買う気にはならない。貸し出すバイクの整備状態=整備士の腕であることくらい、誰にでも容易に想像がつきそうなものだし、販売にも影響すると思うのだが。
 まぁ、もう二度と借りることはないだろう。その店でバイクを買うこともないだろうし。

 四九号線との交差点まで戻り、会津若松方面へ右折する。市街地を避けるためにバイパスを通り、猪苗代湖の手前で二九四号線に入る。前回もこの道を走ったが、とにかく快適な道だ。山の緑と、稲穂の黄緑色と、空の青と、雲の白と。少し上を向いて構図を決めてみる。淡いブルーのカンバスに、自分自身の影で陰影をつけた白く大きな入道雲を張り付けて、小高く濃い緑で覆われた山々を置き、うっすらと黄金色に色づき始めた稲穂を散らしてみる。そこへ少しだけカーブした道路を引くと、そこには、黒々とした影をアスファルトに焼き付けながら、バイクで走る夏の少年達がいた。陽炎の向こうで頼りなげに揺れながら遠ざかる少年の日を、追いかける俺がいた。

 須賀川の辺りまで降りてくると、それまでの涼しさが嘘のように蒸し暑い。空気が熱く重く、酷く息苦しくなってくる。さっきからずっと、大きな雨雲を追いかけながら走っているのが不安だ。棚倉のあたりまで来ると、空は晴れているのだが雨が通った後らしく、路面が水浸しになっている。それが延々と十キロほども続いて、これまで晴れ男大盛り野郎のおかげで、雨男文ちゃん&や〜ふるにも負けず、なんとか合羽を着るほどの雨には出くわさなかったのだが、ここへきて、前の車が跳ね上げる水しぶきで濡れてしまった。大盛り野郎の神通力も、どうやら下から降ってくる雨には効果が無いようだ。
 午後十二時半に矢祭に到着し、鮎の塩焼きを食べさせる、何軒も軒を連ねた古びた店のひとつに入る。店に入った途端に空が真っ暗になり、大粒の雨がアスファルトを叩き始めた。またもや晴れ男大盛り野郎のおかげで濡れなくて済んだ。ここまで来ると、大盛り野郎が晴れ男だということを、誰もが認めざるを得ないだろう。それにくわえて、文ちゃんとやーふるが雨男だということも。とにかく、大盛り野郎と一緒に行動すると雨に濡れない、という伝説は間違いがないようだ。
 鮎の塩焼きと巨大なつくねを一本ずつ食べて、それからそばやらうどんやらを一杯ずつ食べ、みんなから五千円ずつ集めたお金が、まだあと六千円以上残っているとやーふるが言うので、さらにつくねと焼き饅頭を追加注文した。それでもまだお金が余ったので、部費として、次回のツーリングに回すことにした。しかしよく喰うな、みんな。一時間半ほどで店を出ると、また見事に晴れていた。

 大盛り野郎がバイクを返却する時間も決まっていたし、やーふるは帰り道が長いので、彼等二人は那珂ICから常磐道を使って帰ることになった。俺と文ちゃんは、岩間の茶屋で栗蒸羊羹を購入するつもりでいたので、そのまま下道を走って帰ることにしていた。那珂ICの少し手前で大盛り野郎とやーふると別れ、一二三号線へと向かう。
 相変わらず暑い。国道五〇号線を横断するところで渋滞していて、汗がどっと噴き出す。ヘルメットの内側を汗が伝う。三五五号線に入り、間もなく目的の茶屋に到着する。砂利敷きの駐車場にバイクを停めて、上着を脱いで、良く手入れされた庭を通り抜け、厳めしく年代物の木戸を開けて店内に入る。薄汚れたシャツにジーンズ姿では気恥ずかしいほどに上品な佇まいの店内で、お目当ての栗蒸羊羹を探す。が、それが置かれている筈の場所には、「新栗が出るまでもう暫くお待ち下さい」との紙が貼られていた。どうやら季節が少しだけ早かったらしい。残念だった。
 この茶屋の栗蒸羊羹は絶品である。らしい。俺の場合、甘いモノが苦手なので、他の栗蒸羊羹の味を知らないのだ。だから、それが旨いモノだと知ってはいても、他のモノに較べてどうか、と問われても答えようがないのだ。まぁしかし甘党の文ちゃんが旨いというのだから、きっと間違いないのだろう。抹茶とともに食すと、さらに引き立つモノであるようだ。
 そこでがっくりときた俺達は、結局、岩間ICから常磐道を使って帰ることにした。柏ICまで行く文ちゃんと桜土浦ICで別れ、家へと向かう。押し寄せる暑さに耐えかねて、車の間をすり抜けながら帰り着いた。キーを捻ってエンジンを止め、空を見上げると、空は高くどこまでも晴れ渡っていた。ヘルメットを脱ぐと、夏の終わりを告げる涼しい風が、汗で濡れた俺の髪を撫でていった。


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