あんなまずいスパゲティが存在するとは知らなかった。

その日曜、喫茶店のイタスパ好きの私は、どうしても人のつくった、うどんのようなケチャップ味のそれが食べたくて、自宅近くをさまよっていた。もともとスパゲティのある喫茶店の少ない土地柄に加え、日曜定休の店が多い。自転車で少し足をのばしても空振りで、仕方ないどうしても茹で方が甘く(固く)なってしまうが自分で作るか、と決心しスーパーに向かったその時、禁断のその店が視界に入ったのだった。

それは、スーパー隣にある欧風懐石・家庭料理の店。欧風とあるがどう見てもさえない喫茶店の外観で、かつて日替わりボードに「さしみ定食」の文字を見たことがある。危険だ。近所の危なそうな店はことごとく制覇している私もさすがにここだけは避けていた。大体客が入っているのを一度も見たことがない。私の日課はスーパーの行き帰り、その店に「今日も誰もいない」事を確かめることですらあった。

しかしその日は、魔が差した。
根拠なくイタリアンスパゲティが必ずある気がしたこと、とりあえず人の作ったものが食べたかったこと、まずくてもその店に入った勇気を少なくともフナトさんは讚えてくれるだろうと思ったことから、足を踏み入れたのだった。

暗い店内。湿った空気。そして出たーっ、我がまちの怪し系飲食店の必須アイテム3段カラーボックスと週刊誌。予想通りの内装だ。対照的に厨房には大小様々の高そうなフライパンや鍋が十数個も並んでいる。全てピカピカ。使わないのか、客が来ないので使えないのか。

メニューを開く。た、高い。一品が千五百円くらいのものばかりで、驚く。なんて度胸だ。
一番安いのがスパゲティ900円。高いよ。この町でこの店でスパゲティ900円は高すぎるよおじさん。

スパゲティは3種類。フランス、イタリア、ロシア。なんなんだロシアって。
イタリアはトマト、フランスは牛乳だろうと予測できたのでロシアを尋ねると魚介ということであった。とりあえず初志貫徹でイタリア風を頼む。

そしてそれは、運ばれてきた。
四角い盆の上にスパゲティの皿と「おてもと」。なるほどこれが欧風懐石ですねってまちごうとるでおっちゃん。足下をみれば先人の「おてもと」の袋が落ちており食べる前からはやくも後悔。そして、、、

ま、まずい。
ありえないまずさである。以下、食材を列記するので味は想像していただきたい。
スパゲティ(うどん状)/トマト水煮缶/たまねぎ(櫛切り)/ピーマン(櫛切り)/マッシュルーム水煮缶(汁ごと)/ブタ薄切り肉8枚(切らない)/甘い卵焼き5切れ/塩/サラダ油/以上。
これをぬるーく、ゆるーく、和えてあるのだ。

おっちゃんはにんにくを知らないと思う。おっちゃんはオリーブオイルなんぞきいたこともないと思う。コショウも知らないかもしれない。というか、スパゲティ見たことあんのんか。もはや日本料理とよんでもよい程ポピュラーなこの料理を、ここまで「聞きかじった異国の料理」として出すことのできるシェフ(おっちゃん)がいたとは。「まずい」が味付け方向からでなく「間違い」方向からやってくるとは。恐れ入った。食べ物を残すのが嫌いな私は、ほとんど涙目で完食した。完食と同時に有森裕子の「自分で自分を褒めたい」という言葉が浮かび、そんな自分に一層テンションが下った。

その日はフナトさんも朝まで帰って来ず、件のスパゲティが胃と頭の両方で消化されるのを、ひとりじっと待つ夜であった。
                         ※ちなみにその店、同じ店名と外観で現在は「カフェ」です

まずい店その後                                        

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