











「最も大切なもの」 

(住宅金融債権管理機構社長、弁護士 中坊 公平 記)
{平成11年1月27日の中日新聞の夕刊のコラム欄から転載}














人生で最も大切なものは何かと問われたら、「楽しい想い出である」と答
えたい。それはこんな経験があるからだ。
1976年11月、父が亡くなった。その一週間ほど前、私はいつものよ
うに入院先の病床に父を見舞っていた。父は既に心筋梗塞の末期で酸素テン
トの中に入っており、静かに目を閉じて眠っているように見えた。覗き込む
ように父の顔を見ていると、突然父が「うふふ」と笑いをもらしていた。
どうしたのだろうと訝るよりはやく父は目を開いて、「お父チャンは寝て
たんか」と自分のことを尋ねた。「ウン、お父チャン眠ってたわ。それにお
父チャンなんでか笑うてたで」と答えた。そうすると父は嬉しそうに語りか
けた。「公平、お父チャンは今、夢を見てたんやなあ。祇園の大きい広間で
なあ、時千代や清勇もおって、一緒に遊んでいたんや。おもろかったなあ」。
半年ほど前に母に先立たれていた父は、母から叱られることもないと思っ
たか、慣れ親しんでいた芸妓の名前を挙げながら笑い続けていた。














この時初めて、私は人生で最も大切なものは楽しい想い出ではなかろうか
と考えた。死の床にある人を笑わせ、喜ばせるもの、それは金でもなければ
勲章でもない。それは自分の心の中にある想い出だけなのだ。食事ができな
くなっても、足腰が立たなくなっても、想い出だけは頭に浮かび、そして人
を笑わせてくれる。おそらく死を前にして目を閉じれば幼い頃からの楽しい
想い出が走馬灯のように次から次へと頭に浮かんでくるに相違ない。
この世からあの世に持って行けるもの、それは楽しい想い出だけなのだ。
これは死を現実のものとしてとらえた時の一つの見方ではなかろうか。















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