カステラ

「私は、カステラを焼きます」

ある日突然父が宣言した時は、家族全員がぶったまげた。きいてみれば父は、子供の頃弟と一緒に長崎のカステラ屋に奉公に出されていた事があるらしく、何十年もたって突然、その事を思い出したらしい。といっても、掃除機が近づいて来た時だけかすかに動くのを見たことがあるような、ほんとーに何もしない父だったので、家族全員が耳を疑った。

案の定、次の日から「カステラを焼く為の木わく用の木材やパラフィン紙」を買いに行ったり、「家庭には絶対必要ないサイズの大きなボールや泡立て器」をあちこち回って調達することになったのは母だったが、ともかく準備万端ととのって、父はノコギリを持って木枠を作りはじめ、カステラ作りも始まった。

木枠のサイズや材料の分量など、父が覚えていたのかカンだったのかは、わからない。ただ、皆が驚いたのは、大きなボールの中で大きな泡立て器を使って材料を混ぜる、父の手つきだった。「さくっ、さくっ、さくっ」。その動きは、職人だった。ガスレンジの火もつけられない、と思っていた父が、職人の手つきで小麦粉と砂糖と卵を混ぜている。家族全員頭を混乱させながら、ぼう然とそれを眺めていた。

うまく膨らまないとか、何回かの失敗を繰り返して父が思い出したカステラは、とてもおいしかったと記憶している。しばらくはずうっとカステラを食べていた気もするが、父も満足したのか、そのあたりで記憶は途切れていて、今は木わくも実家のどこかに眠っているのだろう。

この話はここまででオチはないんだけど(必要なものでもないか)、福岡に行った時に思い出して話したらウケたので、書いてみました。
「いーい話ねー」
「そんなにうまかとやったら、お父さんのいっとった店は福砂屋やろう。そうに違いなか。」
「福砂屋は長崎の本店で買うと味が違う。旨い。」
 、、、云々。
 福岡の夜が更けていきました。

書いてて思ったのですが、ボールも泡立て器も、職人用の大きいやつでなくてもいいんですよね。でもきっと、それだと作れなかったんだろうなあ。


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