ポンチョ

子供の頃カステラ屋に奉公に出されていた父はその後なぜか船員になり、
そこに生まれた私は、異国みやげに囲まれて育つことになった。
中には役にたったり美味しいものもあったが、多くの場合それらは日本の生活や家屋になじまなかった。
その中で最も強烈な思い出として残っているのが「ポンチョ」だ。
私が小学校低学年で弟が幼稚園の冬、父が南米から帰ってきた。
その時のお土産がポンチョだった。
弟のはグレーに大きな赤い格子、私のは目の覚めるような水色で
どちらも子供にもよい素材とわかる何かの毛で出来ており暖かい。
久しぶりに会った父に有り難う、とか、言った、と思う。
問題はその後だった。
いつものように学校に行こうとすると、母がポンチョを着てゆけというのだ。
えっ? と思ったが、子供なので感じる違和感を言葉にすることができない。
エスニックな店など存在せず、服の色も今ほどカラフルでなかった時代、
外国の青空の色をした、袖のないトックリと毛布の合体したようなその物体は
通学路に全くなじまなかった。おまけに名前がポンチョだ。なんだそれ。
何かいやだという訴えと、お父さんが買ってきてくれはったのにという意見のやりとりの揚げ句、
次の年には寒いとか言ってなんとか着ないでやりすごしたと思うけれど、つらい冬だった。

弟は幼稚園だったので、通学にポンチョを着ていく難からは逃れたのだが、
実は彼にはソンブレロもあったのだった。
子供ながらに、お出かけにソンブレロはどうかと思う、と言った記憶がある。

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