第15題朝高生を襲撃する「右翼的」高校生

朝鮮高校生(朝高生)と日本の高校生との抗争については、まとまった資料やデータというのは見たことがない。しかし、七〇年代後半の東京における朝高生と国士舘高校生との抗争はすさまじく、新聞にも報道されたことがあった。国士舘という右翼的体質からして朝鮮への敵対・差別感情があって朝高生を襲撃し、対して朝高生が自衛したのだと解説する人がいたが、実態はそんなに単純なものではなかった。

東京にいた人の話では、朝高生のゴンタクレの戦闘力にはすごいものがあり、ほぼ東京中の高校を陥落させ、唯一これに対抗できたのが国士舘高校のゴンタクレだったというのである。朝高生のゴンタクレは、ゴンタクレ同士のケンカだけでなく、山の手線の車両を占拠して、誰も入らせないよう見張りを出し、中で飲酒・タバコ・博打をするという傍若無人な振舞いを繰り返し、また日本の高校の一般生徒へ暴行・恐喝をも引き起こした。日本の高校のゴンタクレも朝鮮高校の一般生徒への襲撃を行ない、朝高のバッジをどれだけ奪ったかを自慢の種としたという。

こういった類の話は東京だけでなく、規模は小さいが大阪でも神戸でも起こっている。朝高のゴンタクレから恐喝を受けた日本の高校生の朝鮮人への悪感情は、体験に基づくものだけに非常に強固なものがあり、十数年たって三十代になってもその感情は消えていない。私の周辺でもこの体験を語る人が意外と多い。おそらく、死ぬまで悪感情は消えず、こそこそと差別発言を繰り返していくことであろう。

一方の朝高のゴンタクレの方だが、残念ながらこれまでそういう人と出会ったことがない。大人になった彼らが当時のことを振り返って、今どう思っているのか聞きたいと思っているが、チャンスがなかった。ゴンタクレでない一般の朝鮮高校出身者は出会ったことはあるが、そういう子もいるねえ、という反応で、日本の高校においてゴンタクレを見る一般生徒と大きくは違わなかった。

一部の日本の高校では、授業で古代から現代に至るまでの日朝関係の歴史を教えたりして、民族差別をしない、仲良くしよう、とする取り組みをしたが、実際に朝高生と抗争を繰り返している生徒や、恐喝を受けた生徒からは、豊臣秀吉や明治以降の侵略の歴史(日本人がどれだけ酷いことをしたか)を教えても、「ようやった、なぜもっとやっつけなかったのか」とか「きのう駅でカツアゲをされた、そんな朝高生となぜ仲良くできるのか」などと反論され、それまでの取り組みは全くの徒労に終わった、こんな話を聞いたことがある。非常にリアリティのある話だったので、印象に残っている。

日本と朝鮮のゴンタクレが大きくなって、当時のケンカの思い出を笑いながら話できるようになればいいのにと思うが、当分はむずかしい。

 

(追記)

 これは、第13題「闇市と『第三国人神話』」の続きです。趣旨からはずれると思ってカットしたのですが、日本人の対朝鮮人意識を形成した要因の一つとして目をそむけてはならない事柄なので、思い直してここに追加で再録しました。

 「ゴンタクレ」はおそらく関西方面の方言ではないかと思います。「ゴンタ」は辞書にある通り「いたずらで手におえぬ子供。わるもの。ごろつき」という意味で、「クレ」は「端くれ」の「くれ」と同じで接尾辞でしょう。この言葉は近頃の若い人からほとんど聞かなくなりました。

 朝高生と日本の高校生との抗争も、近年は聞かなくなりました。落ち着いた付き合いとなっていれば良いのですが、いかがなものでしょうか。

 

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