隊員報告書5号


4.今後の協力の見通し

4-1 様々な可能性

 農業学校の存続は、このままでは厳しいだろう。新入生は毎年減少を続けており、2001年秋の新入生は2年前の半数である。
 その中にあって、畜牧獣医科だけは前年並みの学生数を維持している。おそらく、農業学校が生き残っている間は獣医科も生き残っているだろう。野菜などに比べて肉類は高値で売れるため、人気もあるのだと思う。豚は移出産業のようだし、鶏やアヒルは地元でよく食べられている。また牛乳も現在学校で生産している分はほぼ完売している。
 その獣医科も、やはり教育内容の転換は必要だ。大学と同じ物を目指しても無理なのだから、専門知識などよりも基本的な作業をきちんとできることが大事だろう。開腹手術ができなくても体温が測れればいいではないか。少なくとも、逆よりは。

 ここまで書いてきたことと矛盾するようではあるが、私はこの国に、そしてこの地域に(この学校にも)協力隊員を派遣する意義はあると考えている。知識や技術の面ではなく「外の視点」として。
 中国は今、あらゆる部門で急成長を続けている。この成長は、周囲から人・物・金を吸い上げて、逆に廃棄物を周囲に垂れ流す事で実現しているように思う。この波が沿海部から内陸へ、大都市から地方へと波及するのに伴い、吸い上げも垂れ流しも増えているのではないか。
 広い国土と世界一の人口に恵まれた国だから、地力を吸い尽くすのも廃棄物が許容量を超えてあふれ出すのも、まだ先のことかもしれない。だからこそ今のうちに、吸い尽くさずあふれさせない体質への転換が必要だ。地力を保つよう畑には施肥と土壌改良をし、廃棄物はきちんと処理してできれば再利用する。狭い国土でやりくりしている日本の経験は、一部は手本として、一部は反面教師として参考になるはずだ。
 農山村の教育・生活レベルの向上や環境保全など、中国政府も進めていることであるが、地方の視線が上にばかり向いていて自らの足下に向いていないような。そこで……協力隊員には荷が重いだろうか。

4-2 手術と体温計

 私は中国語で話す能力の問題から自分の授業という物は持っておらず、中国人教師の授業のアシスタントをしている。
 で、2年生の外科手術の実習に行ったときのことである。その日の課題は牛の第一胃切開だった。腹壁の何層もの筋肉を切り開く面倒な手術であり、第一胃は細菌の培養槽であるから多数の細菌や原生動物などを含む胃内容を牛の体の中にこぼしたりしてはいけないという気を使う手術でもある。
 その手術のやり方にも多くの改善すべきと思われる点があったのだが、ここでは触れない。その実験台にされた牛は2か月後の今も生きて(1年前にも実験台にされてちゃんと1年生き延びて)いるのだから、あれはあれでよかったんだろう。
 ここで書こうとしている本題は別のところにあるのだ。

 さて、先に「アシスタントをしている」と書いた。百色農業学校の獣医科は1クラスに四十数人の学生がおり、1クラスを更に半分に分けても二十人以上。牛一頭と教師一人では、半分くらいの学生には何も見えない。そのあぶれた学生を芸や雑談で引き留めておくのがアシスタントの役割である。本当は小講義でもできればいいのだが、それは難しいのだ。
 で、この時は体温計を持って行った。牛や各自の体温を測って時間をつぶしてもらおうというわけだ。これは割と好評で、みんなで牛や自分や友達の体温を測っていたのである……が、ここで思わぬ事態が。牛の直腸や人の腋下に体温計を入れるのは問題ないのだが、それを取り出した後、ほとんどの学生が……いや、一人残らず、体温計の目盛りが読めなかったのである。
 使ったのは、日本の家庭の救急箱には必ず入っている水銀体温計(最近は電子式が主流なのかな)である。ご存知の通り、水銀体温計は角度を合わせないと水銀がどこまで伸びたか見えないので、読みとるのには少しコツがいる。そのコツを学生達は知らなかったわけだ。これはつまり、体温計を使ったことがないということである。
 日本の家庭なら救急箱に体温計が入っていて、風邪をひけば熱を測り、それを見て学校を休むかどうか、診療所へ行くか等を考えるのはごく一般的なことだと思う。私の行きつけの診療所は待合室に体温計があり、診察を待っている間に自分で検温をするようになってもいた。従って、私は体温計は自分で読めて当然と思っていた。
 ところが、この学校の学生達は違ったわけだ。彼らの家庭には体温計はなく、自分で体温を測る機会はなかったのだ。これは私にとって衝撃の事実であった。2年近くも中国にいて、すっかり馴染んだつもりになっていたが、実はまだまだ自分の(日本の)常識がそのまま常識として通用するものと思い込んでいる部分があったと反省させられた次第である。

 ここで反省ついでに思いついたことがある。中国の家庭への体温計の普及事業をやってみたらどうだろう。中国製体温計は非常に安価で、大々的に配っても費用はそれほどかからないはずだ。それでいて自身の体を知る手がかりとなり、健康への関心・意識の向上に役立つのではなかろうか。保健衛生分野、特に、病院ではなく村や郷での活動として、いかがでしょう。
 理科(生物学)の関連分野の人間として、「熱がある」「高熱がある」「熱はない」というような主観的な判断から、「熱が何度ある」という客観的な数値への転換も、ついでに広まらないかなと思ったりするのだった。
 体温計を使えるようになる前に開腹手術をしてしまうというカリキュラムにも疑問を感じるのだが


乳牛の写真

写真 外部向けの資料や看板には共進会で賞でも取るんじゃないかと思うような立派な牛の写真を載せているが、実際に飼われているのはこんな牛である。
ウソはイカンよウソは。


体温計を見る私と学生

写真 実習にて。
体温計を見る私と学生。


頚静脈に針を刺す学生

写真 実習にて2。牛の頚静脈に針を刺そうとする学生。
地元役用種のこの牛は、この大きさで成牛である。