過去の魂(2003/11)


2003/11/30(Sun)

 うかつにも明日から十二月であったのだ。あーこりゃこりゃ。

 突然だが、昨日はフットサルの練習試合だったのだ。実は、仕事仲間で作ったフットサルチームの監督(自称)でもあるのだ。監督(自称)なのだけれども、ちゃんと試合にも出るのであった。まぁそんな訳で筋肉痛がっ。雨で寒かったし。

 そうそう、バンド。スタジオにも行かないと。大丈夫なのか小川2号。

2003/11/23(Sun)

 ポロが帰ってきた。
 修理費用は結局十七万円也。パーツ代が十万円で工賃が七万円。中華街東門の入り口近くにあるDUOに預けていたんだけど、さすがに気の毒に思われたのか、一万八千円ほど値引きして貰った。SOHCで良かったよ。
 イリジウムプラグの効果は体感出来るくらいに良い。良いんじゃないかな、と思う反面ヘッド回りをオーバーホールしたんでそっちの効果もあるのかな、と。三千回転を越えたあたりから(レッドは五千五百から)良い感じでフケていくのが気持ち良い。普通にアクセルを踏んでいくと知らぬ間にとんでもないスピードが出ていて焦る。というより、アイドリングが安定したのが一番大きいかな。心なしか音も静かになった。
 実はポロを修理している間、我が家の車全てを全面的に任せている地元の工場からタダでホンダのLOGOを借りて乗っていたのだけれど、機関部に関してはもう断然(ポロよりも)こっちの方が出来が良くて、つくづく日本の車は良く出来ているな、と思った訳。ただし、質感に関してはポロの方が上。ステアリング、シート、内装に加え、ボディ剛性であるとか足回りなんかは明らかにポロの方が良い。で、ふと考えたのだけれど、もしもポロにホンダのエンジン、ミッション、デフを乗せたらどうなのかな、と。そんな車が日本で売れるだろうか、と。個人的にはそんな車があったら欲しいなー。無論、新車では買わないのだけれど。

 ストラトタイプのギターが欲しくなり、今日も楽器屋へ足を運ぶ。でも、ストラトを見に来た筈なのに何故かギブソンのSGに目が留まる。以外に安いんだね、SGって。ま、今日は見に行っただけ。

2003/11/20(Thu)

 そうそうそういえば、セリカのエンジンオイルを交換したのだけれど、最近のオイルのAPI規格っつーのは「SL」までいっちゃってるぞ。しかも、現行のグレードは「SH」「SJ」「SL」で、何故か「SI」と「SK」が飛んでる。何故か。まぁ、どーでも良いけど。
 当然、「SL」グレードにしたのだけれど、やはりオイル換えたてはエンジンの回り方が気持ち良いやね。

 ようやく週末にポロの修理が完了するらしい。イリジウムプラグの効果やいかに。

 そろそろルータを買い換えたいなぁ。つか、なんか毎年ルータを買い換えているような……。

2003/11/16(Sun)

 月にせよ火星にせよ、それらを撮影した画像というのはなぜこんなにも不気味なんでしょう。
 小学生の頃、初めて天体望遠鏡で月を見たときからずっと、その感じは変わっていないのだけれども。

2003/11/9(Sun)

 「マトリックス・レボリューションズ」を観てきた。
 どうなんすかね。消化不良です。最初の作品から全部通して観ないとなんとも。でも、観たとしても理解できない部分が多いんじゃないかな、と。唐突に色々な事が起こるのと意図不明なシーンが多いのが腑に落ちなくて。つか、「マトリックス・リローデッド」は途中で寝てしまったしな。ま、そーゆー映画なんでしょう。

 最近成田のショッピング・センター内にある楽器屋へ足繁く通っているんだけど、どうやら顔を覚えられてしまっているらしい。嬉しいやら恥ずかしいやら。
 今日は子供用の小さいサイズのアコースティック・ギター(スチール弦)を買ったのだけれど、安かろう悪かろうという感じで、これは失敗だった。とにかくピッチが滅茶苦茶でどうにもならん。よく見るとブリッジがオフセットされておらず、これでは当然の結果だ。ま、ソフトケース付きで四千九百八十円なんて値段はおもちゃ以外の何者でもないか。どうでも良いと思っていたにせよ、指弾くらいすれば良かった。
 子供らが続けられるようならちゃんとしたのを買ってやろうと思っていたのだが、このままこれを使い続けると音感に影響が出そうなので、後日きちんとしたものを買い与えることにする。モーリスのL-A1なんて良いなぁ。

2003/11/4(Tue)

 ジョルジォ・デ・キリコ(Giorgio De Chirico 1888-1978)という画家をご存じだろうか。ツルンとした顔のないマネキンや夕暮れ時(のように見える)の広場の古代ギリシャ風神殿など、それを見れば、あぁあれがそうなのか、と気がつく人もいるかも知れない。
 なぜ突然こんなことを言い出したかというと、自らの作品を「形而上絵画」であると定義付けたキリコのこんな言葉を思い出したから。
「……あらゆる事物には二つの姿がある。つまり一つはわれわれが殆どいつも眼にするもので、もう一つは洞察力と形而上的な観察のある瞬間に、ある稀有な個人だけが眼にすることのできるものである。
 ……形而上絵画は一見平穏である。ただし、それはその同じ平穏さの中に再び何かが起こるに違いないという印象を与える。完全に静まりかえった大洋の平らな表面が我々を不安にさせるのは、我々と海底の間にある何キロメートルもの距離の観念のためというよりは、その底に隠されているあらゆる未知のもの故にである。
 ……都市、建物、広場、庭、玄関、鉄道の駅、そういった全ての建造物は、一つの偉大な形而上学的美学の基本的な原理を我々に提供する。我々はいつも形而上的な記号の下で生きているのだ……」
 例えばここにある建物を写した一枚の写真があったとしよう。これはある建物のある瞬間を切り取ったものに過ぎない。この後この建物はテロによって破壊されてしまったかも知れないし、過去にこの建物の中で新しい命が誕生したこともあったかも知れない。この写真からそれらを伺い知ることは出来ないが、想像することはできる。この写真を見ている時点ですでにその瞬間の前後の出来事は過去である訳だから、ひょっとしたら資料やネットを探せばそれを知ることが出来るかも知れない。
 いずれにせよ、この写真はその建物の本質を伝えてはいない。伝えているのは、ある瞬間のその建物の目に見える(記号化された)特質だけである。そしてこの建物の本質は、それらを形成している建材の分子構造あるいは結合、そしてその上位に存在する多くの技術の適用とそれら全てを構築するのに使われたエネルギーの総量及び時間であり、そこで行われた全ての事象である。これを要約すると例えば、「住居用木造アパート築二十年」などという酷く抽象的な表現になる。

 引き出しの奥から出てきた一枚の写真。他の誰かがそれを見たとしても、抽象的な表現でしか語れない記号化された一枚の写真。だけど、自分だけがその前後に起こった出来事を知っている。そしてそれは二十数年前の切ない想い出を呼び起こす。そんな夜もある。

2003/11/2(Sun)

 さらにポロ続報。
 ウォーターポンプも交換することに。果たしていつ、手元に戻ってくるのやら。
 つくづく手の掛かる車だなぁと思いつつ、こうやってこの車の性格というか扱い方を覚えていくのだと考えればまぁそんなに悪いことではないのかな。もっとも俺の場合、どうしてもこの車が欲しかったという訳ではなく、乗り換える車を探していたらたまたま友人から話を持ちかけられ、試乗するつもりで借りてきたら俺よりも家族に好評だったのでそのまま買い取って乗り続けているだけなのだけれどね。そうして日常的に乗るようになってようやく、「ポロってなかなか良いな(他のドイツ車がどうかは知らない)」と思い始めたところでこの事態。
 復調したポロに乗ったらまた違う感想を持つかも知れない。

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