2025.01.24

『西洋の敗北』 エマニュエル・トッド(文芸春秋)

    概要については、ネット上で多くの書評が見つかるので、書かない。単純化すれば、親ロシア、反英米の主張である。だから、英語訳が出版されていないらしい。ともかく、読みとおすのに随分と日数がかかってしまった。因果関係をやや強引に主張しているようにも思えるのだが、それよりも、僕にとって最も消化しにくかったことは、彼の家族・共同体の類型論である。

    戦後教育の中で、日本の家父長制と封建制は絶えざる批判に晒されていて、ここでいう狭義の西洋(イギリス、アメリカ、フランス)における個人主義(子供は家族を離れてそれぞれが自立する核家族構造)が称揚されてきたからであり、僕もそれには大きな影響を受けている。しかし、彼の意見では、ドイツを典型とする家父長制(直系家族構造)やロシア・中国における兄弟間の平等を旨とする共同体家族構造には、社会の秩序維持機能や倫理観の醸成が容易という利点がある。狭義の西洋(英米)において、その秩序維持機能や倫理観を代替してきたのはキリスト教プロテスタンティズムであるが、いまやそれが崩壊しつつある、と言う。

    歴史的に形成されてきた民族の感受性や社会意識(倫理)は一朝一夕には変えられないし、個人の自由という観点からは理不尽に思えても、社会としての安定化には寄与している。トッド氏はその側面を、学者らしく、一歩引いて俯瞰的に眺めている。だから、竹内啓氏がいうように近代化のめざす「人権、自由、科学的合理性」が普遍的価値として認められるとしても、それを社会全体で認め合う為の倫理としては、たとえ古びたものであっても、新しい普遍的な倫理観が出来ていない以上は、今あるものが大切なのだ、という主張として受け止めたいと思う。

    それにしても、戦争というのは、お互いの意図を越えてちょっとした偶然や気まぐれから巻き込まれてしまうものなのだ、と思った。一応戦争に至った経緯をまとめておく。

・もともとウクライナはロシアに比べて個人主義的な傾向を持っていた。宗教もカトリックの影響を受けている。ソ連に取り込まれてから、スターリンの農業政策の犠牲になったりしたし、ドイツのロシア侵攻ではドイツに寝返ったりしていた。ユダヤ人迫害もあった。ただ、第二次世界大戦後は、東部に工業地帯が作られて軍事産業の中心として栄えた。ウクライナ語は西部農村地帯に生きていたが、知識階級の言語はロシア語だったから、ロシアはウクライナが親ロシアに留まることを疑わず、独立を認めた。ユダヤ人達は知識階級の主力であったが、ソ連が崩壊した時に国外に逃げ出した(イスラエルに移住)。その後プーチンによってロシアが安定を取り戻すと、ロシア語を話す知識階級はロシアに移住して、ウクライナ国内でのロシア系の政治勢力が弱まり、西部ウクライナとのバランスが崩れてきた。

・こういう歴史的背景があって、オレンジ革命(2004-05年)、マイダン革命(2014年)によって、親ロシア政権が倒されて、EU 加盟を目指すことになったのだが、東部工業地帯はロシアとの結びつきが強いために反乱が続いていた。ロシアはクリミアに海軍基地を持っていたので、とりあえずクリミアを併合し、2015年にミンスク合意を得たのだが、東部での戦闘は収まらなかった。その間にロシアは経済制裁下で産業の自立化と決済システムの強化を行い、ウクライナにはアメリカが入り込んで近代戦のやり方が浸透していた。双方で戦争の準備が整った。

・2022年ロシアは首都キーウを制圧して親ロ政権を樹立しようとしたのだが、失敗した。アメリカは早くからこの事態を予測していて、ロシアの侵攻に対してゼレンスキーの国外亡命を促したのだが、彼は拒否した。ロシア抵抗されることを予期していなかったために、無様な撤退を余儀なくされて、その代りに東部と南部に軍事的圧力をかけて、本格的な戦争状態となった。西欧側にとって当面の経済的合理性だけから言えばウクライナを見捨てるという選択肢もあるのだが、それは政治的な敗北を認めることになる(世界の西欧中心秩序の崩壊に繋がると考える)から、アメリカも、それに引き込まれた西欧も引き下がることができない。

    以下は読書メモである。(日本ではキリスト教の伝統が殆ど無いので、当てはまらない部分が多いことには注意した方がよい。)

序章 戦争に関する10の驚き

1.ヨーロッパで戦争が起きた。
2.アメリカとロシアが敵対している。
3.ウクライナの軍事的抵抗
4.ロシアの経済面での抵抗力
5.ヨーロッパが主体的意思を失った。
6.イギリスが反ロシア派として台頭
7.スカンジナビア半島の好戦化
8.アメリカの戦争継続能力の弱さ
9.西洋の思想的孤立
10.西洋の敗北(自壊)

第1章 ロシアの安定

・プーチンによるロシアの安定化
    指標として、道徳統計乳児死亡率の低下がある。
・2014年ミンスク合意によって、準備されたもの
    SWIFT に替わるシステム NSPK(独自の決済システム)
    小麦生産量増加
    制裁は保護主義と同じ効果(国内産業の発展)をもたらした。
プーチンの権威主義的民主主義
    選挙には多少の不正があるが、大衆の支持を重視している。
    市場経済を重視している(計画経済の失敗を教訓とした)
    反ユダヤ主義がなくなった
    出入国の自由
アメリカに比べて、自国エンジニアが多い
    専攻比率からの推計:アメリカ135万人に対してロシア200万人
            (アメリカはエンジニアを輸入している。)
一般的に、男性識字率が50%を超えると、民主主義気質が芽生える
    フランスでは平等主義的民主主義(フランス革命)
    ドイツでは社会民主主義→ナチズム
    ロシアでは共産主義となった。
        本来的に持っている家族・共同体気質が市場経済によって危機を感じて、
        代替の父権として共産主義を選択した。
高等教育が各世代の20-25%を超えると、上記の信念が疑われるようになる。
    ロシアでは1985-90年、共産主義が崩壊して無政府状態になった。
    そこで、プーチンが新たな父権として登場した。
    アメリカと異なり、オリガルヒを政治から遠ざけた。
    上流・中流階級も社会の安定化に満足している。
ロシアの弱点は低出生率である。(スターリン時代との大きな違い)
    いずれ迫ってくる国力の衰退の前に早めにウクライナを手なずけなくてはならなかった。
    領土拡大よりも、犠牲者を少なくして、「安全地帯」を作ることを考えている。
    これ以上領土を拡大しても統治できないことを知っている。

第2章 ウクライナの謎

ロシアも西欧もウクライナを破綻した国家として捉えていた。
    人口減、出生率減、
    突出している営利目的の代理母はソビエト主義(人権軽視)と新自由主義の結合と言える。
    2014年のマイダン革命以後、ロシア語圏が壊滅した。
元々、ウクライナはロシアに比べて個人主義的で女性の地位も高いが父系性である(モンゴル型)。

1931-33年のホロモドール大飢饉(スターリンの政策)への恨みは残るが、
    第2次大戦後は東部が航空産業と軍事産業の拠点として優遇され、ロシア人が移住した。
・東部の人口は都市化されているが、ウクライナ語を話す西部の人口は農村地帯である。
    レーニンの多文化主義によってウクライナ語は保護されたが、支配階級の言語はロシア語。
・1991年にソ連崩壊後独立したが、十分な中流階級と都市ネットワークが無かった。
     ロシア程の混乱は無かったが、混乱を収束させるだけの中心的な階層も無かった。
・結果的にはオリガルヒの天下となった。汚職の蔓延。
・ウクライナ語の西部に対し、ロシア語の東部のロシア人の多くはロシアに移住した。
     これはウクライナをロシア系で操ろうとして独立させたロシアの大きな誤算だった。
・その前に、ソ連崩壊によって、ウクライナからは知識階級のユダヤ人が大量に脱出していた。
     この影響(知的損失)はロシアよりも大きかった。

・2014年のマイダン革命時、東部のロシア語地区で投票率が大きく落ち込んだ。
     つまり、ロシアの知識階層が無力化されていた。
・西部(リヴィウが中心)は大部分が農村で、核家族構造で、ギリシャ正教系カトリック。
   中部(キーウが中心)は弱い父権的核家族で、正教徒、無秩序なウクライナ。
   中部が欧米の軍事援助を得て、西部のナショナリズムを背景にして、東部と南部を抑圧していた。
・ウクライナ東部の工業地帯はロシアとの結びつきが強いから、EU を選択することには無理があった。
・2014年以降のウクライナの過ちは、結局火種となる東部を切り離さなかったことである。
(チェコがスロバキアを切り離したようにすれば良かった。)
     東部を切り離して中立化すれば、ロシアは何も行動しなかっただろう。

第3章 東欧におけるポストモダンのロシア嫌い


・中世、東欧は西欧の近代化都市化に追いつけず、西欧にとっての最初の「第3世界」となった。
・1348年のペストはその傾向を際立たせた。
    都市部がペスト被害にあって、農民の地位が向上して農奴制が廃止された西欧に比べて、
    東欧では都市化が進んでいなかったために却って地主層の地位が向上した。
・エンゲルスはこれを「第2の農奴制」と呼んだ。
     西では「自由な労働者」が東では「縛られた農奴」が、お互いに補完する形で西洋文明世界が発展した。
     東欧地域はロシアやプロイセンやオーストリアといった国家に従属したが、
     それは近代化という意味では好条件でもあった。

・第一次大戦終了後、大国が解体されたが、東欧地域では十分な中流階級が育っていなかった(チェコは例外)。
・ユダヤ人達は教育に熱心であったから、東欧地域において中流階級の中核となった。

・第二次大戦後においては、ユダヤ人中流階級が死滅あるいは逃亡したために、東欧地域の遅れが際立った。
・ソ連が支配したことにより、共産主義に基づく教育水準が向上して、新たな中流階級が生まれた。

・冷戦終結により、東欧地域の中流階級はロシア嫌いとなり、経済的には西欧地域の「第3世界」となった。
     前回は農業によるものであったが、今回は工業によるものである。
     西欧の労働者は職を失い、東欧には発達した「プロレタリアート」が誕生した。

・ハンガリーは独自の歴史を持つ。
     オーストリア-ハンガリー帝国は第一次大戦で消滅したが、
     一時的にオスマン帝国の支配下にあったときに、カルヴァン派のプロテスタントが息を吹き返していた。
     周辺の東欧諸国とは異なり、反ユダヤ主義が希薄で、
     国内のユダヤ人を統合してマジャール人としての民族意識を持っている。
     1956年にソ連によって反乱を鎮圧されたハンガリーはその後ソ連からは一目置かれていた。
     だから、1989年に東ドイツからの難民がハンガリーからオーストリアに逃亡することを許した。

第4章 西洋とは何か

狭義の西洋=イギリス(清教徒革命)、フランス(市民革命)、アメリカ(独立戦争)
広義の西洋=上記+ドイツ、イタリア、日本(権威主義的民主主義)
西洋の起因=プロテスタンティズム=識字率向上
選ばれし者と地獄に落ちる者の不平等観を持つ。
(カトリックや正教では洗礼を受ければ皆救われる)
国民意識は差別意識に起源を持つ。
ドイツは父系性の為に社会秩序が安定した。
イギリスは核家族構造の為に、独立心と自由が貴ばれた。

「西洋民主主義は破局的な危機にある」
エリート主義対ポピュリズム
    大衆化したエリートが無教育な大衆と対立する構図
西洋のリベラル寡頭制対ロシアの権威主義的民主主義

キリスト教の衰退
   18世紀半ばにカトリックの衰退が始まった。
   1870~1930年にプロテスタンティズムの衰退が起きた。
   1960年代に第3の衰退。
   第一段階は「ゾンビ」つまり、慣習と価値観だけが残る。
   政治イデオロギー(例 国民国家)で代替される。
   (直系家族ゾンビ(日本やドイツ)、共同体家族ゾンビ(ロシア)
   第二段階が宗教ゼロ状態、国民国家解体、グローバル化の勝利。同性婚。
   集団的信仰(超自我)は人間を強くする。喪失はニヒリズムを意味する。

第5章 自殺幇助による欧州の死

・ロシアへの経済制裁は戦争の性格を変えてしまった。
     アメリカ代行ウクライナ対ロシアの戦争となり、欧州は脇役に追いやられた。
     ユーロ圏の貿易収支は一気に赤字となった。
     ノルドストリームのガスパイプライン破壊はアメリカによってなされた。
     天然ガス供給国で非EUのノルウェーが協力した。
フランスやドイツは何故経済的に無意味な代理戦争を継続するのか?
    エリート達は EU という無理から解放されるための口実としてロシアの侵略を利用しているのではないか?
    その代償は貧困層が負担している。
ヨーロッパは国民国家を超えた実体を作り出そうとしたが、無気力な市民と無責任なエリートの併存を生み出した。
しかし、その中でドイツだけが、直系家族構造、不平等で権威主義的な父系構造(のゾンビ)によって生き残った。
     (プロテスタンティズム崩壊後も規律、労働、秩序という慣習が残っている。)
     東ドイツも含む東欧がドイツの経済的人口的衛星国となった。(それまではロシアの思想的政治的衛星国だった。)
     ドイツはイデオロギーを捨てて経済的効率性そのものに執着している。
     出自や民族への無差別的な移民の受け入れは労働力の確保の為である。
     ロシアともエネルギー供給で手を結び、軍隊も縮小した。
    ドイツを軸としたヨーロッパーユーラシアに亘るロシアと西欧との結託こそ、アメリカが最も恐れる事態であった。
直系家族的権威主義のリーダーは、国家が強大になったときに、父権的傾向(世界統一志向)を持つ。
   (共同体的権威主義のリーダーは、平等主義によってそれが補正されて、多元主義になる。)
     直系家族的権威主義のドイツにも当てはまる。
     ユーゴスラビアやチェコスロバキアの解体への介入やウクライナのEU加盟推進はドイツの勇み足

ウクライナ戦争によって、ドイツは突如として国益を放棄した。突如とした消極的となり、アメリカに従属した。
    ヨーロッパの寡頭制は自立からドイツ支配になりかけたのに、ウクライナ戦争によってアメリカの支配に従属した。
    ヨーロッパにおけるアメリカのドル支配が背景にある。
       ドルは金持ちたちの避難通貨となった。アメリカの牛耳るタックスヘイヴン。
       ロンドンシティがドル支配を容認し、大英帝国の残骸が寄与した。
       ユーロが抵抗したが、2007-08の危機で力を失った。
       スイス銀行支配からタックスヘイヴン支配へ
       インターネット時代になって、NSA は世界中の金持ちの資産を監視できるようになった
       アメリカの工業力は衰え、世界支配は出来なくなった。アメリカの課題は同盟国の支配である。
       NATO はアメリカがヨーロッパを支配するための道具となった。

第6章 「国家ゼロ」に突き進む英国ー亡びよ、ブリタニア!


・イギリスは元々白人プロテスタントの国だった。カトリシズムへの反発から生まれた。
今や人種差別から遠ざかっていて、閣僚の多数が有色人種となっている。
       有色人種は人口比率で僅か7.5%のマイノリティであるが、教育投資で白人を圧倒している。

種々の健康統計から新自由主義によるプロレタリア化の進行が読み取れる。
新自由主義はプロテスタント的倫理から自由であり、道徳意識に欠けている。
     マーガレット・サッチャーの有名な句:
     「『社会』というものは存在しない」

プロテスタンティズムについて
    神との対話を口実に個人の内面が問われ、それが(自発的)集団意識の強化に繋がる。
    識字率の強化が産業の進歩に繋がる。
    信者それぞれが祭司でもあるから民主化であるが、同時に選抜主義による差別も生み出す。
    人生は楽しむためではなく、労働と貯蓄のためにある。
    国教会(ロンドン、南東部)対非国教会(メソジスト派、労働者階級)

1870-1930年、プロテスタンティズムがゾンビ化した。(出生率低下)
     第二次大戦後、宗教的実践とは無関係に「慎ましさ」「順応主義」が復活してベビーブーム、福祉国家の時代となった。

1960年以降にキリスト教ゾンビはゼロ状態に移行し始めた。
     教育による社会階層化と社会のアトム化、(イギリスでは)火葬率、離婚率上昇、同性婚でキリスト教は終わる。
産業革命や技術革新を支えたプロテスタンティズム及びそのゾンビは終わり、
     倫理無き新自由主義では金融自由化によって産業が破壊されている。
・パブリック・スクールの変質
サービス業比率増大による古い階級制の崩壊
スコットランドをイングランドに結び付けていたプロテスタンティズムの崩壊
高齢者と低学歴者がブレグジットを支持した。

第7章 北欧ーフェミニズムから好戦主義へ

「国民」はプロテスタンティズムの産物であり、その消滅と共に「ゼロ状態」となっているが、経済状態は良好である。
しかし、この「ゼロ状態」によって、これらの小国は「不安」を抱き、いずれかに従属したいと願っている。
それがたまたまNATOとなった。ロシアは切っ掛けに過ぎない。

第8章 米国の本質ー寡頭制とニヒリズム

1945年、アメリカの産業は世界の半分を占めていて、教育水準も世界最高だった。
     復員援護法によって、復員兵に高等教育が保証された。
プロテスタント・ゾンビの復活の一方では、ラテンアメリカの属国化と黒人差別があった。
1955年、アイゼンハワー時代、アメリカの指導者層は米国聖公会 WASP で占められていた。
エリート養成システムはイギリスから輸入された。
     それら私立校の目的は「人格」の育成だった。
ジョン・ロールズは1971年に「正義論」を著した。
    戦争と原爆被害の惨状に接して、恵まれた時代の WASP のあるべき姿勢をまとめている。
    「正義」とは最貧層の幸福に寄与する限りにおいて、不平等を容認することである。
    彼の著作が称賛されていた一方で、現実の米国では富裕層に有利な税制が強化されていた。

1970年ー90年に福音派ブームが起きた。しかし、
     古典的なプロテスタンティズムからみれば、これは異端である。
     字義通りの聖書解釈、反科学、ナルシシズム、神は恐れるのではなく恵みを与えてくれる存在となった。
     だから、ルター派やカルヴァン派のようには経済的社会的道徳を推奨しない。

脱宗教の指標は出生率の推移である。1960年に3.6人→1980年に1.8人。
教会に通う人たちのホモセクシュアル容認率は、1970年に50%→2010年に70%。
宗教ゾンビさえも終わった指標としては同性婚がある。アメリカでは2015年に法制化された。
     「性の平等」「同性愛者の解放」は問題ないが、「トランスジェンダー」は別次元である。
     遺伝学的事実を否定することは虚偽を肯定することであり、「ニヒリズム」である。

一世代の内高等教育の普及が20-25%を超えると、「自分達は本質的に優れている」という意識が芽生える。
     「平等実現」の次には「不平等の正当化」が来る。
1965年、高等教育によって人々は再階層化され、学力の低下が始まった。
     教育の進歩によって、教育にとって好ましい価値観の消滅を引きおこされたのである。
・アメリカが偉大な民主主義国家となれたのは、インディアンや黒人を劣等人種として不平等を固定化できたからである。
     黒人の封じ込めはプロテスタント的な「地獄落ちの刑」である。
しかし、教育階層化によってプロテスタンティズムが内部崩壊し、黒人たちの不平等原則が弱まった。
そ   の代償として、白人同士の平等原則が揺らいだ。
依然として最下層に居る黒人たちは「平等な市民」という理想が消えてしまった社会において市民権を獲得した
富の増大が中流階級を崩壊させた。
       1950年代の中流階級の主役は労働者だったのだが、グローバリゼーションによって崩壊したのである。
       指標は収監率、肥満(自己規律の欠如)である。
ソ連との知力対決の為に能力主義が必要となり、ユダヤ人への就学障害が取り除かれた。
最富裕層は子供の知的レベルに関わらず最高の大学に進学し、上層中流階級の子供は SAT を受けたが無意味化された。
アメリカはリベラル寡頭制となった。

第9章 ガス抜きをして米国経済の虚飾を正す

アメリカの強みは情報技術と天然資源(石油、天然ガス)である。
       この両極端の中間部分=工業に弱点がある。
       アメリカが占める世界での工業生産率は、1928年の44.8%から2019年の16.8%に落ち込んだ。工作機械は6.6%。
GDPの内サービスには0.4を掛けることにすると、RDP(実質国内生産)が得られる(トッド独自の指標)。
       一人当たりのRDPでは西ヨーロッパの平均程度で、ドイツの半分になる。
       RDP の順位は乳児死亡率順位に一致する。
       貿易赤字は拡大している。

・自国エンジニアの推計数はロシアよりも少ない(人口は約2倍)。
    アメリカの学生がエンジニアリングを専攻する割合は7.2%(ロシアでは23.4%)。
    法、金融、ビジネスに頭脳が流出している。
    STEM(科学、技術、工学、数学)ワーカーの不足を補うのが、海外からである。
    海外比率は、2000年で16.5%、2019年で23.1%。
    インド人、中国人、ベトナム人、メキシコ人等々。
    ソフトウェアーでは39%、物理学は30%。
    博士号取得の分野比率で目立つのがイランで、工学系が66%を占める。
        ドローン開発に寄与した。
    空軍と海軍の技術部門の大半はエンジニアであるから、これは国防力にも影響している。
    また、国内の工業力では兵器の増産が出来なくなっている。(砲弾不足

・無から有を生み出すドルの能力が道徳を麻痺させている。
    ドルの印刷による信用創造以外の産業は採算が合わなくなった。
    (正確には印刷ではなく、95%が銀行による貸し付けであるが。)

第10章 ワシントンのギャングたち

道徳律の衰退によって、もはや WASP は存在しない。
政権の中枢はアジア人とユダヤ人が占める。
ユダヤ人たちはあまりにもアメリカに適応してしまった為に道徳律を失いつつある。
外部との知的あるいはイデオロギー的つながりを欠いた指導者集団となって、判断を誤る。

第11章 「その他の世界」がロシアを選んだ理由

・西洋は自分たちが世界の中心であり、世界全体を代表している、と思い込んでいる。
     しかし、ロシアの制裁を認めるのは世界人口の12%にすぎない。
グローバル化は西洋による世界の再植民地化であった。
「その他の世界」の大半は、西洋とは逆の家族親族システムを持つ。
ロシアは自らの天然資源と労働で自活しているから、「その他の世界」では無害である。

1980年頃までは、西洋先進国の労働者は自ら生産したものを消費していたが、
     21世紀にはグローバル化により、海外で生産されたものを消費する「平民」となった。(ローマ帝国末期と同じ)
     「平民」となると、道徳的に混乱し、生産者としての価値観を失った。剰余価値の搾取者となった。
     西洋人は第一段階では、低賃金国の労働者に必要な物を作らせたが、第二段階では必要な戦争を人命コストの安い国に肩代わりさせている。

ロシアに対する経済制裁は効果を挙げていない。同調する国が少ないからである。制裁はNATOのナルシシズムだった。
     更に、ロシアのオリガルヒの資産の差し押さえは結果的に、世界中のオリガルヒたちの財産を脅かすことになり、彼らがドルの帝国から逃げ出すことに繋がった。

父系性家族と双系性家族
「その他の世界」はロシアの家族制度と同性愛拒否の態度に共感している。
     ソ連時代には共産主義の無神論を警戒したが、もはやロシアは無神論ではなくなった。
日本はアメリカのLGBT政策に同調しようとしている。
     アメリカのニヒリズムはもはや約束を守らない。日本は見捨てられる。

終章 アメリカは「ウクライナの罠」にいかに嵌ったか

第一段階:1990-1999年 ソ連崩壊後、しばらくは軍縮が続いた。平和の時代
    アメリカは東ドイツと西ドイツの統合を認めた。
    フランスは反対していたが、その後しばらくドイツは苦境に陥ったのでそれを忘れた。
    思いもかけず、ロシアの経済が破綻した。(共産主義にも秩序維持という意味があった。)
    結果としてアメリカはロシアの再生を諦めた。ドイツとロシアの結合が恐れられた。

第二段階:1998-2010年  傲慢の10年。軍事費が増大、世界支配を夢見て、イラク、アフガニスタンで失敗。
   ロシアの崩壊を予想して、NATOが門戸開放し、東欧諸国が加盟。
   皮肉にも、同時にロシアではプーチンが政権を握る
   アメリカはアルカイダの襲撃を受けて、2001年からは突然中東に集中し始める。
       ビンラディン殺害からイラク攻撃へ。
   中国のWTO加盟を認める。
   2002年ブッシュの「アメリカ国家安全保障戦略」の楽天性:ロシアも中国も近代化して仲間になる!
   1995年からインターネット普及、1999年、映画「マトリックス」。
   この間にロシアが経済復興を遂げた。1999年チェチェン紛争を鎮圧してプーチン体制確立
   ドイツも東ドイツの吸収を終えて経済的に復活し、東欧諸国を衛星国に従えた
   2004-05年、ウクライナのオレンジ革命にはアメリカが関わっている。
   アメリカが反プーチンに転じた切っ掛けは、2003年エクソンと通じたオリガルヒが逮捕されたからであるが、
   本質的には、イラク戦争に反対したフランスードイツーロシア共同戦線への恐怖である。
   2012年ノルドストリーム1が開通した。
   2007年のプーチン演説「ロシアはアメリカがルールを決める一極支配には入らない」に呼応して、
   2008年アメリカはウクライナとジョージアにNATO加盟を提案した。(自ら罠に堕ちた)
   2008年8月ジョージアがロシアに攻撃されて屈服した。(次はウクライナが予測された)

第三段階:2008-2017年  サブプライム危機オバマによる平和主義、軍縮。
   2009年 アメリカ国内油田開発。2012年 ロシアにWTO加盟を認める。2015年 イラクと核開発合意
   アメリカが手を引いた中東で
アラブの春
        2010年チュニジア、2011年アルジェリア、イエメン、リビア、モロッコ。
   2011年 福島原発事故を受けて、ドイツが脱原発宣言
   2012年 ノルドストリーム1開通でロシアとドイツの蜜月が始まる。
   2013年 ロシアスノーデンを匿った。
   2015年 ドイツが100万人のシリア難民受け入れ
   2013年 ドイツはウクライナのマイダン革命を仕掛けて、ウクライナ西部のナショナリズムを目覚めさせた。
   2014年 ロシアクリミア半島取得、2015年 シリアに介入アメリカはこれらを放置した
 
第四段階:2016-2022年  ウクライナのナショナリズムに引き込まれる。
   2016年 イギリスが EU離脱、アメリカではトランプ大統領就任
   ウクライナに軍備増強、ジャベリン対戦車ミサイル供与('22年にロシアの侵入を防いだ)。
  「アメリカファースト」にネオコンが混乱した。
   中国への保護主義化政策が失敗(国内産業は基盤(労働スキル)が崩れていた)。
   2017年 エルサレムをイスラエルの首都とし、2018年 イランとの核合意を反故にした。(合理性が無い)
   2020年 タリバンとアメリカ軍撤退を合意、バイデンが大統領に就任。
   2021年 ウクライナは戦争の準備を完了していた。プーチンのウクライナNATO非加盟要請をアメリカは拒否。
   2022年 ロシアは予定通りウクライナに侵攻したが、予想外の抵抗に会った。
              (アメリカはゼレンスキーの亡命を勧めたのであるが。

   更に秋の反転攻勢の成功(ヘルソン州とハリコフ)が勝てるかもしれないという希望を与えた。

アメリカの敗北とは、ドイツとロシアの接近、世界の脱ドル化、ドルによる輸入(アメリカの繁栄)の終焉である。

追記 米国のニヒリズムーガザという証拠

  イスラエルを支持し続けることで、アメリカはますます孤立化する。非合理な選択、つまりニヒリズム。

日本語版へのあとがきー和平は可能でも戦争がすぐには終わらない理由

     アメリカではエンジニアが不足し、機械よりも貨幣を好む傾向が強い。
           軍需産業が弱体化している。
     プロテスタンティズム ゼロ状態による道徳的社会的崩壊。
     その他の世界はロシアに味方している。とりわけガザでのアメリカが嫌われている
     欧米は核のリスクを無視している。また、和平のリスク(ロシアの侵略)を過大評価している。
     ロシアは安定を求めているのであって、西欧を侵略する余裕は無い。
     NATO の介入レベルが上がることで、ロシアの目標は上方修正されている。
     1.ウクライナの中立とドンバスの併合
     2.ザボリージャ州とヘルソン州
     3.オデッサはロシア艦隊への水上ドローン攻撃をさせないために必要
     4.ドニエプル河より東側まで征服しないと、ウクライナに供与された長距離兵器の攻撃を防げない

     ・不確実性

     1.今後、ウクライナ西部をどうするか?
         その過激なナショナリズムは NATO にとって迷惑かもしれない。
     2.バルト三国は交渉材料となるかもしれない。

     アメリカは、ウクライナとイスラエルという国家形成に自ら力を貸しながらも、
     それらの過激化によって世界大国としての地位を損なうような戦争に巻き込まれている。
     ロシアはアメリカの弱点を世界に示すことができた。

     2008年以降、アメリカは世界支配を諦めて、西ヨーロッパと日本、韓国、台湾を守ることにした筈である。
     しかし、ウクライナの戦争に巻き込まれたために、ここでロシアと停戦すれば、NATOが崩れ、ドイツとロシアが和解してしまう。
     だから、アメリカの繁栄を保証するためには、戦争を続けるしかない。

     ロシアは確かに暴力的であるが、権威主義的民主主義とは言える。
 
        大衆に依拠し、オリガルヒを制圧し、市場を守っている。
     ヨーロッパはリベラル寡頭制である。エリートが支配している。
     NATO はアメリカによるヨーロッパ監視システムである。
         監視の主役を担っているのがデンマークとノルウェーである。

     ヨーロッパの大衆はロシアとの戦争を嫌い始めている。
     大衆の「経済的利益」とロシアの「戦略的利益」は一致している。
     他方、移民(イスラム)への敵意については反対である(ロシアにはイスラムへの敵意が無い)。
     ポピュリスト政党の躍進に寄与しているのは移民排斥ではなくて経済的利益である。

日本の読者へー日本と西洋

     日本はドイツと同じく、NATO が崩壊することでアメリカから解放されるが、それによって、韓国と共に、ロシアよりも格段に脅威となる中国と独力で向き合わねばならなくなる。西洋の敗北は日本が独自の存在としての自らについて考え始める機会になる。

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